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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


遡りの月 〜されど惑うは秘めた傷痕〜


 闇を怖れるならば、光の安らぎを知らねばならない。
 闇を安寧の場とするならば、光の畏怖を認めねばならない。
 どちらも知るからこそどちらにも偏れず、今は曖昧な灰色の境界で漂わせているしかないこの魂も、いつか一つの色に染まるのだろうか。

* * *

 不思議な運命に導かれて、などと言うのは少々響きが甘過ぎるかも知れないが、僅かな逢瀬の後に幾百年の歳月が過ぎ、それと知らず出会い、身体から記憶を呼び覚まして今に至るこの状況を言い表すには、それくらい大仰な言葉で丁度いいのかもしれない。
 時を忘れた廃教会には似合わない高級車のエンジン音に、アドニス・キャロルは自室から外を見下ろした。既に幾度か見覚えのある流線型のフォルムが月光を照り返して敷地のすぐ外に停まり、中から美貌の来客が姿を現した。きっと、上から見られている事など承知しているのだろうが、こちらには視線を向けず、真っ直ぐに入り口を通りやがて二階の扉を静かに叩くだろう彼の気配を、アドニスは薄暗がりの中でただ待っていた。
「今夜は綺麗な満月ですよ、アドニス」
「ああ、そのようだな。俺は生憎と満月を喜ぶ種族ではないがな」
 開かれた扉の向こうから、穏やかな笑みと共に歩み寄る青年――モーリス・ラジアルに、アドニスはおどけるような仕草で軽く肩を竦め、僅かに笑いを含んだ言葉を返した。
「だからと言って閉じこもるのには勿体無い夜だと思いますけど」
 ベッドから身体を起こすアドニスに、モーリスは微笑み返しながら外を指し示す。
「今からドライブに行きませんか? たまには、外をよく見てみるのも楽しいですよ」
「外、か……」
 モーリスに釣られてアドニスも首を巡らす。この身を人外に堕としてから、外の様子をゆっくり眺めた事などなかったと、記憶の底で思う。目には写す、けれどそれ以上何を思うでもなく景色をただ『見ている』だけだったのは、そこに感情を乗せると身体に刻まれた過去の傷が開いて、見えない血を吐き出すような気がするからだ。
 それなのに今、目の前の彼の言葉に外界への憧憬を呼び起こされてしまうのは、自分の中の何かがゆっくりと変わってきている証なのだろうか。
 モーリスに手を取られ立ち上がったアドニスは、もう一度窓を振り仰いだ。確かに綺麗な満月だと、と口の中で呟いて、視界の先で揺れる月と同じ金色の髪を追った。

* * *

「これは……?」
「ご覧の通り、携帯電話ですよ」
「いや、それは見れば分かるが……」
 アドニスは、車に乗り込んですぐに手の平に握らされた銀色の携帯電話と相手の顔を交互に見て、数度瞬きを繰り返した。何故唐突にこんなものを渡すのかと、僅かに困惑した表情がアドニスの端正な顔立ちを少しばかり幼く見せる。その様子にモーリスが楽しそうに瞳を細めながら言葉を継いだ。
「貴方を誘いたくても連絡手段がなくて困っていたのでね。今後はそれで連絡を取り合いましょう」
「いいのか、貰ってしまって」
「どうぞ」
「そうか、じゃあ遠慮なく使わせて貰う」
 アドニスが自分のプレゼントを拒まずに素直にスーツのポケットに仕舞うのを確認すると、モーリスはキーを回して愛車にエンジンをかけた。アイドリングの重低音が夜の静寂を震わせる。
「ところで、どこへ行くんだ?」
「とりあえず街まで出ます。その後は気になる方へ走らせましょう」
「意外と適当なんだな……まあ、任せる」
 アドニスがシートに深く沈みこみそう言うと、車は廃教会を背に走り出した。

