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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


Vシネマ撮影秘話

【オープニング】
 近くまで来たからと、事務所に顔を出した草間の大学時代の友人は、Vシネマの監督になっていた。
 そういえば、大学時代も映画の自主制作などやっていたのだと思いながら、草間はその友人――葛城の近況などを聞いていた。ところが、話は次第におかしな方向にころがって行く。
 一月前に開始した作品の撮影が、現在、途中で止まったままだというのだ。なんでも、主演女優が大怪我をして、代役探しが難航しているそうだ。
「なあ草間。おまえのツテで、主演によさそうな女の子、捜してくれないかな。それと、他にも役者やスタッフが何人か足りないから、そういうのできそうな人間もいると、ありがたいんだけどな」
 あげく、葛城はそんなことを言い出した。
「なんでそんなこと、俺に言うんだよ。芸能プロとかそういうところで探せば、いくらもみつかるだろ。……そっちのツテは、おまえの方があるんじゃないかよ」
 嫌な顔で返す草間に、彼は言う。
「それが……実はちょっと、無理かもしれないんだ」
「無理って、何が」
 問い返す草間に、彼は理由を話した。
 いわく、撮影のために借りた廃屋というのが、幽霊が出るので有名な場所で、そもそも主演女優の怪我も、その祟りではないかとスタッフやその周辺では考えられていて、代役はおろか、他の役者やスタッフも、ぼろぼろ辞めて行っている状態なのだという。作品自体は、一応スポンサーがついているものの、とにかく完成させなければ、どうにもならないらしい。
「なあ、頼むよ。このとおり」
 頭を下げられ、草間は小さく溜息をついた。
「一応、探してみるけど。期待はするなよ」
 念のため、そう釘だけは刺しておいて、草間はしぶしぶと重い腰を上げた。

【撮影・一日目】
  《1》
 車から降り立って、綾和泉匡乃は目の前に建つ洋館を見上げた。
 早朝の淡い光の中にうっそりと建つそれは、思ったほどひどい外観をしてはいない。すでに十年前から誰も住まなくなったと聞いていたが、少し手を入れれば、充分に生活できそうだ。さすがに、玄関前などは撮影のために、シネマのスタッフが草刈りなどして手入れしたのかもしれないが、建物の壁などには廃屋といった感じはなかった。
「思っていたほど、ひどくはないですね」
 彼は、傍に立つシュライン・エマに声をかけた。
「ええ」
 彼女もうなずく。
 シュラインは、草間の頼みで撮影に参加することになった者たちの一人だ。すらりとした長身の体にパンツルックをまとい、長い黒髪と青い目の、知的な美人だった。髪は後ろで一つに束ねてしまっている。本業は翻訳家だが、草間興信所の事務員もしていた。匡乃の友人で、彼より一つ下の二十六だ。
 おそらく彼女も、もっと老朽化した建物だと思っていたのだろう。
 ちなみに、彼がこの近辺に住む教え子たちから聞いた話では、この洋館は十五年前に、ある企業の社長が別荘として建てたものらしい。そこに十年前、その息子である佐久間一志が新婚の妻・百合と共に新居として移り住んだ。ところが、二人の間の赤ん坊が、庭にあった井戸に落ちて死ぬという惨劇が起り、百合はその後、精神を病んで自殺。一志もここを離れて、以後別荘としてさえ使われなくなったのだそうだ。
 赤ん坊の死について、警察は事故として処理したが、近隣の人々は育児ノイローゼになった百合が殺害したのではないかと噂したという。なので、彼女のその後の病気や自殺は、そのせいではないかと言う者もいた。
 ともあれ、その後、この洋館では井戸から赤ん坊の泣き声が聞こえたとか、中をうろつく女の姿を見たとか、夜中に館全体が青白く光るとか、写真を撮ったら何かが写り込んでいたとか、そんな話が後を断たなくなったのである。
