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黒い何かとの追いかけっこ
夏休み。
夏休みと言えば、普通、体育会系の部活動は練習、合宿で大忙し、文科系では歌唱倶楽部や吹奏楽部なども忙しかったりするが…けれど、まあ、同好会と言う認定で夏休み、忙しい部活動と言うとそうそう無い訳で。
けれど、そんな常識を覆すような部が、神聖都学園には一つ、存在した。
その名を恋愛相談部。
恋愛相談などを請け負います、と言う名目のもと作られた部だが、その実態は退魔士たちの溜まり場になりかけている、と言う部である。
これは、そんな彼らのとある日常記録……じゃなく、一人の副部長の戦いの記録である……今日も今日とて可愛い後輩たちのエールを背に頑張る美青年、その人の名を菅原・逢海(すがわら・おうみ)、と言う――……。
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「だからな」
「これも立派な部活動なんです!」
「いや、だから」
翌朝、掃除をする俺の身にもなってくれ……とも言えないまま、逢海、大きな溜息を一つ。
そんな困った姿でさえも女子部員達の瞳には麗しいものとして映るのだが……彼の中には、現在「掃除」の二文字しかなかった。
何故なら部長が居ない部を預かるのは副部長の役目。
そして、無事に部長へと返す義務があると言うのに、ああ、それなのに、それなのに。
疲れた自分たちを励まそうとしているのか、外回り(彼らの場合は主に退魔活動だと思われるが)のご褒美と称しているのか何なのかはさて置くが――
「……毎夜、闇鍋パーティって言うのはどうかと思うんだよ、俺は」
ぐつぐつ、ぐつぐつ。
怪しげに煮え立つ鍋の蒸気はクーラーの冷たい風に押され直ぐに消える。
けれど、この蒸気が本当に何処かへと跡形もなく消えていたかと言うとそうではなく。
…水蒸気が出来れば湿度が上がる。
クーラーの中にも、勿論、湿度と言うのは存在するわけで――…いや、無論、クーラーのフィルター掃除はちゃんとしているのだが……だが、しかし!
学校の備品は古いものも、時として大量にあるわけで。
暗闇の中、誰が最初にその存在に気付いたのかは定かではない。
もしかすると一番最初に気付いたのは逢海だったのかも……けれど、何よりも女子部員の叫びが早かった。
「いやーーーーーーーー!! ゴ……」
「ええい、皆まで言うな! 照明をつけろ、今すぐにだ!」
パチッ。
軽いショート音を立て灯りがついた。
そして其処に居たのは。
其処に。
居たのは。
夏場には水分が多々ある浴室で見かけたり、台所の隅で見かけたりする事のできる、アレ。
始めはチャバネでまあまあ小さいくせに、どんどこ黒くなって、怪しい黒光りに殺意を覚える、すばしっこい、アレ。
……しかも、複数名様、ご招待。
『部室を無断拝借した料金を払え、今すぐ!』(菅原・逢海、心の叫び)
一匹見つけただけでも十匹は居るだろうと思われるのに複数とは……逢海は頭を抱えた。
そして、部員たちはと言えば。
「こういうときは菅原先輩だけが頼りですッ」
「やっちゃえ男の子!!」
闇鍋パーティをしていたのは自分たちだと言うのに、こんな身勝手な声援を送り、「副部長」である逢海に駆除を押し付けようとしている。
(俺が毎日毎日綺麗にしてたはずの部室に、アレが)
がさがさ、がさがさ。
まだ彼らは大勢居る事に安心してか、気が大きくなっているのか、鍋にたかろうとしている。
(毎日毎日、綺麗に、してた、筈の)
でも、確実に奴らが出てるし…可愛い部員たちに問う、君たちは、夜、一体どう言う後片付けを……?
(つか、これ、部長が見たら)
(部長が、見たら)
『部長が』
ぷっつり。
…逢海の中で何かが切れた。
それの名を多分、人は理性とか言うんだと思う……ええ、多分、ですが(汗)
悩める副部長からシフトチェンジ、冷ややかな眼光を浮かべると、
「ありえないッ。俺が管理するこの部室でこのような不祥事…奴等を放置しては部長に申し訳が立たない」
逆の意味で気合い充填、皆からの声援を受け、まず逢海が手にしたのは、殺虫剤、そうして、ハエたたき。
更には部長からの贈り物であるフリル付エプロンに、三角巾、マスクをつけ、戦闘開始。
「奴らなど新学期開始まで住まんようにしてくれる……」
ぼそりと呟いた逢海の言葉に、答えるものは居なかったが、それでも逢海は負けてはいられないのだ。
家事の達人の名にかけても!
