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<東京怪談・PCゲームノベル>


■弛んだ水音〜妖精の瞳■



 エントランスで朱春から剣を受け取る。
 布で包まれたそれを取り戻しに来る気配は無かったという話に頷いた。
 エレナに伴われて向かうのは更に奥。管理人室に一番近い場所が一番妙な事が起こらないからだと、その理由がなんともおかしくはあったが笑う気分にはならない。
 扉を開けて入った部屋はがらんとしており、そこに横たわる少年。運び込まれたのか、備え付けられてあったのか、小さめのベッドで胸の上下も無くただそこに在る。そのすぐ傍の壁にちんまりと蹲る赤毛の妖精がゆるく顔を上げた。
「また来てたのね」
「はい。紫桜、こんにちはです」
「こんにちは、茶々さん」
 暇さえあれば訪れていると、道々エレナに聞いた。ちらちらと少年を見ては目を伏せる。けれど剣を受け取っていたエレナがベッドに寄ると、全身を総毛立たせて逃げ出した。涙が今にも溢れそうに潤む大きな瞳だけが剣と少年を往復するも、茶々自身は寝台とは反対の壁に寄ってしまった。
 窺うようにエレナを見ると、軽く肩を竦めて「こんな感じ」とだけ。
 成る程、と紫桜も少年を見、剣を見た。
 あの時、何かを切断されたのだ。電源を入れるように少年は動かされていたのだと、今も思う。それが他者の手に剣が渡って遮られた。
「……剣は、調べたんですか?その、文字、とか」
「文字?」
「はい。何か彫ったりする事もありますし」
「――ああ、槍の装飾は見たけど剣はまだね」
 ちなみに槍はただの槍だったわよ、と付け加えてエレナが朱春を呼んでいる。顔を出した朱春に何事か言って剣を手渡したところを見ると、確認を頼んだろうけれど。誰が、と思う紫桜に答えるように振り向いたエレナが笑った。
「アルバートっていう翻訳者。そろそろ仕事も終わるでしょ」
「そうですか」
「終わってなくても読ませろってスバルに言ったから大丈夫」
 それは、アルバートとやらが大丈夫じゃないような気もするが、だが紫桜の中でもなんとはなし『剣の文字調査>アルバートとやらの仕事』という印象があったので特に何を言うでも無かった。
 小さな足音に視線を落とすと、剣が遠ざかればすぐに寄って来る妖精の姿。
 紫桜は少年の傍に立つ位置であったので、丁度茶々の登頂を見下ろす形になる。
 剣が戻るまでに、話を聞こうか。
 そう考えるのは自然な流れで、茶々が腕を乗せて少年を覗き込む傍らに膝をついた。
「茶々さん」
 茶々の金の瞳が紫桜を見る。光を映して奇妙にきらきらと煌いている気がして、知らず目を眇めた。
 間近で見れば、確かに人の瞳とは何処か違うと感じるそれをけれど逸らさずに見詰め返す。
「茶々さんは、この子を知ってるんですか?」
 知らないみたいだ、とは聞いている。ただ確認の為だ。
 ふる、と小さく左右に振って茶々はまた紫桜を見る。エレナは戸口近くで振り返って動かない。ただ紫桜が茶々に話しかけるのを観察者のように眺めているだけ。
「俺は手伝いに来たんですけど、茶々さんがこの子に話しかけたって聞きました。知らない子なら、どうしてなのか聞いてもいいですか」
 暫く、茶々の唇は動かなかった。
 頭を上下にも左右にも振らずじぃと紫桜を見詰めていた。
 それを紫桜も見詰め返す。視線を逸らしてはいけないと、そう思った。
「よ、妖精の」
 長くもあり、短くもあった沈黙の後に小さな声が二人の間にぽつりと落ちる。茶々の瞳からも滴が一つだけ。
「妖精の、子供」
 チェンジリング――取り替え子、という言葉が真っ先に浮かんだが、違うと茶々が言う。
「迷子、育てるです。茶々の知らない妖精です。ちょっと妖精に近いです」
 くしゃくしゃと、涙と鼻水に塗れてもおかしくない程に顔を歪ませている茶々は、けれど泣いていない。今にも泣き出しそうではあるけれど、先程の一滴だけがあるいは涙であったのかもしれないと、それだけだ。
 ベッドに乗せられた茶々の小さな手が強くシーツを握り締めているのに気付く。シーツが糊付けされている事にまで至り、それが茶々の手の辺りだけ無数の線を走らせていた。妖精の小さな指先が白くなる程の強さで握り締めている。
「妖精の歌、無いです。音が無いです。この子の心が無いです」
 エレナの身じろぐ気配。紫桜も茶々を見詰めたまま息を呑んだ。
 その音も言葉も無い部屋に、ようやくの事で響いたのは廊下からの靴音。
 形ばかりのノックがあって開いた扉から見慣れぬ無精髭を生やした男の姿が現れた。
