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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


Vシネマ撮影秘話

【オープニング】
 近くまで来たからと、事務所に顔を出した草間の大学時代の友人は、Vシネマの監督になっていた。
 そういえば、大学時代も映画の自主制作などやっていたのだと思いながら、草間はその友人――葛城の近況などを聞いていた。ところが、話は次第におかしな方向にころがって行く。
 一月前に開始した作品の撮影が、現在、途中で止まったままだというのだ。なんでも、主演女優が大怪我をして、代役探しが難航しているそうだ。
「なあ草間。おまえのツテで、主演によさそうな女の子、捜してくれないかな。それと、他にも役者やスタッフが何人か足りないから、そういうのできそうな人間もいると、ありがたいんだけどな」
 あげく、葛城はそんなことを言い出した。
「なんでそんなこと、俺に言うんだよ。芸能プロとかそういうところで探せば、いくらもみつかるだろ。……そっちのツテは、おまえの方があるんじゃないかよ」
 嫌な顔で返す草間に、彼は言う。
「それが……実はちょっと、無理かもしれないんだ」
「無理って、何が」
 問い返す草間に、彼は理由を話した。
 いわく、撮影のために借りた廃屋というのが、幽霊が出るので有名な場所で、そもそも主演女優の怪我も、その祟りではないかとスタッフやその周辺では考えられていて、代役はおろか、他の役者やスタッフも、ぼろぼろ辞めて行っている状態なのだという。作品自体は、一応スポンサーがついているものの、とにかく完成させなければ、どうにもならないらしい。
「なあ、頼むよ。このとおり」
 頭を下げられ、草間は小さく溜息をついた。
「一応、探してみるけど。期待はするなよ」
 念のため、そう釘だけは刺しておいて、草間はしぶしぶと重い腰を上げた。

【撮影・一日目】
  《1》
 車から降り立って、シュライン・エマは目の前に建つ洋館を見上げた。
 早朝の淡い光の中にうっそりと建つそれは、思ったほどひどい外観をしてはいない。すでに十年前から誰も住まなくなったと聞いていたが、少し手を入れれば、充分に生活できそうだ。さすがに、玄関前などは撮影のために、シネマのスタッフが草刈りなどして手入れしたのかもしれないが、建物の壁などには廃屋といった感じはなかった。
「思っていたほど、ひどくはないですね」
 綾和泉匡乃が、そう声をかけて来る。
「ええ」
 シュラインはうなずいた。
 匡乃は、草間に頼まれて撮影に参加することになった者たちの一人だ。すらりとした長身の体に、ラフな服装で、短い黒髪と黒い目、温厚そうな顔立ちの彼は、普段は予備校の講師をしている。シュラインの友人でもあった。年齢は、二十七。彼女より一つ年上だ。
 たしかに、思っていたほどひどくはない。
 シュラインも事前にここのことを調べて、土地や家屋の管理者に話を聞いたり、古い新聞記事をチェックしたりはしていたし、建物の写真を目にしてもいた。しかし、それらの多くは十年前のもので、写りもあまりよくなかった。だから、もっと老朽化してしまっているかと考えていたのだ。
 ちなみに、彼女が調べたところでは、この洋館は十五年前に、ある企業の社長が別荘として建てたものらしい。そこに十年前、その息子である佐久間一志が新婚の妻・百合と共に新居として移り住んだ。ところが、二人の間の赤ん坊が、庭にあった井戸に落ちて死ぬという惨劇が起り、百合はその後、精神を病んで自殺。一志もここを離れて、以後別荘としてさえ使われなくなったのだそうだ。
 赤ん坊の死について、警察は事故として処理したが、近隣の人々は育児ノイローゼになった百合が殺害したのではないかと噂したという。なので、彼女のその後の病気や自殺は、そのせいではないかと言う者もいた。
