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<東京怪談・PCゲームノベル>


秋ぞかはる月と空とはむかしにて


 ぺたり、ぺたり
 何者かが薄闇の中を歩く音がする。それは靴底が地を踏むものとは異なるもので、時折砂利を踏みつけるような音を立てている。
 影山軍司郎はその音を耳に留めると、暫し足を留めて音のする方向へと眼を向けた。
 視界を埋め尽し広がっているのは、しっとりとした夜気を孕んだ薄闇だ。足元を照らす街灯一つあるわけではないのだが、夜目に慣れれば存外遠くまで見渡す事が出来そうな程度に仄暗い。
 その薄闇の向こう、その音は確かに此方へと向かい寄って来る。軍司郎は僅かに眉根を寄せて、慣れた所作で片手を腰へと持っていく。軍刀に指をかけて闇を睨み据え、その正体を見極めんとして目を細ませた。
 ――――と、程なくして姿を見せたのは、花笠を目深に被り、女物の着物を羽織っているという、奇妙な出で立ちの男であった。
「おや、見ない顔だねえ」
 男は軍司郎の顔を見るなりそう述べて、手にしていた煙管をぷかりとふかしてみせた。
 頬に彼岸花と思わしき刺青が施してある。
 軍司郎は男の姿を真っ直ぐに見捉えて、返事を返すわけでもなし、只静かに黙したまま。
「見たとこ軍人さんのようだねェ。その軍服、陸軍省の管轄かい」
 花笠の下、男の口が薄い笑みを浮かべる。
「――――貴君は」
 訊ねると、男はにいと笑った口元はそのままに、もう片方の手が握りしめ持っている数本の糸をふわりと揺らした。
 糸の先端には小さな蝶が括り付けてある。
 軍司郎はそれを確かめると再び口を閉ざし、軍帽に指をかけて頷いた。
「蝶々売りか」
 素っ気無く呟いて、蝶々売りに背を向ける。しかし、
「あぁ、軍人さん。急ぎの用でもおありかい」
 呼び止められ、軍司郎はつと足を留めて肩越しに後ろを見遣る。
 蝶々売りはぺたりぺたりと軍司郎の隣まで歩み寄ると、にいと笑って口を開けた。
「ここへは迷いこんでらしたんでしょう。まぁ、ここにはンな物騒なものを使うような無粋はねえから、のんびりなさっていくがいい」
 紫煙を吐き出して、蝶々売りは軍司郎の軍刀をちらりと指差した。
「……ここは何処だ」
 唸り声のようにそう問うと、男は宙を泳ぐ蝶をひらひらと揺らしながら答える。
「はあ、まあ、現世とはちいとばかり違った場所になりますねえ」
 軍司郎は、むうと唸って眉根を寄せた。

 今あるこの場所が現世――東京とは異なる場であるというのは、それは既に知れていた。
 薄闇の中にあるのは道幅20メートル程と見受けられる大路だ。それは舗装されたものではなく、其処彼処に石が顔を覗かせている、まっさらな地べたの路地なのだ。
 路脇には、茅葺やら瓦屋根やらの家屋が、思い出したように点在している。窓らしき場所にはガラスではなく、戸板がたてかけてあるようだ。
 軍司郎はその家屋の庭先にひょろりと伸びている薄や松を横目に見遣りつつ、その家屋の中に何者かの気配の有無を確かめてみた。――窺う限り、どの棟も人の気配等まるで無い。無人であるのか、或いは偶々留守であるのかまでは窺い知る術はないのだが。
 ……否。
 薄闇ばかりが広がり、見上げる天には架かる月も瞬く星の影の一つでさえも見当たらない。それどころか、其処彼処に感じられるのは、明らかに人ならざる存在の気配ばかりなのだ。

