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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


強者が折れる時

 何処を探しても見つからない深海。歩く度に重くなるのは自分の体調のせいだろうか。それともあの美術品に触れた時に感じた曰くなのだろうか。
 ―――それとも、歴史に刻まれた一ページが自らの身に、あともう少しで辿り着けると声を上げ降り注いでいるという事なのだろうか。



 あの悪夢が過ぎ去ってもう数日、いや数週間が経とうとしていた。まだ東京の暑い日々の中、セレスティ・カーニンガムの心だけは、あの冷たく冷えるような危機と、そして何より好奇心と知識欲を捉え、放さなかった曰く付きである美術品が部下であるモーリス・ラジアルに奪われた悪夢に捕らわれたまま、心を浮遊させている。

(心配してくださっているのはわかっているのですよ、モーリス?)
 心の中で呼びかけても意味はないが、大切な主人の為と止めに止めていたオークションからセレスティは美術品を購入、モーリスの危惧していたとおり危ない結果を招いてしまったのだ。取り上げられても無理はない、のだが。
(それでも矢張り美しい…)
 自室の車椅子に座りいつも目にしている本を膝に広げたまま上を見る。
 ただ何も無いその天井にあの深海を切り落とした宝石の如きペーパーウェイトが薄っすらと浮かび、蜃気楼のように消えていく。たかがペーパーウェイト、なのだがその中にも歴史はあり、どういう経緯で曰くが付いてしまったのかはわからなかったが、それを調べる事がセレスティの楽しみであるのだから仕方が無い。

「―――いえ、今は読書の時間でしたね」
 また思い出してしまっては焦がれる美術品の、ある意味曰くにのっとられてしまいそうになりつつ、いっそのっとられてしまえば楽だろうとまで思いそうになる始末だがモーリスに心配をかけるのも矢張り多少は躊躇われ、それに出来れば体調の良い時には見せてくれるという約束を本当に、『出来れば』守りたいのだ。

「この本は…以前読破済みですね…」
 身体に纏う柔らかい生地の服はいつでも眠れるようにとゆったり目に作られ、セレスティを現すかのような青銀色に揺らめいていたが、膝の上にある当の本といえば美術品の事で頭が一杯なまま取り出してしまったせいだろう。以前何度か目に通し、現在ならもう別の、目を通していない書物にするべきところが既に心ここに在らずと言った所か見飽きた物になってしまっていて。
 読もうと手にした本を何台も用意された机の上に戻し、うなだれる。
 こうしてあの美術品を思い、また見てみたい、調べてみたいという欲求に駆られていつものセレスティならば滅多にしないミスをもう何度してしまったのだろう。垂れた頭から零れ落ちる髪が悲しく降り注ぐ雨のようにさらりと車椅子の手すりを伝わった。

(だからといって調子も依然…探しに行っても怒られてしまうでしょうし…)
 良くなれば見せる。だが良くならなければ矢張りお預けなのは当たり前の事で、夏は特に調子の悪い時期の多いセレスティはあと何ヶ月で終わるこの季節が何世紀に及ぶお預けのように思えてしまう。
 実際、今日とてまだ気分はマシな方であるが、結局その『マシ』が付いているのを医師でもあるモーリスはすぐに見抜き、駄目ですと、きつく言葉を発するのが目に見えるようだ。

(あまり大人気ない事をしても困るのは確かにモーリス…ですが)
 見たい、触りたい、調べたい。欲求ばかり募り、取られてまだ間もない頃、こっそりとモーリスがそういった危ない物を隠しそうな所に探しに出向き、あわよくば勝手に見てしまおうと悪戯心を湧かせたものだが、結果は現在に至るこの心境でわかるように足が不自由、車椅子でも杖でも結局足音や絶え間ないスケジュールを確認しにセレスティを探す『忠実すぎる』部下に見つかってしまい、駄目ですの一点張りを聞かされてしまうのだから、もうこの手は通用しないだろう。

(ですが、モーリスになんとかしてあの品々を見せてもらう方法…あるといえば、あるのかもしれませんね)
 考え付く手段。それは本当に最終手段であるし、何よりこれもまた自分の悪戯心が引き起こすそれだとわかっていながら、セレスティは今思いついた手段とやらを思いほくそ笑んだ。
 悪戯は真面目に思ってくれるモーリスに悪い、が、悪戯の一つでもして肩の力を抜いてやるのもまた一つの勤めだろうと、半ば自己完結した思考を持ちながら車椅子に付属している携帯機器に連絡を取る財閥総帥がここに居た。



