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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ゆったりと、ゆっくりと。 〜魔法使いの大鍋〜

 ぱんぱんに膨れたスーパーのビニール袋を漁る門屋将紀の口元は震えていた。これだから買い物を任せたくなかったのだと、その言葉を何度飲み込んだことだろう。だがその忍耐も、そろそろ限界だった。
 テーブルに並べられているのは玉ねぎ、人参、じゃが芋、その他具材とカレー粉。今日の夕食がなんなのか、教えて回るような内容である。
「なんだ?なにか買い忘れでもあったか?」
甥っ子の顔を背後から覗きこむ門屋将太郎。すかさず将紀は座っていた椅子の上に立ち上がり、髭の剃り残しがある顎に頭突きを食らわせる。
「買いすぎや!」
門屋家の出納係としては、制裁を与えずにはいられなかった。
「なんで玉ねぎとじゃが芋買うてくるんや!?買い置きあるやろ?」
「冷蔵庫見たけど、なかったぞ」
顎を抑えつつ一応反論する将太郎、しかし将紀は噛みつくように
「こういうもんは冷やさんでええんや!脇の籠に入っとったろ!」
「ほう、そういうもんか」
「それから、なんでエビまであるんや?」
「カレーにエビ入れると美味いだろ。ほら、シーフードカレー」
「シーフードにしたいならイカやら貝も買うてくるもんや。エビだけて、なんや!」
明日の朝食用に買っておいたソーセージ、あれを入れるしかないだろう。肝心の肉はないのに、コーンやキノコといったどうでもいいものばかりが多い。近所のカレー屋で偏ったトッピングばかり頼んでいる証拠だ。
「それから・・・」
言いたいことはまだ山ほどあった。が、一つ残らず吐き出そうとすると一昼夜かかりそうだった。言葉が浮かんでは消え、消えては浮かび将紀の精神を疲労させる。
「・・・もうええ、やろ」
怒りが自分の中でだけ消化不良を起こしたような顔色で、将紀は椅子の背にかけてあった大きなエプロンを手に取った。

「今日の夕食は俺が作ろう」
二時十七分きっかり、突然将太郎がそんな決意を表明した。少し遅めの昼食にカップラーメンを作っていた将紀はちらちら時計を気にしていたから、分数までもが正確だった。
「作るって・・・おっちゃん、こないだで懲りたんと違うんか?」
「あれは久しぶりすぎて加減がわからなかっただけだ。今度は大丈夫」
「どっから来るんや、その根拠のない自信」
「それに今度のメニューは原点に戻ってカレーだからな」
思い起こせば小学校の夏季キャンプ、将太郎が生まれて初めて作った料理がカレーだった。
「あれならなんとかなる・・・ってわけで、将紀」
「は?」
上を向けられ差し出された掌。出納係に買い物代をせびっているのだ。呆れつつも将紀は首に下げた財布から千円札を抜き出した、それが今から二時間前の話。
 現在は四時十九分、夕食の支度にはやや早いが早すぎるというわけでもないだろう。
「しゃあない、つけあわせにポテトサラダ作るか・・・。おっちゃん、まずはじゃが芋の皮剥くで」
「おう、わかった・・・って、指示出すのは俺だ。今日は俺が夕食作るんだからな」
「そか。ならおっちゃん、じゃが芋の皮剥くけどええか?」
「お・・・おう」
主導権を握られている気がする、というのは気のせいではないだろう。将太郎はこれ以上足を掬われないようにと気を引きしめながら、青い色のピーラーを手にとった。
「おっちゃん、野菜はまず洗ってからや」
ところが引きしめる側からさっそく掬われてしまう。
 将太郎が流しに立ち、その右隣に踏み台を置いて将紀が立つ。二人の間には、綺麗に泥を落とされた野菜がざるに盛られている。そのじゃが芋やら人参やらを両脇から手に取っては皮を剥いていく、という作業がさっきから続けられているのだが。
「ったく、厄介だな。どうしてじゃが芋ってやつはこう、ごつごつしてんだかなあ・・・。品種改良って奴は、じゃが芋を真ん丸にできないもんかね」
さっきから将太郎はじゃが芋にてこずっていた、とくに芋の芽の周囲が向けず、皮がまだらに残っている。人参はまっすぐばかりだったのでうまく剥けたのだけれど、じゃが芋はどの角度からピーラーを入れれば剥けるのか、まず悩まなければならなかった。
「剥くっていや、玉ねぎもなあ。あれ、どこまで剥くか結構難しいよな。茶色い皮全部剥いてやろうって思ったら、どんどん小さくなっていっちまうんだ」
「おっちゃん」
口ばっかりやのうて手も動かしてや、と将紀の声が冷たい。そんなこと言われても、難しいんだから仕方ないだろと将紀のほうを見た将太郎。ところが、飛び込んできた現実に衝撃を受ける。

