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戯曲
●噂――失われし地
いつからか人が踏み入れなくなった場所。
全ての者が息をしなくなり、我を保つ者の居なくなった場所。
懐かしむ者。その場所を自らが故郷と定めていた者は潰え。
ただ、風が吹く場所となる。
この場所に居た者達に、流れていた話がある。
自分達は神に仕える者である。神に叛きし者をすべからく殴殺するのが自らの使命。いつからか姿を見せる事をしなくなった神が、再びこの世に姿を見せた日に備えて。姿を現せる神が二度と姿を見せなくならないために。神の敵を、神を信じない者を、神を害する者を、すべからく抹消する事こそが責務――
何者かを崇め。自らの存在は全てその者の為にあると言う者達。
その場所の周りでは、神隠しが頻発していたと言う。
●草間興信所
思いつめているな――それが、訪れた女性を見た草間がまず抱いた感想だった。
髪の艶は失せ、顔には最低限の化粧だけが残り、服もどこかよれている。ただ、目に残っている強い視線が彼女の強い意志を思わせた。
「それで、依頼は――」
「彼女を、探し出して止めてください。このままだと何をしてしまう事か……」
草間が目を逸らしてしそうな視線で、彼女は言葉を続けた。
依頼をまとめると、次のようになる。
止める相手は、暮居・凪威という女性である。
彼女は捜索をしているという。数ヶ月前に一度行方をくらました後、誰かを延々と探し続けいたらしい。何か不思議な噂が流れれば、その元をやっきになって探し回り、自分の周辺で噂が流れなくなると次なる噂を探し始める、と言う様にただのオカルト好きな女性と同じように彼女は動いていたとの事だ。
何を探しているのか、そう依頼人が聞くと、暮居は次の様に答えていた。
『ただの、友人を探しているんですよ。馬鹿みたいなことをしている友人を……えぇ、止めないといけませんから』
「で? なんであんたはその女を捜そうとしているんだ?」
「彼女にどう思われているのかは分かりませんが……彼女は、私の友人ですから」
それだけの理由が、自分の身を限りなく犠牲にしてまで探す理由になるのだろうか――漠然とした思いが、草間の頭によぎる。
「報酬はしっかりと用意します! それに……手がかりもあるんです」
「手がかり?」
「えぇ。噂です……私も、こんな噂が流れていなければ、彼女を見つけたいとは思わなかったのですけれど」
「…………」
喉が渇き、口がべたつく。
「噂は――」
一刻後。草間は条件として、噂自体の真偽に関わらないことを条件とし、依頼を受ける事を決めた。
●噂――布ヲ纏イシ――
見た者は死ぬ。
唄を謡い。月に照らされた衣を纏い。地を俯瞰する。
ただひたすらに敵を探し。ただひたすらに敵を刈る。
口を聞いた者は、甦ることが出来る。
その冷徹な目を、硬い意思を秘めた視線から目を逸らさずに話を出来た者は、ソレから逃れることが出来る。
まるで、死をつかさどる神のように。全てを裁かんとする裁判官のように。独善的に逆らう者全てを滅ぼす王のように。
ソレは、夜空を背にして立つ。
●
「こんにちは――?」
ブザーを鳴らし、入り口のドアを榊舟・亜真知がくぐると、草間・武彦のいつも座っている場所の目の前に、一人の女性の姿があるのが目に入った。
「こんにちは、榊舟さん」
奥から出てきた草間・零が、依頼人か、と尋ねる視線に頷きを返す。
「知り合いの方を探してほしい、という事です」
「なんと言う方なのですの?」
「神崎様、だそうです」
――お疲れのようですわね――
零に横手に案内をされながら神崎の姿を横目で見る。
化粧で隠された隈に、やけに力の込められた眼。簡単に見た限りでは、何かに憑かれている、とでも言う様子が見えないのが救いだろうか。
「助けになれば良いのですが……」
小声で呟きながら、榊舟は神力を『癒し』の力へと変えて神崎へと向ける。
