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<東京怪談・PCゲームノベル>


Calling 〜暁〜



 橘穂乃香はゆっくりと息を吸い込んだ。
 なにを言えばいいのか、わからない。
 自分よりも他人ばかり気にする遠逆和彦が……自分の命一つで大勢助かるとなれば、止められないのではないだろうか?
「穂乃香は……」
「ん?」
「…………」
 なんだか鼻の奥がつーんとする。目が痛い。
「穂乃香は和彦さんに死んで欲しくないです……」
 自分が泣いていることに穂乃香は驚いた。
 こんなところで子供のようにただ我侭を言って涙を流すなんて。
(みっともないです……)
 ごしごしと手の甲で拭う穂乃香はまっすぐ和彦を見上げた。彼はどこか困ったような表情を浮かべている。
「困らせるつもりは……あり、ません……でも、」
 喉が痛い。泣くという行為はこれほど『痛い』ものだったのだろうか。
「死んで欲しく…………うっ……」
 何度擦っても涙が溢れてしまう。
 なんに対して泣いているのかすら、穂乃香にはわかっていなかった。
 悲しいのはわかっていたし、辛いこともわかっている。それだけではない。
「うぅぅぅっ……」
 うめくような泣き声は必死に我慢した結果だった。
 ぽん、と穂乃香の頭に手が置かれる。涙で顔をぐちゃぐちゃにした穂乃香は疑問符を浮かべて顔をあげた。
「わかったわかった」
「え……?」
 ずずっと鼻をすする。和彦はポケットを探ってハンカチを差し出してきた。
「ほら、使え」
「で、でも」
「ハンカチくらいで遠慮しなくていいから」
 苦笑する和彦はハンカチで穂乃香の顔を拭く。
「す、すみません……」
「……こっちこそ」
 彼の言った意味がわからなくて穂乃香は首を傾げた。
 和彦はにっこり笑う。
「決心がつかなかったんだが…………ありがとう」
「え? え?」
「実家に戻るよ」
「そ、そんな!」
 驚愕する穂乃香の頭を思い切り撫でる。長い髪が乱れた。
「大丈夫。死なないから」
「え……? ほ、ほんとに!?」
「ホント」
 笑顔の彼は頷く。いつもの凛々しい表情に戻ったことに穂乃香は気づいた。
(和彦さん……)
「でも、実家には戻らないと。逃げるんじゃ、意味がないからな」
 決意した彼の声には張りがあり、顔つきも違っている。
 生きることを決心したのだ。きっと。
「あ、あの! じゃあリボンを持っていってください!」
「いや、いい」
「でも……」
「そんな約束なくても……戻ってくるさ」
 穏やかに微笑み、和彦は颯爽と歩き出したのだった…………。



 決めた。もう、決めた。
 後押しをしてくれたあの子のために。
 広い座敷に正座をしている和彦は、瞼を閉じて静かに深呼吸をした。
「なんじゃ」
 遠い上座にいる当主の声に、和彦は瞼をうっすらと開けて、それから畳に両手をついて頭をさげる。
 突然の土下座に当主は怪訝そうにした。
「お願いがあります! この度のこと、どうぞ保留にしていただけないでしょうか!」
「……どういう意味かのう」
「俺は、まだ……やるべきことが残っておりますゆえ……!」
 手が、声が震えた。こんな言葉が当主に通じないのは和彦は百も承知なのだ。
 やるべきことというのは、退魔の仕事しかない。それを与えるのは遠逆の家だ。
「……死にたくないと、申すのか」
 ぎくりと和彦が震えた。じっとりとかいた汗。
 唇を引き締めて、頭をあげた。
「はい」
「一族がおまえのせいで滅んでもか」
「…………」
「一族全てがおまえを呪ってもか」
「……………………それでも、俺は今の状態で死ぬことはできません」
 まっすぐ。姿勢を正して当主を見つめる和彦。
「俺は、確かに東京に行くまでの俺ならば……甘んじてこの命、お受けしました。ですが、それができなくなったのは、俺が変わってしまったからです」
「…………」
「こんな……不安定な状態で贄になどなれば……それこそ、失敗するかもしれません」
 これは賭けだ。
 膝の上の拳を、強く握りしめた。
「……それでも、俺を殺すというのなら…………俺は全力で抵抗します」
「……………………」
 静寂が座敷を支配する。和彦の心臓は激しく鳴り響いていた。
 当主はただじっと、和彦を見据えている。そして口を開いた。
「わかった……では、封じた『逆図』の妖魔全てを相手にするのだな」
 合図だったかのように和彦はすぐさま立ち上がって己の影を手に集めて武器とし、障子を突き破って外に飛び出していった。
 和彦は屋敷の結界の外に出たようだ。物凄い速度で移動しつつ、武器を振るっているのがわかる。
 当主は独白した。
「…………やはりか」
 確信に満ちた声。当主に対し、その背後から囁きがされた。当主は頷く。

