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鬼事 −時計兎と焼菓子兎
「なぁ、そろそろいかないか、――……困ったな、そう駄々を捏ねられては。」
或る日の昼下がり。休日に不図気が向いて学園迄脚を伸ばした。
広大な敷地の中には施設を結ぶ役割を担った緑道が有って、中々散歩に適している。
のんびりと散歩を愉しんでいると、不図声が聞こえた。
落ち着いた女性の声。然し口調は何処か男性的で、声音も少し困った様な感じであった。
「此方に留まって居るのは君に取っても余り良い事では無いのだから。」
幼稚園に近附いた辺りの芝生に其の人は居た。
誰かと話している風だったが……、独りしか居ない。――否、よく見ると、視線の先に人ではないヒトが居る。
六歳か其の位の少女の姿をした“其れ”は、兎の縫い包みを抱き締めて立っていた。
「……如何しても逝きたくない、」
女性がしゃがみ込んで、少女と視線を合わせる。少女はこくんと頷いた。
「そうだな……未だ遊び足りないと云うのなら鬼事でもするか、」
「……おに、ごと、」
「嗚呼……鬼ごっこの事だ。此から日が沈む前――逢魔が時迄に君を捕まえられたら、云う事を聞いて呉れるかな、」
女性がふんわりと微笑んだ。少女は其れを聞いて嬉しそうに頷く。
「じゃぁ、十数えるから逃げなさい。」
女性が立ち上がると、少女はポニーテールを揺らし乍駈け出した。
其の姿を微笑んで見ていた女性は、突然此方を向いて斯う云った。
――其処の若人も一緒に如何かな、
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駆ける迷い仔、揺れる髪。
握り締められた縫い包み。
白い兎の縫い包み。
白い手袋に三揃え。
首から提げた懐中時計。
逃げて、逃げて、追い掛けて。
最後の遊戯を愉しんで――。
* * *
嘉神・真輝はぱちり、と眼を瞬かせる。
辺りには自分以外には誰も居ない。ならば、最後の言葉は自分に向けられた物だ。
「若人って……多分、俺が年上だぞ。」
真輝は苦笑し乍、芝生の上に居た女性に近附く。視線は同じ位か僅かばかり真輝の方が上の様だ。
其の科白に其のヒトは面白がる様に眼を細めて笑った。
「外見では実年齢は量れないモノだ。」
其れは真輝自身良く共感出来たので亦苦笑を返す。一見十代後半な此の女性も屹度童顔なのだろう。
若しくは――。
「まぁ、良いや。あんたも如何せ一般人じゃないクチだろ、」
真輝は笑って肩を竦める。
「さてね。……其れで、鬼事に加わるか、」
女性は目を伏せ、口元だけで微笑み返答を濁す。そして問う様な視線を向けた。
「鬼ごっこね……夏ってのが嫌なんだが――霊が地上に留まり続けて良い筈無いしな。」
――御嬢ちゃんの為に頑張りますか。
そう云うと真輝は愉しげに笑む。
女性は其の返答を満足そうに聞いて頷いた。
「うむ。有難う、助かる。……宜しくな。」
其れだけ云って踵を返そうとした女性を真輝が引き留める。
「ぁ、そうだ。子供が隠れそうなトコ教えとくよ。俺、野暮用済ませてから合流するからさ。」
「ほう。」
「んー、暗くて狭い処は基本だけどさ。後は高い処とかも好きかも。」
ま、飽く迄一般論だけど。と附け足して。
女性は微笑んで、今度こそ踵を返す。
「そうか。……参考にさせて貰おう。其れでは亦後でな。」
軽く手を挙げて背を向けた女性は、何処からとも無く取り出した白衣を羽織り翻す。
真輝は其れを見て呟いた。
「あんた医者だったのか。」
「元、な。……着ていると何となく落ち着くんだ。」
女性は顔だけ振り向いて苦笑すると、後ろ手に手を振り――光の中に透ける様に消えた。
「矢っ張り一般人じゃないんじゃん。」
其れを見送った真輝は頭を掻き乍零す。が、直ぐに伸びをして或る場処に向かった。
「ま、そんな事よりさっさと野暮用済ませて御嬢ちゃんと遊んで遣りますかっ。」
* * *
「出来上がりっと。流石俺、完璧。」
真輝は目の前の皿を見て満足そうにそう云った。