「髭そって来なさいよ」
「詰めだったんだけどね」
 言いながら剣を持って入って来る。途中で紫桜に気付いてエレナに紹介され微笑まれた。紫桜はと言えば会釈を返して、茶々が「アルバートです」と言うのに礼を言う。
 そのアルバートは部屋に入ったところで足を止めるとエレナの隣で剣を布から取り出してみせる。
 一瞬、何故寄って来ないのかと思ったが茶々の引き攣った顔に気付いて得心した。
「危うく朱春ちゃんに殺されるところだったよ」
「なにしたの」
「居留守」
 眼鏡を押し上げながら取り出した剣を持ち上げる。
 会話は淡々と交わされているが、彼の真剣な様子は紫桜の位置からでも解った。
 皆が見守る中でアルバートの手にある剣が、柄を揺らがせる。それは彼が小さく何事かを呟いた瞬間の事。
 茶々が少年を守るようにベッドに上がろうとして、なんとか身体を乗せたところでその揺らぎが止んで。
「何言ったんですか、アルバートさん」
 嫌な気配を、紫桜は見ていた。
 悪意がある人間の周囲、悪意のある霊の気配、そういったものと同じ気配。
 何か、何かが剣に居る。
「気配がありました」
「見えるのか……別に、ただ壊すぞって言ってみただけさ」
「また物騒な事言うのね」
 紫桜も考えた事をエレナが言う。それにアルバートは軽く剣を振ってみせた。
「俺じゃ、出来ないから機嫌を損ねただけだね」
「剣が何か仕掛けたらどうするつもりだったんですか」
「剣じゃない」
 え、と見返した紫桜をアルバートが手招く。隣でエレナも頷いていたので立ち上がり、その途中で茶々を見た。妖精は、少年の傍でその手を握り締めて。
 自然と伸びた腕が、その幼い赤毛を撫でた。
 近付けば、アルバートが剣を差し出してくる。受け取ってみれば紫桜の手には少し軽い。
 綺麗な造りの剣だった。細身で、丈は少年に合わせて短めで柄の装飾は精緻の極みと言えるだろう。これほどの細工を施すには相応の時間と腕が必要な、そういった種類のものだ。一通り眺めて気付いたのは刀身の柄近くにある文字。
「読めないだろう?何時か何処かの文字だ」
 俺は読めるから頼まれたんだよ、と言う。そのアルバートが長い指をそこに近づけて動かして。
「魔術には明るくないし、多分執念で間違った方法も成功すると俺は思ってるから、この言葉だけを真実だとしたら」
「はい」
「何かと契約して剣に住まわせてる。それが原因」
 先程の揺らぎか、とは確認するまでも無かった。
「なんて書かれているか、教えようか」
「待って下さい」
 口を開きかけたアルバートを咄嗟に止めると紫桜は剣を持ったまま部屋の一番奥、ベッドからも戸口からも遠い場所へと向かう。近付きかけたエレナも制して角に立って剣を片腕で抱えて立つ。
「危ないと、思うので」
「……紫桜君も危ないね」
「俺は、大丈夫ですよ」
 言って、空けた手の平から刀を抜き出した。それを利き手に握って剣をもう一方に。いつでも放り出せるようにしてからアルバート達を見た。エレナがベッドの傍に寄って紫桜を見る。
「じゃあこの子が起きたら私が引っ張ったらいいかしら。男前ねえシオウ」
 エレナの言葉に、むしろアルバートが苦笑した。女好きのくせに、とかなんとか言って。
 彼女も距離は取るべきだと思うのだが――ジェラルドの姉である以上、危険は変わりない――言って聞くタイプにも思えないのでそれでよしとする。茶々は、と見れば少年から離れる気配が無かった。仕方が無い。
「で、言ってもいいのかな」
 アルバートが口を挟んだのを契機に、紫桜も刀を持って姿勢を正す。
 どうぞ、と返した声が僅かな硬さを感じさせた。
「『糸の操り手に血の代価』」
 糸、が何を示すのか疑問に思う前に紫桜の手が指先から腐り落ちていく。瞬間にそう感じた程のおぞましさ。
 見る前に手がそれを放り出す。利き手の刀が威嚇するように鍔を鳴らす音が耳を叩いた。
 床に転がった剣から油が広がる速度で黒い気配が染み出してくる。瞳を見開いてそれを見て、次に少年が起きる、と考えた。起きる前に止めなくては、剣を拾うべきだと思いはするが駄目だ。これは拾えない。早く、早く形を取れ。緩慢に盛り上がるその黒い気配に紫桜が思うのはそれだった。
「マリオネッテの糸は切れるぞ」
 冷静な低音が響いたのはそんな時で、声が届いた途端に気配は動きを速めて人の形を取る。人の影になるやいなや声の主――アルバートの方を向いたが、直前の顔を紫桜は見た。顔立ちではなく、精神の醜悪さを造形化すればきっとこんな顔だ、と途端思い。

