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フリーパック・四季の旅
千葉の秘湯で梨狩りを……
――タタタタタ……
早朝の街中を、漆黒の段ボールが駆けていた。側面に白い字の書かれたその箱は、底面に二本の足が生えている。
――タタタタタ……
人目を避けるように、箱は通りの端を駆け抜けてゆく。
と、いっても箱から生えているのは、まだ幼い子供の小さな足だ。大人たちが早足で追えばすぐに追いつけるくらいの速度であった。
「…………?」
箱の中の子供の意図はさておき、その箱は道行く人の視線を、一身に集めているようだった。
「なあに? あれ……」
「子供のいたずらじゃない?」
「馬鹿な子ね。そのうち転ぶんじゃない?」
そうささやき、笑う大人たちの声は、本人の耳には届いてこない。閉じた箱は周囲の音をほとんど、その中へ届かせはしないのである。
(大丈夫……大丈夫……バレてない……)
細い足はアスファルトを蹴り上げて、箱を前へ前へと進ませていく。箱は皆の注目を集めながら、通りを北へ北へと向かっていた。
(気づいてない……誰も気にしていない……)
――タタタタタ……タタタタタタタ…ドスンッ!
唐突に、箱は前に倒れこんだ。(ああやっぱり……)と皆が見つめる中で、箱の蓋が内側から開かれる。
「………………」
出てきたのは黒髪の少女だった。まだおそらく八つか九つほどの、愛らしい容貌の小さな少女。
外に出て、倒れた箱を起こすと、少女はまた箱に入り蓋をする。
――タタタタタ……
そしてまた駆け出していく箱から、ひらりと薄い紙切れが舞い落ちた。20×6センチほどのそれはセピア調の印刷で中央に、白抜きの大きな文字が書かれていた。
『古賀根温泉・秋の味覚狩りツアー 二泊三日ペアご招待券』
「ごめんなさい……」
ツアーバスの一角で、伊吹・夜闇(いぶき・よやみ)がそう呟いた。長い髪が俯き気味の顔を覆うようにすっぽり包んでいる。
「気にしないで」
気遣うような眼差しを夜闇に向け、日沖・雛未(ひおき・ひなみ)がそう言葉を返す。急ごしらえの化粧すらしていない、幼い顔に笑みを浮かべささやく。
「むしろ私ね、ラッキーと思ってるの……だってこんなに可愛い子を連れて、タダで温泉旅行行けるんだもの。だから……ね、そんな謝らないで。二人で一緒に旅行を楽しみましょう」
こくん、と頷き顔を上げると、夜闇は窓の向こうへと目をやった。
「ほらっ、あそこ、とっても綺麗な紅葉……あとで一緒に写真撮りに行きましょう?」
こくん。もう一度頷き返し、夜闇は雛未の方を振り返った。愛らしい人形のような顔に、嬉しそうな微笑みが浮かんでくる。
「……はい、写真いっぱいとりたいです。雛未さんと一緒にいっぱいとって、この旅行のアルバムを作るんです」
(……良かった。笑顔に戻ってくれて)
ようやく明るくなった夜闇の顔に、雛未はほっと胸をなでおろした。
歩道を駆ける黒い箱を追いかけ、雛未はミュール姿で走っていた。手の中にはセピア色のチケットと、コンビニで買ってきたジュースの缶。
「ねえ……待って…」
かすれた叫び声は、箱の中の少女には届かなくて、ただでさえ足が遅いのにこんな走りにくい靴で走る雛未は、優に十分近く走った後、ようやく箱入り少女を捕まえた。
「あの……ね。これ……落としていったよね? おねえさん向こうでこれ拾ったの…………ねえ、どうして箱に入ってるの? 大丈夫、おねえさん怖くないよ」
箱の縁から瞳だけ覗かせて、びくびくと見上げる少女の髪を、雛未はそっと撫でて微笑みかけた。
「ね……怖くない。怯えなくても、おねえさんはあなたの敵じゃないよ」
もう一度言い聞かせると少女は、こくんと一つ頷いて箱を出た。
――パタン……
箱をたたみ手品のように黒い鞄の中へとしまい込む。
そして雛未の指をきゅっと掴むと、はにかんだ微笑を彼女に向けた。
駅前の広場へと向かいながら、雛未は少女から話を聞いた。
「……ふうん。じゃあこの旅行は夜闇ちゃん、たった一人だけで行ってくるんだ?」
偉いわねと呟くと照れた様に、夜闇という名の少女は微笑んだ。
(けど、子供が一人だけでなんて、添乗員は頷いてくれるのかな……?)
