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■弛んだ水音■
エレナという無駄にメリハリのきいた身体つきの女が草間興信所に乗り込んで来たのはつい先刻の事だ。
不機嫌そうに眉を上げ靴音も高く、広くもない事務所を横切ったかと思えば草間武彦が腕を乗せていた事務机に細腕を叩きつけた。同じ来客同士、零に茶を入れて貰って世間話を展開していた桐生暁と櫻紫桜は仲良く目を丸くして彼女を見て。
「人を貸しなさいクサマ」
「唐突だな。ここは派遣会社じゃないんだが」
「冗談に付き合っている暇は無いの。役に立つのを貸しなさい」
そこで一拍置いたのは、感情を鎮める為だったのか、演技の意味があったのか。切羽詰ってはいるのだろうけれど、不思議と冷静だなと暁は彼女の姿を観察する。
エレナなる女性は深く息を吐いて、強く草間をねめつけた。続く言葉。
「――バカが血を流したわ。じきに死ぬ」
草間武彦がそれを聞いて紫桜と暁に視線を走らせるのと、二人が名乗り出るのと、どちらが早かったのか。
** *** *
どれだけ表通りが明るくても、ひとつ筋を変えればあるのは薄暗く淀んだ世界。
エレナの背後に従い見上げるビルも、そんな裏道の一筋に建てられていた。見るからに使われていないと知れる廃ビルに、彼女の弟が居るという。
「そうそう簡単にのされるような子じゃないんだけど」
「不意打ちなんかじゃなかったんですか？」
「でもそんなにあっさり死に掛けはしないわよ」
「だとすると尚の事心配ですね」
そうね、と返すエレナの声。
非常に色っぽい彼女の後ろ姿と、姿勢正しく端正な気配の紫桜はそぐわないようで、しかし違和感無く並んでいる。それを特に理由は無いが面白く思いつつ遅れて進むのは、暁が一人あちらこちらを繰り返して覗くからだ。物陰まで確かめているのだから、見落としがある可能性は随分と低い筈だが、それでも一人でふらふらと見る。
「あれ」
気付いたそれは偶然だとは思えなかった。
開け放して見て回っている筈の部屋。その中の一つがまだ閉まっている。正確には、僅かに開いていて、そしてそこから漂う重苦しい甘さの……血。忌々しげに舌打ちして暁はドアノブへと手をかけた。
どうして二人が気付かなかったのかとか、どうして自分も今まで見落としていたのかとか、そんな事はどうでもいい。
踏み込んだ室内に広がる血臭。足元から這い上がる細かな気配が、自分の産毛が逆立っているのだと思った時には、扉の向こう、ほぼ正面に居た相手が迫っていた。
「――っとぉ！」
金の髪が自分と同じだとちらりとよぎる。
放たれた蹴りを避け、同じ事をする前に室内へと更に踏み込んだ。一気に走り込んで振り返る視界に相手の幼い姿。それからその少年の背後に、若い男。
「大丈夫？」
「に見えるか？」
「あはは、派手にやられてんね〜」
手刀が暁の首を狙い、それをかわす。弾む足取りが踊るようだ。
するすると少年が踏み込むのを避けていく。軽快な動き、軽妙な言葉。
だが。
「オニーサンがジェラルドさん？」
「……他に、串刺しになってるヤツがいなけりゃな」
「はは、そうだね」
嫌な場面だなという気分。それはそのまま暁の表情に映し出され、赤い瞳が鋭さを増す。
た、た、た、と節を取る足音は少年のものとも暁のものとも。
蹴り、蹴られる。高く低く互いの脚が何度しなっただろうか。時に拳、手刀、踏み込み避ける。その示し合わせたような動きが崩れたのは少年の無粋さからだった。埒が明かないと判断したのか、響いた靴音――まだ遠くはあるが最早この部屋は隠されていないだろう。その硬い反響音が暁の耳にも届いて、少年はといえば一瞬目を離した隙にその手に一振りの剣を握っていた。
「え〜、ちょっと楽しくないな〜」
