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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


Vシネマ撮影秘話

【オープニング】
 近くまで来たからと、事務所に顔を出した草間の大学時代の友人は、Vシネマの監督になっていた。
 そういえば、大学時代も映画の自主制作などやっていたのだと思いながら、草間はその友人――葛城の近況などを聞いていた。ところが、話は次第におかしな方向にころがって行く。
 一月前に開始した作品の撮影が、現在、途中で止まったままだというのだ。なんでも、主演女優が大怪我をして、代役探しが難航しているそうだ。
「なあ草間。おまえのツテで、主演によさそうな女の子、捜してくれないかな。それと、他にも役者やスタッフが何人か足りないから、そういうのできそうな人間もいると、ありがたいんだけどな」
 あげく、葛城はそんなことを言い出した。
「なんでそんなこと、俺に言うんだよ。芸能プロとかそういうところで探せば、いくらもみつかるだろ。……そっちのツテは、おまえの方があるんじゃないかよ」
 嫌な顔で返す草間に、彼は言う。
「それが……実はちょっと、無理かもしれないんだ」
「無理って、何が」
 問い返す草間に、彼は理由を話した。
 いわく、撮影のために借りた廃屋というのが、幽霊が出るので有名な場所で、そもそも主演女優の怪我も、その祟りではないかとスタッフやその周辺では考えられていて、代役はおろか、他の役者やスタッフも、ぼろぼろ辞めて行っている状態なのだという。作品自体は、一応スポンサーがついているものの、とにかく完成させなければ、どうにもならないらしい。
「なあ、頼むよ。このとおり」
 頭を下げられ、草間は小さく溜息をついた。
「一応、探してみるけど。期待はするなよ」
 念のため、そう釘だけは刺しておいて、草間はしぶしぶと重い腰を上げた。

【撮影・一日目】
  《1》
 車から降り立って、桐生暁(あき)は目の前に建つ洋館を見上げた。
 早朝の淡い光の中にうっそりと建つそれは、思ったほどひどい外観をしてはいない。すでに十年前から誰も住まなくなったと聞いていたが、少し手を入れれば、充分に生活できそうだ。さすがに、玄関前などは撮影のために、シネマのスタッフが草刈りなどして手入れしたのかもしれないが、建物の壁などには廃屋といった感じはなかった。
「思っていたほど、ひどくはないですね」
「ええ」
 綾和泉匡乃とシュライン・エマのやりとりが聞こえる。
 二人は、暁同様に草間に頼まれて撮影に参加することになった者たちだ。
 匡乃は、すらりとした長身の体にラフな服装で、短い黒髪と黒い目、温厚そうな顔立ちをしている。普段は予備校の講師をしているそうで、年齢は、二十七だという。
 一方、シュラインも背が高くすらりとして、パンツルックを着こなしている。後ろで一つに束ねた長い黒髪と、青い目の知的な美人だ。本業は翻訳家だが、草間興信所で事務員としても働いている。年齢は二十六だ。
 二人の会話に、暁は再び洋館を見上げた。
 彼が事前に調べたところでは、この洋館は十五年前に、ある企業の社長が別荘として建てたものらしい。そこに十年前、その息子である佐久間一志が新婚の妻・百合と共に新居として移り住んだ。ところが、二人の間の赤ん坊が、庭にあった井戸に落ちて死ぬという惨劇が起り、百合はその後、精神を病んで自殺。一志もここを離れて、以後別荘としてさえ使われなくなったのだそうだ。
 赤ん坊の死について、警察は事故として処理したが、近隣の人々は育児ノイローゼになった百合が殺害したのではないかと噂したという。なので、彼女のその後の病気や自殺は、そのせいではないかと言う者もいた。
 ともあれ、その後、この洋館では井戸から赤ん坊の泣き声が聞こえたとか、中をうろつく女の姿を見たとか、夜中に館全体が青白く光るとか、写真を撮ったら何かが写り込んでいたとか、そんな話が後を断たなくなったのである。
 一方、シネマの元からのスタッフらも別の車で、洋館に到着していた。暁たちは、葛城に彼らと引き合わされる。
 ちなみに、暁たちの方は、彼と匡乃とシュラインの他に、フリーターの天壬(てんみ)ヤマトと、絵画の修復や言語の研究をしているマリオン・バーガンディの二人も一緒だった。
 シュライン以外は男ばかりだが、怪我をした女優の上沼知恵にかわって主演を務めることになったのは、暁自身だった。もともと役者を希望してはいたが、まさかヒロインをやることになるとは、彼も思っていなかった。が、女装しても男とバレないぐらい、きれいに化けられる自信はある。だから結局、引き受けた。
 それから、ヒロインの相手役の役者も、知恵の怪我をきっかけに降りてしまったとのことで、こちらは匡乃がやることになった。彼の方はあまり気乗りしないようだったが、草間にも頼まれてしまい、しかたなく引き受けたようだ。
 残るシュラインとヤマト、マリオンの三人は、当人たちの希望どおり、スタッフとして参加することになった。

