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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


廃屋の一夜

 草間武彦は、わずかに車のスピードをゆるめつつ、小さく舌打ちした。
 一仕事終えての帰り道、どうやら彼は迷ってしまったようだ。さっきから、同じような山道を、ぐるぐると走り続けている。
 あたりは、叩きつけるような土砂降りで、しかも時おり、雷鳴が暗い空を切り裂く。ワイパーはフル稼働していたが、それでも時に雨のせいで前が見えなくなった。幸い、対向車はなく、狭い道の両側は山肌になっていて、事故を起こす心配はなかったが、同時に人里に出られるめどもつかなかった。
 空が暗いのは雨のせいだが、もうすぐ本物の夜になる。しかも、ガソリンメーターのゲージはそろそろ空に近くなり、おまけに草間にとっては必需品のタバコもさっき、最後の一本を吸い終わったばかりだ。もちろん、水や食糧など積んでいるわけもなく、そして携帯電話は圏外である。つまり、このままだと彼は、どことも知れぬ山道で行き暮れて、夜をこの車の中で過ごさなければならないということだ。しかも、朝になってうまく天気が回復したとしても、人里に出るためには、車を捨てて歩くしかないだろう。
(ったく。なんでこんなことに……)
 草間は内心にぼやいて、道なりにカーブを曲がった。と、いきなり前が開けた。土砂降りのせいで視界は悪いが、車のライトの中にうっそうとした洋館が照らし出される。
 まるで、ホラー映画のようだと思いながら草間は、洋館の玄関前に車を乗り入れ、外に出て玄関の扉を叩いた。
 しかし。いくら声をかけても、応えはない。
(まさか、空家なのか?)
 そう思いつつ、玄関の扉に手をかけると、鍵はかかっておらず、難なく開いた。幸い、車には懐中電灯ぐらいは積んであったので、それで中を照らす。エントランスホールはがらんとして、床には埃が積もり、天井からは蜘蛛の巣が何重にも垂れ下がっていた。どうやら、本当に空家らしい。
 草間は大きく溜息をついた。しかし、ガソリンが残り少なくなった車内で一夜を過ごすよりは、マシかもしれない。そう思い、彼は今晩はここで過ごすことにした。

