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<東京怪談ノベル(シングル)>


『此処に居て候』



 土日祝日は一日3回。だが夏休み中は連日3回となる。

 3回目、2時半からのショウの最中だった。安っぽい鋼が盛夏の日差しをギラリと返す。正眼に構えた日本刀の、材料はプラスチックと「あるみごうきん」というものだとか。だから軽い。軽いものを、ある程度の重さがあるように見せて持つのは、コツがいった。最初の頃はよく演出家に叱られたものだ。
 樅臣・螢(しょうじん・けい)は、ステージの上で、黒装束の忍者数人に囲まれている。どういう経緯で狙われているのか、物語は螢にも理解できていない。合戦でなく、日常に襲われたということなのか。だが鎧も兜も付けなくてよいのは助かる。
 現実で、螢は、忍者とこんな風に闘った経験などなかった。忍びが、わざわざ姿を表わして、暗殺対象と対峙するものかと首を傾げたくなるが、まあいい。『茂みや岩からLレンジで攻撃するのでは、観客は盛り上がらない』のだそうだ。

『サムライ・パラダイス』というこのテーマパークは、元々は戦国時代をイメージして作られたと言う。
 短剣を前に出して突進して来た忍者をいなし、刀で円を描く。スピーカーからは、『ズバッ!』と擬音で書けそうな効果音が飛び出す。日本刀で人を斬って、こんな音がするものか。螢は唇に苦笑を浮かべた。
 忍者Aは大袈裟に背を反らし、片手を空に伸ばしてから床に倒れた。
 それを合図に、時代劇コントで流れるような、軽快と言うにはあまりにまぬけな早いテンポのBGMが流れ出した。次々と忍者達が螢へと飛び掛かる。
 躱しては斬り、斬っては躱し。忍者Cがバク転をしたので、客席にはわぁっと歓声が挙がった。
 螢が何度か刀を振り回す。頭部の高い位置で一つにくくった髪が、螢の素早い動きで凧のように舞った。・・・と、ステージの黒装束達は一掃されていた。『お約束』という感じで、気持ちのない拍手がわいた。
『死』が、『殺戮』が、『合戦』が。見せ物になる。螢はこれで幾ばくかのバイト料が貰える。
『パラダイス』というのは極楽という意味だという。ここが侍の極楽。

 冷房の効いた休憩室兼更衣室へ戻ると、螢の前のシーンに出演していた武将役が、既にランニング姿になって寛いでいた。彼は兜を脱ぐと金色の短髪であった。
「やあ、お疲れ」
「貴殿もお疲れさまでございました」
「樅臣くんも麦茶飲むだろ?」
 武将役の青年はパイプ椅子から立ち上がり、冷蔵庫のペットボトルの麦茶を新しいコップに注ぐと、スチールテーブルに汗だけ残す自分の空のグラスにも継ぎ足した。
「拙者にですか。かたじけない」
 首は曲げず、背を伸ばした状態で礼をして、コップを受け取る。冷たい麦茶が喉をきりりと通り抜け、胃に流れ込んだ。ステージで失った汗には足りないが、体にあっと言う間にしみ通る気がした。冷蔵庫というのは便利なものだ。飲み物もこんなに冷やすことができるし、夏に氷さえ作ることができるのだ。
 一息ついて、螢は着替えを始めた。衣裳の浪人風の着物と袴から、ロッカーにある自分の和服へと。袴に白の単(ひとえ)、袖無しの羽織りをはおる。

「オレは役者の卵だけどさあ。樅臣くんみたいな人も多いよな、ここのバイト」
「拙者みたいな人?」
「時代劇オタ・・・マニアだよ。
 受験生なんだよな?国立だって?すげえよな。・・・受けるのって、史学科?」
「いや、哲学科でござる」
「ふうん。じゃ、ホントにただの趣味なんだぁ」
「・・・。」

「お先に失礼する」と、武将役に礼をして部屋を出た。
 別の時代へ自由に飛んでいた頃は、殺陣や大道芸を見せて稼いだこともある。変わった道具を手に入れ、元の世界で高く売り裁くこともあった。
 螢が『サムライ・パラダイス』で働くことにしたのは、ファミレスのウェイターもコンビニの店員もデリバリーピザの配達員もできそうになかったからだ。螢ができるのは、剣を揮うことだけだった。

