コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


再生の祝福

 天上世界にある妖精たちの楽園、「シュテルン」。そこには人間たちがすでに失ってしまった、緑に溢れる世界が存在する。元々人間たちの暮らす地上と天上の世界とはまったく同じ風景をしていたはずなのに、いつしか人間たちは自分たちに与えられた世界を機械で埋め尽くすようになってしまったのだ。
 紫の雲の切れ間から美しい陽の光が天上世界を照らした朝、一人の妖精が泉の水を朝露に変え、その雫に乗って人間の世界へと降り立った。彼女の名はアンネリーゼ・ネーフェ。滅びつつある人間界の自然を再生するために選ばれた光の妖精である。その緑の瞳には、使命感がいっぱいに湛えられていたはずだった。
 しかし美しい故郷を離れ、人間界でまず目にしたその光景に、決意は息の止まるような悲しみで覆われてしまった。
「なんて、ひどい・・・・・・!」
天上世界ではアンネリーゼの降り立った場所には大きな池があり、岸辺を埋め尽くすように色とりどりの花が一年中咲き誇っていた。花は妖精たちの髪を飾り、集まってくる蝶は妖精たちの安らぎとなっていた。
 それが人間世界ではどうだろう。池は埋め立てられ、その上には廃墟と化した化学工場が屹立していた。数年前に大事故が発生して以来汚染物質が溢れつづけ、生き物の住めなくなった大地がアスファルトの下で腐りかけていた。花は消えてしまった。蝶は逃げてしまった。人間たちは、この場所を見捨ててしまった。
 涙がこぼれそうになるのを懸命にこらえ、アンネリーゼは化学工場の中へ恐る恐る足を踏み入れた。つんとした刺激臭が、鼻を刺す。たった一度の事故が、今もなお後を引いて工場の中を漂っているのだ。
「こんなもののために自然が破壊されるなんて、許せない」
利用価値のなくなった工場は放置されていた。使い捨ての精神が染みついている人間たちに対する抑えきれない憤りで、アンネリーゼの細い肩は震えた。
 鉄筋のきしむ階段を上り、二階の研究室を抜けてアンネリーゼはさらに上を目指す。その途中で開け放たれた部屋の中を覗くと、窓際に置かれていた小さなプランターに視線が止まった。プランターはプラスチックの縁がひび割れ中の土もかさかさに干からびていたが、そこにはかつて確かに緑が植えられていた。
アンネリーゼは、枯れた土を手の平に掬いとる。諦めてはいけないと、土に諭されたような気がした。土は痩せてもなお、緑を植えてくれた誰かを信じようとしていた。

「・・・私も、信じましょう。あなたを信じましょう」
プランターの土を握りしめ、アンネリーゼは瞳を閉じた。破壊された自然を再生する神秘の力、「リバイバル・ブレス」を大地に放とうとしたのである。しかし心を発動の力に委ねようとした瞬間、突然アンネリーゼの背後にあった壁が凄まじい爆音と共に吹き飛んだ。
「誰!?」
振り返ると、瓦礫から立つ砂煙の中に立つ真っ黒な影が、アンネリーゼを真っ赤な瞳で睨みつけた。素早くアンネリーゼは背中の羽をはばたかせ、研究室の窓から外へ飛び出す。そして飛びながら背負っていた弓を手に取り、銀色の矢をつがえた。
「この気配・・・穢れが、姿を為している!」
破壊された世界の後には、どす黒い澱が溜まる。澱は汚れた空気中を漂い、やがて澱同士集まって穢れへと育つ。大抵の穢れは目には見えずひそかに人の心へ流れ込み、かつて緑を破壊した誰かの醜い精神を、別の誰かにも焼きつけてしまう。
 穢れは本来は目に見えないなのだが、実体化しているということはこの場所に漂う澱、破壊された代償がどれだけ大きかったかを物語っている。アンネリーゼに襲いかかった穢れは巨大な鳥の姿をしており、翼を一振るいさせるだけでつむじ風が巻き起こった。風は工場の瓦礫をも吹き飛ばす力を持っており、アンネリーゼの華奢な体は穢れに近づくことさえままならない。やむを得ず隣の工場の屋根に飛び移ると、穢れは間髪入れずに黒く尖った羽根をアンネリーゼめがけて十数本、打ち飛ばしてきた。
 先陣を切った六本は、かわした。しかしつづく三本は身の寸前を切り裂き、また三本は避けきれず矢を放つことで弾いた。さらに二本は、弓で叩き落す。それでも残った一本が、アンネリーゼの肩をかすめた。
「・・・・・・!」
空を飛ぶ相手に対し、低い場所に留まることは不利である。アンネリーゼは再び羽で空へ飛び上がり、穢れを引き離すため上空を目指して飛んだ。
しかし穢れも鳥の姿を模しているだけあって飛びかたを心得ているらしく、アンネリーゼを追ってくる。速い。少し気を緩めるだけでその黒い姿はぐんぐんと迫ってくる。そして射程距離に入るや否や容赦なく羽根を飛ばしてくる。左右へうねりながら飛ぶことで命中は避けられたが、これではいつまでたってもこちらから仕掛けることはできない。