 戦って、戦って。
 ただひたすら戦って、武器を振るって、妖魔どもを滅して。
「こ、のぉ!」
 刀を大きく振り、そのまま和彦は足を滑らせて地面に倒れた。
 ――――もう、身体のどこも動かない。
 痛みと痺れと疲労で……もう。
(……目が霞む……)
 ふ、と気づく。
 その視界に、なにか……。
(あ……)
 ゆっくりと空が明るくなってくる。夜明けだ。
 昇ってくる太陽の光を目に映し、和彦は少しだけ頭を動かした。
(……太陽)
 日の出が苦手で。いつも闇ばかりを歩いていて。
 でも。
 微笑んで、目を閉じる。
(そうか……)
 これが、『ゆっくり眠る』というものか…………。
 草木の香り。土の香り。風の香り。
 いつもは夜だけを歩いてきたから、気づかなかった。
 すぅ、と彼は息を吸い込む。
 さわさわと草と、彼の髪が揺れた。――――――――――――――――彼は、動かない。



 屋敷の門の前をウロウロしていた穂乃香に気づいて郵便配達の青年が「お」と呟く。
「お嬢ちゃん、今日もお出迎え?」
 笑顔の青年にこくんと頷く穂乃香。
 青年は今日の郵便物を穂乃香に渡した。
「どう? お目当ての手紙はあった?」
 三通の手紙をみてから穂乃香はしゅんとうな垂れる。その様子に青年は「あちゃー」と呟いた。
「またないの?」
「……はい」
「そっかー。じゃあまた明日ね」
 青年はバイクを発進させる。穂乃香はそれを見送って溜息をついた。
 一ヶ月。和彦が実家に戻ってしまって一ヶ月も経っている。
 連絡もない。もちろん本人は会いに来ない。
 頼みの綱は手紙だった。古風な和彦のことだから、手紙ならと思ったのである。
(安直……でしたか)
 自分がこんなことを始めてもう三週間だ。最初は屋敷の者が総出で止めたが穂乃香は頑としてきかなかった。
 なにもできないのだから、せめてこれくらいはしたい。
「そんなところでなにをやってるんだ?」
 不思議そうに尋ねられて穂乃香は振り向く。そこに和彦が立っていた。
 え?
 と、思考が停止する。
 いや、だって。なんでそんなあっさり出てくる?
「和彦さん、ですか……?」
「? なんだその顔は」
「…………ほんもの……???」
 和彦は目を丸くし、大笑いした。
「本物に決まっているじゃないか!」
「だって……一ヶ月も……」
 目が潤んでしまう穂乃香に気づいて和彦はハッとし、慌てて両手を振る。
「あ、いや、すまない。入院していたんだ」
「え?」
 ニュウイン? 入院というのはアレか?
 青ざめる穂乃香が呟く。
「びょ、病院にいらっしゃったんですか……? もしかして」
「そうだぞ?」
「け、ケガをされたんですかっ!?」
 超人的な回復能力を持つ和彦が入院なんて、どんな大怪我なんだろうか。私服の下は健康そうに見えるが実はまだ……とか。
 今にも泣きそうな穂乃香に彼は困ってしまう。
「まあ、あの超回復能力がほとんどなくなったからな。仕方ない」
「そんな……」
「大丈夫。一ヶ月、ゆっくりと養生して完治させたから」
「う、嘘だったら…………穂乃香、泣いちゃいますよ……」
 すでに泣きそうになっている穂乃香がぐすっと鼻をすする。
「嘘じゃない。呪いが解けたから回復能力がほとんどなくなったんだ」
「呪いが解けたんですか?」
「ああ。あと、まあここにいるからわかってると思うが……もう安心だから」