柔らかな光が神崎の体を包み、その体を癒していく。
「これは……?」
「どうやら、効いたようですわね」
自分の身を包んだ光に驚いた顔で振り返る神崎に、榊舟は微笑みを返す。
「榊舟亜真知と言います。本日はどうなさいました?」
●
「暮居さんが探している友人って――」
草間から以来の事を聞いたシュライン・エマは、自らが以前請け負った事件の事を思い出していた。
暮居凪威の――それが蒼井明良の場合もあったが――関わった事件の中で、後ろにいただろう存在。彼女は、その存在を追うように怪異を探していた。今回もこれまでと同じだとすれば、噂が怪異の核をなす物と見て間違いない。
――今回の噂から連想すると言えば――
黄衣の王、そしてイタカ。どちらも以前の魔導書の事件で関連していた神話に出てくる古き神々の相手である。もし、この推測が当たっているのならば、相手は風の属性を持つと言う事。それなら、相手は先触れとして風を纏っているという事になる。
――後は、神隠し――
神隠しが人の力の及ばないモノであったのは昔。現在ともなれば、人が一人いなくなれば、その周りの人が気づき、騒ぎが起こる。……もっとも、騒ぎが起こっても、人が発見されずに、いわゆる失踪・行方不明になることがあるのも事実だが。
しかし、騒ぎが起こり、どこかしらに記録が残るのは確実な事。記録が残るのであれば、いくらでも方策は立つ。
エマは、以前の事件の起こった場所から調べ始めようと腰を上げ――懐から携帯を取り出すと、草間興信所へと電話をかけた。
「はい、こちら草間興信所」
「もしもし、武彦さん? 依頼人さんに少しお願いしたい事があるのだけど―――」
少し考え付いた事をお願いする。
了解した、と草間は告げると、そのまま言葉を繋いだ。
「今回の依頼だが――IO2からも、確認の電話が来た。お前達の他にも動く人間がいるらしい――」
支給される金額への変化は無いが、頭に入れておいて欲しい――そう言葉は閉じられる。
「分かったわ、武彦さん。それじゃ、行ってくるわね」
●
「よく、分かりませんね……」
ゴーストネットOFFで調べ物をしていたセレスティ・カーニングは、ため息をつきながら画面から顔を上げた。
噂の真偽に関しての検索をかけていたのだが、今のところ、現在流れている噂に似ているものが、暗黒神話と言われる類の物にある事が分かるだけだった。
「噂自体は実際に流れているようなのですが……」
ゴーストネットの掲示板でも実際に流れているが、周囲の発言はそれがあくまでも噂であり、実在するものとしては一切扱っていない事が分かる。噂をしている発言を確かめてみると、確かにソース――発言の情報源はあるが、信憑性のあるものと考える事には無理があるとしかいえない。
噂の発言に妙な共通点が無ければ、噂は完全な虚偽の物――ただの悪戯に過ぎない物と結論していただろう。
――どの発言でも、噂の内容が同じ――
別人物がしている噂の話であるにも関わらず、根幹としているだろう情報が完全に同じものなのだ。
普通は、どんな噂であっても――それが馬鹿々々しければ馬鹿々々しいほど――流れていくうちに形が変わるものである。しかし、それがずっと変わっていない、と言う事は、その噂が何者かに変わらないように操作されているということ。
「真偽がどうあれ、これは流されている噂……それなら」
おそらく、暮居凪威は自分の友人が噂を広げて何かをしようとしているとして、それを探索しているのだろう。それなら、彼女自身もこの噂を探っていったところにいるはず。
セレスティは、軽く息を吐くと画面へと改めて向き直った。
●
『人を殺しているらしい』
鳴・海鷹は、依頼人―神崎から受け取った暮居凪威の持ち物を確認した。
『神に仕える者を名乗り、相手を敵と決め付けて――』
たまたま神崎が暮居から借りたままだったと言うそのハンカチは、綺麗に洗われているものの、運がいいことに手がかりとしては使えそうだった。
『――もう何人もの犠牲が――』