 ともあれ、その後、この洋館では井戸から赤ん坊の泣き声が聞こえたとか、中をうろつく女の姿を見たとか、夜中に館全体が青白く光るとか、写真を撮ったら何かが写り込んでいたとか、そんな話が後を断たなくなったのである。
 シュラインは一応、今回のシネマの撮影に対して、人為的な妨害が成された可能性についても、調べてみた。だが、そちらはありそうにない。この件を草間の元に持ち込んだ葛城直人は、普段はコマーシャルフィルムやエロビデオの企画や監督をやっている人物で、その業界では中堅どころに位置する。が、敵は少なく、今回のシネマ製作にしても、一部で注目されてはいるが、成功したからといって彼の名前が一躍世間に知られるようになる、というほど華々しいものでは、ないようだった。なので、主演女優に怪我をさせてまで、邪魔をするというのは、あり得ないようにシュラインには思えた。
 すでに、シネマの元からのスタッフらも別の車で、洋館に到着していた。シュラインたちは、葛城に彼らと引き合わされる。
 ちなみに、シュラインたちの方は、彼女と匡乃を含めて五人だ。残りのメンバーは、フリーターの天壬(てんみ)ヤマトと、絵画の修復や言語の研究をしているマリオン・バーガンディ、そして高校生の桐生暁(あき)である。
 シュライン以外は男ばかりだが、怪我をした女優の上沼知恵にかわって主演を務めることになったのは、暁だった。細身で色白な上に、きれいな顔立ちをしていることもあって、女装すればなんとかなるだろう、ということになった。
 また、その相手役を匡乃が務めることになった。実は、知恵の怪我で降板した者たちの中には、ヒロインの相手役もいたのだ。匡乃はあまり気乗りしない様子だったが、草間にも頼まれてしまい、しかたなく引き受けたようだった。
 残るヤマトとマリオンは、スタッフだ。もちろん、シュラインも同じくだった。

  《2》
 洋館の中に足を踏み入れたシュラインたちは、進行役のスタッフに、中をざっと見せてもらうことになった。
 建物は二階建てで、一階は居間と台所、応接間とバス・トイレがあり、二階は六畳の部屋が二つと四畳半の部屋が一つ。そしてその上に四畳半ぐらいの屋根裏部屋が一つあった。
 撮影は主に一階を使って行われているという話で、そちらは隅々まで埃が払われ、撮影機材と共に調度も並べられていた。廃屋といっても、電気や水道、ガスはちゃんと通っており、台所のキッチンやバス・トイレは普通に使うことができた。
 二階の六畳間二つが、役者とスタッフの宿泊に利用されていて、男女別に分けて使っている。残る四畳半の部屋には、撮影用の小道具などが置かれていた。
 洋館には、小さな裏庭があって、そこも撮影に使うのか、きれいに草が刈られて、撮影用の木々や花の鉢、プランターなどがあちこちに置かれている。
 十年前、赤ん坊が落ちて死んだという井戸は、その庭の片隅にあった。
 もっとも、今はもう井戸としては使えないだろう。厚くコンクリートで塗り固められてしまい、昔はあったのだろう釣瓶も何も、全て取り払われてしまっているのだから。頭上には、藤棚の名残と思える屋根が残っていたが、すでに花も木もなく、なんとなくここだけ、侘しい感じがする。
「この井戸……やっぱり、なんかありそうっスね」
 井戸を見やって言ったのは、ヤマトだった。フリーターで、年齢は二十歳前後というところか。金の髪に青い目と、小麦色の肌をした、健康的な美青年である。そして、このメンバーの中で、唯一霊感のある人物だ。
 いや、正確には匡乃も退魔の力を持っているのだが、当人はあまりそちらは関わりたくないらしく、公言はしていない。対してヤマトは、最初から廃屋に行ったら、一度、霊査してみたいと言っていた。おそらく、こうして建物の中を巡る間も、それを行っていたのだろう。
「なんかって、霊とかそういうの?」
 暁が、尋ねる。
「でも、ここで死んだのは赤ん坊なのですよね? ということは、赤ん坊がまだ亡霊になって残っているってことなのですか?」
 マリオンも、怪訝な顔で訊いた。