そんな雛未の不安は的中した。このツアーの添乗員は夜闇に「子供だけの参加は無理」と言ったのだ。
「……でも、チケットはあるんです。なのに……」
「悪いけどね、そういうことじゃないんだ。行きたければパパかママを呼んできて……あ、でも出発時間までだと、あと五分しかないし間に合わないね」
「ちょっ……冷た過ぎます、そんな言い方。もうちょっと優しくしてあげたって……」
添乗員の言葉にカチンときて、雛未は思わずそう言い返した。
「そんなこと言われても決まりだしね……ああ、あんたその子の知り合いかい? じゃああんたが付き添えばいいじゃないか」
「えっ? でも……」
「じゃあこれに名前書いて。席は8列目の左側ね。料金は……ああ、ペアチケットですか。じゃあ代金は別に要りませんから」
「あの……でも……」
「この子を乗せたいんでしょ? だったら誰か保護者がついてないと。それともやっぱり行くのはやめますか? 別にキャンセルでも構いませんよ」
「あっ……と…………」
どうしようかためらって、結局雛未は夜闇の手を取った。
「一緒に乗ろうか?」
そう言うと首を振り、夜闇は雛未の手をきゅっと握った。
「いいんです。旅行はあきらめます……」
「夜闇ちゃん……」
「……どうするんです!?」
「……乗ります。行こう! 夜闇ちゃん」
そして二人が乗りこむとほぼ同時に、添乗員はバスの扉を閉めた。
そしてずっと泣きそうな顔をして、夜闇は雛未に謝っていたのだが……。
「あの……雛未さん、あれなんですか?」
「あれ? えっとね……あれは女郎花かな?」
おずおずと、それでも幸せそうに、景色を楽しみだした夜闇の顔に雛未にも自然笑顔がこぼれ出す。
「あれは萩、あれは竜胆……かな? どれも秋の代表的な花ね」
「おみなえし……はぎ……それにりんどう…………秋の花、ですね。覚えましたです」
「この後は梨狩りに行くみたいね。夜闇ちゃん、梨狩りは初めてかな?」
「はい……っていうか『なし』が初めてです。生餌とか、罠とか仕掛けるですか?」
真剣な眼差しで訊く夜闇に、雛未は苦笑して緩く頭を振った。
「う〜んと、そういう『狩り』じゃなくてね……」
果物をその場でもいで食べるのを『何々狩り』と言うと説明すると、夜闇は不思議そうに首を傾げ、「そう……なんですか?」と目を丸くした。
「うん、苺狩りとかぶどう狩りとかね」
「じゃあ『なし』は果物だったんですね?」
「……そうね。どうして?」
「わたし『なし』は、なにか動物だと思ってたです」
「えっ!? ……ああ、そうか。『狩り』だものね。動物の名前かと思うわよね」
頷きながら雛未は頭の中で(不思議な子ね……)と、首を傾げていた。
(普通『狩り』って言われて動物を狩るなんて思ったりするものかな? 今朝の箱の事もあるしひょっとして、なんか特殊な育ちしてるのかしら……)
見た目には普通の子供とさほど、変わった所はないように思えるが、見かけとは違う『なにか』をその内に抱えている子供なのかもしれない。
その瞬間雛未の中の夜闇の存在が、少しずつ形を変え始めていった。
梨園は多くの客でにぎわっていた。夜闇たちの他にも親子連れや、中高年の団体のツアー客、それにどこか近所の小学生が遠足としてすでに園内にいた。
「うわぁ〜、すごい人……」
「………………」
さほど広くはない園内を埋める子供と大人の入り混じった人影に、雛未は驚嘆のため息をついた。隣では夜闇が怯えた顔でびくびくと周囲を眺めている。