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まずは。
ぽちっと、クーラーのリモコンボタンを「送風」に切り替える。
…つい先日、某国営放送にてやっていたものだが、これを一日数時間、何日かやるとカビやら湿度の発生を防げる、らしい。
…掃除が終わってから送風にしていると時間のロスがかかるため、ちゃきちゃき、終わらせようと言う逢海の心意気は家庭の主婦、それ以上のものだ。
そのまま、ハエたたきと殺虫剤を片手に逃げる彼らを追いながら確実に叩いて消していく。
退魔師でよかった…と思う事ではないかもしれないが、取りあえず「目に付いた」のを消す事が出来たのを確認すると次には「目に見えない部分」に取り掛かるべく、鍋やら洗物を全て洗い場へ置き、漬けおきをすると、その細身で、見目麗しい姿の何処にそんな力があるんですか……と、言うほどの力を見せつけ、四隅にある家具を全て廊下へと、出す。
すると、また、黒い物体。
(やはり、まだ居たか)
条件反射よりも更に素早く叩いて殺す。
もう、こうなったら、帰り際に「隅々まで効く」、あの有名な駆除剤でもつけて帰ろう。
幾ら、夏で、更には闇鍋パーティをしていたからといって、このままでは冗談ではなく、奴らの住処になってしまう……。
学園の生徒でもなければ恋愛相談部の部員でもない、ただの虫に住まれて良い筈もないのだ。
住むと言うのであればそれなりの家賃なり何なり支払って貰わないと…逢海は冷静に殺虫剤を吹きかけ、はえたたきでとどめを刺した。
一体これで何匹目だ、と考えるのも虚しく、割り箸で件の虫をつまみ、ゴミ箱へと捨てると、掃除用具いれから、箒、はたき、ちりとり、バケツ、「どんな汚れもこれ一吹きでピカピカに!」が売り文句の超強力洗剤&雑巾を取り出し、周囲を見渡す。
「…四隅中心で、あと三十分って所だな……」
そうして、はたきをひたすらかけ、ごみを落とし、おまけに窓についている汚れやらも落としていく。
床は、一番最後だ。
上にあるごみや汚れなど取ってしまわないと、また新たなごみが出てしまうからだが、此処最近後輩たちでもこの掃除の基本が出来てないものが多く、逢海は一人孤独に心の中で突っ込みを入れている。
「雑巾は縦絞り、はたきの基本は上から! いきなり床から雑巾がけしない!」
……よくよく考えたら、これで今まで(幾ら逢海が綺麗に掃除をしようと)、ゴキブリが出ないのは不思議な出来事だったのかもしれない。
(…出来るなら、こんな事、気付きたくはなかった)
目頭に熱い者がこみ上げてき、「いかんいかん!」と、首を振る。
…でも本当に。
踏んだり蹴ったり、とはこのことかもしれない
+
クーラーのタイマーが、残り時間三十分強を差した。
「我ながら、見事な時間配分…あとは洗い物、ごみを纏めて終了、だな」
呟きながら床を掃き清め、雑巾がけをすると、心なしか、空気が綺麗になったような気がして瞳を細める。
「やはり綺麗にすると空気まで変わるものだろうか」
此処に誰かがいたら同意を求めたいのだが、逢海以外誰もいないので。
うんうん、と逢海は一人で頷き、洗い場へ行くと、闇鍋パーティで使われていた食器類を洗い出した。
生ごみも後で纏めて焼却炉……と思いつつ、ついつい、洗い物をしていると鼻歌が出てしまったり、何となく楽しい気持ちになってしまったり。
(ある意味凄く困り果ててた筈なんだが……まあ)
部長にバレなければそれで良し!
夏休み開始まで、無事に恋愛相談部は揉め事なく活動できた、と言えるなら全てはそれで問題ないのだ。
預かっている限りは責任がある。
そうして、その責任は負えるものだけが持てるものなのだ。
ある意味、部長の信頼の証といえるそれ。
逢海にとって、これ以上の嬉しい事もなく。
「さて、と」
洗い物を全て終え、ごみをまとめてしまうと、ビニールを縛る口をきつくきつく縛る。
忘れ物が無いか確認し、「よし」と頷く。
家具は朝、部員の皆に運んでもらうとしよう。
このくらいのことはやって貰ってもいい筈だ。
「駆除剤つけて帰りますか」
逢海は一人、部室の外へと出ると駆除剤をこすり、煙が出たのを確認すると部室の戸を閉めた。
そうして。
「可愛い部員の皆さんへ。
駆除剤使用中です、入ったらまずは換気と家具の移動をしっかりと。
出来なかった部員は俺から愛のヘッドロックが入ります。
菅原」
こんな張り紙を残し、逢海はごみを捨てるべく焼却炉へ向かう。
空は、紺と紫のグラデーション。
東京では見えにくくなっている、星が一つ、煌いた。
―End―
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