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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


 ◆◇ 黒符玄靄 ◇◆


 ぱたぱたと、猫脚の卓子に並べられたのは黒い札。裏表真っ黒な堅い和紙に白抜きで数字だけが刻まれた、奇妙なトランプだった。
 ハート・クラブ・スペード・ダイヤ。四つのマークを、1から順に整列させた蓮は、仕入れたばかりの商品の欠損に気付き、顔を歪ませる。
「スペードのエースだけが、ない」
 買取の際に調べなかったのは、このカードが婆抜きや七並べで遊ぶような単純な玩具ではないと感じたからだ。呪物的な匂いのする、珍しい札。下手に探って品物を引っ込ませるのは得策ではないと考えた。
 そうして客が消えたあとで、いそいそと調べ出したらこの始末だ。もともと欠けていたものか、それとも別の理由か。別にないならないで構わないが、なんとなく不愉快な気もする。ついでに、不吉な予感も。
「スペードのマークの意味は、『剣』か……何か起きる前に、代替が必要かね」
 ぶつぶつと呟きながら、苛立ち紛れに煙管に手を伸ばす。深く吸い込み、吐き出したところで、蓮は異変に気付いた。
「……遅かったようだね」
 じわじわと、漆黒のカードから黒い靄が染み出している。一瞬目を離した隙に、卓子の上は黒々した靄に包まれて、カードのかたちを探ることさえ難しい。それで終われば好いものを、靄はそこから店の四方へと手を伸ばそうとしていた。
 とっさに、蓮は卓子を中心に簡易結界を張る。ちょっとした加減ですぐに破れてしまいそうな、実にちゃちなもの。長持ちさせる気はなかった。
「取り敢えず、誰を呼ぶべきかな?」
 剣のマークの切り札を失った、哀れな漆黒のカードの慟哭が、この暗い暗い靄の正体か。
 蓮は眸を閉じ、それを鎮めるに相応しい人間を、頭のなかのリストから捜し始めた。

        ◆◇ ◆◇◆ ◇◆

 こんなときばかり、携帯の繋がりは良好。
 ――蓮さん、こういう面倒なもののときに限ってすかさず呼び出しがかかるってどうなんだろ?
 溜め息混じりに、羽角悠宇はいつの間にか通い慣れてしまった道を歩く。
 こつん、と爪先に当たった石が、思い掛けずころころ遠くまで転がっていく。知らず、悠宇はそれを目で追ってしまう。ころころ、アスファルトの上を止まりそうになりながら転がった先には、悠宇と同じく制服に包まれた脚。学生らしいシンプルな革靴から視線を持ち上げていくと、生真面目そうな褐色の双眸に突き当たった。
 彼がいままさに触れようとしているのは、アンティークショップ・レンの扉。
 レンの店の客としては、悠宇と同じ年頃の彼は若すぎる。
 どうやら同じ用件らしい、と当たりを付けた悠宇に、彼――櫻紫桜はすっと伸びた背筋のまま、微かな会釈を返した。


「なにがあったの、蓮……」
 薄い靄に手を翳しながら、黎真璃胤は密やかな声で訊ねる。
「訊かれて応えられるなら呼ばないよ、真璃胤」
 アンティークの家具に背を預け、煙管を片手に蓮は嘯く。言葉とは裏腹に、現状を愉しんでいるのがありありの含み笑い。自ら希んでどっぷりと闇と呪術に漬かり切る蓮は、真璃胤には決して図り切れない女性だった。
 部屋の中央には、占い師の水晶が乗っていてもはまりそうな華奢な卓子。真璃胤がそんな連想をしたのは、きちんとその上に並べられたカードのせいかも知れなかった。まるで、占いの手始めのようだと、感じたから。
 そして、その様子全てを見て取るのすら難しいほどの、濃い闇がカードを中心に滲み出している。急場しのぎに張ったと云う結界はすでに崩壊し始め、真璃胤の淡い色の着物の袖に、裾に、薄い闇が絡まり始めていた。
「この状態、なかなか不気味だろう? あたしを助けてくれないかい? 真璃胤?」
 助力を期待する響きはなく、ただ、揶揄うような口調で蓮は云う。
 それを突っぱねることを、真璃胤は決してするまい、と読まれている。そんな彼女の振る舞いが正直、真璃胤は苦手だった。
 だが、同時に、その不思議に対する純粋な好奇心と選び取る意思に、憧れもあった。
 全てに対して、真璃胤は揺らぐ気持ちを持っている。家業に対して、己に対して、他者に対して。
 だから、闇に沈む生き方を選びたいとは考えずとも、全てを切り捨てて省みない潔い蓮は、真璃胤にとってダークスターめいた存在だった。
「わたしなんかで役に立てれば、他ならぬ蓮が困っているのだし、手伝うわ……」
 零れたのは真璃胤の唇には馴染みの、少し卑屈な言葉。蓮の片眉がぴくりと動く。
「あんた『なんか』で役に立つから、せいぜい頑張って欲しいね」
 唇を歪めた蓮の台詞に、ドアベルの音が重なった。