 ここのテーマパークはショウが目玉だが、室町時代の武家屋敷の街並みを再現した外観や、忍者からくり屋敷アトラクションも人気だ。着物や鎧も借りられる。馬にも乗れるし、写真館もある。初めから和服を着て訪れる者もいる。螢が袴姿で広場を横切っても違和感はなかった。
 このまま歩いていて、また、元の時代に帰れるような錯覚に陥る時がある。
 ここが、街で一番、あそこに近い場所だと思った。そう思ったのに。

* * *

「樅臣さん、お仕事の帰り?これからお勉強?がんばってね」
 アパートの前で、隣の部屋のご婦人とすれ違った。これから店へ出勤なのだろう。きつい香水が目にしみた。螢と同じ歳の息子がいるそうで(離婚したご亭主が引き取ったそうだが)、やはり浪人生なのだという。彼女とは時に親しいわけではないが、時々立ち話の相手になってやったりもする。
 同じ時代、同じ国の中にいるのに、『会えない』のかと、螢は気の毒に思う。

 螢は時間旅行者である。元は戦国時代の侍・・・浪人であった。妻も息子もいた。息子はまだ小さかった。
 どの時代に飛んでも『ここではそういうものなのだ』という認識があり、自分の時代と違う価値観やしきたりを否定することはなかった。その時代で暮らすのに苦痛は感じなかった。まあ、今までは、能力を使ってすぐに妻のところへ戻れたせいかもしれない。
 帰れなくなった今は・・・。いや、今が苦痛かどうかなど、考えない方がいい。ただ、家族のことだけが気がかりだった。

 アパートには、座り机以外には何も無い。畳の上に本だけが積まれていた。
 飾りも無い六畳間だが、壁に貰い物の風景ポスターが貼ってある。掛け軸のつもりなのだ。その下、100円ショップで買ったブックエンドに『時漂』が乗せられていた。魔の物も斬る名刀で、螢の良き相棒だ。
 今の時代は、登録証が無い刀は所有することができない。そして『戸籍』というものが無い人間も、存在を許されない。アパートを借りるのにも大学を受験するのにも、役所から書類を引き出す必要があるのだ。
 だが何故か、登録証も戸籍も、買うことができた。仲介してくれた探偵は、『今の世の中、金で買えない物なんて無いさ』と唇を歪めて笑った。
『だったら、拙者に“英語力”を売って欲しいものだ』
 螢は口には出さなかったが。

 螢は背筋を伸ばして文机に座る。英単語ノートを開く。シャープペンというのは、墨を擦らなくてもすぐに書けて、なんと便利なものよ。
「escape。えすけいぷ。動詞、逃げる、逃避する。名詞、逃亡、脱出」
 単語を10回書いて、宙を見ながら意味を復唱する。終わると「まーかー」という筆で上からなぞる。朱書きのようなものだが、きちんと下の文字が浮きでるのがエライ。
 受験で一番の難関は外国語であった。今どき3歳の子供だって、アプルやキャットの単語は知っているのだそうだ。3歳以下からスタートしたわけだ。
「espose。えすぽうず。動詞。信奉する。娶る・・・。めと・・・る」
 妻の笑顔がよぎり、頭を振って追い払った。
「eternal。えたあなる。形容詞。永遠の。・・・永、遠、の・・・」

 開け放した窓の、空を仰ぐ。かわたれ時と呼ぶにはまだ明るかった。だが、家々の灯りが、一つ、二つと点いていく。あの灯りの元に、みな、帰っていくのか。

 昼間の疲れもあり、頬を撫でる風が心地よい。すうっと眠りの糸が、螢を引く。ちりりとどこからか風鈴の音が聞こえ、馴染みの薄い26個の記号を螢の脳裏からひらひら飛ばして行く。
 あの時代でも、そろそろ夕餉の時刻だろうか。妻は何を作ったのだろう。息子は好き嫌いなく食べているだろうか。うとうととうつろな中、息子の頬についた米粒に妻が手を伸ばし、取って、笑う姿が見えた。妻は、自らの香の物を一つ息子の器に譲る。

 夢なのだから、螢がそこに戻って一緒に居ても良いものを。

 醒めて、恨めしく見上げた窓に、ビルの間、少し欠けた暗い月が覗いた。


< END >