「モーリス様、セレスティ様からご連絡が入っております」
 慌てて入ってきた部下からモーリスは医療器具の点検にその瞳を凝らせていた新緑を大きな音の方へと向けた。
「どうしたのです? セレスティ様に何か?」
「ああ、いえ。 ただ自室でお話があるとかで…」
 主から連絡が入るという事はつまり身体に何かしらの異常があった場合が多く、急に内容も告げられず連絡などと言われてしまうとつい焦りが顔に出てしまう。実際、たかが話だと告げた部下はモーリスの表情に、先に何の用件か言えば良かっただろうかと問い詰めるように聞いてきた上司に驚愕しながら礼をとる。

「話…ですか…」
 これは良かったと言った方がいいのだろうか。異常が無いのならそれはそれで安心はするが、いつもの遊びとも違う連絡のよこし方からしてまた何か違ったニュアンスを感じてしまう。
「了解しました。 今行くのでセレスティ様にはそう伝えなさい」
 行かなければ原因はわからず、何よりも優先としている主からの言葉なら兎に角行って見るしかない。
 散らばった医療器具をすぐさま、また元の位置に戻し、失礼かとは一瞬思うがスーツの上にはまだ白衣を羽織ったまま、至急を望まれていては困ると器具室からセレスティの自室へ、すぐにも足を運ぶのだった。



 セレスティの自室は相変わらず広く、そして所どころに主人が飽きないよう美術的彫刻や本の収納、連絡用の携帯の配置などまるでこの屋敷自体がかの人の所だけ過保護な親のように設計されていて、モーリスがいつもの扉をくぐればにっこりと微笑んだ、だがどこか儚げな雰囲気を出している主が顔を出す。

「セレスティ様、失礼します」
 す、と寝室に入りあたりを見回すも何も変な所は無く、寧ろ始め部屋に入った時にどうぞ、とだけ口にしたセレスティ本人がにこにこと意味ありげに微笑んだままモーリスから目を離さないのだから、そちらの方が何かありそうである。

「ねぇ、モーリス。 私の体調、今日はとても宜しいのですよ?」
 来たか。セレスティの作ったような声色にあのオークションの品を強請られると察知したモーリスは速やかに主の顔色、息遣いを目だけでチェックした。
「宜しい筈ありません。 普段より呼吸が少し上がっておりますし、良い、と言っても精々マシな程度ではありませんか?」
 今度はセレスティの声が少しだけ止まる。矢張り小さな細工など不要、元より考えていた言葉を改めて言われ、ならば、と溜息をついては車椅子にもたれかかり顔にかかった銀糸を長い指で梳いた。

「モーリス。 私はどうしてもあの美術品を調べてみたいのです。 例え具合が悪くなろうとも好奇心に体調など考える余裕はありません」
 ふう、とまた頭をうな垂れ、先ほどとは違う、逆に一層具合が悪くなってきましたという態度で未だ、無理です、駄目ですを貫いているモーリスに語りかける。
「そうでしょう、モーリス? 好奇心を閉じ込めてしまえばこんな風にどんどん生きる気力が無くなってしまうのですから…」
 くらり、と倒れようの無い身体を車椅子の背もたれに寄せ、先ほど美術品の幻影を見ていた天井を見上げれば未だそこにはセレスティの思い描くそれが見え、モーリスのどうしたものかという揺れた溜息にもう一頑張りだろうかと必死の演技は再開された。

「セレスティ様、ですが…」
 それでも貴方の事を思ってやっている事ですと、ある意味泣きの入ってしまいそうなモーリスの最後の意地だろうか、溜息ばかりで消え入りそうな声を掻き消し、セレスティは部下が言葉を紡ぎに近づいて来た事を理由に顔を近づける。
「本当に、だめ…なのですか?」
「くっ…!」
 酷く近いわけではないがしっかりとセレスティの顔の見える距離。そう、主の好奇心の塊ともいえる涙がすうっと跡を作り、見事な芝居のど真ん中にモーリスは立たされる事になったのだ。
 たとえ、この涙の意味を知っていても、拒否出来ない部下の弱みを知った上での、セレスティの好奇心という名の悪魔が今にも折れてしまいそうなモーリスにしてやったりと心の内で微笑み出す。