「どっから抜いてんだかやっぱ見えねぇ……」
「てかジェラルドさん血ぃ垂れてるから！」
「あー……」
彼も並の生命力ではないのだろう。
いまだ笑顔さえ浮かべ、少年を挟んで暁と向かい合っている。そこに突き立った槍が彼の身体辺りの色を暗く淀んだものに変えているのが薄暗い室内だが見て取れた。やはり、気に入らない場面だ。
「あのさーあんたがなんなのかって俺は別にどうでもいいんだけど」
剣を下げる少年の腕を見、ついで足元を見る。
「でも人を串刺しとか、いきなり刃物出すとか、どうかな？」
動く気配は無いが、どうも普通の相手とはリズムが違うようにも思えて気が抜けない。
「引っ込める気無い？」
おどけた調子で言ってみるも、はなから期待もしていない。
「ないか。じゃあ仕方ないよね〜」
少年が、言葉も無く爪先の向きを微かにずらしたのを確認して暁は笑った。普段のようなあっけらかんと軽い笑いではない。それ自体が刃のような鋭さの――互いに床を蹴った時には暁の手にもナイフ。安物ではない。厚みのあるそれを片手に握り、少年の一振りを掻い潜る。深く膝を折り、無手を床に。剣の柄頭が頭上を目掛けて降ってくる。暁の脚が伸びて少年の靴裏を掬い上げてそれを阻み、ついた手を支点に身体が旋回して両足が床を踏んだ時には少年へと伸びる腕とその先の刃。それを今度は少年が退がりながら剣先で払う。直接ぶつかれば、その頑強さは比較にならない。叩き折られなかっただけ幸いか、とナイフを引いた。
するすると距離を測る。僅かにジェラルドから遠くなった少年。
彼も、暁も、相手を窺いながら時折廊下へと意識を向けている。少年は表情にも表さないが、目線だけが小さく動いているのを暁は見ていた。
「じきに俺の仲間来るよ？どうする〜？」
事実、声が近く響きだした。こういう時は当人の意識より時間の進みは緩急の差を持っている。二人が遠くまで行っていたのか、気付くのが遅かったのか、あるいは逆にすぐ気付いてかけつけたのか、判断するつもりもない。ただ話す間にもドアノブが回るだろうというだけ。
少年の視線が、扉と、そこでジェラルドの方へと揺れて、さりげなく暁もそちらへ寄る。
「俺を無視しないでよ、つれないな〜」
「……ひとはされ」
「ごめんわかんなーい」
――がち、と強くノブが鳴った。
先に入ったのは紫桜。エレナがその後ろから現れて暁達を認め、それからジェラルドへ。同じくジェラルドへ視線を巡らせた瞬間に紫桜が引き攣ったのは気のせいだろうか。後で聞いてみよう。
そういった事を考えたのは更に後の事で、その時点では暁にはまず怒りがあった。
「……くっ！」
捉え損ねた動き。
少年が一息に走った先には紫桜。
「てめぇ！」
「この……っ！」
いつ抜いたのか。何処から抜いたのか。
紫桜の手に抜き身の一太刀があり、それが少年の剣を押し留めていた。きききと微かな音は少年の剣から零れ、低く抑えたものながら鋭い気合が紫桜から飛ぶ。弾かれるような形で少年が後退し、そこに暁が迫った。ぐんと少年に詰め、逆に紫桜は暁を見て退がる。半ば背後から仕掛けられて少年は腕でかろうじて防ぐもたたらを踏んだ。
「抜く余裕がなくってさ、ごめんね〜」
「いえ、じゃあ任せます」
「はいはーい」
ジェラルドを貫く槍を示し、すでに近付いていたエレナの後を追う。
紫桜のその姿を確認して暁はその表情から常の色を退けた。
「あんたの相手は俺だよ」
相手の動きをもう少し抑える事が出来れば使いもした銃の感触。使い損ねたが、使えば早かったな、と内心で自嘲して少年を見る。爪先を床に打つ間も少年は反応も示さずただ暁と対するばかりだ。その様にわざとらしく嘆息してみせて。
「あのさ〜ジェラルドさんのあれ、あんただよね？」
「けものだけだ」