 なんと将紀の脇には綺麗に皮を剥かれたじゃが芋が、それもじゃが芋ばかりなのだ、剥きやすい人参は将太郎に任せていた、五つ転がっており小さな手の中には六つ目が握られていた。将太郎は人参三本とじゃが芋一つで精一杯だというのに。しかも、将太郎はピーラーを使っているというのに、将紀は包丁で器用に剥いている。
「お、お前確かまだ八歳だよな?」
思わず、あらためて年齢を聞いてしまった。
「せや」
「どこでそんな技習ってきたんだ?」
「うちでに決まっとるやん。けど、おっちゃんからやないことは確かや」
なら残りは一人しかいない。
「おっちゃんからと違うて、親切丁寧に、優しゅう教えてもらいました」
なんとなく、将紀の言葉に刺がある。この間夏休みの宿題で泣きつかれたときに面倒だったので自分で調べろとつれなくしたことを、まだ根に持っているようだ。
「あいつ・・・俺には冷たいくせに」
「誰かに冷たい人は誰かに優しい、世界はうまく回っとるもんや」
八歳のくせに、やけに達観したことを言う。言いながらも手は休まず動いており、いつのまにか六つ目も綺麗に裸になっていた。
「これで終いや」
最後の七つ目に手を伸ばそうとしたとき、将太郎が動いた。
「お・・・おっちゃん?」
将太郎はなにを思ったか突然、スーパーから買ってきたじゃが芋を三つ取り出すと水道で泥を落とし始めた。じゃが芋はカレーに四つ、ポテトサラダに四つでもう充分足りているのに。
「八歳のお前に皮が剥けて、俺にできないわけがない」
「せやけど、じゃが芋もういらんやん」
「カレーなんざいくら野菜入れて煮込んだって多すぎるってこたねえんだよ」
「・・・・・・」
今の将太郎になにを言っても無駄だ、と判断した将紀はそっと玉ねぎを刻み始めた。その手つきがまたやけに慣れているもので、子供相手に嫉妬した将太郎が自分で買ってきた分で対抗したことは言うまでもない。