「セレスティ様、本当にあの美術品。 鑑賞されたいのですか?」
 モーリスの重い唇が開き、同じようにできるならやめてくださいと言ったような言葉が紡ぎだされる。それでも、セレスティのお強請り作戦には完敗したのだろう、頷けば今にも持ってきてくれそうな雰囲気に、心の本当に奥底で悪いと思いつつ。
「ええ、矢張りどのような歴史を辿ってきた物なのか調べてみたいのです」
 先ほどの涙は何処へ行ったのか、ただ頬にあるだけの跡をハンカチで、すす、と拭いセレスティはつい出そうになる微笑みをなるべく部下に悟られぬよう頷いてみせる。

「わかりました。 貴方がそう言うのなら、美術品はここに…」
 自らの持つ檻の能力の応用で小さくした光がモーリスのスーツの内ポケットから転がる。と、同時に力を弱めたのだろう、未だ曰くを放たぬよう檻には入っているが元の大きさに戻った購入物、その中にある一際輝く深海の色が同じセレスティの蒼い瞳に飛び込んできた。

「そんな所に…どうりで…」
 見つからないわけです、と零しそうになった言葉を飲み込んだセレスティは今か、今かと催促をするように檻の管理者であるモーリスのしぶしぶとした動作を見ては目を輝かせる。
「早く調べましょう。 楽しいと思う時にするのが何事も一番です」
 とりあえず曰くが襲ってきてもモーリスが居るのだ、多少の事はなんとかなるだろうと踏んでいるセレスティは今、主にすっと背を向け能力を解き、何かを施している部下の行動を見抜けずに。
「モーリス? 何をしているのです?」

 一つの美術品に最低一回は品定めをし、指で触れては選別するモーリス。その手際は鮮やかだが如何せん、そうする意味がセレスティには理解できず。最後の一つ、深海とあれ程までに思っていたペーパーウェイトがモーリスの指に触れた途端、鮮やかな波を失い、静かな波へと変わって行った事でその理由を知る事になる。

「モーリス! もしかして曰くを…」
「はい、セレスティ様に何かあってはいけませんので。 全て悪意のある曰くは取り除かせていただきました」
 しっかりはっきりと言いきるモーリス。確かに今選別され終わった美術品の美術的価値は見出せるものの、不思議な力や曰くと言った類は一切見えなくなってしまっていて、とどのつまり必死で説得し涙まで作って見せたセレスティは部下の真面目すぎる忠誠心か、或いは主の強請りに逆らえないという弱みへの最後の悪あがきとして目の前で一番関心を持つであろう曰くを消す事によって、借りを返したのか。
 歪んだ物をあるべき姿に戻す能力、これを行使した美術品達はただいつもセレスティが見る物達と同じように輝くだけで。

「それでは意味がありません…」
 小さな声で、だがはっきりと聞こえるように呟いたセレスティは肩を落とし、今まで夢にまで見てきた美術品をその手に収める。
 相変わらずその深海は美しかったが、決定的に何かが違い、生きているような動きは流石価値ある品、その価値は確かにあるのだが、内面から滲み出るような意思が無くなってしまっているのだ。
「ですが曰く付きのままセレスティ様にお渡しするわけには行きませんから」
「モーリス…」
 いつもとても感謝しています、と言いたいところだが。ここではとりあえずこの部下に苛められているような気がしてならなく、セレスティは残念そうに美術品を眺める瞳を背け。

「曰くあってこそ、その意思が何処から来たのか、何の意味があるのかを知る。 それを楽しみにしていましたのに…」
 仕方がありませんよ、と側で美術品を集め一応所望されたのだからとセレスティの机や鑑賞する棚に置くモーリスは少しそうやって残念そうにしている主に悪い事をしたかと思いつつも、結局は。

「セレスティ様がご無理をされてはいけませんから」
 と、悪気があるのか、無いのかわからぬ表情で言葉を紡ぐのだった。

 ―――そう元々の強者が折れる時、それは何かしらの代償を伴って意思を曲げる。案外、本当に体調が良くなってから掛け合えば曰く付きであったあの美術品に会えるのかもしれない。
 いや、本当に、それはもしかしたらの話なのだが。


END