* * *

 廃教会の周辺を抜けると、急に道が開けた。長い年月人の手が入っていない教会の敷地内とは違う綺麗に舗装された道路が続き、街へ近づくに連れて増える店の灯りや街灯に、か弱い月の光はかき消されてしまう。
「……随分と明るい夜だ……」
 アドニスは視界の隅を流れていく人工的な明るさに目を眇めた。こんなにも夜に闇が感じられない事に少しばかり驚く。自分には当たり前の景色を珍しそうに見るアドニスに、モーリスはくすりと小さく笑った。
「都会の夜はこんなもんですよ。早く慣れてください。連れ出すたびに驚かれるのも楽しいですけどね」
 モーリスの言葉に苦笑で答えると、アドニスは再び光の渦に視線を向ける。目に痛いほどに発光する原色のネオンと、その下で動く人々の姿は、暗がりの中に身を潜め続けた自分にはとても眩しく感じる。純粋な温かさを感じない人口の光は、けれど闇より安心出来るのかもしれないとも思う。
「あの頃もこれくらい光が溢れていれば……守れていたのかもしれないな」
「――――」
 遠くへ語りかけるような呟きにモーリスが横目でちらりとアドニスの方を見た。それに気付いているのかいないのか、視線を流れ行く景色の方へ向けたままアドニスはぽつりぽつりと言葉を落とし始めた。
 自分が本来の自分であったあの頃――モーリスと出会った時に既に自分が自分であったのかはもう覚えてはいないが――夜と言えば漆黒の闇に支配され、人はその暗さの合間から流れ出る魔の気配に怯えていたものだ。自分もまた怯える側の人間だったが、いつしか闘う事を覚え、守る事に命を懸けていた。
「腕は立つ方だったんだけどね……上手く行かないもんだ」
 そう言ってうっすらと笑みを浮かべると、アドニスは瞳を閉じた。瞼の裏で明滅する光の余韻が呼び水となったのか、過去の記憶が次々と浮かび上がり、アドニスは衝動に逆らえぬまま思い出とは言えない暗い事実を吐き出してゆく。
 あの時、不覚を取ったとは今でも思わない。単純に相手が大き過ぎただけだ。それを見切れなかったのが罪だというのなら、同族に堕とされたこの身そのものが罰なのだろうと思う。
 人としての理性を残したまま、守ってきたはずの者達から追われる恐怖と。
 何よりも大切だった人の命を自らの手で壊してしまった狂気と。
 理解者である恩人の身体を奪う事でしか生きていられない苦悩と。
 せめて意思を受け継いで返そうとした恩が、憧れていた大事な人を失う事に繋がってしまった絶望と。
「いつから、歯車が狂い始めたんだろうな……どうして、こんなにも……っ」
「アドニス」
 前を向いたまま、運転席からモーリスが手を伸ばし、アドニスの膝の上で震える彼の拳をそっと上から撫でた。その仕草で、抑えていた筈の声が大きくなっていた事に気付き、アドニスは口を噤むと自身を落ち着かせるように一つ大きく息を吐いた。
「夢でも見てるんじゃないかと思う時があるんだ。生きる筈の人が消えていって、今はキミが居る。だから今度はキミまで居なくなるのかな? ……ってね」
 普段の、影を帯びた柔らかい表情の下で呟くアドニスの言葉に、モーリスの添えられた手に少し力が入る。その指先から伝わるモーリスの体温に、アドニスは静かに鼓動が高くなってゆくのを感じた。身体を重ねている時の燃えて蕩けるような熱さではなく、じんわりと心を溶かす温かさだ。けれどそれはまだ許されぬ事のような気がして、アドニスは動揺を悟られぬようやんわりとモーリスの手を外すと、夜気で冷えた銀の感触が胸の内に灯った火を静めてくれる事を願いながら胸元のロザリオに触れた。

* * *

 暫く無言のまま夜の街を走り抜け、廃教会へ戻る頃には月はすっかり中空を越えてしまっていた。もう後何時間かすれば東の空が白み始める時間だろう。
「今夜はすまなかったな。気の効いた会話の一つも出来なくて……」
 車を降りながら言うアドニスの声は少しおどけているように聞こえるが、その奥に潜ませた憂いに気付かないわけはなく、モーリスはそのまま立ち去ろうとするアドニスの腕を取り、引き止めた。
「先程の答えを聞かずに帰るんですか?」
「答え……?」
「聞いたでしょう、私に。『キミまで居なくなるのかな?』って」
「あ、いや、聞いたわけではないんだが……」
 思わず口走ってしまった自分の言葉を思い出し、アドニスはばつが悪いといったように視線を外そうとしたが、それは叶わず、伸びてきたモーリスの手に囚われ顔を向けさせられた。
「不安なら、私からずっと瞳を離さないで下さい。一緒に時を過ごす中で壊れそうになったら、貴方が引き留めて下さい。これが私の答えです。……我が儘ですか?」
 決して強い言葉ではなかった。けれど、車の中で感じた指先の温もりと同じように、自分の中の拭えない罪と罰を許されるような、そんな感触に思わず胸が詰まる。
 それでもまだ素直になる事をどこか躊躇するのは、許されずに過ごした時が長いせいなのだろうか。
「……もう少し、時間をくれないか?」
「貴方の気が済むまで、いくらでも」
「ありがとう」
 そう呟くと、アドニスは触れるだけの軽い口付けをモーリスの唇に落とした。
「今夜の事は月と俺達だけの秘密にしておいてくれ」
「この程度の口封じじゃ、すぐに喋ってしまいますよ?」
 自分の唇に触れながらくすりと笑うモーリスに、やっとアドニスの顔から緊張が解ける。
「それなら、もう少し固く口止めするとしようか」
 そう言って笑うと、アドニスはモーリスを抱き寄せた。
 いつか、もっと、全てを委ねてしまえる日が来るのだろうかと、照らす月への問いは、再び重ねた深い口付けの中に落ちていくばかりだった。
 
 
[ 遡りの月 〜されど惑うは秘めた傷痕〜/終 ]