「いや別にどうでもいいよ。あんたの言ってるの」
「うせろ」
「だーかーら、どうでもいいって――この！」
少年の速さが問題だ。
一気に踏み込んで来て剣を振る。ちょっと喧嘩が強い程度ではどうにもならない。
血も、銃も、使える状況に無いままだ。
軽く床を蹴りながら、まだ笑っているまま、暁は言葉を紡ぐ。
「けものけものって、獣に見える？」
大振りの一撃を避けて後ろに身体を捻って、回転して上半身を起こす時には追い縋る少年の胸先からナイフを顔へ。避けられて今度は暁が迫る。足音が不思議と際立っていた。と、と、と……繰り返される規則性も無いのに奇妙に韻を踏んだ音。
「ねえ？ジェラルドさんが動物に見えるのあんた」
「祖先はそうかもしれないのよ」
「口挟んで複雑にすんな」
「うるさいわバカ」
祖先は、と言うなら別にいいではないか。薄く笑って派手な動きの中に鋭さを混ぜる。めまぐるしく移り変わる位置。紫桜が槍を抜こうと苦心する姿がその中にあった。ごめんめんどくさいの押し付けた〜、とこっそり思う。
「あのオニーサンとオネーサンが人間以外のなんに見えるっての？」
「けものだ」
「ざけんな」
唇を歪めて吐き捨てた。
脚を深く曲げて跳ぶ。宙で捻った体の反動で伸ばした脚が鞭のようにしなり、少年を打つ。打てない。腕で頭を防ぐ程度は流石にするか、剣で防がれても上手くやる自信はあったのだがどうにもこうにも。
「どう見たって人間だろ」
慌しい攻防の後に途切れた音。
少年の向こうに赤く染まったジェラルドの姿。
「人間じゃ、ねぇのかよ！」
まるで自分の訴えのように強く悲痛な声。
暁が再び仕掛ける前に、少年が身を翻した。そうなれば自然、ジェラルド達は眼前に。
「させるか！」
太刀でもって剣を再び阻んだ紫桜がジェラルドの前に居た。先程と同じく得物をぶつけ睨み合う。
だが紫桜が押し返す必要は今度は無く、暁がナイフを少年へと向けるのは遅く、少年は阻まれたと見たのか横へ身体をずらし窓へ。距離を取られて伸ばした腕も届かない。
「あちゃ〜」
「……」
硝子の割れる音だけを残して立ち去った相手。
どうせ、くたばったりはしていないだろうとそれぞれに思う。探すだけ無駄だろうからと紫桜と二人、ジェラルドへと向き直った。
** *** *
「クサマが貸してくれるだけの事はあるわね」
「まさか見物されるとは思いませんでした」
「だって私が参加する必要も無かったもの」
ウフフ、とわざとらしく笑う。
それに紫桜が反応に困るのを、にまにまと楽しそうに眺めて暁はジェラルドへと振り返った。
「助かってよかったね？」
「ああ。助かった、ありがとよ」
「いいえ〜」
血の気の失せた顔で、ジェラルドは座り込んでいる。
貫かれていた部分はいまだ出血してはいたが、彼の身体は惨たらしい有様ながら傍目にも明らかな速度で治癒しつつあった。まだ、出血も酷いけれど。その傍らにひょいと座り込むと暁は僅かに声のトーンを落として彼へ話しかけた。
「あのさ、ジェラルドさん」
「なんだ」
「……俺の血、飲む？」
横目で、ただ暁の顔を見ただけのジェラルドに疑問の色は無い。
「俺の血、傷の治りも早くなるしさ〜」
「へえ」
「まあちょっと俺疲れちゃうんだけどね？でもほら、もうアイツ居なくなったし大丈夫っしょ」
「そうか」
「飲む？」
静かに暁の言葉を聞いていたジェラルドが、頭を壁に押し付けて天井を見た。つられて見上げてみても埃塗れの汚いコンクリートだけ。すぐにジェラルドへと視線を戻した暁に、天井を見上げたままジェラルド。
「やめとけ」
「……どして？」
「やめとけ。俺の血もちょっと変わってるしな、そんな微妙な面されちゃ飲めるか」
笑顔が、引き攣ったのではないかと思った。
簡単に零れる筈の軽口が口内に留まって、出て来ない。
