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<東京怪談ノベル(シングル)>


透明の色

 死しても残るこの感情はやはり“本物”なのか、それとも否か。
 自分自身に問うてみる。
 その答えは、あまりにも簡素でありきたりなモノ。
 それを、答えと読んで良いのか再び問うてみる。
 ……例えば永遠の死という時間の中で問い続けた先にあるものが絶望だとしても、それでも私は彼女を愛し続けていきます。その決断を笑う人間がいても、恨みはしません。それもまた、事実ですから。

 朝日の昇る刻限まで、時間はあと僅かと迫っていた。
 誰もいないビルの屋上で受ける風は幽霊には一切の感触を与えないが、それでも衣服の裾を揺らしているのは、彼が自然と一体化している影響なのだろう。勝手にはためく着物を抑えるようにフェンスに身を預け、白んできた空を見上げた。
 澱んだ空しかないこの街でも、陽の昇る瞬間だけは美しい。その考えは、今となっても変わることはない。

 彼、ー佐久路は既に死者だった。

 盆に死者は家に帰るという。
 その風習を今時信じているのは歴史を重んじる古い家か、それとも田舎の家々か。都市化の進んだこの街では死者を迎え入れる行為すら忘れられているようで、それが佐久路には少々物寂しい気分にさせられる。実際に帰るのはいつでも出来る行為ではあるのだが、自分はこうして“生きている”妻のお陰で帰る大義名分を得ているような気もするのが軽く苦笑を禁じえない。死者は誰にも望まれていないとしても、生者の傍に立つことが出来る。ただその思いが強ければ強いほど、その場に長く留まることが出来る。同時に、長い間に忘れてしまうことが当然と思われる記憶を、あまりにも繊細に残しておくことが出来る。それは死者らにとって、カケガエのないものだった。
 記憶に残る妻は、目の前で眠る妻と寸分違いはない。妻へと伸ばされる手は頬の辺りの宙に触れるだけで、何物にも触れることは出来ない。幽霊の特質であるといえばそれまでなのだが、やはりどこか寂しいものがあるのは事実だった。
 嘘は昔から苦手だった。顔に出易い、というのが正しい表現だろう。それを生前には話の種にされたものだが、今となってはそれすらも懐かしい。嘘を付くのが苦手というのは死んでからも同様で、一度染み付いてしまった癖というものはそう簡単に抜けるものではないらしい。例えばそれが障害として存在する場合には自然と改善される場合があるが、物質的にも障害のなくなった今となっては期待出来たものではない。
 ……それに私は、あのことも隠し通せる自信がありませんからね。
 もし知っていたことを妻が知ってしまったら、彼女はどんな顔をするか。それは彼にとって、決して想像に難くはない。ただ見たくないし、そんな顔をさせたくないだけ。そんな陳腐にも思える理由のために、こうして刹那の時間、傍にいる道を選んでいる。
 甘えてしまえば、離れられなくなる。留まり、互いに縛られてしまう。
 霊体というのもまた不便なもので、気持ちは一方通行にしか伝わらない。届かない声と手は、触れること適わず通り抜けてしまう。それは時折、胸を締め付ける。切ない感情が喉元を締め上げ、嗚咽を漏らす。
 ……それでも私は、傍にいたいんです。

 妻との別れは、短く。
 ビルの屋上から見える町並みの端に、僅かに太陽の光が見えた。どうやら朝が近いらしい。死者は返り、生者の時が流れ出す時間。
 小さく微笑むと、その場をあとにするために一歩だけ踏み出した。と、その足がふいに止まり、彼は穏やかに空を見上げた。
 どこまでも続く、同じ色。
 いつの日にか妻と見た、綺麗な色。
 仰ぎ見た空の色は青く、今年も恒例の花火が打ち上げられそうですね、と。風習も抜け切らないことに再び苦笑しながら、屋上から姿を消した。





【END】