 こちらは、一見すると十八歳ぐらいにしか見えない。小柄な体格に、黒い髪と金色の目、白い肌をしている。ただし実際には、二百年以上も生きている長生者の一人だった。
「う〜ん。もうちょっとよく見てみないと、わかんないっスけどね。でも、噂の中には、赤ん坊の声を聞いたっていうのもあるし……全然関係ないわけじゃ、ないと思うんですよね」
 首をひねって答えると、ヤマトは彼女たちを見回して言う。
「オレ、もう少しここ調べてみたいんで、先に行ってくれますか」
「わかったわ」
 うなずいてシュラインは、案内役の進行係スタッフを見やった。こちらも葛城から、彼女たちがもしかしたら幽霊も退治てくれるかもしれないと、聞かされているのだろう。うなずいた。
 そこで彼女たちは、ヤマトを残して、建物の中へと戻った。
 中ではすでに、撮影準備が始められている。役者の方をやることになっている暁と匡乃は、衣装とメイクのスタッフに案内されて姿を消し、シュラインとマリオンもそれぞれ、照明を手伝うよう言われて、機材の傍へ移動する。
 彼らが撮っている作品は、『迷宮のペルソナ』と題されたミステリーだ。大富豪が危篤状態に陥り、彼の四人の娘たちが、遺産を巡って争う。
 ヒロインは、一人だけ母親の違う末の娘で、父親に溺愛され、生前から父の死後は全財産を相続することが約束されている。が、彼女は異母姉と父によって死に追いやられた母の復讐のため、父の主治医と手を組んで、異母姉とその夫らを次々と殺し、自分さえも死んだことにして、長姉に罪をなすりつけるのだ。更に父をも殺そうとするが、さすがにそれは果たせず、やがて病死した父の傍で涙にくれた後、姿を消してしまうという、なんともやるせない物語だった。
 やがて、用意の整った暁と匡乃が、撮影現場に姿を現した。
(すごいわね。ちゃんと、女性に見えるじゃない)
 シュラインは、小さく目を見張って胸に呟く。
 胸は、さすがに詰め物でもしているのだろうか。清楚なブラウスとスカートに身を包み、長い黒髪のかつらで、本来の短い金髪を隠してしまった暁は、たしかに充分、女性に見えた。それも、極上の美少女に。着替える前は赤かった目も、今は黒い。カラーコンタクトを入れていると言っていたから、おそらくはずしたのだろう。
 一方、匡乃の方は、役柄が医師ということで、スーツの上に白衣をまとい、小道具の銀縁メガネをかけている。こちらもなかなか、悪くない。
(メガネをかけると、さすがに兄妹ね。なんだか、ちょっと彼女に似てる)
 シュラインは、小さく苦笑して、同じく友人でもある彼の妹を思い出した。
 ヒロインとその相手役がそろったところで、他の役者やスタッフも位置に着き、撮影が始められた。

  《3》
 撮影が一段落したのは、すでに午後の二時近くになってからだった。途中で手の空いた者から、軽く食事をしたものの、早朝からの強行軍に、シュラインたちもやや疲れ気味だ。
(思っていた以上にハードね。こんなので、亡霊のことまで調べたり、退治したりする時間、あるのかしら)
 シュラインは、台所の椅子に座り込み、小さく吐息をついて、そんなことを思う。
 そこへ、奥の厨房にいたマリオンが、お茶とクッキーの乗った盆を手に、やって来た。
「お疲れ様なのです。お茶とお菓子をどうぞです」
「ありがとう。……これ、あんたが持って来たの?」
 盆の上から紅茶のカップとクッキーをいくつか取りながら、シュラインは問う。
「はい。休憩のお供に必要かと思ったので、持って来たのです」
 うなずいて、マリオンは傍のテーブルに盆を置くと、彼女の隣に腰を降ろした。
「撮影中は、これといって何もありませんでしたね」
「そうね」
 シュラインもうなずく。
 葛城の話では、上沼知恵が主演していた時は、いろいろあったらしい。撮影中に機材が動かなくなるとか、何もない所で光が閃いたり、何かが動くのが見えたりなどということが、しょっちゅう起ったそうだ。あげく、知恵は庭で撮影中に大怪我をして入院した。ころんだところに、大道具の木が倒れて来て、その下敷きになったのだ。そしてそれをきっかけに、他の役者やスタッフも次々とやめて行った。