 今回のカレー用にと将太郎が棚の奥から引っ張り出してきた大鍋は丈が高く、将紀は踏み台に乗ったくらいではその中が覗けなかった。
「炒めて煮込むのは、どうやら俺の仕事みたいだな」
ただそれだけのことなのに、将太郎は鬼の首でも取ったかのような顔をする。
「とにかく全部入れて、かき混ぜりゃ・・・」
「おっちゃん!」
エビの水分が飛ばないように小麦粉をはたいていた将紀が飛び上がる。
「最初は玉ねぎや!鍋にバター引いて、弱火でじっくり玉ねぎが飴色になるまで辛抱して炒めるんや!」
そうすればコクが出るらしい。誰から聞いた話かは、問うだけ無駄である。
「わ、わかったよ」
素直に従う将太郎、だが心ばかりは素直なのだけれど、初心者の手は思い通り動いてはくれない。
「・・・なんか、焦げ臭いで?」
「すまん」
さっそく、玉ねぎを入れる前からバターを焦がす始末である。どうやら将紀の「弱火で」という言葉を玉ねぎを入れた後のことと勘違いし、バターを溶かすのは強火でもいいだろうとやってしまったのだ。
「・・・おっちゃん」
椅子引いてきてや、と将紀が頼んだ。それはもう、頼みごとという表面皮一枚の下に怒りだの諦めだの様々なものが詰まってはちきれそうな命令であった。そして
「僕がやる」
これはやってみたいという好奇心の立候補ではなく、自分以外にできる者はないという結論からでた決定事項でもあった。ぎりぎりの境界線の上で、極めて冷静を保とうとしている八歳の甥っ子をこれ以上刺激しないよう、将太郎は大人しく席を譲るしかなかった。
「それから」
まだなにかあるのかと椅子を抱えてきた将太郎は片目をつぶった。
「ごはん、七時に炊けるようセットしといてや。カレーができたのはいいものの、ご飯炊けとらんかったはなしや」
「あ・・・了解」
それは言われなくとも同感だ。機械の扱いくらいなら人並みの将太郎は三合の米と水を炊飯器に入れ、七時きっかりにタイマーを合わせる。ついでに、コンセントも確認する。これくらいは、しくじりたくない。
 ちなみに、どうでもいいことと思いがちだが肝心なことをつけ加えておく。将太郎が生まれて初めてカレーを作ったという夏季キャンプ、あのとき将太郎の作業は飯ごうで米を炊くことだった。しかも厳密に言えば、炊くための薪集めと火起こしがほとんどだったのである。

 最初、将太郎は一時間もあればカレーくらい簡単にできるだろうと高を括っていた。ところがその一時間を将紀は延々と玉ねぎ炒めにだけ費やし、さらに残りの二時間を他の材料を炒めそして煮込む時間にあてた。一時間後の食事に向けて腹具合を調整していた将太郎はつなぎにスナック菓子をつまもうとしたのだが、
「ご飯まで待てんの」
と、将紀に厳しく睨まれる。子供の頃、姉に叱られたのとそっくりだと将太郎は身を縮こまらせる。
「にしてもお前、本当手慣れてるよなあ」
空腹を忘れるためには、話すしかない。
「子供は環境に順応していくもんや」
家族で暮らしていた頃は父が料理する姿も見ていたし、男の料理に抵抗はない。最後にスパイスを振りかけたところで、ご飯が炊けたと炊飯器が合図を鳴らした。
「さ、食べよか」
時計は七時二分を指していた。炊飯器のタイマーは、二分進んでいた。
 今日の夕食は将太郎が作ると言い出しながらも結局はほとんどが将紀の手になるカレー、そしてカレーを煮込んでいる間に素早く作ったポテトサラダである。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
スプーンを持って頭を下げた、その次の瞬間にはもう将太郎の皿は半分空になっていた。つまみ食いをしようとしていたのは冗談でなく、本気で空腹だったらしい。そんな食べかたやったら味もわからんやろと呆れる将紀であったが、たちまち一杯目を平らげた将太郎は二杯目をおかわりし、そこでようやくカレーを味わい
「うまい」
腹の底から、これ以上ないくらいに最高の誉め言葉を口にした。
「お前、いい料理人になれるぞ」
「・・・おっちゃんこそ、ええ客になれるわ」
将太郎は本気で言ったのだが、もちろん将紀も本気で言っている。
「このポテトサラダも、よくできてる。悔しいが俺より才能あるなあ・・・」
おっちゃんよりなかったら壊滅的や、とこれは心中で毒づきながら将紀。
「ところで、おっちゃん」
「ん?」
「あれ、どないするんや?」
あれとは、鍋に残った大量のカレーのこと。まだ、たっぷり残っている。そもそもが鍋自体将紀が入れそうなくらい巨大なのだから、とてつもない量だった。最初に将太郎が野菜を刻みすぎたせいである。
「食うに決まってんだろう」
ところが原因はけろりとした顔で、まるで一日で平らげてしまいそうな顔をしていた。食うんか、と泣きそうな顔をした将紀であったが、冷静に考えてみれば食べなければ腐るだけ、という勿体ない根性が頭をもたげ覚悟を決めさせる。
 かくしてその後三日間、いや一週間、門屋家の食事はカレーであった。その間食事をつき合うとカレーになるとわかっている客は、門屋家には一切寄りつかなかった。