+ + +

 草間の後にくっついて、洋館の中を回りながら、緋姫宮紅音は小さく溜息をついた。
(おかしなことになったわね。でも……夏休みだったのが、唯一幸いかしら)
 胸に呟き、苦笑する。
 もっとも、彼女が草間の仕事を手伝うことになったのは、夏休みだったから、という理由が大きい。神聖都学園高等部に所属する彼女は、夏休みも終わり近くなったこの数日、暇を持て余していた。もともと友人の少ない彼女は、暇になるとたいていは絵を描いて過ごすのだが、この時にはそれにも飽いて、なんとなく声がかかった草間の仕事を手伝うことになったのだ。
 とはいえ、今日中には帰宅できるはずだったのに、気がつけばどうやら今夜はこの洋館で、夜を過ごすことになっていた。
 外では相変わらず風雨が吹き荒れ、雷鳴が轟き渡っている。
 洋館の中は、ざっと二人で見て回ったところ、もう何年も人が足を踏み入れた形跡はなかった。もちろん今も、人の気配はない。
 一階には、居間と食堂、厨房らしい部屋があり、二階にはバス・トイレの他に三つの部屋があった。といっても、一つは三畳ほどの小さなもので、おそらく物置として使われていたのだろう。更にその上に、四畳半ほどの屋根裏部屋があった。
 どの部屋も、家具類はほとんど置かれておらず、窓には雨戸が閉まっていて、床には厚く埃が積もり、天井からは蜘蛛の巣がカーテンのように垂れ下がっている。
 エントランスホールへ戻って来て、草間は改めて懐中電灯で、あたりを照らした。
「どこもそんなに変わりばえしないみたいだし、今夜はここで過ごすか」
「ええ」
 紅音はうなずき、階段の一段目に腰を降ろす。埃で汚れるのは少しいやだったが、しかたがない。草間もその隣に腰を降ろしたが、なんとなく落ち着かない様子だ。
「草間さん?」
「え? ああ……。その、タバコがないのが、どうもな」
 紅音が声をかけると、草間は苦笑して言った。
「食べ物だってないんだし、辛抱するしかないとはわかってるんだが……情けないな」
 本当に情けなさそうな草間の顔を見やって、紅音はそういうものかと首をかしげる。タバコを吸わない彼女には、よくわからないが、草間以外でも時おり似たようなことを言って苛立っている人を、駅のホームなどで見かけたことがある。最近は、どこでも禁煙が進んでいるから、そういう人たちは、よけいに辛いようだ。
(必要なものが多いと、大変ね)
 漠然と胸に呟き、彼女は階段の傍の壁に寄りかかる。さほど遅い時間ではなかったが、他にすることもなかったし、彼女は目を閉じて、眠ってしまおうとした。が、しばらくそうしていても、眠気は訪れてくれない。一方で、なんとなくトイレに行きたくなって来た。しかたないので立ち上がり、草間に断って、二階へ向かう。
 トイレはありがたいことに、と言うべきか――水洗ではなく汲み取り式だったので、ちゃんと使うことができた。ただし、水は来ていないので、手を洗うことはできない。しかたなく、ここへ来た時、雨に濡れた体を拭ったせいで、じっとり濡れたままのハンカチで両手をふいてそこを出た。
 階下へ戻ろうとしてふと、彼女は足を止める。三つの部屋のうちの、一番広い部屋に、大きな肖像画があったのを思い出したのだ。なんとなく、あれをもう一度じっくり見てみたくなって、彼女はそちらへ足を向けた。
 家具どころかカーテンまでも取り払われた部屋の奥の壁に、なぜかポツンとその絵はあった。紅音は、懐中電灯の光に照らし出されたそれを、じっと眺める。
 描かれているのは、男性だった。年齢は、三十代ぐらいだろうか。長身の体には、仕立てのいいスーツをまとっている。穏やかに微笑んでいる顔が、少し草間に似ていた。傍のテーブルにかけた指先には、火のついたタバコが挟まれている。
(この人も、草間さんみたいに、タバコがないと、我慢できない人なのかしら)
 ふと思い、彼女は歩み寄って、タバコの先に灯った赤い火を視界の隅にとどめながら、そっと絵に触れた。途端。キーンというような声高い音が耳の中で鳴り響き、彼女は激しいめまいに襲われた。
(何? 急に……!)
 思わず、彼女はこめかみを押さえて、その場にうずくまる。なんだか、足元が大きく揺れているような、奇妙な感じがした。