 すでに、シネマの元からのスタッフらも別の車で、洋館に到着していた。匡乃たちは、葛城に彼らと引き合わされる。
 匡乃たちの方は、彼とシュラインを含めて五人だ。残りのメンバーは、フリーターの天壬(てんみ)ヤマトと、絵画の修復や言語の研究をしているマリオン・バーガンディ、そして高校生の桐生暁(あき)である。
 シュライン以外は男ばかりだが、怪我をした女優の上沼知恵にかわって主演を務めることになったのは、暁だった。細身で色白な上に、きれいな顔立ちをしていることもあって、女装すればなんとかなるだろう、ということになった。
 また、匡乃はその相手役を務めることになった。実は、知恵の怪我で降板した者たちの仲には、ヒロインの相手役もいたのだ。暇つぶしを探しに草間の事務所に来て引き受けた仕事だけに、彼としては、できればスタッフの方がよかった。が、草間にまで頼まれて、結局いやと言えなくなった。そこで、本当にしかたなく、しぶしぶ引き受けた次第だ。
 一方、ヤマトとマリオン、それにシュラインはスタッフである。
 そのことに、改めて理不尽なものを感じながら、彼は促されるままに、洋館へと足を踏み入れた。

  《2》
 匡乃らはまず、進行役のスタッフに、中をざっと見せてもらうことになった。
 建物は二階建てで、一階は居間と台所、応接間とバス・トイレがあり、二階は六畳の部屋が二つと四畳半の部屋が一つ。そしてその上に四畳半ぐらいの屋根裏部屋が一つあった。
 撮影は主に一階を使って行われているという話で、そちらは隅々まで埃が払われ、撮影機材と共に調度も並べられていた。廃屋といっても、電気や水道、ガスはちゃんと通っており、台所のキッチンやバス・トイレは普通に使うことができた。
 二階の六畳間二つが、役者とスタッフの宿泊に利用されていて、男女別に分けて使っている。残る四畳半の部屋には、撮影用の小道具などが置かれていた。
 洋館には、小さな裏庭があって、そこも撮影に使うのか、きれいに草が刈られて、撮影用の木々や花の鉢、プランターなどがあちこちに置かれている。
 十年前、赤ん坊が落ちて死んだという井戸は、その庭の片隅にあった。
 もっとも、今はもう井戸としては使えないだろう。厚くコンクリートで塗り固められてしまい、昔はあったのだろう釣瓶も何も、全て取り払われてしまっているのだから。頭上には、藤棚の名残と思える屋根が残っていたが、すでに花も木もなく、なんとなくここだけ、侘しい感じがする。
「この井戸……やっぱり、なんかありそうっスね」
 井戸を見やって言ったのは、ヤマトだった。フリーターで、年齢は二十歳前後というところか。金の髪に青い目と、小麦色の肌をした、健康的な美青年である。そして、このメンバーの中で、唯一霊感のある人物だ。
 いや、正確には匡乃も退魔の力を持っているのだが、あまりそちらには関わりたくないので、公言していないのだ。むろん、つきあいの長いシュラインは、そのあたりのことを知っているだろうが、黙っていてくれるもりらしい。
 対してヤマトは、最初から廃屋に行ったら、一度、霊査してみたいと言っていた。おそらく、こうして建物の中を巡る間も、それを行っていたのだろう。
「なんかって、霊とかそういうの?」
 暁が、尋ねる。
「でも、ここで死んだのは赤ん坊なのですよね? ということは、赤ん坊がまだ亡霊になって残っているってことなのですか?」
 マリオンも、怪訝な顔で訊いた。
 彼は一見すると、十八歳ぐらいにしか見えない。小柄な体格に、黒い髪と金色の目、白い肌をしている。ただし実際には、二百年以上も生きている長生者の一人だった。
「う〜ん。もうちょっとよく見てみないと、わかんないっスけどね。でも、噂の中には、赤ん坊の声を聞いたっていうのもあるし……全然関係ないわけじゃ、ないと思うんですよね」