「仕方ありません」
アンネリーゼは工場の敷地の一番端まで来ると先へ飛ぶのを止め、振り返り穢れに対峙した。逃すまいと、穢れは吠える。禍禍しい呻き声が響き、音の波がアンゼリーネを襲う。アンネリーゼは両腕を顔の前で交差させて衝撃の直撃をなんとか受け流した、しかしその瞬間わずかながら隙が生まれ、穢れはその隙を逃さなかった。
 穢れは己の身を黒い竜巻に変えると、一気に襲いかかった。巨大な固まりがアンネリーゼを飲み込んでいく、ためらうという良心を知らず、穢れはアンネリーゼという敵を竜巻の中で粉々に引き裂くつもりであった。
「無駄です」
だが、アンネリーゼの声は凛としていた。竜巻の中で姿は見えなかったが、苦しんでいる様子はまったくなかった。いや、それどころかなにやら穢れのほうの様子がおかしかった。
 アンネリーゼを抱え込んだ穢れの黒い体が、段々と淡くなっているのだ。色が変わっていく、というわけではなく黒という密度が薄くなっている感じである。直感で身の危険を察した穢れは、雲散した己の体を一つに集めるつもりでひとまずアンネリーゼから離れようとした。
 その穢れの赤い瞳と、アンネリーゼの碧眼が交わった。
「お還りなさい。あなたの居場所は、この世界にはありません」
アンネリーゼの全身は輝いていた。穢れに包まれた瞬間、バリアを張ったのである。黒い闇の中で光り続けたその指は真っ赤な炎の矢、「ブレイズアロー」を弓につがえており、切っ先は正確に穢れの心臓を狙っていた。
 穢れの命乞いを待たず、アンネリーゼは矢を放つ。炎の熱が穢れを焼き、発せられる光が穢れを溶かしていった。やがて穢れは昼の蛍のように、小さな光の粒に変わって地面に降り注いだ。
「・・・そう。あなたも元々は、自然の一部だったのですね」
穢れの中の、本当に穢れた澱を浄化してやれば、彼らは自然の一部に戻れるのである。
 土埃に汚れた羽根をたたんでアスファルトの地面に立つと、アンネリーゼは改めて「リバイバル・ブレス」を発動させた。
「天井の祝福が満ちる時、再生は成し遂げられん・・・」
静かな声だった。けれど声は深く遠く、大地に満ちていった。
 メキメキ、という音がした。地面から緑が一斉に芽吹き、アスファルトを持ち上げようとしている音だった。黒い地面にひびが入り、その隙間から細く尖った草が伸びてくる。埋め立てられた池からは再び水が湧き出し、溢れ出してそこら中を濡らした。一つ、二つと花が咲き、蜜の匂いに誘われて蝶が飛んでくる。どこかから小鳥のさえずりも聞こえてきた。あれは、穢れを落とした鳥の声だろうか。
「大いなる恵みよ・・・この地に、再び星の輝きを」
生き返った大地に、アンネリーゼは祈った。応えるように、研究室の窓からプランターの青い花が笑っていた。