「――槍の穂先と石突部分ですね」
「文字が何か、っていうのがね」
「銀ってでも結構よく言いますし」
抜いた槍について話す声が薄布越しのように聞こえる。ゆるく視線を巡らせれば胸を強調するようなポーズでエレナが何事か言い、紫桜がそれに応じて槍を確認していた。
「あ、あーそっか、槍も確認しなきゃ駄目だよね〜」
「まあなあ」
声は、普通だった。それに安堵する。
「じゃあ血は無しってことで！」
「気持ちだけってヤツだな」
「そうそう！気持ちだけ受け取って〜」
「また変な話して、まず迷惑かけた詫びくらい入れなさいよ」
エレナの声が混ざり、二人で見上げれば細く整えられた眉を器用に片方上げて仁王立ちする色っぽいお姉さんが一人。その後ろで申し訳なさそうに紫桜があらぬ方を眺めているのはどういうことだ。
「人が経緯聞いてるのに何を無視してくれてるのかしらバカ」
「聞こえなかったんだよ」
「血がまだ抜き足りない？抜けば静かになるわよねえ」
「なるかバカ」
「バカはあ・ん・た。ひょいひょいぶっ刺されてりゃ世話ないわ」
……つまり呼んでるのが聞こえなかったわけね。
やれやれと立ち上がり、紫桜に歩み寄ると彼が手に持つその長物を覗き込んだ。
「これかぁ」
「ちょうど両端に文字が多いんですよね」
「ふ〜ん」
見やすいようにと掲げてくれるのを検分すれば成る程確かに。見た事も無い文字（らしきもの）が幾つも刻まれている。
「なんだろね」
「ちょっと気になりますね」
「だね〜って言うかさ、俺としちゃこっちのが目についてムカツクんだけど」
「……ああ」
ジェラルドの血で黒く濁った部分。
それは抜いてみれば思ったよりも広かった。それだけの血が流れたという事だ。
「じわじわ追い詰めるなんて最悪だよね〜」
「同感です」
貫かれた身体から槍へと伝う血が少しずつ床に落ちる。
その緩慢な水音さえ耳に響くような感覚の中。
紫桜と二人、その銀の槍を無言で見下ろしていた。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
【４７８２／桐生暁／男性／１７／高校生アルバイター、トランスのギター担当】
【５４５３／櫻紫桜／男性／１５／高校生】
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■ ライター通信 ■
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・戦闘描写不得手なくせにやってみましたライター珠洲です。こんにちは。ただいま描写の長さに反省中。
・スタートは一緒ですが、廃ビルに入ってからの役回りをそれぞれで交換しております。あと少年が最後逃げたか捕まったかですね。プレイングはお二人とも戦闘だったのですが、相手への積極性（というべきなのか微妙ですが）で展開を別にしました。開始→戦闘→少年がどうにかなった後という流れになっております。あ、ジェラルド標本位置も違いますね。
・続きがあっても、それぞれの話のラストに沿って頂く必要はありません。捕まえたオチでも逃げたオチでもどうぞ。ていうか続き参加して下さるといいなぁと思いつつ。
・桐生暁様
戦闘中もよく喋るという事でちょっと無駄口いっぱいなつもりです。
カポエラを確認するも写真ばかり発見してしまったので、これまたイメージの世界な描写になっておりますがお許し下さいませ。血についてはあえてお断りな展開……ヤツらも大人ですし気持ちだけ、という事で。
怒り方は理解したつもりなのですが、きちんと書けているかどうか。意図の通りである事を祈ります！
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