 首をひねって答えると、ヤマトは彼らを見回して言う。
「オレ、もう少しここ調べてみたいんで、先に行ってくれますか」
「わかったわ」
 シュラインがうなずいて、案内役の進行係スタッフを見やった。こちらも葛城から、彼らがもしかしたら幽霊も退治てくれるかもしれないと、聞かされているのだろう。うなずいた。
 そこで彼らは、ヤマトを残して、建物の中へと戻った。
 中ではすでに、撮影準備が始められている。役者の方をやることになった匡乃と暁は、衣装とメイクのスタッフに案内されて、二階の四畳半の部屋へと向かった。着替えやメイクも、男性はそっちですることになっているようだ。
 彼らが撮っている作品は、『迷宮のペルソナ』と題されたミステリーだ。大富豪が危篤状態に陥り、彼の四人の娘たちが、遺産を巡って争う。
 ヒロインは、一人だけ母親の違う末の娘で、父親に溺愛され、生前から父の死後は全財産を相続することが約束されている。が、彼女は異母姉と父によって死に追いやられた母の復讐のため、父の主治医と手を組んで、異母姉とその夫らを次々と殺し、自分さえも死んだことにして、長姉に罪をなすりつけるのだ。更に父をも殺そうとするが、さすがにそれは果たせず、やがて病死した父の傍で涙にくれた後、姿を消してしまうという、なんともやるせない物語だった。
 匡乃は、今まで着ていたラフな服装から、スーツと白衣といういかにも医者な衣装へと着替える。小道具の銀縁メガネをかけて、鏡の前に立つと、意外と似合うのがまた、我ながら嫌味な気がして、思わず苦笑した。
「なんか、本物の医者みたいだな」
 感心したような暁の声にふり返り、さすがの彼も一瞬、目を疑った。
 暁は、これ以上ないほどの美少女に変身していたのだ。
 胸は、さすがに詰め物でもしているのだろうか。清楚なブラウスとスカートに身を包み、長い黒髪のかつらで、本来の短い金髪を隠してしまっている。着替える前は赤かった目も、今は黒い。カラーコンタクトを入れていると言っていたから、おそらくはずしたのだろう。
 驚いている匡乃の前で、暁は艶やかに微笑むと、スカートの端をつまんで、くるりと一回転してみせた。
「どうだい? なかなかの美人だろ?」
「あ、ああ……。見違えたよ」
 うなずく彼に、暁はくすくすと笑う。
「きっと、シネマが出来上がって、クレジット見ても、誰も俺のこと、男だなんて思わないぜ。名前も、どっちか区別つきにくいしさ。さ、行って、他の奴らもびっくりさせてやろう」
 言って、彼の手を取ると、暁は楽しげに出口へ向かう。半ば引っぱられるようにして、その後に続きながら、匡乃は少しだけ撮影が楽しみになっていた。
 一方、二人を待っていたスタッフらは、彼らを感嘆の溜息で迎えた。やがて他の役者らも位置に着き、撮影は始められた。

  《3》
 撮影が一段落したのは、すでに午後の二時近くになってからだった。途中で手の空いた者から、軽く食事をしたものの、早朝からの強行軍に、匡乃たちもやや疲れ気味だ。
 それでも彼は、情報収集がてら散策としゃれ込むことにした。休憩が終わればまた撮影なので、さすがに服を着替えることはできないが、白衣だけは脱いで、外に出る。
 このあたりは、以前は知る人ぞ知る別荘地だったらしいが、現在残っているのは、この洋館だけだ。おそらく、撮影場所に選ばれたのは、近くに民家がなく、夜遅くまで騒いでいても周囲に迷惑にならないせいもあるのだろう。
 それにしても。演技に集中しているので、今一つ確信は持てないが、今のところは何も妙なことは起っていないようだ。
 葛城の話では、上沼知恵が主演していた時は、いろいろあったらしい。撮影中に機材が動かなくなるとか、何もない所で光が閃いたり、何かが動くのが見えたりなどということが、しょっちゅう起ったそうだ。あげく、知恵は庭で撮影中に大怪我をして入院した。ころんだところに、大道具の木が倒れて来て、その下敷きになったのだ。そしてそれをきっかけに、他の役者やスタッフも次々とやめて行った。