向かった場処は調理室。出来上がったのは兎型のホットケィキ。
彼の女の子に何か何か土産を上げたくて。ぱっと思い附いたのが此。
時間も限られてるし手の込んだ物は作れなかったけれど、彼の仔の持っていた縫い包みを思い出して兎型にしてみた。
其のケィキを白い紙箱に入れる。
――持って動いたら崩れそうだな……。
ぼんやりとそんな事を考えて。
「準備室に置いておくか。」
捕まえた後一寸時間が貰えればダッシュで取りに来よう、と準備室に鍵を掛ける。
「さて、冥土への土産も出来たし鬼ごっこに加わるか。」
少女の駆けて行った方を思い出し乍隠れられそうな場所を探す。
木の上、倉庫の裏、階段の陰……。
「うーん……此処もハズレ、か。校舎の中にでも入ったかな。」
不図視線を上げると、其処は真輝が学園内でも特に良く知り尽くした高等部校舎。
戻って来たのか、と思いつつ“何となく”の勘で校舎に入る。
校舎内で隠れるのに適してる教室は何処だろうか、と頭の中に配置図を描き乍順に見廻って行く。
其の途中で、或る場処を思い出して仕舞った。
「……此処、なぁ。」
重々しく呟く真輝の視線の先には、女子トイレが。
――隠れ場処としてはポピュラーだけども……俺入れないぞ……。
暫く其処で立ち止まっていたが、そう云えば、と思い出す。
「彼の姉ちゃん何処に居るんだ。」
「呼んだか、」
「うぉ、行き成り背後に現れるなよっ。」
彼の女性が居れば其方は任せられるのに、等と思っていた矢先に突然本人が背後から声を掛けてきたら誰だって驚くだろう。
「む、済まない。」
然も本人は至って無自覚の様だ。
「ま、良いや。頼みたい事が有るんだけど。」
「嗚呼、女子トイレを捜索しろと云う事だろうか。」
「そう……って、アレ、俺口に出してたっけ、」
疑問に思って真輝は首を傾げる。
「聞かなくても状況を見れば解るよ。」
女性は苦笑し、歩を進める。
「……然し、私も彼処に入るのに抵抗が無い訳では無いんだがな……。」
真輝は小さく呟かれた其れを上手く聞き取る事が出来ず聞き返す。
「え、何、」
「何でも無い。……唯、気分は君と同じだと云う事だ。」
相手は其れだけ云ってトイレの中を探しに行って仕舞う。
真輝は最後の科白に疑問符を浮かべ乍も自身の捜索に戻った。
「ぉ……そう云やあんま気にして無かったけど此夕方迄なんだよな。」
不図眼を遣った窓の外で、日が傾いているのを見て零した。
「うーん……、」
――近くに居そうなんだけどなぁ。
視線を移し乍、そう云い掛けた時に視界の端に捕らえたちょこまかと動く影。
「……って、居たっ。」
思わず窓枠から身を乗り出す。
真輝が二階に居るのに対して、少女が居るのは向かいの校舎の一階。
然も少女は真輝に気附いた様で、慌てて奥へと逃げ出した。
「ぁ、こら待てっ。」
其れを見た真輝は何の躊躇いも無く窓枠に足を掛け、勢い良く飛び降りた。
そして何事も無かったかの様に少女を追い掛ける。
「……元気一杯だな。」
渡り廊下から偶然其の場面を見ていた女性が呟いた。
* * *
真輝が少女を追って廊下を疾走していると、部活上がりだろう生徒に声を掛けられた。
「まっきちゃーん、何遣ってんのー、」
「つかセンセが廊下走っちゃ駄目じゃん。」
「うっさい、急ぎの用事なんだよ。」
速度は緩めないが其れでも、笑って律儀に返事をし。「御前等も気を附けて帰れよーっ、」と手を振った。
斯う云う処が、真輝が生徒に好かれる所以なのだろう。
「彼の御嬢ちゃん結構足早いのな……っ。」
そんな事を呟きつつ階段を駆け上がる。
此の先は、もう――。
「良ーし、やっと追い詰めた。」
一際重い扉を開くと、其処は夕日の朱に染まった屋上。
其の真ん中に、少女はぽつんと立っていた。――其れでも、其の表情は満足げな満面の笑みで。
「ほら、捕まーえたっ。」
真輝は少女の頭にぽん、と手を置くと、しゃがんで視線を合わせた。
「思う存分遊べて満足か、」
其の問いに、少女は笑顔の侭頷いた。
「……其れは良かった。」