「邪の気は感じられぬ。安穏とした闇ばかりの世界であれば、私がここに長く滞在する意味も特には存在しないだろう」
 さらばと続けかけ、然し軍司郎は不意に言葉を飲みこんだ。
「……蝶々売り。一つ訊くが、その蝶は本物の蝶なのか」
 飲みこんだ言葉の代わりにそう訊ねると、蝶々売りは頬を緩めたままで首を傾げた。
「いんやあ。これはねェ、人の魂魄なんでさあ」
 男は軽々しい口調でそう答え、糸の先の蝶をふわりと動かした。
 薄闇の中、白い羽がひらひらと夜風に舞っている。
「人間の魂魄か」
 返し、口を噤む。
 蝶の数は、一つ、二つ。どちらも淡い光を放ち、ゆうらゆうらと飛んでいる。
「魂魄を結びつけているという事は、貴君は死に纏わる者か」
 蝶を見止めつつ訊ねると、男は煙を吐き出してにいと笑った。
「ここはねェ、彼岸への通り道なんでさあ。あっしに関わらず、誰彼みいんなそういったものに関わったモンばかりがいますわなあ」
 男がそう頷くと、紫煙が茫洋とした闇の中へと消え入った。
「……そうか」
「旦那もひとつどうですかィ。なんでしたらおひとつ持ってみますかねェ」
 そう云うと、蝶々売りは蝶を結びつけた糸の一つを軍司郎へと差し伸べた。
 その先端でゆらゆらと揺れているそれは、殊更白く、薄闇を照らす行灯の如くに淡い輝きを放っていた。
「あぁ、そうだ。旦那、急ぎじゃなけりゃ、ちいと面白い子供に会われてはどうですかィ。まあ一つ二つ言葉を交わすぐらいなら、そんなに時間もとらないでしょう」
 蝶に目を奪われている軍司郎に言葉をかけて、蝶々売りは再びぺたりぺたりと草履を鳴らす。
 夜風の流れに逆らうように、残りの蝶がぼうやりと瞬いていた。

 その後しばらく、軍司郎はその男と言葉を交わす事はなかった。只黙したままで大路を歩き、時折何処からか流れ聞こえてくる唄声等に耳を寄せる。
 大路はやがて大きな辻へとぶつかった。見れば大路は他にもあと三つばかりあるようで、即ち辻は四つ辻を作り上げているのだった。
 辻の脇に一際鄙びた家屋があるのを横目に見遣り、男はさらに大路を真っ直ぐ突き進む。
 軍司郎は糸の先に居る蝶を確かめながら、無駄の無い動きで男の後ろをついて行く。
 夜風が外套の裾を小さく揺らした。

 しばらくそうして歩き進むと、薄闇の向こうから水の匂いが漂いだした。さらさらと流れる水音が夜風に紛れ耳を掠める。
「百合でも咲いているのか」
 呟き、蝶々売りを見遣る。
「そりゃあ綺麗なやつがねえ」
 此方を振り向く事もせず、男はそう返して頷いた。

 水音がはっきりと聞こえ出した頃、百合の芳香はその存在を確と主張するようになり、蝶は心無し何処か嬉しそうにその羽をひらひらと動かした。
「あの子ですわ、軍人さん。出で立ちがちいとばかり似ておいでだし、話なんかももしかしたら合うかもしれませんねえ」
 ぺたぺたと草履を鳴らしていた男の足が、不意にぴたりと動きを止めた。
 見れば、薄闇のその中に、一人の少年が立っていた。
 何処か陰鬱な印象を覚えるその眼差しは、然し揺らぐ事なく真っ直ぐに軍司郎を見捉えている。その細い腕の中には数本の白い百合の花が抱えこまれていた。
「ふむ……」
 少年のその風体を確かめて、軍司郎はその漆黒の眼差しに僅か光を宿した。
 少年のその出で立ちは、詰め襟の学生服に学生帽、下駄履きというものである。
「キミは高等学校の学生か」
 訊ねつつ少年の傍へと足を寄せる。少年はどこかの仄暗い眼差しで軍司郎を見止めると、矢張りその視線に薄い光を宿すのだった。
「あなたは……憲兵さんですか?」
 少年はそう返して自分よりも遥かに身丈の大きな軍司郎を見上げ、背筋を正して頭を下げた。
「いいや、かつては旧日本帝国陸軍に在していたが。現世ではタクシーの運転手に過ぎん」
「軍人さんでいらしたのですか」
 頷き、軍司郎の顔を仰ぐ。少年のその顔には、軍司郎への――或いは大日本帝国に従事し勇ましく戦う者への――あこがれを窺わせるような表情が浮かべられていた。
 軍司郎は少年のその表情に気がつくと、ふむと小さく頷いて、軍帽の鍔に指をかけた。
「俺は高等学校普通科に通っておりました。萩戸則之といいます」
「影山だ」
 名乗りを返し、眼差しをすうと細めてみせる。その細めた眼をそのまま則之少年の後ろへと向ける。其処には大きさの知れぬ川があり、その上には木造の橋が架かってあった。
「蝶々売りの言に拠ればこの場は彼岸へと通じているようだが、ならばその川の向こうは文字通り彼岸へと繋がっているのか?」
 訊ね、少しばかり距離をとった場で煙管をふかしている蝶々売りに目を送る。
 蝶々売りは矢張り薄い笑みを口元に張り付かせ、鼻より上は花笠に隠されて杳として知れない。
 則之は軍司郎の問いかけに小さく頷くと、腕に抱え持っていた百合の花を改めて持ち直して睫毛を伏せる。
「お言葉の通りです。その橋より向こうは黄泉路へと続いております」
「成る程。ならば生者は渡れぬのだな」
 少年の昏い表情には触れず、軍司郎は橋の向こうに目を向ける。
 橋の真ん中程より向こうは、辺りにかかる薄闇がその色を心持ち濃いものへと染めているようで、眼を凝らしても覗き見る事は出来そうにもない。
 蝶が薄闇の中でふわりふわりと舞い飛んだ。
「……キミは帝都のどの辺りに住んでいたのだね」
 橋の向こうに目を遣ったまま、軍司郎は少年に言葉をかけた。少年の声が間を置かず答える。
「浅草近く、父母と共に住んでいました」
「浅草か。ならば十二階には登った事はあるか?」
「勿論です! あれは父母と共に登り、パノラマを楽しんでおりました。影山様は登られた事は御座いますか?」
 問われ、軍司郎はようやくその視線を少年へと戻した。
「下より仰ぎ見た事ならばあるが、登った事は無い」
 そう返し、眼差しを細める。
 ――――その眺望にあこがれつつも、矢張り登るのは少し恐ろしいと、朗らかに微笑む少女……軍司郎の妹の顔が色濃く浮かぶ。
「ではエレベーターに乗られた事も?」
 少年はさらに問い掛ける。軍司郎は言葉を成す事なく、只頷いた。
「十二階よりの眺望は素晴らしいものでありました。俺はこれぞ帝都の象徴なのだと、父と共に熱く語らいました」
 僅か頬を紅潮させている少年に、軍司郎は矢張り黙したままで頷く。