 ちなみに、ヒロインの名前は「百合」という。
 ここに来る前は、建物の老朽化もそうした異常の原因ではないのかと、匡乃は思っていた。しかし、今はその考えは消えている。むしろ、知恵の怪我は役名のせいではないか、という気さえしていた。
 しばらく歩くと、広い車道のある通りに出た。その近辺には、店もあれば民家もいくつも並んでいる。天気がいいせいか、車道沿いに並ぶ家の庭では、そこの奥さんらしい女たちが、花の手入れをしていたり、布団を干していたりするのを見かけた。
 匡乃は、まるで道を尋ねるセールスマンのような愛想の良さで、彼女たちに声をかけ、さりげなく、あの洋館についての情報を引き出す。年間契約で、あちこちの予備校を渡り歩いているだけに、人あしらいは悪くないのだ。それに、見るからに温厚そうな顔立ちや、態度物腰が、彼女たちに好印象を与え、警戒心をなくするのだろう。
 そうやって彼が得たのは、新たな情報だった。
 洋館にはもう一人、香坂萌という女性が、出入りしていたというのだ。
 萌は、佐久間百合の幼馴染みで、大学で一志とも知り合い、ずっと三人、仲がよかったそうだ。佐久間夫婦の結婚後は、頻繁に館に出入りしており、近隣の人々は、彼女が一志の愛人ではないかと噂していたという。
 ちなみに、百合は艶やかな美女だったが、萌は大人しげな感じの、百合とは正反対の印象のある女性だったらしい。
 だが、赤ん坊の死後は、彼女も館に訪れなくなったのか、近隣の人々が姿を見かけることは、なかったそうだ。
 そんな情報を手に彼が館に帰ると、台所でシュラインとマリオン、暁、ヤマトの四人がクッキーをつまみつつ、紅茶を飲んでいるところだった。
 井戸に残ったヤマトも、三十分ほどで戻って来て、その後はずっとスタッフとして共に働いていたのだ。
「美味しそうですね。私もいただいて、いいですか?」
「どうぞなのです」
 匡乃が尋ねると、マリオンがうなずいた。これらは、彼が用意したものなのかもしれない。
 匡乃は、クッキーを何枚かつまんで、空いている椅子に腰を降ろすと、自分が仕入れて来た情報について、彼らに話した。
「その噂に、信憑性ってあるわけ?」
 彼が話し終えると、ずっと黙って聞いていた暁が、尋ねる。
「さあ。そこまでは、わからないですね。噂は噂にすぎないし……。実際、過去の事件の記事なんかには、彼女の名前は出てないみたいですからね」
 匡乃は、小さく肩をすくめて返した。
「そうね。……でもこれで、もう一つの可能性が出て来たわね」
「どういうことです?」
 うなずいて呟いたシュラインに、匡乃は問う。それへ彼女は、ヤマトが井戸で赤ん坊の霊を成仏させたことと、女の影を見たこと。そして、その女は百合ではないと思うと告げたことを話した。
「じゃあ、その女性が香坂萌である可能性もある……と?」
 匡乃は、シュラインとヤマトを交互に見やって訊いた。
「ええ。かもしれないっス。でも、もしあれがその萌さんだとしたら……その人も、もう死んでる。しかも、ここでってことになりますけどね」
 うなずいて考え込みながら、半ば呟くように言うヤマトに、匡乃たちは思わず顔を見合わせた。
 その時、進行係のスタッフが、休憩の終わりを告げて回る声がした。
「この件はまた、夜にでも話し合いましょ」
 シュラインの言葉に、全員がうなずいて、立ち上がった。

  《4》
 その日の撮影が全て終了したのは、ずいぶんと夜も遅い時間になってからだった。
 昼間はああ言ったものの、五人は誰もくたくたに疲れ切っていて、とても幽霊騒ぎについて話し合うような気分には、なれなかった。