自らの内側に潜む力を呼び、鳴は戌の形を模した面を作り出して被る。すると、途端に、面をつける前では感じ取れなかった匂いが感じ取れた。
ハンカチに顔を近づけ、ともすれば他の匂いに混ざりかける暮居の匂いを慎重に探る。
洗剤の匂いや、借りていた神崎の匂いを無視しながら探り続けると、やがて今時珍しく全く香水をつけていない女性の匂いにまで行き着いた。
これだろうか。鳴は首を捻った。
今見つけた匂いでないという可能性はほとんど無いが、断定は出来ない。暮居自身の家に入り、中の匂いをかぐ事が出来れば話は別であるが――いくら仕事を請け負った身とはいえ出来ない事はある。依頼人に頼むとしても、暮居が行方不明であると考えたのはあくまでも依頼人個人の考えである為、下手に押し入ってはただの犯罪でしかない。つまりは、確信できる為の材料は何一つとして無い。
――他の匂いも無いか確認しておくか――
そう結論付けると、鳴は改めてハンカチに鼻を近づけた。
●
――噂? あぁ……神隠しがあったとかなら聞いたけど。記録が残っているはず――
この言葉が、PROTO―T・SIRIUSが噂で伝えられている怪異について一日かけて聞き込んだ成果となった。
自らの主がどこからか草間興信所での依頼を聞きつけて要請してきた事であった為、初期情報が限られると言うハンデを背負っていた事は確かだが、一日の探索結果としてはかなり少ない部類である。
――もう少し絞込みをかけるべきだったのだろうか――
怪異と直接的に接するためには、どこに出現するかの情報が必要となるのは当然の事。しかし、いくら噂とは言ってもほとんどの場合は『何かが起こった』と言うだけの情報であり、『どこでそれが起こったか』が伝えられる事はない。
噂をただ探ろうと言うPROTOの漠然としたやり方では、今回のように次の情報への手がかりを得る事が出来ただけでも良かった方といえるだろう。
――すぐに動こう――
自らが遅れている事は確実。神隠し――人が行方不明となった事に関する記録は膨大であり、噂で流れている事柄からある程度絞りこむことも出来るが、時間は確実にかかる。
これ以上時間は無駄に出来ない。PROTOはそう考えながら、動きを再開した。
●
虚ろな何を考えているのか分からない目。生気のない顔。動きにも精細は無く、まるで出来の悪い恐怖映画に出てくるゾンビ――いや、集団になって襲ってくる様は、ゾンビそのもの。しかし。
――以前のときよりもずっと弱いような?――
繰り返される単調な打撃をかわしながら、シュライン・エマは内心で首をかしげた。
ある村で起こった事件と違うところは他にも数多く上げられる。
周辺やネットでの調査をした時に、今回の噂を知っていた人数が妙に少なかった事。噂の根本的な原因とされている、行方不明や死亡の事件がそれほど目立っていなかった――それこそ、他にもっと数の多い場所があるほど――という事。そして、中でも決定的なのは、
――この場所の情報源のわざとらしさ――
大振りしかしてこない相手に足払いをかけて転ばせ、横にいた鳴・海鷹に声をかけて後へと下がる。
ネット・警察・新聞・街の噂。それぞれをバラバラにしかみない人には分からないように情報を分散させながらも、組み合わせればすぐに導ける情報。この場所に自分達以外の何者か――無責任な野次馬だとか――が来ていないことは、ほとんど奇跡と言えるだろう。
――巻き込まなくて良いから楽だけど、嬉しくない奇跡ね――
ここに来る事を決めたのは、結局のところ『これだけ分かりやすく場所が指定されているのなら、暮居も他の場所に行っているという事は無いだろう』といった、やや投げやりな結論からだった。
エマは、軽く辺りを見渡すと、目の前にいるような村人たちから姿を隠せそうな場所に目星をつけた。
暮居が一人でこの場所に来ているのなら、そのような場所で捜索をするはず。
――もしかしたら、今回の怪異は――
