 |
笛の音誘えば
丁度、黄昏時だった。昼間のうだるような暑さも少しはおさまり、と言いたいがそれ程でもない。段々と薄暗くなる木々の間を歩いていると、不思議な笛の音が聞えてきたのだ。
祭囃子のようだった。この辺りの神社で祭りがあると言う話は聴いた事が無かったし、そもそもこの近くに神社などあっただろうかと思いながら進むと、木々の向うに灯りが見えた。いくつもの提灯が並んで揺れている。やはり、祭らしい。だが、これが普通の社ではなく、普通の祭でも無い事に気付くのに、時間がかからなかった。すぐ傍の屋台に居た少女のせいだ。真白な髪に紅い瞳をした彼女はこちらを見ると、にっと笑って言った。
「おやおや、また迷うて来た者がおるらしい。まほろの社に続く道は、一つでは無いからのう」
まほろの社。それがこの社の名。今日は夏祭りの日なのだと言う。
「折角ここまで来たのなら、少うし、遊んで行くがよかろ」
彼女の誘いを断る気には、ならなかった。当然である。何を隠そう、自分をここへ招いたのは、他ならぬこの少女、天鈴（あまね・すず）なのだから。黒榊魅月姫（くろさかき・みづき）は、微かに微笑むと、
「こんばんは」
と静かな声で言った。その姿を見て、鈴がほう、と目を細める。
「さすがは魅月姫どの。ようお似合いじゃ」
「そう…ですか？」
自分のいでたちを改めて見回して言うと、鈴は無論、と頷き、
「着付けもきちんとして居られる。本来ならば、わしがして差し上げねばならなんだが…」
とあちこち見回しながら言った。魅月姫が今夜着ているのは、いつものようなアンティークなドレスではない。鈴が見立ててくれた、浴衣だった。漆黒の地に白で百合と蝶が描かれていて、中々落ち着いた風情がある。良く見ると、鈴もまた、白地に同じような柄が薄墨で描かれた浴衣を身に着けていた。
「わしも気に入ってしもうてな」
魅月姫の視線に気づいた鈴が、少し照れたように笑う。お揃いの浴衣を着た二人は、並んで参道を歩き出した。両脇には鈴の屋台も含めて、色々な店がぎっしりと並んでおり、沢山の客で賑わっている。日本の夏祭りを見るのは初めての魅月姫にとって、全てが珍しく、また興味深かった。…にしても。そぞろ歩きする客たちも威勢良く呼び込みをする店主たちも、どう見ても人間とは思えない。魅月姫がよく知る土地の祭でも、人外の者がちらほら混じっている事はままあったが、これほどまでには多くない。
「日本の祭は、少し変っていますね」
魅月姫が言うと、鈴は、まあ、西洋のものとは大分違うがの、と頷く。夜店をあちこち覗いてみると、食べ物ばかりではなく、ゲームのようなものもちらほらあった。ヨーヨーすくいや、輪投げ、どれか一つ、魅月姫どのもやってみられると良い、と、鈴が勧めてくれたのは、大きな水槽のある、水龍すくいの屋台だった。水槽には小さな半透明の龍が沢山泳いでいて、時折水しぶきをあげたりしている。皆本物の水龍ではなく、作られた擬似生命体だと鈴が教えてくれた。これを、すくって取る遊びなのだと言う。水龍をすくう遊びがあるとは、これも日本ならではのものなのだろうか。
「水龍すくいには、ちとコツがあってのう」
と言いながら、鈴は店主に金を払い、細長くて虫眼鏡のようなものを二つ受け取ると、一つを魅月姫に渡してくれた。良く見ると、細い部分は柄らしく、楕円形になった部分には紙が張られている。
「これは？」
「ポイ、と申しての。こうして水龍をすくうのじゃよ」
鈴は『ポイ』の紙が貼られた方をすっと水に入れると、あっさりと小さな水龍をすくって見せた。
「龍の進行方向からすくうのが良い。あまり大きなものは逃げられやすい故、気をつけられよ。…さあ」
鈴に促されるまま、魅月姫もまた、ポイを構えて水槽に向かった。その気配を察知したのか、劉達の動きが急に速くなる。
「どうなされた？魅月姫どの」