 そんなわけで、結局彼らは、交替でシャワーを浴びるのもそこそこに、宿泊所としてふり分けられた六畳間に、他のスタッフや俳優らともども、ざこ寝状態でころがると、あっという間に眠ってしまったのだった。
 その眠りの中で、匡乃は夢を見た。
 夢の中で匡乃は、どうしてだか香坂萌になっていた。
 萌と百合は、小学校のころからの友人同士だった。だが、百合はいつも彼女には居丈高で、女王然としてふるまい、そして彼女の大切なものを、ことごとく取り上げた。小さいころは、人形やリボンやアクセサリーといった、たわいのないものだった。しかし長じるにしたがってそれは、友人や恋人へと変わって行った。
 佐久間一志も、そうしたものの一つだった。
 一志はもともと、萌の恋人だったのに、百合に誘惑されて、心がわりしたのだ。
 そんなひどい友人なのに、どうして百合から離れられないのか。萌自身にも、よくわからない。
 そんな彼女にある時、百合は言った。
「私がどうして、あなたのものを、全て奪うかわかる? あなたを、傍に置いておくためよ。……そうよ。一志なんかに、あなたは渡さない。あなたが見ていいのは、私だけですもの。あなたが考えていいのは、私のことだけよ」
 あの井戸のある藤棚の下で、赤ん坊をその腕の中であやしながら、艶やかな笑顔と共に、百合はそんな言葉を、萌に投げつけたのだ。
 その後、自分が何をしたのかを、萌ははっきりとは覚えていない。
 百合を、なじった気がする。彼女と口論になった気がする。
 気がついた時、萌は彼女から取り上げた赤ん坊を、井戸の中へと投げ落としていた。
 火のついたような赤ん坊の泣き声と、やがて井戸の底から響いた嫌な音を、萌は鮮やかに記憶している。その後、あたりは静かになり、それから――百合は、自首すると告げた彼女を、屋根裏部屋へと閉じ込めた。
 そのころすでに萌の両親は他界しておらず、彼女が姿を消しても心配してくれるような友人もいなかった。だから彼女の姿が見えなくなっても、誰も気にする者はいなかったのだ。
 萌が、そこから逃げ出したのは、何日目のことだっただろうか。けれど、彼女は百合に追い詰められ、捕らわれて、今度は井戸に落とされた。そう、あの百合の赤ん坊が死んだ、あの井戸に。
 萌の目に最後に映ったのは、満開の藤の花と、空にかかる細い月。
(ああ……。なんてきれいなんでしょう)
 夢の中の萌の目を通してそれを見ながら、匡乃は小さく呟いた。

【撮影・二日目】
 翌朝。
 匡乃は、鈍い頭痛を抱えたまま、目覚めた。ぐっすり眠ったはずなのに、体はだるく、昨日の疲れは残ったままだった。
(危険回避は得意なはずなんですけれど……。たしかに、彼女はこちらに危害を加えるつもりは、なかったようですが……。でも、だったら夢を見せるだけにしてくれれば、よかったでしょうに……)
 コーヒーを飲みながら、幾分うんざりと思う。ようするに、昨夜の夢は完全に萌の意識と同調させられていたのだ。「乗り移られていた」といってもいいかもしれない。おかげで、普通に夢で事情を教えられるのよりも、ずっと体に負担がかかったのだ。
 他のメンバーはどうだったのだろうかと、ふと思ったが、ろくに話す暇もなく、撮影が始まってしまった。
 この日の撮影は、昨日にも増して強行軍で、昼食と夕食のための短い休憩を間に挟んだだけで、あとは休む間もなく、続けられた。が、すでに九時を回っても、この日の予定は消化されないままだった。
 原因の一つは、機材にトラブルが続出したせいでもある。が、俳優陣もなんとなくおちつかず、NGが多い。
 今撮影しているのは、匡乃と暁のシーンだ。異母姉もその夫たちも死に、あるいは逮捕されて、屋敷の中に今にも死にかけた父と共に残されたヒロインに、医師が父親を殺すことを思いとどまらせようとする場面だ。
「『百合。もうやめよう。……富蔵氏は、君が手を下さなくても、もうあと数日の命だ。どれだけ手を尽くしても、どっちみち助からない。同じことじゃないか』」