目星をつけた場所へと走りながら、エマの中に、今回の事件に対する一つの結論が出つつあった。
●
シュライン・エマが下がるのにあわせて前に出ながら、梅・海鷹は探索をする為につけていた戌の面を外し、寅の面を付け直した。
「外の人間……」
うめく様に言葉を漏らしながら、立ち上がろうとする村人に伸びた爪を振るい、四肢の筋を切る。
――とは言え、この人たちは本当に人間なのだろうか?――
ふと、鳴の中に疑念が沸いた。
自分達を見るや否や、まるでそうやって作られたかのように、問答無用で襲ってきた村人達。何を話しかけても、自分達を外敵として認識しているような言葉を言うだけで、まともな反応をしない。そして――戌の面をつけていた時に、自分達以外から人間の匂いが漂ってくる事は無かった、という事実。
筋を切られて転がる村人の影から現れた全く同じ動作で攻撃をしてくる相手を、避けながら切り裂き――
「………?」
視界の隅に写る、雑草が所々に生えているだけの地面。
どこにも異常など無いその地面に、ふと、違和感を覚えた。
――おかしい、確か――
思考を邪魔するように、複数の村人が攻撃を仕掛けてくる。
舌打ちをしながら、鳴が懐の丑をかたどった面に手をかけ、村人達が光の矢や水の槍――榊舟・亜真知とセレスティ・カーニンガムの射撃に吹き飛ばされていく様子に、手を止める。
――まずは、目の前の事――
目の前の光景に、妙な違和感を感じながらも、減る様子の無い村人の群れを前に、鳴は顔の寅の面を付け直した。
●
狙い通りに、鳴・海鷹の前にいる村人に矢を当てる事に成功した事を確認すると、榊舟・亜真知は自らの弓――天星弓に神力で作られた矢を番えながら辺りへと目を走らせる。
まだ使われているかどうか疑わしい家の並び。雨漏りをしそうな穴が屋根に開いている家や、ひびの入った壁で囲まれた家の影から、いつの間にか目の前に集まってくる村人達。
封印や浄化を行う為に、魔の力を探す榊舟の視界には、街の並びはどこかの舞台に置かれる背景のように見えていた。
――まるで、急作りで取り繕ったようですわね――
聞いていた噂では、廃墟の様な街の中、人目につかない様に隠れて住む一族という彼らにも文化の様なものはあった筈なのだが――
――昔、崇めて頂いていた時にも、何かしら施設はありましたし――
あるはずのものが無い。見えている場所に無いだけという可能性も踏まえ、全体を見通してもそれは変わる事は無い。
つまり、それは
――ここの人達は、偽物だと言う事――
噂自体の偽物はここである事は疑い様が無い。だが、この場所にいる者達は、かつて言われていた『一族』では無いのだろう。
真似ることも満足に出来ず、ただ見苦しく動くだけの者達。
「それなら、せめて」
榊舟は、浄化の力の準備を始めながら呟いた。
「浄化して差し上げるのが、情けと言う物ですわね」
●
横手で力が膨れ上がる。
それが榊舟・亜真知からの物であることを確認すると、PROTO―T・SIRIUSは村人達へと向き直った。
目の前には、主から指示された物はない。故に、一刻も早くこの場所を抜け出したいところだったが――PROTOは、思う様に動けずにいた。
問題なのは、まず、相手の数。
自分達を見つけるとすぐに、声帯を震わせた様子もなく口から言葉をもらしながら襲ってくる村人達。その数はPROTOの視界に入っている分だけでも、20を上回る。
もちろん、これに対し大規模な火器を持ち出して一気に掃討することで進む事も可能である。しかし、ここには確保する対象がいる可能性が高い。敵を全て倒すほどの威力の物を用いた場合、対象――暮居凪威にまで危険をもたらす事が考えられる為、使用は不可能である。
だが、こうしている間にも、対象の身の安全を確保するのは難しくなりつつある事も事実。PROTOは、焦りを感じながら両手の銃に装弾しなおし――視界内の村人達全員の場所を確認する。
動きが単純と言う事は、次に村人がどう動くか予想がつくということ。なら、どこに銃弾を置けば相手の急所へと入り込むかもたやすく演算できる。
