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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


花は、枯れずに

 療養生活を始めてもうどれくらい経ったのだろう。
 鏡に見える自分の黒髪を梳かし、結い、薄く化粧をする。こんなちょっとした女らしさを出せるのは外出時くらいで、これからも長く続いていくのかもしれない自分の療養生活から少しだけ離れられる気がして、弓槻・冬子(ゆづき・ふゆこ)は品の良いピンク色の紅を引いてから微笑んだ。

「弓槻さん大丈夫?」
 よく話す初老の患者が冬子の嬉しそうな後姿を見ながら声をかけるも、背を向けたまま鏡の中で微笑む彼女は大丈夫ですよ、と療養所で着る寝巻ではなく淡い藍色のスカートを着こなしてすうっ、と振り向く。
「今日は付き添い人も居ますから、心配しないで下さい。 久しぶりの買い物ですもの、少しはお洒落しないと…」
 患者はまだ歳若い冬子に自らの子供を見ているのか、よく気にかけ心配をしてくれる。
 それがわからない冬子ではないが、精一杯お洒落をして買い物を楽しみたいのだ。少し療養生活が長く、着ていく物が少なくて色々悩んだが結局、夏と秋の狭間の色を選び少し短すぎただろうかと気にするスカートにそれでも女らしい微笑みをたたえて。
「女の子だもんねぇ、気をつけて行ってらっしゃいな」
「はい」
 女の子、という歳でもないが女性であるという事は事実。それに、白い壁、白いカーテン、それらに囲まれるのが療養生活。だけれどここから一歩づつ踏み出していく場所は色の洪水。外の世界に踏み出し、久しぶりに行くショッピング街。着る物等気を遣う事が多い女ならではの浮き立った気持ちが冬子の心を疼かせた。



「なんや、病人がめかしこんで」
 かつん、という音と共に療養所の玄関をくぐる足音に合わせるかのように、冬子より背の高い、紫色の髪を揺らせ、からかい半分にと口を吊り上げた男の声がくるりと顔を見せる。
「病人でも女ですもの、失礼ね。 豪クンの派手な服を落ち着かせる為に私の服は少し地味なの」
 本当は着る物が手元に少なかったから、などとは言えず、冬子は目の前に居る付添い人にして友人である月見里・豪(やまなし・ごう)にこちらも負けじと怖いほどの微笑みを返して、口元をさもおかしそうに覆う。
 職業柄だろうか、豪の服はまだ暑い夏を更に熱くさせる豹柄のシャツで、本人は涼しいだろうが回りは口を閉ざしてしまいそうで。

「病人は病人らしく寝とれや…」
 負けた、とは言いたくない。言いたくないので眉間に寄せた眉を気取られまいと豪は冬子の方へ手を伸ばし、階段からヒールのか細い足が転げてしまわないようにと手を取る。
「随分優しいのね? その豹柄、派手だって認める?」
 無言は肯定の印。伸ばされた手を受け取り、追い討ちをかけるようにして笑ってやれば。
「はーいはい、俺の負けや。 それより冬子さん、今日寄るのはショッピング街だけでええん?」
 冬子が階段から降りるのを確認し、真紅色のオープンカーのドアをレディーファーストやで。と開ける。

「久々に外出できる女の子にショッピング街だけ、っていうのは男として反則じゃない? 豪クン」
 女の子、とは先ほどの患者の言い分だが使わない手はないだろう。本来なら少しだけ買い物を、という話ではあるが今は友人、昔は恋人であった彼にそう言ってしまうのは酷だろうか。それでも。
(ちょっと位我儘になりたいわ)
 目の前でしぶしぶ了承するように頷く豪を見ながら冬子は目を細める。買い物だってしたいが何よりゆっくり話もしたい。言葉を交わす機会はあれど、ゆっくり、どこか静かに話せる場所で色々話したい事もあるのだ。
 特に、最近あった出来事を、何を求めるわけでもなく豪に聞いてもらいたいと少し声を出さずに自嘲して。



「ねぇ、豪クンこの服なんてどう?」
「ああ、えーえー。 そならはよう買うてこうや…」
 街についてもうどれくらい、いや、何件目のブティックに行っただろう。
 目に入る所、目に入る所と寄るものだから足は疲れ果て、寧ろ車で店を回りたいと思うが残念ながら歩行者天国の多いショッピング街でそれは出来ず、手持ちの所持金でどう上手くお気に入りの服を買おうかと悩む冬子が見ている服も、結局はいつもと同じ淡いパステルカラー。違うといえばデザイン位だから男の豪にはつまらない。
 確かに、女性の買い物がこういうモノであるという事は矢張り知っている。が、よく会う女のようにぽんぽんと金を使わず、しっかりと物を見る冬子の買い物は少し違うのだ。

