コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


 ◆◇ 多弦紡ぐ指 ◇◆


 とんとん、と。
 そのささやかな音に気付いたのは、偶然だった。
 場所は、神聖都学園。夕暮れどきの音楽室。
 閉じっぱなしにしていたグランドピアノの胴体部分の屋根板。そこから、中からまるで指先で叩くような硬質の音が聴こえてくる。
「そんなことあるはずないでしょう……気の所為よ、気の所為」
 すでに八割以上及び腰、半分以上泣き出しそうな顔をして、音楽教師の響カスミは右足で退却、左足でピアノを目指すような体勢を取る。
「嘘よ嘘。怖いことなんてなんにもありませんて。おバカなカスミちゃんね」
 無理矢理強張った軽口を叩きながら、理性の声に従いピアノの屋根板を持ち上げようと手を掛ける。
 ――が、開かない。
 そしてとどめに、内側からのノックがもう一度。
「ひうう……ッ!」
 押し殺した悲鳴を上げて、カスミは飛び上がる。
 とんとん、とんとん。
 パニック状態のカスミを置き去りに、音は段々大きくなる。
 そして挙句。
 ――微かな、笑い声まで聴こえてきた。
 一目散に、カスミは本能の命令に従い音楽室の外へ。ドアを大きな音を立てて閉めたところで、正気に戻る。
 ぐるぐると勢い好く回転した思考。結論としては、事勿れ主義のカスミらしく、『取り敢えずなかったことにしておこう』。
 だが、それにはひとつだけ問題があった。
「……明日も、あたし、この場所に出勤するのよ、ね……?」
 明日もこの、忌わしいピアノと対峙するのか。
 なかに怪物でも棲んでいるかもしれない、バケモノ入りピアノと。
 弾いているうちに屋根板がパカっと開いて、中身が出てきたらどうしてくれる。
「イヤ! 絶対に、イヤ! こんなの気の迷いよ。イヤイヤイヤ!」
 喚きながら、カスミは校舎を彷徨い始める。
 カスミの「気の迷い」を解決してくれる誰かを、捜して。

     ◆◇ ◆◇◆ ◇◆

 初瀬日和が音楽室の前を通ったとき、響カスミは音楽室の扉に背中を預け、腰砕けになってへたり込んでいた。
「先生? どうされたんですか?」
 慌てて、日和は彼女に掛け寄る。無言で、カスミは首を振った。疲れて言葉も出ない風情である。
「取り敢えず、保健室に行きましょう? ね?」
「その必要はないよ。医者なら、ここにいるから」
 くっきりとした、でもどこか緩い甘さのある声。振り返って見れば、能天気に感じられるほど無性に明るい雰囲気を持った少年がそこにいた。
「しかも、名医がね」
 十里楠真雄は笑顔で日和に応え、ついで無造作にしゃがみ込みカスミに手を伸ばす。手首を取り、脈を取る。額に手を当てる。
 緩い印象とは裏腹に、その動作はひどく冷静だった。
 カスミは、されるまま。ただ、音楽室のなかを指差す。
「ピアノ……あの、ピアノ」
 震える声で、ただひとつの単語を連呼する。
「あっは、ピアノになにか起こったんだ? それで、カスミさんはこんな状態に、って訳だね」
「十里楠さん」
 面白がっていることがありありな真雄の名を、日和が強い口調で呼ぶ。
 決して攻撃的なものではない。柔らかさのオブラートに包まれた、だが芯のある声。甘い可愛らしさのある日和が、ただ脆弱ではないことを示すのに充分な響き。
 彼女の内面を見て取り、興味深げに真雄は目を細める。
「取り敢えず、カスミ先生をこのままにしておけません。特別、なにか体調に問題があるわけではないんですね?」
「ああ、そうだね。取り敢えず寝かせておけば大丈夫かな」
「じゃあ、保健室までお送りして来ます。大丈夫ですか? 先生」
 へろへろのカスミを支えながら、用心深く日和は廊下を歩いていく。その背中を見送ってから、おもむろに真雄は音楽室のドアに向かった。
 端正な顔に夕刻の薄朱いひかりが当たる。きゅっと、薄い形好い唇の両端が、吊り上った。
「なにが、起きているのかな?」
 その声には、堪え切れない好奇心が滲んでいた。