――射撃――
胸中で呟きながら、引き金を連続して引く。
一瞬、銃口からあふれる光に視界が奪われ、村人達の姿が見えなくなるが、すべき事は変わらない。演算を済ませた場所へと次々と弾を並べる。
かちり、と言う音がして、引き金が軽くなると、PROTOはすぐに再装填を行い村人達へと銃口を戻し――
マズルフラッシュの無い空間を見て、村人の位置を確認。先ほどと何も変わっていない相手に向け再度引き金を引き絞った。
――相手は無尽蔵か…? そんなわけは無いはず――
PROTOには珍しい、根拠の無い疑念を心に持ちながら。
●
痺れを切らしたように、PROTO―T・SIRIUSが連続して放つ銃声を聞きながら、セレスティ・カーニンガムはある事を思い出していた。
来る途中、互いに調べた情報を明かしていた時に、榊舟・亜真知が口にしていた事。
曰く。暮居凪威は、噂が流れ始めてすぐに行方知れずとなった。依頼人が噂の話を知り、彼女に話そうとしたその日には姿が見えなかった。
――動きが早すぎるような――
果たして、情報収集をするだけの為に、行方が分からなくなるものだろうか。情報を確認するのなら、痕跡が残っているはず。しかし――セレスティが調べていた時には、暮居と思われる人物が捜索をしていた痕跡はどこにも見当たらなかった。
つまり、暮居は、情報収集をせずに、この場所にたどり着いている可能性が高い。
――依頼人か暮居さんに直接その辺りを聞く必要があるかもしれませんね――
銃声が途切れ、一瞬の間の後に再び鳴りはじめ
――今のは…?――
少し離れた建物の物陰。
そこで、同じような服しか着ていない村人とはまた別の色合いをした人影が動いた様子が、セレスティの目に写った。
「少し、頼みます」
浄化の力を蓄える榊舟に、一言声をかけると、セレスティは村人の群れを回りこむように動きながら、物陰へと歩を進めた。
●
――まだいるのか――
次から次と現れる村人達に、休むことなく爪を振るいながら、鳴・海鷹は内心で舌打をしていた。
一度の攻撃には確実に手ごたえが――村人を倒していると言う実感がある。先ほどから戦っている時間を考えれば、もう相手を倒し終えていてもいいはず。相手が、一族の全てだとしてもそれは同じである。
――まるで、何か悪い夢に取り込まれたようだ――
加速する銃声の連続する音。ふと、鳴はそちらに目を移し――強烈な違和感を覚えた。
PROTO・T−SIRIUSの射撃の腕に関しては、すぐ横で戦っていた時の事からしても、相当のものであることは予想できる。そう、何も無い空間に向けて無駄弾を撃ち続けるような事は、するはずが無い――しかし、PROTOの前にいる村人の数は減じる様子を全く見せていない。鳴より多く、村人を撃ち倒している筈の彼の目の前には、一体も死体は並んでいない。
先ほどから繰り返される、全く同じ軌道の攻撃を避け、戌の面を身につける。
むせ返るほどの血の匂い。銃口から立ち昇る硝煙の匂い。村人達の匂い。ここには、その全てが無い――
「これは――幻か――?」
気がついた瞬間。鳴の体を、村人の攻撃がすり抜けた。
●
呟くような鳴・海鷹の言葉が響いた瞬間。PROTO・T−SIRIUSの視界は、一瞬にして変貌を遂げた。
目の前にいた筈の村人は突然消え去り、見えていた人気の無い家屋はことごとく廃墟となる。視界には、少しばかり強い風が吹く過疎の村があるのみ。
――視界内の敵対行動をとる生物は皆無――
手元を見ると、一発も弾丸の放たれていない銃が両手に収まっている。
白昼夢のようなものだろうか――辺りを見渡しながら思うPROTOは、現在のような状況が以前にもあったことを思い出した。
――以前の事件で戦った相手――
PROTOの放つ攻撃を全て避け、最後には暗示をかけて消え去っていった相手。その動きと、今の状況はどこか似たところがある。
