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とまるべき宿をば月にあくがれて
面白い処に案内していってやる、と。そう言い出された時には、流石に少しばかり驚きもしたのだが。
威伏神羅は東京の喧騒を逃れ、見知らぬ場所へと足を踏み入れた。
ぼうやりとした薄闇が一面に広がり、流れる空気には確かに人ならざるものの気配が漂っている。見れば、それは嘗ての都を彷彿させるような大路に似た場所であった。道幅は２０メートル程であろうか。広すぎず、又狭くもない路地の上だ。
耳を澄ませば、何処からか漂い聞こえる水音が、神羅の耳をさわさわと撫で、過ぎていく。
大路の脇には茅葺やら瓦屋根やらを施された家屋が点在している。掘建て小屋のようにさえ見えるその佇まいは、現代の東京ではもう滅多に目にする事もなくなった、旧い世代の家屋を思い出させた。
神羅は、ひどく上機嫌で、鼻歌さえ交えながら、足元を照らす灯りの一つさえもない大路の上を緩やかに進む。
神羅はその日、田辺聖人との約束を取り決めていた。洋菓子職人である田辺だが、和菓子好きな神羅の声を聞き入れて、ここ最近では和菓子も度々手掛けるようになってきたのだ。
その日も、田辺が作った和菓子の試食と称し、田辺が借りているマンスリーマンションの一室へと足を運んだのだが。
渡された合鍵で部屋に入り、その帰りを待っていたのはいいが、約束の時間を過ぎても、田辺の帰ってくる気配は一向に無い。終いには不機嫌の極みを迎え、もう帰ろうかと考えていた矢先に、部屋の主はようやく神羅の前に顔を出したのだ。
偶々急ぎの仕事が舞い込んでしまったのだと云って笑うその顔に、神羅は少しばかり睨みをきかせ、もう貴様なぞ知らんとふてくされてみせた。
出された和菓子は紅葉を象った可愛らしいもので、無論その味も絶品だった。その味に満足した神羅だったが、ふと悪戯めいたものを思いつき、田辺の顔を睨み据えた。
――――私の機嫌を宥めるような興味深い場所へ案内せい。
そう言い放った神羅の言葉に、田辺は眉根を寄せて溜め息を吐いた。
そして、それならばと案内されて来たのが、今居るこの場所なのだ。
「よもや貴様がこのような面白い場所に通じていようとはの」
機嫌良く目を細め、後ろを歩く田辺の顔を確かめる。
黒衣のパティシエは不機嫌そうにばりぼりと頭を掻いている。
その様相に頬を緩めると、神羅はなおも足を進め、ぽつりぽつりと姿を見せる家屋の一つ一つを覗きこみ、確かめた。
家屋には灯りは点いておらず、その中には人の居る気配などもまるでない。庭先には其々薄やら松やらが伸びていて、手入れもそれなりに施されてはいるようだ。
大路は何時の間にか辻へとぶつかっていた。
見れば、今まで歩んできた大路と同じようなものが、あと三つばかり有るらしい。薄闇の向こうでぼうやりと伸びている大路を確かめて、神羅はふと目を細ませる。
「四つ辻なのじゃな。……成る程、どうにもこの場に流れる空気は現世のものと異なっているとは思ったが。この場は人ならざるものの領域、といったところかの」
呟き、後ろに居る田辺に目を向ける。
「まぁ、そんなところだな」
無愛想にそう答えた田辺の声に、神羅は「ふむ」と頷いた。
しっとりとした夜の気配をはらんだ風が、神羅の髪をゆるやかに撫でて過ぎていく。神羅は、その風の音に紛れ、ふと耳を撫でた声のあるのに気がついた。
僅かに眉根を寄せて足を留め、声のした方へと目を向ける。
声は徐々に大きくなっていき、それに伴い、薄闇が広がる大路の向こうから此方へと向かい寄って来る提灯の姿が顔を覗かせた。
ゆらゆらと揺れる提灯の火影を確かめて、その主を見定めようと眼を細ませる。やがて姿を見せたのは、人ならず妖怪の一行であった。
「――――人狐か」
呟き、擦れ違う一行に視線を向ける。それは人ならぬ魑魅の作り上げた夜行であったのだ。
「おんやぁ、これはこれは。あんたも遊びに来ただかね」
夜行は神羅の姿を見止めると不意に足を留めてそう口を開き、人懐こい笑みで軽い会釈をしてみせる。
「うむ。ここに来たのは初めてじゃが、心地良い場所じゃのう。私の様な者には、懐かしくさえある空気じゃ」
返し、微笑む。夜行はその言葉に頷くと、神羅から幾分離れた場所に立っている田辺の存在に気がついた。
「おう、田辺殿のお連れさんでいらしたか」
夜行の一人がそう口にして意味ありげににやにやと笑う。
「な、なんじゃ、その笑みは。……うむ、然し、田辺の作る菓子はなかなかに美味じゃからの。時折は呼び寄せて菓子を作らせておるのよ」
そう返しつつ、髪の先を軽く撫でつける。ちらと目を遣ると、田辺は腕組みなどして此方を睨みつけていた。
「――――ほほう、田辺殿が」