 ちなみに、ヒロインの名前は「百合」という。シュラインは、それがなんとなく気になっていた。知恵が怪我をしたのは、その役名のせいではないのか、という気がするのだ。
 だが確証はないし、マリオンの言うとおり、今のところは何も起っていない。
 そこへ、お茶とクッキーを見つけてだろう、ヤマトと暁もやって来た。
「うまそう。いただき」
 暁は、その美少女の外見とはそぐわない口調で言って、クッキーをつまむ。
「オレもいただきます」
 ヤマトは行儀よく言って、同じくクッキーを何枚かつまみ、紅茶のカップを一つ取って、空いた椅子に腰を降ろした。
「井戸について、何かわかった?」
 シュラインが尋ねる。彼は、撮影が始まって三十分ぐらいしてから、戻って来たのだった。
「やっぱり、赤ん坊の霊は、あそこに残ったままでしたね。オレが説得して、霊界に送りました。でも、もう一人いるんスよね。……女の影が現れて、何か言いたげにオレを見詰めて、消えて行ったんっスよ」
 ヤマトは、紅茶を飲みながら答える。
「女の影? でも、井戸で死んだのは、赤ん坊だけのはずよ。たしか、自殺した佐久間百合さんは、屋根裏部屋で自分の首をかき切ったってことだもの」
「オレもそれは、知ってます。一応、図書館とかで調べたんで」
 眉をひそめて言うシュラインに、ヤマトは返した。
「だから、オレも変だとは思うんですけどね。ただ、顔が……影みたいだったんで、よく見えなかったんスけど、佐久間百合さんじゃないと思うんスよ」
「どういうこと?」
 シュラインは、更に眉をひそめて尋ねる。それへ逆にヤマトは、問い返した。
「百合さんの、写真とか見ました?」
「ええ」
 シュラインは、うなずく。
「俺も一応見たぜ。ここのこと、ざっとだけど、調べたしさ」
「私も、ネットで事件の記事を調べた時に、見ました」
 暁とマリオンも、同じくうなずいた。
 ヤマトは、そんな彼女たちを見やって、続ける。
「なら、わかるでしょ? 目鼻立ちがくっきりして、艶やか感じの美人ですよね。けど、オレが見たのはもっと……大人しげな感じの人だったんスよ。それに、百合さんはここにはいないっス。ちゃんと、霊界へ行ってますね」
「だから、百合さんではない……と?」
 シュラインは、少しだけ混乱して尋ねた。
「ええ。オレには、そんな感じがしたんス」
 ヤマトが、慎重にうなずく。
 シュラインは、それを見やって考え込んだ。少なくとも、彼女が事前に調べた範囲では、この洋館の噂話に佐久間夫婦とその赤ん坊以外の名前は、浮上して来ていない。
(もう少し、佐久間夫婦の周辺を調べてみる必要があるってことかしら。それとも、この館には、彼らが住むようになる以前に、何かあったってこと?)
 だが、それも変だった。ここは、この館が建てられる以前は、ただの原っぱだったというし、夫婦が住み始める以前の五年間にも事件や事故などは、起こっていない。
 と、そこへさっきから姿が見えなかった匡乃が現れた。
「美味しそうですね。私もいただいて、いいですか?」
 テーブルの上のクッキーを見やって、彼女たちに尋ねる。
「どうぞなのです」
 マリオンが答えると、彼はクッキーを何枚かつまんで、空いている椅子に腰を降ろした。そして、口を開く。
「この周辺の散策ついでに、ちょっと聞き込みをしてみたんですが、面白い話を聞きましたよ」
「面白い話?」
 シュラインが問い返し、マリオンとヤマト、暁の三人も聞き耳を立てる。
「ええ。……佐久間夫婦がここを新居として使っていて、まだ赤ん坊も生きていたころ、ここにはもう一人、香坂萌って女性が出入りしていたらしいんです」
 うなずいて、匡乃は言った。
「香坂萌……何者なの?」
「佐久間百合の幼馴染みで、夫の一志とも大学で知り合い、三人でいつも一緒だったそうですよ。それで、百合と一志の結婚後も、ここへよく出入りしていたようです。ただ、近隣の人たちの間では、いろいろ噂になってたみたいですけどね。萌が一志の愛人だとかなんとかって」
「その噂に、信憑性ってあるわけ?」