今回も、同じようにあの相手が自分達に見せた幻だったのだろうか。PROTOが思考をしていると、意識の外からの警告文が浮かんだ
――Emergency! 目の前で大規模な気流の変化を確認――
目を見開き、視界内を改めて検索すると、どこからか大きな風が自分に向かってくる事が確認できた。
「伏せろ!」
声を上げながら体を地に投げ出すと、後ろ髪が突然の暴風になびくのが感じられた。
体を起こし、すぐ近くにいた二人――榊舟・亜真知と鳴・海鷹を確認すると、二人とも無事に風を避けているのが眼に入った。
「今のは――?」
「突然でしたが……魔の気配を濃く帯びていたような……」
PROTOは、風の吹いてきた方向――何も無いはずの空中に目をむけ、目を皿のようにして見た。視界を機械的に処理して拡大をした先には、くすんだ黄色の衣のような存在が浮かんでいる。
「いた――空に浮かんでいる……?」
「空――?」
榊舟が上げた訝しげな声が消え去る前に、それはPROTOの視界から一瞬だけ消え、
―轟音
「ッ――」
背筋に嫌な予感が走ると同時に飛びのいた三人のちょうど中心に立つように現れた。
自然と、足が竦む。油断と同時に、自分をこの世界から放逐し得る存在であると、全身が叫ぶ。
目の前の存在が腕を振り上げると共に、細く・甲高い音が耳に聞こえ始める。
――全能力を展開開始。対『禍神』用システムSOV――
遅い。
なぜ、この相手を前にした瞬間から展開を開始しなかったのかと、後悔がよぎる。
耳鳴りのような音が大きくなる。
やられた、そう感じた瞬間。目の前の相手が視界から消失した。
変わりに視界に入ったのは――丑をかたどった面を顔に被り、拳を振り切った姿で動きを止める鳴。
相手を吹き飛ばしたのか。成果を確認するためにPROTOは鳴の拳の延長線上をたどっていき、
「いない――」
体中に収めてある銃火器の中から、大口径の銃を二丁取り出した。
風の動く方向に銃口を向けて引き金を引き絞るPROTOの目に、横合いから榊舟・亜真知の光の矢が放たれる様子が写る。
周囲の風が加速し、暴風となる。
射撃の手応えは――無い。視界にあるのは、先ほど見えていた存在の激しく動き回る残像だけ。
「早すぎる――」
攻撃をしても捕らえきれない、と悔しがるように鳴が吐き捨てる。
「どうにかして、動きが止まれば、封印も出来るのですが……」
今のままでは封印をしようとしても逃げられてしまう、と榊舟は呟く――これは、PROTOも同じだ。対『禍神』用システムとは言え、高速で動く相手に直接当てる事は出来ない。
PROTOがその事を言おうと口を開いた瞬間――黄色の残像が、腕を横に振るうのが眼に入った。
伏せた三人の頭の上を鋭い風が飛び、後方の建物を一瞬で切り裂いていく。
「手が足りない――」
起き上がりながら榊舟が呟く。
要は相手の動きを止める事が出来ればいい。動きさえ止める事が出来れば、PROTOか榊舟のどちらかが相手の封印を行うことができる。しかし、鳴一人だけが有力な接近戦の力を持っているという状況では、それも難しい。
最悪の演算結果がPROTOの脳裏に浮かぶ。
探索に向かっていったシュライン・エマやセレスティ・カーニンガムが戻ってくれば、また変わるのだろうが――現状、戻ってくる様子は無い。
このままやられるか。それとも、依頼失敗とするか。
PROTOの逡巡を無視するように、再び耳鳴りのような音が耳に届き――唐突に静まる。
思わず三人が顔を見合わせ、音がしていた方に目を向ける。そこには、やや速度を落として動く黄色の暴風と――銀色と共に黄色の暴風に絡みつく黒の疾風があった。
●
セレスティ・カーニンガムが、戦闘音を後にしつつ、影を確認した建物へと踏み込むと、そこには何者かが野営をしたような後が残されていた。
「これは……暮居さん、でしょうか…?」
来る途中覗いた他の家屋には何も残されていなかった事を考えれば、これが村以外の者の持ち物である事は分かる。村に暮居凪威以外が訪れているのでも無い限り、これは彼女のものだろう。