 匡乃は、暁の後ろに立って、訴える。
「『雅弘さん。あなたの言うことはわかるわ。でも、それではだめなの。私は、母の復讐を果たすわ。でなければ……』」
 ふり返って押し殺した声で返す暁の言葉が、ふいに途切れた。
 それと、ほぼ同時に。パンッ! という音と共に、あたりが真っ暗になった。
「ど、どうしたんだ?」
「誰か、懐中電灯をつけろ!」
 とっさのことで、非鳴と怒号が飛び交う。どうやら、電気が一斉にショートしたらしい。
 匡乃も、慌てて白衣のポケットに入れていたペンシルライトを取り出し、点灯した。他の者たちも、各々、懐中電灯やライターをつける。おかげで、あたりは明るくなった。
 葛城の指示で、スタッフの一人が、電源を調べるために、部屋を出て行った。
 それを見送りながら、匡乃は胸の奥で警鐘にも似たものが、さっきからひっきりなしに鳴り響いているのを感じて、眉をひそめる。あまり危険を感じるようなら、この場の全員を、外に出した方がいいかもしれない。
(特に、ヒロインを演じている暁くんは……。もし、萌が『百合』という名前に反応しているのなら、危険です)
 彼が胸に呟き、暁に声をかけようと、そちらに踏み出しかけた時だ。
「百合。……ひどいわ、百合。どうして、どうして井戸を塗り込めてしまったりしたの? 中に私がいるって、あなたは知ってたはずなのに。どうして……!」
 暗闇を貫くように、一つの声が響いた。
 ハッとして、その場の全員が、声のした方をふり返る。声の主は、女性のスタッフの一人だった。だが、明らかに顔つきがおかしい。手には、どこから持って来たのか、抜き身のナイフを握りしめていた。
「危ない! 誰か……!」
 叫んだのは、ヤマトだった。女性の近くにいたスタッフが、二人ほどそちらへ駆け寄ったが、女性の動きの方が、早かった。暁めがけて突進するなり、ナイフが閃く。他の者たちの口から非鳴が上がり、誰もが息を飲んだ。匡乃も、一瞬手を出しかねて、ただ立ちすくむ。
「暁くん!」
 そんな中、叫んだシュラインが、ポケットから取り出した小瓶を、そちらへ投げつけた。中身がぶちまけられて、強烈な匂いがあたりに充満する。
(酒……?)
 その匂いに、中身がなんなのかに気づいて、匡乃は更に眉をひそめた。
 だが、おかげで女性は一瞬、怯む。
 その瞬間。
 暁の体が暗闇の中で、まるで舞うように翻り、一瞬の動作で女性の手からナイフを叩き落としていた。だけでなく、彼女の腕を後ろに捻り上げて、動けないように拘束する。
 素早い動きに、匡乃は目を丸くした。今は、どこからどう見ても美少女といった恰好だけに、その見事な手際が、よけい鮮やかに見える。
 と、拘束された女性に、ヤマトが歩み寄った。声をかける。
「香坂萌さん、ですよね? なんで、こんなことするんスか? 萌さんが刺そうとした人は、百合さんじゃないっスよ」
 だが、女性――いや、女性に取り憑いた香坂萌は答えない。ただ、ヤマトを凄まじい目で睨み据えただけだ。ヤマトは、小さく吐息をつく。
「ねぇ、萌さん。ゆうべ、オレの夢に出て来ましたよね。ここの井戸に閉じ込められて、死んだって夢の中で、訴えてましたよね。赤ちゃんを殺したのも、自分だって。でもそれは、百合さんがひどいことをしたからだって。……オレにも、萌さんの気持ちはわかるっス。でも、こんなことしてても、自分が辛いだけっスよ? 百合さんも、十年も前に自殺して、もう今は、ここにはいないんスよ。……だから、そろそろ行くべき所に、行きませんか。オレなら、萌さんを、そこへ送ってあげることもできるっスよ?」
 ヤマトは、どこか優しささえ感じさせる口調で言い募った。
 しかし、萌の態度はやわらぐ様子もない。それどころか、彼女の顔は、ますます険しくなって行くだけだ。暁の拘束から逃れようと、乱暴に身をもがく。
「ねぇ……」