 卑怯だとか、そんな風にはその時まるで思わなかった。
 刀の唸りに従うように紫桜の腕は下から上へ跳ね上がり、振り返った影を逆さまに断ち切る。
 その瞬間に自分が叫んでいたのか、ただ息を吐いただけだったのか、息さえも詰めていたのか、紫桜には解らない。
 確かなのは、紫桜の手にあった刀が醜悪な気配を退けたという事だけ。
 ほんの一瞬の事であった筈なのに、刀を見る紫桜のこめかみから一筋汗が滴った。

 かた、と小さな音だけを響かせて剣が弾む。
 それは奇妙な透明度の刃を光に滲ませて。


** *** *


 ゆっくりと、少年の白い瞼が震えるのを不安と期待を織り交ぜながら四人は見ている。
 気配が消えたすぐ後に、少年が身じろいだのだ。起きる、と知れた。
 エレナは万一の事を考えて少年から隠れるように、紫桜も刀を携えたまま。ちら、と見たアルバートの横顔は飄々としていて思うところを読み取れない。茶々は、ずっと少年の傍だ。
 金色の睫毛が微かに揺れる。
 小動物の揺れに似た震えで動いた瞼の下から紫の瞳が現れ、静かに焦点を合わせていく。
(あの時と違う)
 対峙した時の何も無い瞳では無い事に安堵の息を紫桜は吐いた。
 視線を巡らせる少年は、茶々と暫く歌うように小声で会話してから紫桜を見、その瞳の相似に気付く。茶々の瞳と色こそ違えど同じ奇妙な煌きを覗かせる瞳。
 細い、細い声は声変わりもまだで。
「ぼくの、剣は」
 今は文字など刻まれていない刀身とも似た瞳なのだと、見つめ返して紫桜は思った。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5453/櫻紫桜/男性/15/高校生】

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■         ライター通信          ■
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・続きに参加して下さりありがとうございます。ライター珠洲です。おかげさまであと一話となりました。
・情報、条件、と提示がまともに無く大変だったんじゃないかなあとちょっと思います。槍はこっちではただの槍です。剣が主役って感じですね。NPCまで出張ってなんともはや、と……でも展開としてはこっちの話では一番良いと思います。思ってます!それから戦闘は一瞬で終わらせました。長くなったのと、アルバート召喚があったので一瞬コースです。
 なにはともあれ二話参加ありがとうございました。感謝いたします。