――ここで待っていれば――
撃鉄の上がる音が響いた。
「動かないで。両手を上にあげて」
「いきなり、ですか」
後からの声に、セレスティは大人しく両手を上にあげる。
「誰? 何のために来たの?」
「セレスティ・カーニンガムです。神崎さんから依頼を受け、キミを迎えに来ました」
「セレスティさん、ね……あぁ、うん。思い出しました。腕を下げて構いませんよ」
安堵のため息をつきながらセレスティが振り返ると、銃を片手に構えた暮居が疲れきった笑みを浮べていた。
「久しぶりですね。一年程でしょうか? 細かい記憶は思い出すのに時間がかかるから勘弁してください。なにせ、無駄に記憶しているもので――で、神崎…でしたか? 神崎・京のことですよね? 彼女が私を探そうとしていると言うことで良いんですか?」
セレスティが頷くと、暮居は顔をしかめた。
「おかしいですね…。定時連絡が出来なかったので、蒼井さんが依頼をすると言う可能性は考えていましたが……。神崎、神崎京ですよね? 彼女とは2・3回会ったか会わないか、てなぐらいなはずです。それなのに………」
友達として心配をしているのでは? 問いかけるセレスティの言葉に、暮居は頭を横に振ってこたえる。
「友人じゃないんですよ。会話もそんなにしていません。確かに大学で会ったらお互いに挨拶ぐらいはしますが……まぁ、いいです。確認は後からしましょう……。それより、クリスを見つけませんでしたか?」
「暮居さんの友人の、ですか? いえ、見ていませんが……」
「そうですか……今の時点で会えないとなると、また空振りのようですね……」
暮居のため息が、廃墟の中で響いた。
●
何者かは分からないが、好機であることには違いない――榊舟・亜真知はそう判断すると、天星弓に自らの神力で形作った矢を番え、黄色い影に向け放った。
矢に気がつき、速度を上げてかわそうとする黄色い存在。しかし、それは先回りしたように邪魔をする銀を背負う黒によって止められる。黄色の存在は、動きをはじめて止めて矢に向き直り――
「アアアアアアアアアアアアアア――――!」
轟音と共に、横にいたPROTO・T−SIRIUSが放った銃弾にその身を穿たれ、矢を受け止める事すら出来なくなる。
神力の矢は、黄色い存在が突き刺さる。更なる叫びを上げる黄色い存在は、同じように動きを止めた黒色の人物が持つ銀――鎌の一閃により、その身を深くえぐられた。
「チェック・メイト――」
黄色い存在が、肉眼で動ける程度にまで移動速度を落とすことになった様子に、PROTOが呟くように言う。
頷きで榊舟はその言葉を肯定しながら、黄色い存在を封印する為に力を蓄える。榊舟に集まる力の高まりに気がついた相手は逃げようとしてもがくが、その動きは榊舟が既に予想しているもの。走り出していた鳴・海鷹が、相手が逃げようとしたところを、仮面の力で増幅させた筋力で掴む。
「――――――――――――!」
暴れながら声無き声を上げる相手に、榊舟の封印の力が取り巻いていき――
次の瞬間、強い光の発生と共に、榊舟の中の手ごたえが消失するのが感じられた。
「これは、一体……」
どういうことでしょうか。呟きながら榊舟が、もしかして逃げられたのだろうかと『目』を凝らすが、それらしき姿を発見する事は出来なかった。
掴んでいたはずの鳴も、突然いなくなった相手に驚きの表情を浮べる。
「確証は無いが。『封印された』から、存在が自動で分解されたのだろうな。出来は悪くなかったが、偽物は偽物、というわけだ」
疑問の表情を浮かべる三人の前に立ちながら、大鎌を背負った黒服の男が現れてそう告げた。
「一応、自己紹介をしておこう。IO2捜査官、蒼井明良から依頼を請けた、始末屋のウィルヘルム・ノワールだ。再び会うことは早々無いだろうが、な」
銀髪の男は、そう言って三人に軽く礼をした。
●
今まで聞こえていた遠くからの銃声が突然途絶えた。