 ヤマトが、再び口を開きかけた。それを、遮るように。
「これ以上説得しても、無駄なのです」
 鋭く言ったのは、マリオンだ。
「マリオン……」
 匡乃は、思わず低い驚きの声を上げる。
 マリオンは、これも驚いて立ち尽くしているシュラインの傍を通り抜けると、真っ直ぐにヤマトと萌、暁の方へと歩み寄った。
「たぶん、前の主演女優の上沼知恵さんが怪我をしたのも、この人のせいなのです。たまたま、ヒロインの名前が『百合』だった、きっとその偶然が、この人を動かしたんだと思います。……長くここに居すぎて、本物の百合さんの顔も忘れてしまっているのです。だから、自分が百合さんだと思っている人に、復讐していたのです。でもそれなら、気の済むようにさせてやればいいのです」
 言うなりマリオンは、萌――というか、取り憑かれた女性スタッフの肩に、手をやった。そこから、乱暴な手つきで萌の霊体を引きずり出す。そして、もう一方の手で空中に円を描くと、そこにわずかに覗く別の空間へ、霊体を投げ込んだ。そのまま軽く手を動かすと、たった今現れたばかりの別の空間は、すぐに消えてしまう。
 一瞬の出来事で、誰もがいったい何が起こったのか、把握できなかったに違いない。
 匡乃にも、彼が何をしたのか、今一つよくわからなかった。
 だが、彼が何か尋ねる前に、ふいにあたりが明るくなった。まるで何事もなかったかのように、天井からは照明器具の明かりが晧々と降り注ぎ、さっきまで沈黙していた撮影用のライトもカメラも、音声機器も、全てが息を吹き返したのだ。
 そのことに、その場の全員が思わず安堵の息をつく。
 見れば、萌に取り憑かれていた女性は、ぐったりとして床に倒れ伏していた。シュラインと他に何人かのスタッフがやって来て、撮影用に置かれているソファに横たえると、女性の介抱を始める。だが、大きな怪我などはないようだ。
 それを見やって、匡乃は小さく吐息をついた。
(大事にならなくて、よかったですね。……とりあえず、こっちは一件落着、ですかね)
 胸に呟き、彼は小さく肩をすくめる。
 明かりが着いたことで、やっとスタッフや役者らの間にも、活気が戻って来る。そんな中に、葛城と進行係の、しばらく休憩した後、撮影再開を告げる声が、大きく響き渡った。

【エンディング】
 その後も撮影は、連日強行軍で続けられ、半月余りでようやく全行程が終了した。
 そのころには、匡乃たちも撮影に慣れ、スタッフや俳優たちともすっかり打ち解けて、むしろ終わるのが惜しいほどになっていた。
 それから更に二ヶ月が過ぎ、そろそろ冬の寒さが忍び寄り始めるころ、『迷宮のペルソナ』の関係者だけを集めた試写会の知らせが、匡乃の元にも届いた。
 会場で、出来上がった作品を見ながら、匡乃はふと香坂萌に思いを馳せる。
 後でマリオンに聞いたところ、彼は空間同士をつなぐという自分の能力を使って、十年前のあの洋館へ、萌の亡霊を放り込んだのだという。
(萌は、十年前のまだ生きている百合に会えたんでしょうか。そして、恨みを晴らしたんでしょうか)
 なんとなくそんなことを思い、そして気づいた。
(もしかしたら、百合さんの自殺は……萌に会ったせい? まさか、でも……)
 いくらなんでもと、彼が小さくかぶりをふった時だ。
 眼前の小さなスクリーンに映し出されている映像の上に、なぜだかもう一つ、別の映像が重なっているのが見えた。そこにいるのは、写真で見た佐久間百合と、もう一人、見知らぬ女性だ。いや、正確には女性の亡霊だった。彼女の体の向こうに、壁が透けて見えている。場所は、あの洋館の屋根裏部屋のようだ。
『ごめんなさい、許して、萌。あなたを、殺すつもりなんか、なかった。朝には、井戸から出すつもりだったの。本当よ。少しこらしめるだけのつもりだったんですもの。あの日の朝、井戸をふさぐための工事が始まるのは、知ってたわ。あの子の死の後、危ないからって、一志が決めたことよ。……でも、間に合うって思っていたの。朝早くに行って、あなたを出せば、大丈夫だって。けど……私が行った時にはもう……』