 ずっと黙って聞いていた暁が、尋ねる。
「さあ。そこまでは、わからないですね。噂は噂にすぎないし……。実際、過去の事件の記事なんかには、彼女の名前は出てないみたいですからね」
 匡乃は、小さく肩をすくめて返した。
「そうね。……でもこれで、もう一つの可能性が出て来たわね」
「どういうことです?」
 うなずいて呟くシュラインに、匡乃が問う。そこで彼女は、ヤマトが井戸の所で見たという、女の霊のことを話した。
「じゃあ、その女性が香坂萌である可能性もある……と?」
 匡乃は、シュラインとヤマトを交互に見やって訊く。
「ええ。かもしれないっス。でも、もしあれがその萌さんだとしたら……その人も、もう死んでる。しかも、ここでってことになりますけどね」
 うなずいて、考え込みながら、半ば呟くように言う彼に、シュラインたちは思わず顔を見合わせた。
 その時、進行係のスタッフが、休憩の終わりを告げて回る声がした。
「この件はまた、夜にでも話し合いましょ」
 シュラインの言葉に、全員がうなずいて、立ち上がった。

  《4》
 その日の撮影が全て終了したのは、ずいぶんと夜も遅い時間になってからだった。
 昼間はああ言ったものの、五人は誰もくたくたに疲れ切っていて、とても幽霊騒ぎについて話し合うような気分には、なれなかった。
 そんなわけで、結局彼らは、交替でシャワーを浴びるのもそこそこに、宿泊所としてふり分けられた六畳間に、他のスタッフや俳優らともども、ざこ寝状態でころがると、あっという間に眠ってしまったのだった。
 その眠りの中で、シュラインは夢を見た。
 夢の中でシュラインは、どうしてだか香坂萌になっていた。
 萌と百合は、小学校のころからの友人同士だった。だが、百合はいつも彼女には居丈高で、女王然としてふるまい、そして彼女の大切なものを、ことごとく取り上げた。小さいころは、人形やリボンやアクセサリーといった、たわいのないものだった。しかし長じるにしたがってそれは、友人や恋人へと変わって行った。
 佐久間一志も、そうしたものの一つだった。
 一志はもともと、萌の恋人だったのに、百合に誘惑されて、心がわりしたのだ。
 そんなひどい友人なのに、どうして百合から離れられないのか。萌自身にも、よくわからない。
 そんな彼女にある時、百合は言った。
「私がどうして、あなたのものを、全て奪うかわかる? あなたを、傍に置いておくためよ。……そうよ。一志なんかに、あなたは渡さない。あなたが見ていいのは、私だけですもの。あなたが考えていいのは、私のことだけよ」
 あの井戸のある藤棚の下で、赤ん坊をその腕の中であやしながら、艶やかな笑顔と共に、百合はそんな言葉を、萌に投げつけたのだ。
 その後、自分が何をしたのかを、萌ははっきりとは覚えていない。
 百合を、なじった気がする。彼女と口論になった気がする。
 気がついた時、萌は彼女から取り上げた赤ん坊を、井戸の中へと投げ落としていた。
 火のついたような赤ん坊の泣き声と、やがて井戸の底から響いた嫌な音を、萌は鮮やかに記憶している。その後、あたりは静かになり、それから――百合は、自首すると告げた彼女を、屋根裏部屋へと閉じ込めた。
 そのころすでに萌の両親は他界しておらず、彼女が姿を消しても心配してくれるような友人もいなかった。だから彼女の姿が見えなくなっても、誰も気にする者はいなかったのだ。
 萌が、そこから逃げ出したのは、何日目のことだっただろうか。けれど、彼女は百合に追い詰められ、捕らわれて、今度は井戸に落とされた。そう、あの百合の赤ん坊が死んだ、あの井戸に。
 萌の目に最後に映ったのは、満開の藤の花と、空にかかる細い月。
(ああ……。なんて、きれいなんだろう)
 夢の中の萌の目を通してそれを見ながら、シュラインは小さく呟いた。

【撮影・二日目】
 翌朝。
 シュラインは、鈍い頭痛を抱えたまま、目覚めた。ぐっすり眠ったはずなのに、体はだるく、昨日の疲れは残ったままだった。
(変な夢だったわよね。……それとも、本当にあったことだったりして)