「これじゃあ狩る梨を探すだけで大変……あれっ? 夜闇ちゃん、なにしているの?」
いつの間に取り出したのか足元に漆黒の段ボールを組み立てて、夜闇はまるで捨て猫のようにちんまりと箱の中に全身を収めていた。
「あの……ひとがいっぱいで怖くって……」
今しも蓋を閉めそうな体勢で、夜闇はそう、小さく呟いた。
「これに隠れてれば安全だから……誰も、わたしのこと気づかないから……」
大真面目にそう主張する夜闇に「かえって目立つよ」だなんて言えなくて、困惑顔で少し悩んだ後に、雛未は優しく右手を差し出した。
「……う〜ん、でもそれだとあの梨の木に、手を伸ばして実を取ることできないよ。それよりも一緒に手を繋いで行きましょう? そしたらきっと怖くなんてないから……」
「………………」
こくんと頷き返し、夜闇は雛未の手をキュッとつかんだ。指先が微かに震えている。
「怖くない。怖くない、怖くない……」
「……夜闇ちゃん?」
心配そうにしゃがみこんだ雛未に、夜闇はにこっと薄い笑みを見せた。
「ほんとう……こうしてたら怖くないです。雛未さん、まるでまほーつかいさんみたいです」
そしてまたもや素早く箱をたたむと、今度は自分から左手を差し出した。
「怖くない、です。もう大丈夫……こうしてたらちっとも怖くないです」
遠足の団体は本来なら行き違いになるものだったのだろう。二人が梨狩りを始めまもなくすると、列を作り出口から出ていった。
熟れた梨は甘く瑞々しくて、夜闇は食べ過ぎというくらいに食べた。夢中になりいくつも一度にもいで、手が使えず脚立から下りられなくなったりもした。
「なし……おいしいです。大好きです」
ごきげんな夜闇は一人で梨を、次から次へ十個も平らげた。そしてその後ホテルの部屋につくなり、一時間もトイレにこもるのだった。
「うわぁ……これが『おんせん』なんですね。なんだかプールみたいなお風呂ですぅ〜!」
『旅行』も『温泉』も初めてという夜闇は、大きな浴槽に感嘆の声を上げた。タタタッと濡れたタイルを駆け抜けて、湯の中にピチャリと手を差し入れる。
「あったかい……やっぱりお風呂なんですね。すごい! こんなに広くてもちゃんとお風呂だなんて……」
身体を洗い湯に肩までつかりすぐ、夜闇はうずうず手足を動かした。
「すごいです。うでも足もいっぱいに伸ばしたのにふちまで届かないです」
他に客が誰もいないのもあり、夜闇ははしゃぎすぎなほどはしゃいでいた。もちろん元が元なので泳いだり、うるさいほどに騒いだりはしないが、弾んだ声は湿った空気を揺らし静かな浴室内中へと響く。
「あっちは少しちっちゃいお風呂ですね。なんでですか? 『おんせん』じゃないですか?」
「あっ、そこは……」
雛未が言うより早く、夜闇は浴槽の中へと入っていた。
「きゃあああああ!! 冷たい! 冷たい! なんで!?」
逃げるように浴槽から駆け出して――ついでに勢いあまってこけながら――夜闇は目を白黒させてそう叫んだ。
「お風呂なのに、プールよりも冷たい……雛未さん、ここすごく冷たいです!」
「……夜闇ちゃん、そこは水風呂なのよ……」
言いそびれてごめんね、とささやくと、夜闇は「みずぶろ?」と首を傾げた。
「お水を張ったお風呂。のぼせた時や、サウナの後に入ったりするものよ」
「『サウナ』? 『サウナ』なら知ってるですよ。ここ、『サウナ』がついているんですか?」
再び輝きを取り戻す夜闇に、雛未は頷きを返し顔を上げた。