 やっとめまいが治まって、紅音は大きく息をついた。そして、そろそろと立ち上がる。今まで、めまいになど襲われたことのない彼女は、少しだけ不安になった。
(私、霊感はないはずだけど……ここって、何か危険な場所だったりするんじゃないかしら)
 そんなことを思いながら、顔を上げ、そして思わずまぶしさに顔をしかめる。
 さっきまで、暗かったはずの室内は、思いがけないほど明るい光に包まれていたのだ。
「ここは……!」
 その光にやっと目が慣れて、あたりを見回し、彼女は低い声を上げる。
 いったい、どうしたことか。室内の様子は一変していたのだ。雨戸を閉め切られていた窓は開けられ、風にレースのカーテンが揺れている。床には、やわらかなベージュのカーペットが、敷き詰められていた。もちろん、どこにも埃一つなく、天井にも蜘蛛の巣は見当たらない。そして、あの肖像画は、壁から消えていた。
(いったい、どういうこと? 何があったの?)
 感情の起伏に乏しい彼女も、さすがに面食らって胸に呟きながら、あたりを見回す。
 そこへ、人の来る気配がして、扉が開いた。入って来たのは、なんとなく草間に似た、しかしずっと上品な雰囲気を持つ、長身の紳士だった。あの肖像画に描かれていた男だ。
「ようこそ。……君が最近噂の、欧州帰りの女流画家さんだね? にしても、驚いたな。思っていたのより、ずいぶんと若いね」
 男は、優しく微笑みながら、おどけた口調で言った。
「あ、あの……」
 紅音は、すぐに誰かと間違えられていることに気づいて、何か言いかける。が、男は自分が人間違いをしているなどとは、まったく思いもしないのだろう。続けて言った。
「さて、さっそくで悪いが、始めてくれないか。君の絵の道具はほら、そこに。使いだという人が届けて来たから、運ばせておいたよ」
 男が示す方を見やると、なるほど油絵の道具が一式置かれている。
(どうしよう。この人は、私が別人だなんて思ってもいないんだわ。絵なら、私にも描けるけど……もし本物の画家が現れたら、間違えられただけなのに、私は騙りをしたことになってしまうわね)
 紅音はそれを見詰めながら、冷静に考えた。そして、改めて口を開く。
「申し訳ないですが、私はあなたの言っている画家ではありません」
 途端に、男は一瞬ぽかんとした顔になった。が、すぐに笑い出す。
「何を言っているんだ。女中は訪れた画家をこの部屋に通したと言っていたし、ここには君がいた。なら、君がその画家だろう? それとも、私を描くのがいやだから、そんな奇妙なことを言って、婉曲に断ろうとしているのか?」
「いえ。そうではなく……」
 言いかけて、紅音は小さく吐息をついた。なんとなく草間に似ているせいもあって、男のこちらを信じて疑っていない顔を見ていると、これ以上の抗弁をしづらくなって来る。同じ部屋に通されたはずの本物の画家がどうなったのかは、気になるところだが、絵を描くほかはなさそうだ。
「わかりました。描かせていただきます」
 言って彼女は、絵の道具に歩み寄る。
 用意されたカンバスは、かなり大きなものだった。広げたパレットや絵筆は、どうしてだか、長く使い込んだもののように、しっくりと手になじむ。そのことを奇妙に思いながらも、彼女は言われるままに、目の前の男の姿をそこに描き始めた。
 それから一月余りを、紅音は男の元で過ごしたように思う。
 油絵は、一日や二日で完成するものではなく、彼女は草間のことや本物の画家のことなどが気になりつつも、ただ一心腐乱に絵を描き続けた。
 やがて。
(できた)
 最後の一色をカンバスの上に置いて、彼女は小さく額の汗を拭った。
 彼女が最後の色を置いたのは、男の指に挟まれたタバコの火だった。赤ではない。それは、彼女にとっては忌むべき色だ。だから、絵を描く時にも赤はけして使わない。
 彼女が描いた肖像画の中で、タバコの火はまるで蛍の光のような、不思議な色を放っていた。
 絵を見せると、男は満足げにうなずいた。
「素晴らしい。やはり、君に頼んでよかったよ。ありがとう」
「いいえ。そう言っていただけるだけで、満足です」
 かすかに微笑んで言う紅音に、男は言った。
「さて、では君の報酬だが……」
「お金はいりません。それよりも、タバコを一箱いただけますか」
 彼女は、男の言葉を遮って尋ねる。
 それは、絵を描き始めた時から、彼女が決めていたことだ。自分は男が肖像画を頼むつもりでいた画家とは別人なのだから、金銭はもらえない。だが、そう言っても男は納得しないだろう。ならば、タバコをもらおうと。自分には必要ないものだが、きっと草間は喜ぶだろうから。
「タバコ? それぐらいならお安いものだが……でも、君は吸わないだろう?」
「ええ。でも、どうしてもそれが必要な人がいるんです」
 怪訝な顔で問い返す男に、紅音は言った。
「ふうん。いいよ。じゃあ、これをどうぞ」
 うなずいて男は、スーツのポケットから真新しいタバコの箱を取り出して、彼女の手を取り、乗せる。どうやら、冗談だと思っているようだ。
「それで、報酬の金額は……」
 男はもう一度言いかけた。しかし、彼女には最後までそれを聞くことが、できなかった。耳の中でいつかと同じ鋭い音がして、激しいめまいが襲って来たのだ。
「あ……!」
 彼女は、思わずタバコの箱を握りしめて、その場にうずくまる。足元が、大きく揺れているような気がした。