 ――面白い掘り出し物が見付かった。
 そんな情報を齎したのは、セレスティ・カーニンガムの部下のひとりだった。
 とある屋敷の翁が亡くなった訃報と共に伝えられた報せ。かの翁はたちの悪い呪物に目がなく、骨董にも執着していたらしい。その遺産は、良品粗悪品図り切れないものの、量だけは大層なもの。相続人は年老いた妻ひとりきりだと云う。
 心地好い椅子に体重を預けて、セレスティは窓の外に視線を彷徨わせる。
 翁とは、幾度かオークションで顔を合わせたことがある。正直、特別な好意を感じたことはなかったが、誰かの死は、その死を悼む気持ちとは別にセレスティを憂鬱にさせる。
 自分の生の長さを、ちくりとした痛みに思い知らされるのだ。いまの自分にささやかな充足を憶えていてはいても。
「どちらにしても、翁は亡くなったのでしたら弔事の手配を……」
 どの秘書に云いつけるべきか、と考えてから、思い直しセレスティは椅子から立ち上がった。
 上品なアンティークで満たされた部屋に不似合いな電話に手を伸ばし、ボタンを押す。
「ああ、私です。先ほどの……音羽の翁の屋敷に向かうので、車を回してくれないか」


 アンティークショップ・レンの靄は徐々に徐々に店の四隅にまで侵食し始めていた。そのため、昼日中にもかかわらず僅かなひかりすら翳り、店のなかはいつも以上に薄暗い。
 否――いつもの暗さを影と称するのならば、いまの暗さは闇。ひかりを透かさずに少しずつ、足許から淀んでいく。
「蓮さん、この靄、害ってあるのかな」
 指先に翳る靄を掬いながら、こともなげに悠宇が訊ねる。
「さあねえ。まあ、あんたたちなら怖いだの泣かないだろうと思って、召集を掛けさせて貰ったよ」
「どういうことでしょうか」
 かっちりとした口調で、紫桜が云う。
 ふわふわと漂う靄も、清廉とした彼に怯えるよう。確実に、纏わりつく濃さが違う気がした。
「あんたは、闇を怖がらない。闇なんて払拭できる鋭い刃を持っているからね。真璃胤は、闇に近しい住人だ。本人の希みはとにかくとして」
 そう云ってちらりと、蓮は真璃胤に視線を投げる。真璃胤は、萎れた花のようにそっと俯いた。
「で、悠宇。あんたは、闇を内側に抱え込んでいる。だから、怯えはしないだろう? それを好むか好まざるかは、知らないけどね」
「別に、そんなことはどうでも好いんじゃないか? だって、ここにあるものを否定したって、消えたりはしないだろ」
 あっさりと、悠宇は肩を竦める。
 こう云い切れるまでに、それなりに時間も掛かった。悠宇の一六年の人生が、暗かったとは思わない。だが、いつも葛藤がどこかに付き纏っていたようにも、思える。
 でも、いまは最高のお守りを手に入れた。
 だから、いくらでも声を張り上げられる。
「ふん」
 面白くなさそうに、蓮が鼻を鳴らして、手にした煙管を今度は紫桜を突き付ける。
「スペードのエースは、剣の札。剣が一本、消え失せて泣く札。あんたなら、どうやって鎮めてくれる?」
「俺の刀で、剣の代わりをする、と」
「そう」
「でも、俺が刀を放したら途端に、そこら中のものを斬りかねませんよ。それに、この邪気です」
「たっぷり吸い込めば、あんたの刀自体がひとを操りかねない、と云うわけかい」
「ええ」
 左の手のひらに右手の指で触れながら、紫桜が頷く。
 紫桜を鞘とする呪物は、紫桜の手を離れれば凶暴な代物だった。その凶暴さを封じ込めるだけの力を、紫桜は自らに課していた。外側に纏わる力ではなく――気持ちの、力を。
 自らを、律し続ける。強く、高く。
 それが、鞘としての責任だとも思っていた。
「でも、取り合えずこのまま放っておくわけにはいかないだろう? このままじゃ、靄で店が破裂するかもねえ。それも、面白いが」
「面白くありません」
 蓮の軽口に顔を顰めて、紫桜が右手を、左手で包み込む。
 そのまますっと――まるで骨を引き出すように、握り込んだ左手を横に滑らせた。
「あ……」
 真璃胤が、微かな声を上げる。
 紫桜の手には、見事な日本刀。ゆるゆると波紋を描く刃は、ひどく鋭く、冷えたひかりを放っていた。
 鋭い息が、紫桜の口から吐き出される。
 裂帛の気合と共に、卓子の前の床にその刃は突き立てられた。
 途端、食い荒らされるように靄の勢いが止まる。
 剣の欠けた呪物に、刀。それが、カードに仮初の充足を齎したよう。
「――これは対症療法だから、その間にスペードのエースを探した方が好いです」
 柄から手を放して、紫桜が蓮に向き直る。
 する、と着物の裾を揺らし、真璃胤が進んでくる。
「それは、私がするわ……」
 まるで風に薄布がはためくような、温度のない動きで真璃胤が靄に手を差し伸べる。指先から、ふわりと解き放たれたのは、藍色の軌跡。目を凝らさなければ見えない糸。
 『禽貢』、と呼ばれる能力。糸と人形で繋がる力。
 透ける糸の儚さが、真璃胤自身と好く似ていた。
「カードと対話するわ……。どうして、こんな靄が生まれてしまったのか……」
 緩く、形が作られていく。真璃胤の眸が、ゆうらりと閉ざされた。