 ぼんやりと、コーヒーを飲みながら思うが、すっきりしない頭のせいか、考えがまとまらなかった。
 他のメンバーはどうだったのだろうかと、ふと思ったが、ろくに話す暇もなく、撮影が始まってしまった。
 この日の撮影は、昨日にも増して強行軍で、昼食と夕食のための短い休憩を間に挟んだだけで、あとは休む間もなく、続けられた。が、すでに九時を回っても、この日の予定は消化されないままだった。
 原因の一つは、機材にトラブルが続出したせいでもある。が、俳優陣もなんとなくおちつかず、NGが多い。
 今撮影しているのは、暁と匡乃のシーンだ。異母姉もその夫たちも死に、あるいは逮捕されて、屋敷の中に今にも死にかけた父と共に残されたヒロインに、医師が父親を殺すことを思いとどまらせようとする場面だ。
「『百合。もうやめよう。……富蔵氏は、君が手を下さなくても、もうあと数日の命だ。どれだけ手を尽くしても、どっちみち助からない。同じことじゃないか』」
 匡乃が、暁の後ろに立って、訴える。
「『雅弘さん。あなたの言うことはわかるわ。でも、それではだめなの。私は、母の復讐を果たすわ。でなければ……』」
 ふり返って押し殺した声で返す暁の言葉が、ふいに途切れた。
 それと、ほぼ同時に。パンッ! という音と共に、あたりが真っ暗になった。
「ど、どうしたんだ?」
「誰か、懐中電灯をつけろ!」
 とっさのことで、非鳴と怒号が飛び交う。どうやら、電気が一斉にショートしたらしい。
 シュラインも、慌ててポケットに入れていたペンシルライトを取り出し、スイッチをひねる。他の者たちも、各々、懐中電灯やライターをつけた。おかげで、あたりは明るくなる。
 葛城の指示で、スタッフの一人が、電源を調べるために、部屋を出て行った。
「シュラインさん、なんかヤバイっスよ。これ」
 そっと傍に歩み寄って来たヤマトが、囁く。
「つまり、心霊現象ってこと?」
 問いながら、シュラインはポケットにしのばせた小さな瓶を、思わず握りしめた。気休めぐらいにはなるかと思い、地元の神社のお神酒を少しもらって、持参しているのだ。
「ええ。……っていうか……」
 ヤマトがそれへ、何か言いかけた時だ。
「百合。……ひどいわ、百合。どうして、どうして井戸を塗り込めてしまったりしたの? 中に私がいるって、あなたは知ってたはずなのに。どうして……!」
 暗闇を貫くように、一つの声が響いた。
 ハッとして、その場の全員が、声のした方をふり返る。声の主は、女性のスタッフの一人だった。だが、明らかに顔つきがおかしい。手には、どこから持って来たのか、抜き身のナイフを握りしめていた。
「危ない! 誰か……!」
 それに気づいて、ヤマトが叫ぶ。女性の近くにいたスタッフが、二人ほどそちらへ駆け寄ったが、女性の動きの方が、早かった。暁めがけて突進するなり、ナイフが閃く。他の者たちの口から非鳴が上がり、誰もが息を飲んだ。
「暁くん!」
 シュラインは、思わず叫んでポケットの中の小瓶を、そちらへ投げつける。中身がぶちまけられて、強烈な酒の匂いがあたりに充満した。女性が一瞬、怯む。
 その瞬間。
 暁の体は、暗闇の中で、まるで舞うように翻り、一瞬の動作で女性の手からナイフを叩き落としていた。だけでなく、彼女の腕を後ろに捻り上げて、動けないように拘束する。
「なかなか、やるもんだねぇ」
 ヤマトが呟くのが聞こえた。シュラインも、その見事な動きに、目を丸くする。その横で、ヤマトが動いた。女性に歩み寄り、声をかける。
「香坂萌さん、ですよね? なんで、こんなことするんスか? 萌さんが刺そうとした人は、百合さんじゃないっスよ」
 だが、女性――いや、女性に取り憑いた香坂萌は答えない。ただ、ヤマトを凄まじい目で睨み据えただけだ。ヤマトは、小さく吐息をつく。