 百合の、そんな悲痛な叫びが聞こえる。
『ひどいことをしたとは思うわ。でも私はただ、あなたに傍にいてほしかっただけなの。……だから、待っていて。すぐに、あなたの所に、私も行くから』
 そうして、百合は自分の首にナイフをあてがうと、一気に横に引いた。
「あ……!」
 匡乃は、思わず息を飲む。だが、次の瞬間には、スクリーンの上からその映像は消えていた。
(今のは……)
 軽く目をしばたたき、彼は思わずあたりを見回す。と、暁と目が合った。どうやら彼にも、あれが見えていたようだ。いや、彼だけではない。シュラインもヤマトもマリオンも、少なくとも草間に頼まれて行った者は全員、どこかそそけ立った顔をして、あたりを見回していた。
(あれは萌からの、最後のメッセージってところでしょうかね。……百合の自殺の真相は、僕が考えたものが、当たらずとも遠からず、というところだったわけですね)
 ややあって、匡乃は小さく肩をすくめて思う。
 萌の望みは、本当は恨みを晴らすことではなく、百合に会いたいだけだったのかもしれない。ただ、亡霊の悲しさで時を経るうちに、本当の望みがわからなくなり、百合という名を持つ人への妄執だけが残って、シネマの撮影に害を成していたのだろう。だが、本物の百合と会うことで、きっと彼女は全てを思い出したのだ。
(もしそうなら、彼女たちのためにもよかったですけれどね)
 匡乃は、もう一度胸に呟いて、小さく吐息をついた。
 シネマの出来は、なかなか悪くなかった。暁のヒロインは、まったく申し分ない。ただ、匡乃自身は自分の出ているところを見るのは、なんだか恥ずかしくてしかたがなかった。ましてや、ラブシーンというほどではないが、ヒロインと抱き合う場面などは、とりあえず自分の身内や友人には見られたくない、と思ってしまう。
 なので、見終わった後の彼の感想は、かなり複雑なものだった。
(……作品そのものは、人気が出てほしいと思いますけれどね。亡霊騒ぎにもめげずに、がんばって作ったものなんだし。でも、人気が出れば、それだけ僕の姿を目にする人が増えるわけで……それはちょっと……)
 そんなことを悶々と思いつつ、とりあえず、この件については記憶の引き出しの底の方へ、押し込んでしまうことだと、一人決める匡乃であった――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1537 /綾和泉匡乃(あやいずみ きょうの) /男性 /27歳 /予備校講師】
【4164 /マリオン・バーガンディ /男性 /275歳 /元キュレーター・研究員・研究所々長】
【4782 /桐生暁(きりゅう あき) /男性 /17歳 /高校生アルバイター・トランスのギター担当】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1575 /天壬ヤマト(てんみ やまと) /男性 /20歳 /フリーター】

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■         ライター通信          ■
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●綾和泉匡乃さま
二度目の参加、ありがとうござます。
ライターの織人文です。
役者もスタッフもOKとのことでしたので、
役者の方に回っていただきました。
幽霊退治が主になってしまい、あまり演技の描写ができませんでしたが……。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。