 四宮灯火がその日、神聖都学園まで辿り着いたのは、ささやかな声を辿った所為。
 明るいような、切ないような。どんなに明るくても、どこかに辛さを沈めたような声はあの方に好く似たもの。灯火は細い糸を伝う気持ちで小さな小さな声を追った。隔てられた空間を無視し、一瞬でその場所に辿り付いた。
「突然のこんにちわ、だね。お嬢さん」
 その場所に現れた瞬間、投げられた声にびくり、と身体を震わせる。最近は少しばかり学習して、使うことのなかった能力――瞬間移動。それが他者から見れば奇異なばかりなのだと今更、思い出す。
 おそるおそる見遣れば、声の主は灯火が怖れているような怯えではなく、好奇心に満ち満ちた目で灯火を見返している。
「こんな場所に、どうしたの? 高校に通うには、ちょっと君は小さすぎないかい?」
 陽気な口調に促されて、か細い声で言葉を紡ぐ。
「声が……聴こえました」
「ああ、このピアノね」
 声の主――真雄が手のひらでピアノの屋根板を撫でる。それに応じるように、とんとん、とノックの音が聴こえた。
 他ならぬ、屋根板の内側から。
「……どなたか……いらっしゃるのでしょうか……」
「さあね。ねえ、キミの名前は、なんで云うの?」
 気紛れめいた仕草で、真雄は艶めくピアノに唇を寄せる。
「ねえ、ノックだけじゃなくって、声も聴かせてくれないかな? それとも、ノック以外の音をくれる? そこに、弦がいっぱい張ってあるだろう? 弾いたら、音が出るよ。そこは、色んな音の宝庫じゃないかな?」
 どこか口説き文句めいた甘い言葉。だが、返事はない。
「……つまらないなあ」
 めげたように、真雄が顔を顰める。
 すっと、音もなく灯火はピアノに近付き、真雄と肩を並べた。遥かに高い場所にある端正な真雄の顔を見上げ、小首を傾げてみせる。
「ああ……音楽室の主のカスミさん、このピアノに怯えちゃってね。それで、いまは保健室に行っちゃっているよ」
 どうでも好いことのように、真雄が肩を竦める。
「……大変、ですね……」
 灯火はそっと、黒光りするピアノに手を伸ばした。
 真雄のように、屋根板に触れることは背が足りずにできない。それでも優美なカーブを描く即板に触れ、囁きを紡ぐ。
「このままですと、カスミ様が、ピアノを弾くことができないのです……。どうして、このようなことを為さるのでしょうか……」
 じっと、ピアノを見詰める。
 すると、今度はノックがまた、響き出した。
 何度も何度も。幾度も幾度も。ピアノの内側で誰かが暴れているように、ハンマーにぶつかる音。弦が撓む音までも混じり出す。
「うっわ、何事だろうね」
 愉しそうに真雄が云う。
「……わたくしの……所為でしょうか……困りました……」
 灯火は、面白がることもできずに途方に暮れた。


 一方、その頃。
 保健室では、ベッドに横たわりやっと落ち着いたカスミと日和の姿があった。
 薄いカーテンを透かして、校庭の運動部の掛け声や、廊下を渡る女生徒のお喋りが聴こえる。極々普通の、放課後の情景だった。
 傍らのパイプ椅子を引き寄せて、日和はカスミにスポーツドリンクの缶を差し出す。
「落ち着きました? カスミ先生」
「ええ。……ごめんなさい、初瀬さん。面倒を掛けちゃったわね」
 音楽室から離れたせいか、いつもの調子を取り戻してカスミが苦笑いを浮かべる。
「今日は、同窓会があるって云うのに……困っちゃったわ」
「同窓会、ですか? 愉しそう」
 日和もまた、にっこりと微笑む。高校生の日和はまだ、そういった催しに縁はない。だからこそ、その単語の響きに憧れめいたものを感じた。
「そう、高校のね。まだ、私がピアノに打ち込んだりしていた頃。はがきを見ていたら、あの頃、うまくピアノを弾けなくて落ち込んだり、喚いたりしていたのを思い出して、懐かしかったわ……」
 どこか遠くを眺めるようにして、カスミが呟く。
 そうしてふと、気付いたようにスーツのポケットに手を入れた。
「やだ。私あのハガキ、どこへ仕舞ったのかしら? もしかして……」
 さあっとまた、カスミの顔から血の気が引く。
「あの、先生!」
 慌てて、日和は立ち上がった。
「私が、取って来ます。もしかしたら、音楽室かも知れないんですよね?」
「頼むわ! 本当に、助かるわ! お願い!」
 拝み倒されて、苦笑する。どうやら、音楽室から――あのピアノから離れている限り、カスミの体調は万全の模様。
「すぐに、戻りますから」
 軽くスカートの裾を翻して、日和は立ち上がった。