「ちょっと、少しは真剣に見てくれない? さっきの店のショール付き、っていうのも捨てがたいんだけど、ここの七部袖もいいと思うのよ。 ほら、フレアスカートなんてもうすぐ着れなくなっちゃうかもしれないでしょう?」
 一人でぶつぶつと思考を巡らせる冬子が持っているのは秋物のワンピースで、彼女がどれだけ洋服、身なりを気にしていたかが理解できる。
(随分とこじゃれたモン見るようになったんやな…)
 気乗りのしないような、それともただ茶化すような口調を止めない豪は何度か冬子に咎められつつも彼女の手に収まっている洋服のデザインをしっかりと目にしていて。

「じゃあ、これにしようかな。 あんまり豪クンの意見はあてにならなかったけど、久しぶりで嬉しいわ」
 そりゃどーもさん、と。レジに進む冬子の後姿を何の気なしに見送りながら、昔恋人であった頃の彼女とはまた違う、別の男の匂いと、その趣味に合わせようとする女心を垣間見、少しだけ黒曜石に似た瞳を顰める。
 今は彼女が楽しいのだから良いではないかと、とりあえず自らの理解不能な現状に蓋をし、姉のような顔と少女のような顔を持つ女性の後を追う。

「ほれ、持ったるから、次どないするん? まだ買いもん?」
 レジの前のか細い女性を支えるように丁寧に包装された荷物を受け取る。ふと、店員が恋人さんでしょうかという眼差しを向けてき、違うわいと目線を放して冬子の意見を待たずに手を取ったままクーラーの涼しい場所から出れば。

「もう、『まだ』は失礼でしょ? まぁ、確かに少し疲れてきたかもしれないわね…喫茶店にでも行きましょうか?」
 少しは協力的に見て欲しいのにと肩を落とす冬子は、それでも矢張り暑さのせいか療養所を出た足を少し頼りなくおぼつかせながら手を取ってくれる豪に有り難う、と返す。
「決まりやな、ほなら目の前のトコでええ? それとも事前対策は練っとるん?」
 ショッピング街につきものである喫茶店の類は目の前にも、今まで歩いてきた道にも随分あるものだから、つい適当な所を指差してしまう。だから、この辺は経験というもので女性の抜け目無い、甘い物に関しての情報や美味しい紅茶の店がどうの、という意見を聞くに限るのだ。

「ふふ、いいえ。 目の前のお店でいいわ、療養生活が続くんですもの、美味しいお店の話はあまりできないから」
 雑誌くらいの供給はあっても実際に行けるとは限らず趣味の編み物を見ては楽しむ。そんな生活を続けていた冬子に暫くぶりの喫茶店という場所のリクエストはないらしい。
「ほな、決まりな。 不味かったら文句いうて値切ったろ」
 暗い気持ちになりがちな状況をひっくり返すように豪は先へ先へと進み、目の前の喫茶店の扉を開ける。

 途中、いらっしゃいませと店員に声をかけられつつ、冬子をそのまま奥の席へエスコートしながら座らせ、こういう店にありがちなハズレのただ甘いケーキや変な後味のコーヒーを連想しながらメニューを開くと。
「何言ってるのよ、お店の人に悪いでしょ」
 同じくメニューを受け取った冬子はそれでも同じ事を連想したらしく、くすり、と小さな微笑を返しながら、すぐさま注文を聞きにきた店員にレアチーズケーキとホットティーを頼む。
「あ、俺コーヒーな。 アイスで」
 冬子の後に続くようにすかさず注文をする豪は、彼女のホットティーに熱うないん? と顔を顰めながら背中を縮める。

「少しはね。 でも、このお店クーラー効いてるでしょ? 私にはホットが一番、体温が中和されていいのよ」
 それにケーキは冷たいから。と微笑む冬子にそんなものかと気の無い答えを返す豪は簡単な注文の為ほぼすぐにも運んでこられたコーヒーを見ながら使わないストローをぐるぐると回す。
「なんや、早いな。 作り置きやったらやっぱり不味いんとちゃうん?」
 こういう所にはよくあるもので、味を確かめないとわからないと言えばそうではあるが味気無い、とストローを端に追いやりグラスに口をつければ、まぁまぁと言ったところか。冬子も豪の言葉に少し苦笑しながらケーキを口に運び、そしてふいに、フォークを置いた。