「ねぇ、萌さん。ゆうべ、オレの夢に出て来ましたよね。ここの井戸に閉じ込められて、死んだって夢の中で、訴えてましたよね。赤ちゃんを殺したのも、自分だって。でもそれは、百合さんがひどいことをしたからだって。……オレにも、萌さんの気持ちはわかるっス。でも、こんなことしてても、自分が辛いだけっスよ? 百合さんも、十年も前に自殺して、もう今は、ここにはいないんスよ。……だから、そろそろ行くべき所に、行きませんか。オレなら、萌さんを、そこへ送ってあげることもできるっスよ?」
 ヤマトは、どこか優しささえ感じさせる口調で言い募った。
 しかし、萌の態度はやわらぐ様子もない。それどころか、彼女の顔は、ますます険しくなって行くだけだ。暁の拘束から逃れようと、乱暴に身をもがく。
「ねぇ……」
 ヤマトが、再び口を開きかけた。それを、遮るように。
「これ以上説得しても、無駄なのです」
 鋭く言ったのは、マリオンだ。
「マリオン……」
 シュラインは、思わず目を見張る。彼は、彼女の傍を通り抜けると、真っ直ぐにヤマトと萌、暁の傍へと歩み寄った。
「たぶん、前の主演女優の上沼知恵さんが怪我をしたのも、この人のせいなのです。たまたま、ヒロインの名前が『百合』だった、きっとその偶然が、この人を動かしたんだと思います。……長くここに居すぎて、本物の百合さんの顔も忘れてしまっているのです。だから、自分が百合さんだと思っている人に、復讐していたのです。でもそれなら、気の済むようにさせてやればいいのです」
 言うなりマリオンは、萌――というか、取り憑かれた女性スタッフの肩に、手をやった。そこから、乱暴な手つきで萌の霊体を引きずり出す。そして、もう一方の手で空中に円を描くと、そこにわずかに覗く別の空間へ、霊体を投げ込んだ。そのまま軽く手を動かすと、たった今現れたばかりの別の空間は、すぐに消えてしまう。
 一瞬の出来事で、誰もがいったい何が起こったのか、把握できなかったに違いない。
 シュラインにも、彼が何をしたのか、今一つよくわからなかった。
 だが、彼女が何か尋ねる前に、ふいにあたりが明るくなった。まるで何事もなかったかのように、天井からは照明器具の明かりが晧々と降り注ぎ、さっきまで沈黙していた撮影用のライトもカメラも、音声機器も、全てが息を吹き返したのだ。
 そのことに、その場の全員が思わず安堵の息をつく。
 見れば、萌に取り憑かれていた女性は、ぐったりとして床に倒れ伏していた。シュラインが駆け寄ると、他にも何人かスタッフがやって来た。すぐに撮影用に置かれているソファに横たえられる。シュラインがざっと見たところ、どこも怪我などはしていないようだ。暁に捻り上げられていた手首が、少し赤くなっている程度だろう。
(よかった)
 そのことに安堵して、シュラインは小さく吐息をついた。そして。
(それにしても、やっぱり上沼知恵さんの怪我は、ヒロインの名前のせいだったのね)
 改めて彼女は、自分の考えが正しかったことを知って、胸にうなずいた。
 明かりが着いたことで、やっとスタッフや役者らの間にも、活気が戻って来る。そんな中に、葛城と進行係の、しばらく休憩した後、撮影再開を告げる声が、大きく響き渡った。

【エンディング】
 その後も撮影は、連日強行軍で続けられ、半月余りでようやく全行程が終了した。
 そのころには、シュラインたちも撮影に慣れ、スタッフや俳優たちともすっかり打ち解けて、むしろ終わるのが惜しいほどになっていた。
 それから更に二ヶ月が過ぎ、そろそろ冬の寒さが忍び寄り始めるころ、『迷宮のペルソナ』の関係者だけを集めた試写会の知らせが、シュラインの元にも届いた。
 会場で、出来上がった作品を見ながら、シュラインはふと香坂萌に思いを馳せる。
 後でマリオンに聞いたところ、彼は空間同士をつなぐという自分の能力を使って、十年前のあの洋館へ、萌の亡霊を放り込んだのだという。
(十年前の、まだ生きている百合さんに会って、彼女は恨みを晴らしたのかしら。それとも……)
 胸に呟き、彼女はハッと顔を上げる。
 眼前の小さなスクリーンに映し出されている映像の上に、なぜだかもう一つ、別の映像が重なっているのが見えた。そこにいるのは、写真で見た佐久間百合と、もう一人、見知らぬ女性だ。いや、正確には女性の亡霊だった。彼女の体の向こうに、壁が透けて見えている。場所は、あの洋館の屋根裏部屋のようだ。
