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■弛んだ水音〜糧■
――子を糧に獣へ私は復讐する
誓いの証は此に魂を以て
血が枯れるとも肉が腐るとも骨が朽ちるとも
此に依り
永劫に 子は糧に
絶えぬ獣の血を奪う
** *** *
「……なんですか、それは」
「子供犠牲かよ……うぜぇ」
ほんの数日前の出来事に続く話だと、草間から聞いて櫻紫桜、桐生暁、ともに都合をつけて訪ねて来たマンションで読まれた言葉は嫌悪を催すに充分過ぎた。アルバートから見れば幼い顔立ちが二つとも歪む。
ジェラルドの件といい、優しいのだろう。呆れるだとか、認めずともそういった考え方をする者は確かに存在すると割り切るだとか、そういう形で感情を動かす前に怒りを覚えている。それは延々と槍の文字を読み続けたアルバートにとっては清涼剤のようで。
戻ってからずっと吸い続けている煙草の火をここで初めて揉み消した。
キッチンの換気扇を回す。煙った空気が動くのが見えてどれだけ吸っていたのか、草間と張り合うじゃないかとぼんやり考える。二人はまだ槍を見詰めていた。ついでだからと紅茶をパックだが入れて運ぶ。差し出しながら、改めて話したのは自分の望みだ。
「出来れば、中に誰かが捕まっているなら助けてやりたい」
「捕まっているのは確実ですか?」
初対面の櫻紫桜という少年は礼儀正しい性質らしく言葉を交わすのにも丁寧な言葉遣いだ。
対照的な二人だな、とふと考えながら紫桜の言葉にアルバートは頷く。答えたのはアルバートの傍らから槍を覗き込んでいる妖精だった。
「ぼうや、いるです」
「だってさ」
茶々と紫桜は顔見知りだ。暁とも知り合いで、妖精が見上げる瞳に怯えは無い。
「茶々さん、その子って生きてる?」
暁の問いに茶々はきゅ、と首を傾げた。意味が分からないのでは無いだろう。生死が判断出来ないという事か。
しばらく考える様子を見せて、槍も見詰めていたが申し訳なさそうに肩を落としたのが何よりの答えだった。
とはいえ槍に魂が在る事が確実であるだけでも違う。再び槍へと視線を向けて暁が少し頭を振った。忌々しげな色が紅い瞳に滲んでいる。刻まれた文字が気に入らなくて、収まらない様子だ。それは紫桜にしても同じなのだけれど。
「此に魂を以て、か。アルバートさんヒントは無いの?槍の続きとかさ〜」
「そうですね。何かヒントがあるなら」
なんだってするよ、だとか。
お手伝いしますから、だとか。
ささくれ立ったアルバートの心を宥める言葉に口元も綻んで、しかしすぐにそれは隠された。
「ヒントは、無かったよ。今話した言葉以外は全部出来損ないの呪いみたいなものだった」
「それは参考にはならないんですか」
「獣、銀、血、そんなのばかりだよ。よくドラマでいかれたヤツが壁にあれこれ書くだろう?あれさ」
「あ〜そりゃダメだ。使えないね」
「意味を持っていないわけですか」
そんな風に言い交わす三人を小さな妖精が見上げているのだけれど、口を挟む事もない。
三人があれこれと話すのをただ聞いていた。それが再び言葉を発する事になったのは、暁の落とした一言から。
「子供…子供ってどこら辺までが子供なのかな」
「……暁君?」
「だってさ〜ほら、槍の中に入れたりしたら…なんか情報掴めっかも」
「そうか……そうですね」
「だから子供ってさ、俺でも良かったり?って思って」
紫桜までもが暁の言葉に思案する素振りを見せる。
アルバートはとうの昔に大人になった。二十八にもなって子供である筈も無い。
だが、十七の暁、十五の紫桜であればどうだ?
