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<東京怪談ノベル(シングル)>


誰そ彼 


 黄昏は誰そ彼とも書くのだと聞いたのは、あれはいつの事だっただろうか。
 あぁ、なるほどと。うまい事いうものだと、その時はただ、流し聞いていただけだったような覚えもある。
 
 天にあった太陽は、来る夜の暗闇によってその姿を地平の彼方へと追い遣られるその時に、精一杯の声をあげるのだ。その声は決して音を成す事はないのだけれど、その代わり、燃え盛る焔のごとく鮮やかな朱で、空を、世界を埋め尽すのだ。
「――――なぁんてな」
 一人ごちて小さく笑い、和馬は飲みかけていた缶コーヒーを一息にあおった。
 
 昼を過ぎ夕方ともなれば、幾らかは暑さもやわらぐだろうか。そんな淡い期待はひどくあっさりと打ち砕かれた。
 浅草の熱気は、沈みいく西日ほどに熱い。
 七月ともなれば、あちらこちらで目に止まるようになる、朱の実。和馬は今、浅草の寺で鬼灯の鉢植えを買い求め、ようやくその喧騒から抜け出してきたばかりなのだ。
 ――昔はねぇ、鬼灯って一口に言っても、ふたぁつ種類があったもんなのさ。
 色艶も大きさも文句のない、それは見事な鉢を売っていた初老の男が、短くなった煙草を吹かしながら和馬に告げた。
 小さな緑色の実をつける千成ほおずきと、赤くて大きな実をつける丹波ほおずきと。
 煙を吐き出しながらそう笑ったその男の鉢を、和馬は一つ買い求めてきた。

 鬼灯は彼岸から此岸へと戻りくる霊魂達を迎え、そして送るための灯火だ。
 盆の入り、その小さな灯火は大きな実の姿を借りて、そこかしこで目にするようになる。
 和馬が座っているベンチの上には、浅草の市で買った鬼灯が西日を浴びて揺れている。
 和馬はその実の一つを摘みとると、その中の実を手に取り、それを破かないようにと気遣いながら優しく揉むように弄り始めた。
 鬼灯は、頬突き。外皮を破かないように中の種だけを取り出して、それを口に含んでキュキュと鳴らせば、昔ながらの懐かしい遊び道具へと変わるのだ。
 ――――変わる、はずなのだが。
「……っくそッ」
 あえなく破いてしまった鬼灯を見遣り、和馬は眉間にしわを寄せた。
「あー、あー。こんなちまちました遊び、俺には向かねぇっつうの」
 破けてしまったそれを放り投げ、心底つまらないといったような表情で首を鳴らす。
 見上げる空は、いよいよその紅色を色濃いものへと染めていく、朱。
 しばし、朱色の空を眺め遣った後、和馬はのろのろと腰を持ち上げた。
 ――――ひとまず、これを置きに帰って……そうだな、久々に遊びにでも行くか。
 息を一つ吐いてから、和馬は、ふと視線を横にずらした。
 今いるこの場所は、浅草を少し離れた川沿い近くの公園だ。耳を澄ませば水音も聞こえてくるし、川上を船が滑っていく音も聞える。
 規模としては決して大きな公園とは云えない。こじんまりとした遊具と、小さな砂場らしきものがあるだけなのだ。
 まだそれほど遅い時間帯というわけでもないはずなのだが、遊ぶ子供の影一つ見当たらないのは。それはおそらく、鬱蒼と生い茂ったこの生垣の所為だろうかと、ふと思う。
 例えば仮に変質者のような者が現れたとしても、この生垣が死角を作り出してしまい、その行為を巧く隠してしまいそうな。
 しかし、和馬の目に映りこんだのは、そうした陰鬱な陰ではなく、静かに飾られて揺れる切花の色だった。
 添えられているのは、リンゴジュースとスナック菓子の袋。
 和馬は、ふと眉根を寄せて頭を掻いた。
 なるほど、確かに。どうやらこの陰鬱な生垣は、かつて実際にそういった悲劇を生み出していたらしい。
 