 屋敷を見た瞬間、セレスティはその異変に気付いた。
 ふわりと、仄暗い靄が、屋敷の窓や扉の隙間から零れ始めている。
「まずいですね……」
 呟いて、セレスティは車から下り立った。ゆっくりと杖を使って歩く一歩ごとに、不吉な予感が高まっていく。
「呪物を集めた翁。それを管理しているのは妻」
 呪物を知らない妻の身に、なにか起こっても不思議はない。ちらりと、セレスティは以前見た夫人の姿を思い出す。どこかあどけなさが残る、世間知らずなお嬢様がそのまま歳を重ねたような女性だった。
 彼女は、この靄に包まれた屋敷のなかにまだ、いるのだろうか。
 玄関扉は、無用心なことに鍵が掛かっていなかった。それを幸いに引き開けた瞬間に、息が詰まりそうなほどの靄が押し出されてくる。
「う……ッ」
 思わず、セレスティは顔を背けた。
「荒事は、苦手なのですが……」
 ここを突破しなければ、なかに入れない。
 苦笑したその瞬間、背後から駆けて来る複数の足音に気付いた。
「セレスティさん!?」
 元気な声が、耳に届く。
 振り返れば、羽角悠宇が勢い好く走ってくるところだった。
「うっわ、こっちも凄いことになっていますね」
 そう呟きながら、どんどんセレスティの先達をしていく。より、濃い闇へと。
「どうしたんだい? キミは」
「俺は、蓮さんのお使いです。こちらのご主人から一枚歯抜けのカードを蓮さんが買ったんです。で、そっちもこんな状態になってて」
「靄が?」
「ええ、それで」
 ――スペードのエースは、売り手の元にあるわ……。そして、いま、その売り手になにかが起こっているの……。どこかで、エースが騒いでいる。それが、こちらにも繋がってしまっているのよ……。
 真璃胤が糸で読み取ったのは、そんな情報。
 だから刀から離れられない紫桜と荒事にはむかなそうな真璃胤を置いて、悠宇が走ることになったのだ。
「こっちですね」
 悠宇が、寝室のドアを蹴り開ける。
「うわ」
 一際濃い靄に満たされた部屋。
 部屋の中心に据えられていたのは、キングサイズのベッド。そしてそれは、血に染まっていた。
「音羽夫人!?」
 寝台のうえに横たわるのは、六〇に手が届くか届かないか、と云う年齢の品の好い老婦人だった。その手首はすっぱりと切り裂かれ、どくどくと血が流れている。
 そして、傍らには血に染まったトランプが一枚。
 ――スペードのエースだった。
 悠宇は慌てて携帯を取り出し、救急車を呼ぶ。セレスティは、老婦人の手首をそっと、両手で包み込んだ。
「大丈夫ですか、そのひと……」
 老婦人の綺麗に化粧の施された顔には、恐らく若い頃は美しかったであろう華やぎが残されている。『自殺』。そんな単語が頭に浮かんだ。
「血を、止めます。水は、私の手足です。だから、止められるでしょうが……」
 ここまで流れた血は、どうしようもない。
 祈るように老婦人に触れるセレスティの横で、悠宇はぎゅっと携帯を握り締める。
 ゆっくりと、周囲を包み込む靄が晴れてくる。靄の残滓を押し遣るように、救急車のサイレンが聞こえてきた。