「いや、だけど入れるか、入れても戻れるか」
「危険は承知してますよん、てかさ」
おどけた調子だ。アルバートの不安を滲ませる声に暁が更におどけた声で返す。
その言葉には紫桜も思わず顔を向け、何事か言おうとして、暁の表情に言葉を見つけ出せなかった。
「出て来れなくなったら心配してくれる?」
「暁君」
諌める言葉。アルバートも気付いている。暁はきっと、相手の反応を確かめたのだ。よからぬ意図からでは無い。ただ本人にもどうしようもない部分なのではないかと、彼の表情からそう思う。
瞳の彩度を落として紫桜とアルバートを見、誤魔化すように暁は笑った。
「あー……ごめん。冗談だって……大丈夫」
踏み込めるものでもないようで、紫桜には何も言えない。
ただ、痛ましい何かを感じた事には触れない方がいいだろう、と己に言い聞かせておく。
その間に暁はひとつ首を振って、殊更明るく声を上げた。
「とりあえずさ!入れるか入れないかが問題だし」
「入れないです」
景気良く言ってみた途端の茶々の言葉に暁からがくりと力が抜けた。
紫桜にしても同じだ。何か一歩踏み出そうとした途端に踵を踏まれた気分。
「紫桜も、暁も、無理です」
勢いを削いだ自覚も無いのか、茶々がはっきりと繰り返す。アルバートも反応に困って苦く笑うばかりだ。
「じゃ、じゃあ槍の中には」
「中は見れるです」
「は?」
「アルは無理です。でも紫桜と暁は見れるです」
「見れる、ってどうやれば」
「……だよね〜」
暁と二人顔を見合わせた。ここはやはり槍に触れるのだろうか。
示し合わせたように同時に槍に手を伸ばす。見る、見る、どうやって。
考える間に自分が不安定になる感覚がして、遠く茶々の「見てくるですか」という声が聞こえた。
** *** *
幽霊の視界というのは、こんな風だろうか。
俯瞰するアングルというのはありきたりだと思っていたが、ありきたりな分だけ使い勝手もいいのかもしれない。
お互いがすぐ隣に居る事に気付いて、二人で周囲を見回してみる。
外国の、どこか鄙びた農村。いやもう少し人は多いだろうか。街の造りを把握しようとしても揺らいでは消えていき、判断を下す前に移ろっていく。変わらないのは二人の真下にあるどこかの家の中だけだ。
『どうして!どうしてこんな!』
男が寝台の上に縋りつき、喚いている。
極端に豪奢でもなく、また粗末でもないその家の中で男は薄汚れた衣服のまま髪を振り乱して叫び、かと思えば泣き伏し、気がつけば歩き回って小物の類を払い落とし。錯乱しているように見えた。
『なぜ!どうしてお前が、――!』
名前を呼んだのだと推測する。
けれどそこだけが聞き取れなかった。
暁と視線を交わし、紫桜もまた眉を潜める。
気になり、少しずつ二人は寝台へと視界を近付けて。
「……予想はしたさ」
「そうですね……」
男には見えていない二人が苦も無く寝台を覗き込み、そこで見た姿はビルで対峙した少年。
子を糧に、だとか。
此に魂を、だとか。
そんな言葉がある以上、予想はしていたのだ。
けれど二人の前で横たわる少年は、あの姿とは違い過ぎた。
「この傷、獣、でしょうか」
「だと思うね。槍の文字からすればそれが一番はまるし」
少年はひゅうひゅうと咽喉を鳴らして必死に空気を求めている。
腕も足も赤く染まった布で包まれており、おそらくは胴体も同じだろう。瞳の焦点は合っておらず男の嘆きも判らぬ風で。無残な姿だった。
『お前がなぜこんな目に合うんだ!あいつらを狩ったのは私達じゃない!』
「この男って、ジェラルドさんの言ってたヤツかな」
「それが一番確率が高いと思います」
「だよね〜……ヤな場面だ」
無意識の内に寝台から距離を取る。
その間に時間が早送りでもされたかのように屋内の男の様子が変わった。
『やつらを、やつらを狩るんだよ、――』
頬がこけて病んだ目付き。手に一振の剣。
見覚えのあるそれはあの時少年が振るったものだ。
けれどこんな色だっただろうか。これは刃物の色だろうか。
「――腕!」
気付いたそれを紫桜は思わず吐き捨てた。
ついで暁も気付く。
『剣が、お前の剣がこれだ。獣を狩る為の銀も用意しよう』
男の言葉にも何も返さず荒い息を繰り返す少年の腕は、減っていた。
「冗談じゃない!反吐が出る……っ」
暁の声を聞きながら、紫桜もまた嘔吐感に似たものに苛まれて視線を逸らす。
けれど逸らした先で次に見たのは、たった今寝台に居た筈の少年。
「桐生さん!あの子!」
「なに?ってどうなってんだ!」
見比べてる間にも屋内では気持ちの悪い展開が続いている。
あの男は少年の父親だろうか。少年を奪われて、その復讐の為にと少年を犠牲にしたのだろうか。その歪みに男は気付かなかったのか。今も気付いていないのか。