 夜風が吹き、外套の裾をはたはたとはためかせて過ぎていく。
 軍司郎は握り持っていた糸の先の蝶を見遣り、つとその糸を噛み切った。
 自由を得た蝶は一頻り軍司郎の周りで羽を動かすと、そのままつうと飛んで橋の方へと飛んで行く。
「影山様、蝶が――」
 則之が慌てて腕を伸ばすが、軍司郎はそれを制してかぶりを振った。
「蝶は何者かの魂魄であると聞いた。魂魄ならば、こうして繋ぎ止めておくでなく、彼岸へとはなしてやるべきだろう」
 述べた言葉は、静かで、驚く程に穏やかなものだった。
 蝶は橋の上をひらひらと舞い、その姿はやがて闇の中へと融け消えた。
「影山様、蝶がお好きなのですか?」
 少年が問う。
「何やらひどく懐かしそうに見ておいででしたから」
 軍司郎は軍帽に指をかけ、しばし思案してみせた後に返した。
「――――あの魂魄はもしや私の妹であったり、同志であったりしたやもしれん。それを繋ぎ止めておくのは、矢張り偲び難い」
 軍帽の下で僅かに睫毛を伏せて、軍司郎はその眼差しを蝶々売りへと向ける。
 蝶々売りはその目線に気がつくと、にいと笑って肩を竦め、そして残りの蝶を糸から離してやった。
「旦那も橋を渡りたいんですかィ?」
 黙していた蝶々売りが問う。然し軍司郎はそれには応じる様子を見せず、黙したままで蝶の舞うのに見入っている。

 解放された蝶はひらひらと舞いあがり、一頻りそうやって闇を照らすと、矢張り橋の向こうの闇の中へと消えていった。

「……何れは、」
 独り言のように呟く。
 その声は、然し、薄闇を流れる水音に飲み下されて消えていくばかりであった。
  


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1996 / 影山・軍司郎 / 男性 / 113歳 / タクシー運転手】


NPC:蝶々売り
NPC:萩戸・則之

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■         ライター通信          ■
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正月以来、二度目のおめもじですね。
この度はゲームノベルへのご参加、まことにありがとうございました!

本当はノベル中もう少し大正時代の色を練りこんでみようかと思ったのですが、
今回は影山さまと則之の初回の出会いですし、少しばかりの味付けのみといたしました。
浅草十二階は絵図などで見る限り、なんだか心惹かれる建築物であります。
大正浪漫というのはその歴史的背景なんかも手伝って、調べれば調べるほどに奥深いものでもありますよね。

今回のゲームノベルのシナリオは、1話完結という形をとっておりますが、
今後またご参加いただけました場合、その後に展開していけるようにも設定しています。
よろしければまたご利用いただければ幸いです。
今回は本当にありがとうございました。少しでもお楽しみいただけていればと願いつつ。