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ゆったりと、ゆっくりと。〜枝折り〜
「そうですね。汚い」
書庫に入って開口一番、楷が口にしたのはまぎれもない真実だった。あらゆる本が所狭しと本棚に納まっているこの書庫は、見ればどこにでも埃がある。本の上、本棚の隅、最近足を踏み入れてなかった奥の方は、床も一面埃だらけだった。これはもう、大掃除しかないと決心したのが数日前。
「だろ?気付くと気になって仕方ないからさ、休みの今日中に片付けたいんだ、手伝ってくれな……」
「『下さい』」
訂正にむっとしないわけじゃなかったけど、今、楷は貴重な労働力。ここで逃すわけにはいかない、と楷の訂正を黙って受け入れた。
「……手伝って下さい」
「良いですよ」
とりあえず楷には乾拭きをお願いして、俺ははたきを手にした。座り込んではたきで本の上をなぞる。途端に細かな短冊状の布の一つ一つに埃が絡み付いてきた。……汚すぎる。
「門屋さん何やってるんですか」
「は?はたきで叩いてるんだろ?」
ちなみにこの汚すぎる現状に悲しみを感じているよ、そう告げると楷はため息をついた。
「なら上からして下さいよ。下から綺麗にしていっても、上を掃除する時に埃が落ちてしまうでしょう?」
「あ。なるほど」
尤もな指摘に俺は立ち上がる。そんなことも分からないんですか、と言って楷は雑巾を手に作業を再開していた。食って掛かろうかとも思ったんだけどそうもしていられない。書庫はなかなかに広いのだ、大掃除は今日中にしてしまいたい。俺は不満を胸に留めたまま作業を再開した。大人になったな、俺……。
何事も、やろうとする前までが一大決心で、やってみると時間を忘れて熱中するものだ。今回の大掃除もそれに漏れず、気が付くともう昼間になっていた。埃は全て払い終え、今は本を陰干ししている状態だ。楷も作業が一段落したことを察したんだろう、 「昼食、買ってきます」と言って外に出て行った。ちゃっかりと俺の財布を奪っていったところがあいつらしい。
昼食がやって来る前にもう一頑張りしようと自分を鼓舞して箒を持った。掃除機じゃないところが俺らしいというか、貧乏くさいというか、何というか。埃を集め、今度は水で濡らした雑巾で本棚を拭く、本がなくなった棚は全て空虚だ。ふと、書庫を見回してみるとこんなに広かっただろうかと驚いた。引越しの際に家具を全て運び出してみて「ああ、こんなに広かったんだ」と思う時の感覚に似ている。気持ちが引き締まるというか、過去と未来の真ん中に今、現在いることを改めて感じるというか……。
陰干しをしている本は大量すぎて、所狭しと並んでいた。こう見ると壮観だ。自分で買っておきながら、よくこんなに集めたなと頬を緩めた。表紙だけで買ってしまった本、読んでない本も中にはあるけど、大体目は通している。本の多さは、過ごしてきた年月の厚さ……か。そう思うと、こんなに大きな埃をかぶるまで放っておいたことを申し訳なく思った。悪かったな、という気持ちを込めて本を軽くぽんぽん、と叩いた。
昼食を終えた後には、大掃除のゴールが何となく見えていて。そうなると余裕がでてきたのか、これを期にと本をジャンル別に分け片付けていった。終わりが見えていると作業は早く、今日中に終わるだろうかと心配していた大掃除は日が沈む頃には終わっていた。
整然と並んだ本棚を前に俺はとってもご満悦。
「こうしてると、本への愛情が湧きあがるなあ」
思わずうっとりと口にすると、横で珈琲を飲んでいた楷が横槍を入れてきた。
「……そうですか」
「本達も嬉しそうだろう?楷もそう思うだろ?」
「まあ、同感です」
少し、ほんの少しだけど口の端を上げ楷が同意した。自分で同意を求めておきながら何だけど、正直意外だった。
楷の同意に気を良くしながら、本棚を眺めていると懐かしい背表紙が目に入った。『携帯からの死の誘い』、当時夢中になって読んでいた過去の自分を思い出す。
「お、こんな本もあったな」
手にとってぱらぱらとめくってみた。頭に残っていたいくつかの場面が形になって目の前に浮かぶ。懐かしい。
「小説ですか」
「ホラー小説だよ。これ恐怖心理の研究に役立つんだよね」
「へえ」
「いや本当、これ本当なんだって」
「へえ……遊びまで研究に結びつけるだなんて、門屋さんらしいですね」
理解力を要する言動だ。手放しで褒めているとは思い難い。
「それ褒めてんの?貶してんの?」
「どっちが良いですか」
「お前へのお礼は昼食代だけで良いな」
「……怒りますよ」
抑揚のないで言われると逆に怖い。
礼のことについては適当に濁し、楷も今に始まったことではないから深く追求することはなく「それでは明日」と帰っていった。
一人残った部屋で、さっきから手に持っていた本を開く。おもしろさと一緒にこみ上げて来るのは懐かしさ。この本を読んだ頃の俺は……じゃあ、今、この本を読んだ時の自分は……?
何を思うだろう。何に気付くだろう。何を得るんだろう。
そういう読み方もおもしろいな、ぱらり、と空気を裂く音に頬を緩ませながら一枚、一枚とめくっていった。
沈んだ太陽が又昇る頃、本を閉じた俺が、時計を見て朝陽を見て、
「……徹夜してしまった……」
(結局、俺ってこういうとこ成長してないんだな……)
と思ったなんて、
誰にも言えない。
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