 音楽室に戻った日和を迎えたのは、内側から暴れるグランドピアノとそれを面白がる真雄、それに無表情ながら困ったような顔をした灯火の三者(?)だった。
「どうしたんですか? これ……」
 取り敢えず、日和は真雄に声を掛ける。
 真雄は肩を竦めるだけ。灯火も、俯いてしまう。
「大丈夫だから……そんなに暴れないで」
 日和はピアノに近付いて、そっと屋根板を撫でた。家のバドがちっちゃな仔犬だった頃を、思い出す。
 灯火が、同じように手を伸ばして不器用にピアノを撫でる。
「これは、お仕置きかな?」
 どこからかメスを取り出した真雄が、そう嘯く。
「待ってください」
 かたん、とピアノの鍵盤の蓋を持ち上げながら、日和がそれをとどめた。
 ついで灯火が、そっと真雄の服の裾を引っ張る。一度、ゆるりと首を振る。
「……このなかの方を……苛めないで下さいまし……」
 灯火の言葉に、真雄は盛大に顔を顰めた。
「ボクだって、荒事は好みじゃないんだけどなあ」
 唇を尖らせながらも、メスを仕舞う。灯火の指先が、するりと真雄の服から離れた。
 まだ、ピアノの内側のなにかは、もがき続けている。こんな状態のピアノなんて、日和は弾いたことがない。きっと、音も狂い掛けている。
 それでも、ピアノの内側の誰かは、苦しそう。
 こんな扱いをされているピアノもまた、可哀想。
 ふたつを宥めるために、ピアノを弾こうと思った。
 余り激しいものは、駄目。綺麗で、清んでいて、でも、苦しそうな誰かにこころに近いもの。
 日和は柔らかく、鍵盤に指を置いた。
 ころころと、ひかりが転がるような曲。そのひかりの色は、真昼の黄色ではない。月のひかり、青みを帯びたともしび。
 この曲を弾くとき、重なっていくひかりを日和はイメージする。ひかりなのに、切ない。明るさが、逆に切なさを浮き彫りにする。
 ――ショパンの、ノクターン第20番。


「結局、なんだったんだろうねえ」
 静まったピアノの屋根板に手を掛けながら、真雄が呟く。
「なんだったのでしょうか」
 屋根板は容易く持ち上がり、内側の骨組みを見せ付ける。覗き上がろうとする灯火を抱き上げながら、日和は首を傾げた。
 たったの、一曲。
 日和が奏でた夜想曲が深まるにつれ、ピアノは大人しくなり、指を上げたときにはすでに、ぴたりと物音を発しなくなっていた。
 そうして、屋根板を持ち上げて見ても、予想通りではあるもの、誰も、いない。
「……消えて、しまったのでしょうか……どうして?」
 灯火の呟きは、三人の気持ちを代弁したものだった。
「ちょっと待って」
 熱心にピアノを覗き込んでいた真雄はふと、弦の狭間に指を伸ばす。
 少しばかり苦労をして底を探ってから、持ち上げた指に挟まっていたのは、一枚の紙切れ。
「ハガキ? ……『同窓会のお知らせ』? カスミさんのか」
 つまらなそうな声を上げて放り出された白い紙を、灯火を慌てて床に下ろしてから日和は拾い上げた。
 ――あの頃、うまくピアノを弾けなくて落ち込んだり、喚いたりしていたのを思い出して、懐かしかったわ……。
 保健室で聞いた、言葉。
 日和のなかで、繋がっていく。
「きっと、思い出しちゃったから、なんですね……」
「なにが?」
 真雄がすかさず訊ねてくる。
 日和は説明しようと言葉を捜す。うまく云えるかどうか、自信がなかった。
「昔の、苦しい気持ち。ピアノがうまく弾けないってもどかしさ。そういうのが、このハガキに詰っていたんだと思います」
「で、ピアノの内側に落ちちゃって、暴れていたってわけ? ……要は、カスミさんの自家栽培だったのかな?」
 呆れたように、真雄は云う。
「……もう、苦しくはないのでしょうか……」
 灯火の問いに、日和は答えを持たない。
「いまのカスミさん、普通に愉しそうだからまあ、好いんじゃないか」
 すかさず、真雄がウィンクする。無邪気な明るさが、ひどく心地好かった。
「そうですね」
 そっと、指先でハガキの感触を確かめる。
 そこには多分もう、苦しいものはなにも、いない。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【 3041 / 四宮・灯火 / 女性 / 1歳 / 人形 】

【 3524 / 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生 】

【 3628 / 十里楠・真雄 / 男性 / 17歳 / 闇医者(表では姉の庇護の元プータロー) 】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 こんにちは。不束ライターのカツラギカヤです。この度はご発注、ありがとうございました。

◎ 四宮・灯火さま … 再度のご発注、ありがとうございました。今回は少しばかり地味な活躍となってしまいましたが……普通に会話をしたり、動いたり、の四宮さまの色を出せるよう、描かせて頂きました。


◎ 初瀬・日和さま … いつもありがとうございます。ノクターン、私自身は映画音楽としてしか耳にしたことがないのですが……日和さま的イメージと、合っていますか? それが凄く心配です。

◎ 十里楠・真雄さま … 再度のご発注、ありがとうございました。十里楠さまは前回も今回も、大変愉しく描かせて頂きました。(ちょっと、今回は貧乏籤かも知れませんが……すみません)PLさまのイメージから外れていなければ好いのですが……。

繰り返しになりますが、今回はご発注、本当にありがとうございました。少しでも、お話を愉しんで頂ければ幸いです。次の機会にもまた、宜しくお願いします。