「それで、そのひとは無事だったのですか?」
 姿勢好く椅子に腰掛けた紫桜が、セレスティに訊ねる。
 場所は、蓮の店。セレスティを加えた一堂の中央には、件のカードが広げられている。
 スペードのエースは、欠けたままだった。
「ええ、一命は取り留めたとのことです。いまなら、ご主人のところに行ける気がしたそうです」
 病室でセレスティが会ったとき、老婦人は微笑んでいた。憑き物が落ちたような明るさに、彼女は屋敷の呪物の闇に惑わされてしまっていたのでは、と思う。
 呪物は、全て蓮が引き受けた。元々裕福な家だ。二束三文で買い叩かれたとしても、音羽夫人は気にしまい。結局、一番得をしたのは蓮だった。
 ただ、呪物に惑わされた彼女を救ったのもまた、ひとつの呪物だった。
「カードは、ご主人との思い出の品だったそうです。気持ちの悪い品だと、ご主人の生前は思っていたのに、いまとなっては見ていると哀しくなってしまって、売ったそうです」
 だが、スペードのエースだけが、なぜか彼女の元に残されていた。
 そうして、蓮たちに夫人の危機を知らせたのだった。
「ご夫人がご無事で、好かったわ……」
 真璃胤が、ほっとしたように両手で胸元を押さえる。悠宇もまた、頷いた。
「でも、このカードはどうしますか?」
 紫桜が件のカードを指差す。紫桜の刀はいまだに、床に突き立てられたまま。カードから放たれる気は、いまだに不安定なままだ。
 元の持ち主に返すのが一番であるはずだが、奇妙な力を持つ呪物を素人に渡すのも躊躇われる。肝心のスペードのエースを戻せば好いと思うものの、血で汚れたカードを混ぜることで、残りのカードにどんな変化が生まれるかわからない。
「代替があると、好いんだけどねえ……」
 呟いた蓮の傍らで、セレスティがなにやらごそごそ捜しものをしている。
「なにやっているんだい?」
「レン、このカードの箱はどこですか?」
「箱?」
「ああ、これですね」
 カード自体と同じ質感の紙箱をセレスティが摘み上げ、なかを覗き込む。
「カードって云うのは、大概ブランクカードがありますね」
 囁きながら閃かせたのは、数字もなにも入っていない、真っ黒なばかりの札一枚。
 卓子のものと、同じタイプのカードだった。
「ブランクカードは、すべてのカードの代替のため。なら、このカードをスペードのエースを描けば好い。欠落は満たされ、カードの揺らぎは消えるのではないでしょうか」
「……面白いね」
 煙管を口に咥え、にやりと蓮が笑う。
「やってごらん。もし、それでいけるのなら」
 蓮の目が、セレスティから逸らされ、真璃胤、紫桜、悠宇、とまるで面子を数えるように動いていく。
 ぷかあ、と煙を吐き出して、蓮はついでに戯言をひとつ、吐き出した。
「皆でババ抜きでも、始めようかね?」
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い 】

【 2007 / 黎・真璃胤 / 女性 / 25歳 / 裏老舗特殊飲食店の若主人 】

【 3525 / 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生 】

【 5453 / 櫻・紫桜 / 男性 / 15歳 / 高校生 】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、不束ライターのカツラギカヤです。この度はご発注、ありがとうございました。
 こんなかたちで仕上げさせて頂きましたが、少しでも満足して頂ければ幸いですし、また、ちょっとでも愉しんで頂ければ本当に冥利に尽きます。
 また次回のご発注も、心よりお待ちしております。繰り返しになりますが、ご発注、ありがとうございました。