「たぶんあれがサウナだと思うけど……夜闇ちゃん、サウナに入りたいの?」
暑い場所が苦手な雛未は少し気まずそうな表情で尋ねかけた。
「はい。『サウナ』と『おんせん』はふたつとも、ずっとずっとあこがれていたんです」
そして一人サウナの扉をくぐり――扉を開けただけでめまいを覚え、雛未は外で待っていることにした――夜闇は熱気あふれる部屋に入った。
十分後いい加減不安になり、ガラス越しにサウナを覗き雛未は、扉を前にすっかり力尽きた汗だくの夜闇を見つけ助け出す。扉を開けるどころか叩く事もできないほど夜闇はのぼぜたらしく、くてんとした身体は足の先まで、薄紅色にほんのり染まっていた。
「はぁ……わたし本当にダメですね……」
東京へと戻るバスに揺られながら、夜闇はしょんぼりうなだれて呟いた。
「旅行中迷惑ばっかりかけて……写真まで現像できないなんて……」
両手いっぱいの現像フィルムを見つめ、夜闇はまた大きなため息をつく。すべてがこの旅行中撮影したスナップ写真になったはずのものだ。
しかしそれは『ある理由』で一枚も、プリントをする事ができなかった。
「雛未さんと一緒の写真なのに……アルバムを作れるはずだったのに……」
ウルウルと瞳に涙を浮かべ、夜闇はフィルムの束をじっと見つめる。セピア色の薄いプラスチックに、様々な景色や人影が透けている。
遠目にはごくごく普通のフィルム。プリントが出来ない理由などない。だが……。
「……元気出して。また撮りましょう? 写真くらいいつだって撮れるから、そんなに哀しそうな顔をしないで」
「でも……また同じことになるですよ。きっと次も心霊写真になって、『プリントできません』とか言われるです……」
ぽろぽろと色違いの瞳から、大粒の涙がこぼれて落ちる。雛未はそれがひどく痛々しくて、『裏技』に頼ってしまうことにした。
「……あのね、夜闇ちゃん。ホントは私、この写真プリントしてあげれるの。普通はダメなことだから内緒でだけど、写真屋さんに特別に頼んであげる」
「えっ……?」
ピクリと肩が動きおもむろに、夜闇の視線が雛未を振り返る。
「そんなこと……してもらえるですか?」
「……本当はしちゃいけないことだけど…………でも、大丈夫よ、一度だけなら。だから……ね、もう泣かないで笑って」
――こくん……
頷き返して微笑むと、夜闇は憧憬の顔を雛未に向けた。
「雛未さん、ほんとまほーつかいです。できないことなんにもないみたいです」
夜闇の純粋な賞賛の言葉を受け、雛未は複雑な気持ちで微笑んだ。
(魔法……か。『社長』の肩書き借りて、写真屋さんに無理を言うだけなのに……)
けれどそれで夜闇が喜ぶならと、雛未は後ろめたさをしまいこんだ。
「旅行、楽しかったね、夜闇ちゃん」
「はい。失敗ばかりしちゃったけど、とってもとっても楽しかったです」
数日後届いた写真を収め、夜闇は旅行のアルバムを作った。
奇妙な影や透ける人の顔などどこか異常のあるスナップばかりだが、夜闇は大事そうにそのアルバムを、小さな胸に抱え眠りについた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
☆5655/伊吹・夜闇(いぶき・よやみ)/女/467歳/闇の子
☆NPC/日沖・雛未(ひおき・ひなみ)/女/19歳/神戦トラベラーズ取締役社長(表向き)
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