神羅の言葉に目を見張ったのは、夜行の内の一人である垢舐めだった。
「田辺殿が同一の者からの呼びかけに応じるなど、珍しい事もあるものですな。余程気を惹かれた依頼でなければ、中々首を縦に振らぬと聞き及んでおりますが」
そう続けると、垢舐めは田辺の方に目を向けて、にんまりと頬を緩めてみせた。
「――――余計な事云うなっつうの。どうでもいいから行っちまえ。俺は今機嫌悪ぃんだよ」
垢舐めの視線を受けた田辺が、吐き捨てるようにそう述べる。
夜行は、田辺のその言葉にひやひやと笑うと、再びのろのろと歩みを進めて闇の中へと消えていった。
夜風が、闇に消え行く夜行の残り香を漂わせ流れていく。
耳を撫でるのは都都逸だ。現在の東京でも、粋を嗜む上客から時折所望される事もある、馴染みのある唄が闇の向こうから流れてくる。
「三千世界のカラスを殺し――、か」
呟き、夜行が去って行った方へと目を向ける。そのまま視線を田辺へと移すと、田辺はやはり不愉快そうに腕組みをしていた。
「ふむ。貴様はこの場所が嫌いなのか？」
訊ねると、田辺はちらと神羅を見遣り、首を鳴らしてから口を開けた。
「いいや、嫌いではないな。――この場に集う輩は、どれも皆、気の善い連中ばかりだしな」
答え、顎に伸びた髭をぼさぼさと掻き毟る。
神羅は、ふむと頷き、それから再び問うてみた。
「それならば、なんじゃ、その様に不機嫌な顔をして。さては何処か寄りたい処でもあったのか？」
「馴染みの茶屋が、この辻の向こうにある。さっきの連中は恐らくそこへ向かっていったんだろう」
不機嫌を露わにそう述べる田辺に、神羅は眉根を寄せて言葉を続ける。
「なればそうと言えばよかろうに」
返すと、田辺は腕組みを解いて神羅の方へと歩み寄り、長躯を僅かに屈めて神羅の顔を覗きこんだ。
「おまえ、俺の事はまるでお構いなしに、さっさと歩いて行っただろうが。我が儘放題に歩き回るおまえに、どうやって口を挟めっつうんだ」
神羅は、目の前に寄って現れた田辺の顔に驚きつつも、それを打ち消すように、わざと鼻を鳴らしてみせた。
「ならば、そなたの我が儘を一つ聞き入れてやろう？ 今宵私は機嫌が良いからな」
意地の悪い微笑みを浮かべ、田辺の顔を真っ直ぐに見遣る。整った顔に浮かんでいた不快な表情が、神羅の言葉で僅かに和らいだのが見て取れた。
「――――我が儘を一つ、だと？」
呟き、頬を緩める。屈めていた膝はすうと伸ばされ、神羅のすぐ目の前にあった顔もまた少しばかり遠のいた。
「……そうだな。俺は今まで何度もおまえの我が儘を聞いてきたしな。一つぐらい見返りがあっても、おかしくはない話だ」
言い、神羅の顔を見つめる。
神羅は細い腰に両手をあてがい、満面の笑みを浮かべていた。
――――と、その時。
ぬうと伸びてきた田辺の腕が、神羅の手を掴み取った。
驚き、目を見張る神羅に、田辺はにやりと笑って目を細ませる。
「茶屋に行って酌しろよ。店主の作るつまみが案外イケるんだ」
言うと、田辺は神羅の手を握り締めたままで大路の上を歩き始めた。
「……茶屋までこうして手を繋ぐのか？」
訊ねると、田辺は肩越しに神羅を見遣り、笑った。
「たまには悪くないだろ、こういうのも」
夜風が吹き、神羅の髪をさわさわとかき撫でていく。
擦れ違うもののいない薄闇の中、二人が歩く足音だけが静かに響き渡っていた。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【４７９０ ／ 威伏・神羅 ／ 女性 ／ ６２３歳 ／ 流しの演奏家】
ＮＰＣ：田辺・聖人
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■ ライター通信 ■
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いつもお世話様です。
この度はゲームノベルへのご参加、まことにありがとうございました！
ええと……いや、思ったよりも甘い雰囲気になったような……（笑）
田辺は、神羅さまのノベル中では何度かお相手していただいておりますし、
これまでの経緯みたいなものを考慮して、今回はなにやらどかんと書かせていただきました。
田辺、こう見えて（？）案外女好きなので、神羅さまにお相手していただけて、
実は非常に喜んでいると思われます。
今回のこのノベルのシナリオは、一話完結でももちろんのこと、
今後続けてのご参加をいただけた際にも対応できるものとなっております。
よろしければまた田辺と遊んでいただければと思います。
それでは、またお会いできることを祈りつつ。
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