シュライン・エマが振り向くと、以前にも見たことのある光――浄化の力が先ほどの場所で広がっている。
相手の中心部を見つけた榊舟の力だろうか。エマは口の中で呟きながら視線を戻し、
「やれやれ、ここまで台無しにされるなんて予想外だ。一体全体、キミ達はどこから情報を仕入れたんだ? 噂はまだ本格化していない、IO2にもまだ感知されるレベルにはなっていないはずなのだけれど――まぁ、次の噂に早めにうつることになった、というだけとも言えるが……」
「あんたは――」
飄々とした口調で語る黒服のコートを身に纏った男。暮居凪威の探している友人。怪異発現師。今起こっている怪異を発生させた張本人。
自然と厳しくなるエマの視線に、男は肩をすくめた。
「あぁ、そんなに睨まないで欲しい。核が死んだ事だし、今回はどうせ失敗に終わるのだしね――良い事を教えよう。俺は、同じ噂は一度しか発現させる事は出来ない――嘘じゃない。証明をしろといわれても困るが……」
なにせ、できる事を証明出来ても出来ない事は証明できないから。そう言いながら、男は無造作にエマへと歩み寄る。
「さて、一つ聞かせてもらおう。今回の依頼は、誰から受けた? 信憑性も無く、まだ噂を広めようという動きがはっきりと始まってもいない噂を、俺が広めているとナギに教え、俺を邪魔しようとしているのは、どこの能力者だ?」
「―――」
依頼人が何者か。エマもそれは気になっていた。
大学の学友と名乗っているが、果たして大学で知り合った相手が、友人が2・3日行方知れずになっただけで興信所まで使って探すだろうか。それも、二人が同時に写っている写真を一枚も持っていない――ゲームセンターなどで撮れる類の写真シールすらも――持っていない程度の友人が。
怪しく考えれば次から次と出てくる。そのため、エマは確認のため――情報収集の為と草間に話しておいたが――暮居と依頼人の写真を一枚ずつ確保してきていた。
「そうだな、顔の特徴とかは覚えていないか? 似顔絵は描けないか? 写真があるのが何よりだが……まさか持ってはいないだろう?」
顔を覆うローブの下から、鋭い眼光が覗いていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
1593/榊舟・亜真知/女性/999歳/超高位次元知的生命体・・・神さま!?
1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
3935/梅・海鷹/男性/44歳/獣医/
5521/PROTO・T−SIRIUS/男性/10歳/試作起動中実験体
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■ ライター通信 ■
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お待たせして申し訳ありません。藍乃字です。
今回は、ラストがこのような形となりましたが――この後起こったこととしては
●ウィルヘルム・ノワールの別れの挨拶
●みなさんと共に帰る暮居凪威
●言うだけ言って姿をくらます、クリス
となるので、だらだらと長くなるだけではないかと思い、略させていただきました。
さて、次回ですが、OPの公開は十月八日から十日を予定しています。
よろしければご参加してくださると幸いです。
また、そのシナリオの中でのルールを一つだけ明記させていただくと、私の出したNPC及び公式NPCの中でならば、皆さんが連絡手段を持っている相手ならば、その連絡手段さえ書いてあれば自由にプレイングに使っていただいて構いません。もっとも、連絡手段に誤りがあった場合は、残念ながら使用する事は出来ませんが。
それでは、また次のシナリオでお会いしましょう。
藍乃字
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