其の声は二人の後ろで閑かに響く。
振り向けば白衣の女性が立っていた。
「あんた……、ぁ、そうだ。俺此の仔に渡す物が……、」
そう云って立ち上がった真輝の前に、女性が手を出した。
其の手には、彼の白い箱が。
「渡す物とは此かな、嘉神真輝君。」
そう云って微笑む女性を真輝は不審そうに瞶める。
「あんた一体……、」
「一般人じゃないと解っているなら其れで良い。」
女性は淡々とそう云って。
「其れに、此は直ぐ解った。彼の仔を想う気持ちで溢れていたから。」
――供物としては最高級だ。
真輝は僅かに照れて、其の言葉を頭を掻き乍聞く。
「ま、其れなら良かった。」
そう云って少女の方に向き直る。
「じゃぁ、アレ土産に上げるからさ。空へ向かって逝きな。」
真輝は微笑んで、少女の頭を優しく撫でた。
其れに応える様に、少女も亦微笑んで。徐々に光の中へ消えていく途中で“ありがとう”と口を動かした。
真輝はぼんやりと其れを見送って、女性の方へ視線を移した。其の手からは既に箱が消えている。
「御疲れ様。そして、仕事を手伝って頂き有難う。」
女性は行儀良く一礼する。
「此、あんたの仕事だったのか。」
真輝は呆れた様な声を出す。
僅かばかり困った様な顔で女性が続けた。
「然し……私では彼の仔の相手に為れなかったからな。――其れで、御礼と云っては何だが此を。」
そっと真輝に何かを差し出す。
「何だ、……ベル、」
受け取った真輝は、まじまじと其れを見た。
10cm程度の蒼銀色のベルで、柄とベルの間に臙脂色の天鵞絨リボンが結んである。
「……あれ、振っても何も音しないけど。」
真輝は其れを耳元で振ってみたが、金属の触れ合う音さえしない。
「其れは“渡河音の鈴”と云って、名の通り音は彼岸に届くんだ。」
女性の説明に真輝はへぇ、と相槌を打つ。
「其れで、」
「何か有ったら、其れを振って私の名を呼ぶと良い。私の出来る事なら一度だけ手伝おう。」
要するに仕事を手伝って貰った代わりに、何か手伝おうと云うのだ。
其れは解ったが、然し。
「……俺、あんたの名前知らないんだけど。」
真輝がぽつりと返す。
そう、今迄も何回か訊こうとは思って居たのだがタイミングを外して仕舞い、今に至る。
「おや、そうだったか……。」
女性が口元に手を遣って思い出す様に零す。
「では、改めて名乗ろう。私は希だ、志摩希と云う。」
宜しく、とにこり微笑んで。
「そう、其れで其の鈴は結構な貴重品だから、次に返して貰う時迄丁重に扱って貰えるかな。」
「え、返すの。」
「……そんなに呼ぶ用事も無いだろう。」
今度は希が呆れた様な声で返した。
「ふぅん……。ま、何か有ったら、な。」
真輝はそう云って笑うと、鈴をポケットに仕舞った。
――さぁて、何に使って遣ろうか。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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［ 2227：嘉神・真輝 / 男性 / 24歳 / 神聖都学園高等部教師（家庭科） ］
［ NPC3073：志摩・希 / 女性 / 23歳 / 入界管理局局長 ］
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■ ライター通信 ■
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初めまして、徒野です。
此の度は『鬼事』に御参加頂き誠に有難う御座いました。
サブタイトルは……あの……済みません、何だか本編と余り関係が有りません。
矢張りセンスが無いです、はい。
私的には格好可愛い御兄さんが大好物ですので愉しく書かせて頂きました。
そんな作品ですが、一欠片でも御気に召して頂ける事を祈りつつ。
――亦御眼に掛かれます様に。御機嫌よう。
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