じっとその動きに見入ったままでいたのをせかされて、魅月姫はようやく心を決めて狙いをつけた。あまり底の方に居るのは、取りにくいだろうと、水面近くに出てきたのをえい、とすくってみたが、するりと逃げられる。
「惜しいのう」
鈴が言ったが、魅月姫は殆ど聞いていなかった。次に浮上してきた水龍に狙いを定め、またポイを素早く動かす。また、逃げられる。夢中になってすくっているうちに、ポイの紙もゆるくなってきたが、段々とコツが分かってきた。動きは小さく、そして静かに。と思っていると、それまで一番底の方を悠然と泳いでいた一番大きな水龍が、すうっと上に上がってきたのだ。大きめのはすくいにくいと鈴は言っていたが、これはチャンスだった。魅月姫は動きをじっと見定めて、落ち着いてポイを振った。水龍が腹の下に入ったポイに気づき、少し暴れる、紙が破れたが、魅月姫は構わずそのまま渡された金属ボウルの中にすくい入れた。おお、と鈴が歓声をあげ、店主もやられた！と叫ぶ。始めはきょとんとしていた水龍が、じっと魅月姫を見上げた。
「そいつは目玉だったんだけどなあ。お客さん、運がいいねえ」
悔しげに言いつつも、店主がぱん、と手を叩くと、水龍はすうっと魅月姫に纏わりつくようにすり寄る。その様は中々愛らしく、撫でてみるとヒンヤリとしたよい感触だった。水龍は撫でられたのが嬉しいのか、ふるっと身体を震わせて魅月姫の中に消えた。もう少し撫でてやりたかったと思ったが、あとはそれに名をつけてやれば、自在に呼び出すことができるのだと聞いて、少し安心した。名前は、ゆっくり考えてやろうと決めて、また鈴と二人並んで歩き出した。夜店はまだまだ続いており、鈴が一つ一つそれを説明してくれる。どこからともなく聞えてくる笛の音にあわせて天女たちが舞い踊るのを眺めていた魅月姫は、参道から少し奥まった所にぽつんと出ていた店だった。見ると、『星の金平糖』と書いてある。あれは、と聞くと、鈴がああ、と頷き、
「甘い菓子じゃよ。砂糖でできた。口に入れると、星の祭を見に行ける」
と言った。
「星の、祭…」
興味が涌いた。それに、仄かに輝いて見える菓子は、とても綺麗だ。魅月姫は二粒買うと、一つを鈴の手に乗せた。
「かたじけない」
嬉しそうに言って、鈴がぽん、と菓子を口に放り込む。魅月姫もそれに倣った。混じりけの無い甘みが、口の中に広がる。
「美味しい」
呟いたその時には、周囲の景色は変り始めていた。夜店の喧騒が遠くなり、辺りを照らし出していた灯りも消え、一瞬訪れた闇の後、魅月姫は静かな光に満ちた世界に居た。
「ここは…？」
辺りを見回すと、天と地には深い闇があった。だが、その間を小さな輝きが満たしている。それらはゆるゆると螺旋を描き、天に達しているように見えた。階段、なのだろうか。それにしても、ここは何処なのだろう。
「星たちの世界じゃよ」
振り向くと、鈴が居た。
「夜空に輝く星たちは皆、燃え盛る炎であり、天の川はその集合体、と、人は言う。無論、それも誤りではない。人の世の星たちは、そういうものじゃ。が、それだけれはない。全ての世は重なって居る故、な」
「重なっている…。これもまた、地上から見上げる空の別の姿だと？」
「そういう事じゃ」
と鈴が頷いたその時、螺旋の向うから、不思議な音が聞えてきた。鈴のような、鐘のような、澄んだ細い音色だ。何だろうと思っていると、鈴が先に歩き出して、振り向いた。
「参ろう、魅月姫どの」
並んで、ほんのりと輝く階段を登る。随分遠く感じたのだが、登りきるまでには然程時間はかからなかったように思った。最後の一段を登りきった時、魅月姫ははじめて、この白い螺旋が、実は周囲を見渡す為の塔であった事に気づいた。
「眩しい…」
頂上に着いた途端に真白な光に包まれた時には、さすがの魅月姫も驚いた。だがそれはほんの一瞬の事で、光はすぐに消え、遠くに去っていく。改めて見回すと、そこはやはり深い闇の中であり、眩い光は魅月姫と鈴が登りきった塔の周囲を、凄まじい勢いで回転していた。光は、始めは一つ、それから二つ、三つと増え始め、その都度きらめく粉が周囲に乱れ飛んでまた、輝いた。