 穂乃香は瞬きをして首を傾げた。遠まわしな言い方をした和彦は、少し視線をさ迷わせてから苦笑する。
「だから、もう一族に狙われてないんだ。理由はわからないが…………俺のことは諦めたんだろう」
「じゃあ……じゃあもう和彦さんが悩むこともないんですね!?」
 笑顔になった穂乃香の頭を優しく撫でる和彦。それは肯定の意味を含んでいる。
 良かった。本当に良かった……。
「あ、あの……わざわざ来てくださったんですね……?」
 はにかんで言うと彼は微笑み返す。
「そうしないとまた泣くかもしれないと思ったからな」
「和彦さんが心配させるようなことばかりするからですわ」
「そうか?」
「そうですよ。穂乃香はいつもいつも心配してるんです」
 腕組みする少女はなにかに気づいて彼を見つめた。
「この後どこかへ行かれるんですか?」
「ああ。これから仕事なんだ」
 しごと?
 穂乃香は言葉の意味を理解して疑問符を浮かべる。もう一族と関係がないのではないのか?
「どうして……?」
「俺はまだ遠逆の退魔士だから」
「! あんなことがあったのにですか?」
「他にすることが見つからないしな。俺は不器用だから。
 四十四代目は降ろされた感じだがあの家の退魔士であることに変化はない。
 それに、退魔士であることに誇りはあるから」
 笑顔の和彦を見遣り、穂乃香は納得する。
 彼は他人を巻き込まない優しい人だ。だから困っている人を助けるこの仕事は……気に入っているはずだ。
「すぐ行かれるんですか?」
 尋ねると和彦は困ったように頷いた。
 正直、行って欲しくはないが…………。
「頑張ってきてください。穂乃香はいつでもここでお待ちしています」
「ああ。帰ったらまた寄るよ」
「はい!」
 大きく頷く穂乃香の前で、彼は少し黙ってしまった。なにか照れ臭そうにしていたが嘆息してから口を開く。
「死ぬかもしれないと思ったんだ。だけど、あの朝日の中で……聞こえた気がした。穂乃香さんの声が」
「え……」
「そんなに頼りないのかとがっくりしたものだ」
 肩をすくめる彼に、二人は一斉に吹き出す。
「じゃあ行く。またな」
「はい。また」
 彼はきびすを返して歩き出した。しっかりと、歩いていく。
 穂乃香はたまらず大きく手を振った。
「和彦さん、ケガはしないでくださいねーっ!」
 彼は手をひらひらと軽く振ってそのまま行ってしまう。
 果たしてわかっているのかどうなのか。
 穂乃香は小さく微笑んで呟いた。
「どうせ……わかってないんでしょうけど」



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【0405/橘・穂乃香(たちばな・ほのか)/女/10/「常花の館」の主】

NPC
【遠逆・和彦(とおさか・かずひこ)/男/17/高校生+退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 結局最後まで解き明かされない謎も多く、余計に混迷気味になっていますが和彦の物語はここで一旦終わりです。
 最終話までお付き合いくださり、どうもありがとうございました橘様。
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 最後まで書かせていただき、大感謝です。