『ごめんなさい、許して、萌。あなたを、殺すつもりなんか、なかった。朝には、井戸から出すつもりだったの。本当よ。少しこらしめるだけのつもりだったんですもの。あの日の朝、井戸をふさぐための工事が始まるのは、知ってたわ。あの子の死の後、危ないからって、一志が決めたことよ。……でも、間に合うって思っていたの。朝早くに行って、あなたを出せば、大丈夫だって。けど……私が行った時にはもう……』
 百合の、そんな悲痛な叫びが聞こえる。
『ひどいことをしたとは思うわ。でも私はただ、あなたに傍にいてほしかっただけなの。……だから、待っていて。すぐに、あなたの所に、私も行くから』
 そうして、百合は自分の首にナイフをあてがうと、一気に横に引いた。
「あ……!」
 シュラインは、思わず両手で顔をおおう。が、次に彼女が目を開け、スクリーンを見た時には、すでにその映像は消えていた。
(いったい、今のはなんだったのかしら?)
 額ににじむ冷や汗を拭って、他の人間の反応をうかがうように、あたりを見回す。と、ヤマトと目が合った。どうやら、彼にもあれは見えていたようだ。いや、彼だけではない。マリオンも暁も、匡乃も、少なくとも草間に頼まれて行った者は全員、どこかそそけ立った顔をして、あたりを見回していた。
(あれは、萌さんが最後に私たちに残した、メッセージだったのかもしれないわね。そして、映し出されていたのは、百合さんの自殺の真相……)
 ややあって、シュラインはそんなふうに思った。萌の望みは結局、復讐ではなく、ただ百合に会うことだったのかもしれない、とも彼女は思う。だから、結果的に生きている百合の元へ送ってくれた彼女たちに、感謝の意味であんなものを見せたのかもしれないと。
 シネマの出来は、なかなか悪くなかった。画面の中で、暁はどこからどう見ても清楚な美少女でしかなく、そして匡乃も誠実にヒロインを愛する医師を好演していた。
 見終わって、シュラインは思わず満足の溜息をつく。
(いろいろトラブルがある中で撮ったことを考えても、上出来よね。……たくさん売れて、人気が出るといいわね。でも、さすがにこんな強行軍につきあうのは、これでおしまいにしたいわね)
 胸に呟き苦笑して、彼女はいまだ胸の奥に残る、どこかやるせない気持ちをふり払おうとした。
 シネマの最後で、匡乃が演ずる医師は、姿を消したヒロインの消息を求めて旅立って行く。ヒロインの犯した罪は消えないが、それでも二人が巡り会い、幸せになってほしいと願わずにいられないラストだった。
 それと同じように、萌と百合も魂だけの世界では、互いの想いに正直に、幸せになってほしいと、ふと願うシュラインだった――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1575 /天壬ヤマト(てんみ やまと) /男性 /20歳 /フリーター】
【1537 /綾和泉匡乃(あやいずみ きょうの) /男性 /27歳 /予備校講師】
【4164 /マリオン・バーガンディ /男性 /275歳 /元キュレーター・研究員・研究所々長】
【4782 /桐生暁(きりゅう あき) /男性 /17歳 /高校生アルバイター・トランスのギター担当】

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■         ライター通信          ■
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●シュライン・エマさま
いつも参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
結局、幽霊退治の方が主になってしまいましたが……
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。