「今宵は、誕生の祭となったか…」
鈴が呟く。どういう事かと聞くより早く、彼女は続けて、
「新たな星が、生まれる所じゃよ」
と教えてくれた。
「星の祭は一つではない。運行、誕生、そして、死…。他にも幾つかの形がある。わしも全てを見た訳ではないがのう」
そう言って、真上を見上げた鈴につられるように視線を上げた途端、天から細い旋律が流れてきた。いや、降り注いだと言った方が近いかも知れない。
「星々の旋律じゃ」
鈴が言った。
「人の奏でるものとは、随分と違いますね」
魅月姫が言うと、鈴も頷いた。
「星の記憶、しいては世界の記憶とも言われておる」
全ての旋律を集め、その謎を解けば世界の秘密を知ることが出来る、といわれているが、謎を解いた者無論、全ての旋律を集めた者すら居ないのだと、鈴が言った。
「もとより、その謎が一体何なのかすら、知る者は居らぬ」
「誰も知らない、と言う事は、知るべきでない、と言う事なのかも知れませんね」
魅月姫の言葉に、鈴がふっと笑みを浮かべ、やも知れぬ、と言った。最初に聞えた鈴のような音は、今もまだ聞えている。それはとても規則的で、薄れることはあっても決して消えはしない。鈴の言う『星々の旋律』は時に遠く低く、また時にはすぐ傍で囁くように聞えつつ、次第に音を重ねてゆき、それと共に光の数も増した。それらは丁度魅月姫たちの真上で渦を巻き、収束し、やがて眩い光の中から、小さな何かが飛び出した。
「今、新たな星が生まれた」
「…そのようですね」
多重に重なって響いていた旋律は、小さな何かが飛び去ると共に一つ、また一つと消え、辺りに静寂が戻ろうとしている。逆にはっきりと聞こえ始めたのは、最初に聞えたあの鈴のような音だ。まるで拍を取っているかのように、規則的な音と共に、周囲に銀色の光ちらほらと見え始める。先刻の光の渦も美しかったが、これもまた、美しい光景だった。静かで、どこまでも美しい。と思っているうちに、それらはゆらりゆらりと揺らぎながら消えて行き、気づくと元の夜店の前に立っていた。聞えてくるのは『囃子』の笛の音と、夜店の呼び込み、客たちの楽しげな声。いきなりの賑やかさに少々戸惑っていると、道の向こう側から、呼ぶ声が聞こえた。鈴だ。頭に奇妙な面をかぶっている。
「早う、早う！これもまた面白うてなあ」
小さな子供のようにはしゃぐ鈴に、やや呆れつつも、
「時には、このような過ごし方も、良い物ですね」
と呟く魅月姫の顔に浮かんだ笑みに気づいたのは、多分、鈴だけだろう。笛の音が、遠く低く響き、鈴と共に誘っている。魅月姫はゆっくりと、広くは無い参道を横切った。
＜笛の音誘えば 終わり＞
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【4682 ／ 黒榊 魅月姫（くろさかき・みづき） ／ 女性 ／ 999歳 ／ 吸血鬼（真祖）・深淵の魔女】
＜登場NPC＞
天 鈴（あまね・すず
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
黒榊 魅月姫様
ご発注、ありがとうございました。ライターのむささびです。今回はまほろの社のお祭を、鈴と一緒に廻っていただきました。楽しんでいただけたなら、嬉しいのですが…。
水龍は、普段は魅月姫嬢の身体の中におりますが、名を決めて呼び出していただければ、また元の姿で現れ、遊んでいただけます。星の祭は少々静かなものでしたが、魅月姫嬢と鈴は、その後も延々、社で遊んで帰られたようです。ただ、魅月姫嬢はまほろの社のお祭を、『一般的な日本の祭』と誤解されたままお帰りになられたようなので、普通の祭に行かれた際にはまた驚かれるかも知れません。 それではまた、お会い出来る事を願いつつ。
むささび。
|
|
 |