「やっぱ不味いんか?」
 ふと、目をケーキにとめたままそれ以上口にしない冬子を茶化すようにして声をかけるが、その雰囲気が何かしら思う物を纏っていて、矢張り何かあるのだろうと心に思う豪はそれでも、何に触れることもせず置かれたフォークを取ると、さっ、と自分の口にケーキを運び。
「まぁまぁやん」
 甘い物の良し悪しなどそれ程気になどならないというのに、場の雰囲気だけを保つかのように口を動かした。

「ねぇ、豪クン。 男の人が…人に守りたい…なんて言うのは…」
 ホットティーにもケーキにもそれ以上口にせず、冬子は結った長い髪を背中に流しながら何処も見ない瞳で豪に話しかける。
「これって、プロポーズ。 よね?」
 豪のアイスティーが口元で傾いたまま、氷のかちり、という音だけが響く。それから静かに置かれたグラスの中でまだ踊るようにしてコーヒーが揺れた。
「惚気は勘弁したってや。 冬子さんがもてもてっちゅうのは知っとるさかいに」
 ふう、とため息をつく豪は全く我関せずと肩をすくめるだけで、もう一口、と手を伸ばしたケーキに冬子からのストップがかかる。
「そんな事…知らない癖に。 それに…惚気なんかじゃないわ」
 手と手が触れ合う。
 だけれどそれを、ただケーキへのお手つき厳禁と見るように、豪はすぐにも温もりの残る手を引っ込め、冬子の琥珀色の瞳を見つめる。自らは何も言わず、ただ、次の言葉を待つように。
「真面目に聞いて頂戴。 こっちは真剣に悩んでるのよ」
 強く発せられる言葉に何を返せばいいのだと、豪の黒い瞳は語っている。昔の恋人、それはもう時効なのだろうか、友人としてすら聞いてもらえないのだろうか。冬子の茶の瞳は問うように揺れ、フォークを制した手を引っ込めた。

「やったら、話し合うべき相手は娘の方ちゃうん?」
 氷が溶けた。アイスコーヒーの中でカラカラ音を立てて沈むもの、浮き上がるもの、ただそれらは飲まれずに置かれたコーヒーの中で静かにその中身を薄めていく。
「もう少ししっかり聞いてくれないの?」
 冬子のホットティーもこの店の冷房の中、徐々に冷めてきているだろう。一口も飲まれないまま、ただそこにあるだけの装飾品のように鎮座している。
「せやから、そういうのは娘に話した方がええって」
 念を押すように聞いた冬子の言葉を逆にもっと別の対象者へ向けるように豪は強く言った。
 なにも感情的になっているわけではない、ただ、なるべくこういう話は避けていたい。たとえ友人でも、もう少し笑って話せるようになるまでは。

「そう…」
 ひとしきり、豪の様子を伺った後、冬子は手元にある荷物を膝にまとめ、少しきつく睨むようにして一度彼の方を見る。
「本当は相談したかった。 …いつか、また話そうね、豪クン」
 淡い紺色のスカートがばっ、と豪の目の前に広がる。まるで深海に落ちてしまったような、深く、だが淡い水泡によってただ沈むだけの深海に。

「冬子さん」
 二言目で立ち上がり、一人店を出て行こうとする冬子の手を一瞬、力も込めずに引きとめ、豪は彼女の方を見る事無く。
「今日はおごっとくわ」
 女性の細い手の中にしまわれた店の伝票を軽く取り上げると、ひらひらとして、冬子にこれ以上何を言わせる事も無いように苦笑し薄まったコーヒーを飲んだ。
「有り難う。 …またね」
 相談事を言えず、ただ帰る事を選んだ冬子の足取りはやはりおぼつかなく、それでも豪は見送る事しかできずにただ、喫茶店の窓からショッピング街に出た後ろ姿を眺めている。この調子だと後の買い物に使おうとしていた金をタクシー代に使う事になるだろう、道路に出た彼女の手が上がるのをなんとも無しに眺めていて。

「またね、なんて無責任な事言わんといてくれや…」
 拗ねて勝手に店を出て、勝手に一人で帰っていく冬子。
 だが、その勝手をさせているのは自らだという事を薄々感じながら、今まで目の前に居た女性のホットティーを口にする。
 甘くも無い、砂糖も入れていないティーは変な温度内で冷め、豪の口の中をじわりと汚すがそれはまるで冬子が自らの相談に乗らなかった罰だと言っているようで、豪は喫茶店内のライトに照らされた髪を掻くと自嘲した。

 昔自分達の間に恋は確かにあった。が、今も、いや、今はまだその恋は枯れずに残っているのだろうか。