 めまいが治まった時、彼女は元の埃だらけの洋館にいた。
(夢……だったのかしら)
 そんなことを思いながら、あたりを見回す。相変わらず、外は土砂降りと雷が続いているようだ。立ち上がり、自分が何かを握りしめていることに気づいて、紅音は手の中を見やった。そこにあったのは、真新しいタバコの箱だ。
(これ……)
 わずかに目を見張り、彼女はそれをしげしげと眺めた。それから、いつの間にか床に取り落としたらしい懐中電灯に気づいて、それを手に取る。半ば無意識に前方に向けてその光を当てながら、顔を上げた。
(あ……!)
 今度こそ、めったに感情をあらわにしない彼女の面に、はっきりと驚きが刻まれた。目の前の肖像画は、ほかでもない彼女自身が描いたものだ。彼女は、それをたしかめるように、男の指先に挟まれたタバコの火を見やる。それは、赤くなかった。
(どういうこと? 私は、この絵に呼ばれたと? ……最初に見た時、タバコの火はたしかに赤かったのに。でもそう、たしかにこれは私の描いた絵だわ)
 胸に呟き、彼女は改めて絵を見やる。こうして眺めると、男は最初に見た時よりも、草間に似ているような気がした。しかも、彼と同じヘビースモーカーだ。
 彼女は、手の中のタバコの箱を見やり、もう一度絵を見やって低く絵に問いかけた。
「同じヘビースモーカーだから、草間さんに同情したんですか? もしそうなら、安心して下さい。これはちゃんと、彼に渡します」
 そして、絵に向かって一礼すると、彼女は踵を返して部屋を出た。

 翌朝。
 すっかり晴れた外に出て、草間は大きく伸びをする。
「やれやれ。ゆうべはどうなることかと思ったけど、タバコも食糧もなんとか確保できて、車でずっといるよりは、かなりマシだったよな」
「そうですね」
 半ば一人ごとのように言う草間に、紅音もうなずいた。
 あの後、彼女は一階のエントランスに戻って、草間にタバコを渡した。彼女がトイレに行くと言って二階へ上がってから、さほど時間は経っていなかったらしく、短時間でタバコを見つけて来たことと、そんなものがここにあったことの両方に、彼はずいぶんと驚いていた。
 だが、タバコを口にしたおかげで元気が出たのか、彼は食糧もあるかもしれないと言い出し、もう一度一階を探索して、本当に缶詰がいくつかあるのを発見したのだ。当然、賞味期限などとっくに過ぎている代物だったが、草間は気にせずそれを口にした。彼は紅音にもそれを勧めたが、彼女は遠慮した。空腹でないわけではなかったが、妙なものを口にして病気になる方が怖い。
 だが、草間はそれでなんともなかったようだ。
「じゃあ、車の中で待っててくれ。俺は、ともかくガソリンスタンドを探して、ここまで給油に来てもらうから」
「ええ」
 ふり返って言う草間に、紅音はうなずく。
 昨夜、道路地図を見ながら確認したところ、どこで道を間違えたのかがだいたい判明したのだ。そこで草間が地図と車に積んであった磁石を頼りに、徒歩で人里まで出てガソリンスタンドを探し、そこから給油に来てもらうことになった。紅音も、山道を歩くぐらいは苦にならなかったが、草間は空腹だろう彼女に無理をさせるつもりは、ないようだった。
 遠くなって行く草間の背を見送って、紅音はふと頭上をふり仰ぐ。そこには、昨夜の雷雨が嘘のような、青くどこまでも澄んだ空が広がっていた――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5543 /緋姫宮紅音 /女性 /17歳 /高校生】

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■         ライター通信          ■
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●緋姫宮紅音さま
はじめまして。参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
絵を描くのがお好きとのことで、草間のタバコとからめて、
書かせていただきました。
いかがだったでしょうか。
少しでも、楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。