 ベンチに置いていた鉢植えを抱え持ち、この場を後にしようと足を踏み出した、その時。和馬は、そこに立っていた二人の存在に気がついた。
 幾分か白髪の交じった頭髪の壮年の男と、それに手を引かれた少女。父子だろうかと見うけられるその二人連れは、何をするでもなしにただぼんやりとそこに立っている。
「――――浅草の帰りですか」
 歩き出そうとした和馬を、男の声が呼び止めた。和馬は肩越しに振り向いてうなずき、抱え持っている鬼灯の鉢を揺らして見せる。
「昨日と今日とだけの市だしな。市のオヤジがまたイイ人だったからな、一つ買っちまったんだ」
 返すと、男はかすかに微笑み、肩を竦めた。
「いや、随分と大きい立派な実をつけた鉢ですね。思わず目を引かれ、来てしまいました」
 男がそう微笑むと、その横に立っている少女が首だけを動かして男の顔を見上げ、うなずいた。
「なるほど。まぁ、これだけ大きけりゃ、提灯にするにはもってこいだろうしな」
 笑いながらそう告げると、男はじわりと和馬の傍に近付いて、片手を持ち上げ両目を細ませた。
「あなたが先ほど試されていた、あれ。わたしも試してよろしいですか」
「――――あぁ、あれか。見られてたのかよ」
 男の申し出に気恥ずかしげな顔を浮かべながらも、和馬は鬼灯を一つ摘み取って、それを男の側へと放り遣る。
 男はしばし少女の手を離し、手馴れた所作で鬼灯を弄ると、それほど時間を要する事もなく、口の中へ持っていった。
 キ、キキュ キュキュ キキュ
 鬼灯の実が、小さな可愛らしい音を奏で始める。
 それまで無表情だった少女の顔が、見る間に笑みで充たされていく。男はそれを嬉しそうに確かめて、再び少女の手を引いた。
「へぇ、器用だね。俺には、どうも巧く出来なくてな。力の案配なんかが違うのかな」
 脇に鉢を抱え持ったまま、和馬は感嘆の意を示してみせた。

 夕暮れを知らせる赤い空は、ますますその色味を濃いものへと変えていく。気がつけば、辺りは一面燃えるような紅で染められていた。
 男はひとしきり鬼灯を鳴らしてみせて、それから再び和馬の顔を眺め、口を開けた。
「頼みにくい事なのですが、その、鬼灯を二つ……いや、一つでいい。分けてはくれませんか」
「ああ、なるほど。今、鬼灯を鳴らしてみせたのは、その礼代わりってところか」
 肩を竦め頬を緩ませる和馬に、少女が満面の笑顔で手を差し伸べた。
 小学校低学年、といった年頃だろうか。まだあどけなさの漂う、可愛らしい顔立ちだ。
 和馬はゆっくりと膝を屈め、少女と目線を重ねた。――――透けるような青白い肌。否、それは文字通り透けているのだ。
 男と少女のこの二人連れは、彼岸からの客なのだ。
「――――ほらよ。大事に持っていきな」
 微笑みながら、鬼灯を二つ少女の手に渡す。少女は花のような笑顔で和馬を見つめ、大きくうなずき、男の顔を見上げ仰いだ。
「ありがとうございます。これで、迷う事なく戻れます」
 男はそう礼を述べながら、何度も深々と頭をさげた。
 和馬は屈めていた膝を伸ばして立ちあがると、片手をひらひらと振った。
「礼なんかいいって。その代わりといっちゃなんだが、一つ訊いてもいいか?」
「ええ、なんでも」
「あんた達、親子か何かか? そこにあるその花と、なんか関係あんのかなと思ってさ」
「――――ああ」
 和馬の問い掛けに、男はやんわりと笑い、かぶりを振った。
「いいえ、親子ではありません。わたしはこの場所で寝起きしていた者ですが、お恥ずかしながら、冬を越せずにこんななっちゃいまして」
「あぁ、なるほど」
「この子は、ここで、その……」
 少女と繋いだ男の手が小さく震える。和馬は小さな息を一つ吐き、「なるほど」とだけ告げた。
「この子は、わたしの子供に似ているんです。だからこうして一緒に」
 云って、男は少女を見つめ、目を細ませた。少女もまた満面の笑みで男を見上げる。
「鬼灯ってんのは、子供用の提灯っていう意味もあるんだってな。市のオヤジが言ってた事の受け売りだけど」
 少女が鬼灯の一つを男に差し伸べ、残る一つを大事そうに抱え持つ様を眺めながら、和馬は軽く頭をかきあげた。
「まぁ、せいぜい迷わずに往けよ。じゃあな」
 ニィと笑ってそう残し、和馬は二人に背を向けた。
 二人がそれぞれに手を振っているのを肩越しに見遣り、夜の帳が降り立とうとしている街の方へと歩みを向ける。

 しばらく歩き、振り向くと、二人の姿は失せていた。
 朱の空が和馬の顔をぼんやりと照らし、水の気配を帯びた風が鉢の中の鬼灯を揺らす。
 和馬は再び鬼灯を一つ摘み取り、今度は先ほどよりももっと柔らかく、それを弄った。
 ――――今度は巧く鳴らせるような気がする。


―― 了 ――