『復讐だ!お前を殺したやつら全て狩ってやろう!』
けたたましく笑う男の声が耳に痛い。あの死に瀕していた少年はもう空気を求めていない、きっと。
二人の前でもう一人の少年は、虚ろに、つまらなさそうに、何の感慨も無い様子で屋内を見続けている。
それぞれに呼びかけてみても少年が気付く様子は無い。ただ立ち尽くして屋内を――ああ、男がまた嘆いている。空気を求めて喘ぐ少年に縋って嘆いている。じきにその嘆きは少年の腕を奪うのだ。その様を立ち尽くしてもう一人の少年が見ている。槍の外から見る二人の声も聞こえないまま、ずっと。
「……手遅れ、なんでしょうか」
「どうだろうね……なんか、生きてはいなさそうだけど」
「過去、ですよね……」
苦しい。終わらない瞬間を見続ける少年の姿が苦しい。
二人が強く瞼を閉じて、次に開けばそこはアルバートの部屋だった。
** *** *
アルバートはまた煙草を吸っていた。
苦い顔付きで部屋中に煙を満たしている。その様子で二人の言葉はこちらにも聞こえていたのだと知れた。
紫桜も、暁も、それぞれにアルバートを見て視線を落とす。
「無理なんだね」
「うん」
「そう思います」
そうか、と吐息のような声を洩らしてアルバートは煙草の火を消した。すぐに新しい一本を口に運ぶ。
茶々が隣でそれを見ているが、何も言わないまま槍に視線を戻す。
重苦しい沈黙が満ちて。
そこから顔を出したのは紫桜が最初だった。
「壊しましょう」
暁と、アルバートが紫桜を見る。
「壊しましょう。槍を」
二人を順に見て、もう一度告げた。
返事を待たずに刀を抜く。かた、と鍔鳴りが一瞬。それを携え槍へ向けて構え、そこで止めた。制止がなければ壊すのだと、示して二人を待つ。止めるか、止めないか。
アルバートは一度だけ、静かにかぶりを振って目を閉じた。何も言わない。
紫桜の姿を見た暁は、携帯を取り出して指先で叩いて見せる。
「俺も、知り合いとかで頼れたら頼ろうと思ってたんだけど」
「誰か居ますか」
「居るけど、多分あんたが適任」
「そうですか」
ならば、と小指に力をかける。型に沿って構えた刀を上段に、それから――
(俺は君を救えない。だから終わらせるんだ。壊して)
何も面に浮かべない程に繰り返す最期はどれだけ苦しいものであったのか。
ジェラルドの血に濡れた場所は今も黒く濁っていて、そして脆かった。
刀がその黒い場所に過たず振り下ろされ、亀裂が入り上下に割れる。そこから殻を割るように幾筋もの線が走り一息に銀が散った。差し込む光を反射して、何かの結晶のようなそれ。
向かいから見ていたアルバートが手で覆って顔を伏せる姿。
「人を、子供を犠牲にするんじゃなくて他の方法があったと、思います」
咽喉から絞り出す声が震えていなくて良かった、と。
そう思う紫桜の背を暁が労わるように叩いたのに慰められる。
それから茶々の銀の欠片を見ながらの呟き。
ぼうや。還るの。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【4782/桐生暁/男性/17/高校生アルバイター、トランスのギター担当】
【5453/櫻紫桜/男性/15/高校生】
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■ ライター通信 ■
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・二話相当に参加ありがとうございます。ライター珠洲です。前フリ部分が長くて反省してみてます。
・こちらは槍だけ入手パターンの展開ですが、調子こいてまたそれぞれで違う展開にしました。槍の破壊は共通として、中に入るか入らないかで分けたり。プレイングをそのまま反映というよりは、参考にして滲ませる感じの話になっておりますね。槍壊さないパターンだと話数が多くなりそうだったのは秘密です!という事で次で終わる流れになりました。ありがとうございます。あ、少年が還った先はそれぞれ異なりますので繋がるお話も別で。
・櫻紫桜様
なんとも後味の悪い展開になってしまいました。槍の中を覗いた時には嫌な場面で申し訳ありません。
でも壊す事で少年は終わらせて貰えたわけで、救いだっただろうと思います。ライターはこういう救い方も有り、というかむしろ展開としては好みな救い方なんですが、やっぱりちょっと後ろ向きですね。それでも少年の欠片が何処か生まれた場所に還った事はなによりだと考えております。感謝を。
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