  《2》
 洋館に足を踏み入れた彼らはまず、進行役のスタッフに、中をざっと見せてもらうことになった。
 建物は二階建てで、一階は居間と台所、応接間とバス・トイレがあり、二階は六畳の部屋が二つと四畳半の部屋が一つ。そしてその上に四畳半ぐらいの屋根裏部屋が一つあった。
 撮影は主に一階を使って行われているという話で、そちらは隅々まで埃が払われ、撮影機材と共に調度も並べられていた。廃屋といっても、電気や水道、ガスはちゃんと通っており、台所のキッチンやバス・トイレは普通に使うことができた。
 二階の六畳間二つが、役者とスタッフの宿泊に利用されていて、男女別に分けて使っている。残る四畳半の部屋には、撮影用の小道具などが置かれていた。
 洋館には、小さな裏庭があって、そこも撮影に使うのか、きれいに草が刈られて、撮影用の木々や花の鉢、プランターなどがあちこちに置かれている。
 十年前、赤ん坊が落ちて死んだという井戸は、その庭の片隅にあった。
 もっとも、今はもう井戸としては使えないだろう。厚くコンクリートで塗り固められてしまい、昔はあったのだろう釣瓶も何も、全て取り払われてしまっているのだから。頭上には、藤棚の名残と思える屋根が残っていたが、すでに花も木もなく、なんとなくここだけ、侘しい感じがする。
「この井戸……やっぱり、なんかありそうっスね」
 井戸を見やって言ったのは、ヤマトだった。フリーターで、年齢は二十歳だという。金の髪に青い目と、小麦色の肌をした、健康的な美青年である。そして、このメンバーの中で、唯一霊感のある人物だ。彼は、前日から廃屋に行ったら、一度、霊査してみたいと言っていた。おそらく、こうして建物の中を巡る間も、それを行っていたのだろう。
「なんかって、霊とかそういうの?」
 暁が、尋ねる。
「でも、ここで死んだのは赤ん坊なのですよね? ということは、赤ん坊がまだ亡霊になって残っているってことなのですか?」
 マリオンも、怪訝な顔で訊いた。
 彼は一見すると、十八歳ぐらいにしか見えない。小柄な体格に、黒い髪と金色の目、白い肌をしている。ただし実際には、二百年以上も生きている長生者の一人だった。
「う〜ん。もうちょっとよく見てみないと、わかんないっスけどね。でも、噂の中には、赤ん坊の声を聞いたっていうのもあるし……全然関係ないわけじゃ、ないと思うんですよね」
 首をひねって答えると、ヤマトは彼らを見回して言う。
「オレ、もう少しここ調べてみたいんで、先に行ってくれますか」
「わかったわ」
 シュラインがうなずいて、案内役の進行係スタッフを見やった。こちらも葛城から、彼らがもしかしたら幽霊も退治てくれるかもしれないと、聞かされているのだろう。うなずいた。
 そこで彼らは、ヤマトを残して、建物の中へと戻った。
 中ではすでに、撮影準備が始められている。役者の方をやることになった暁と匡乃は、衣装とメイクのスタッフに案内されて、二階の四畳半の部屋へと向かった。着替えやメイクも、男性はそっちですることになっているようだ。
 彼らが撮っている作品は、『迷宮のペルソナ』と題されたミステリーだ。大富豪が危篤状態に陥り、彼の四人の娘たちが、遺産を巡って争う。
 ヒロインは、一人だけ母親の違う末の娘で、父親に溺愛され、生前から父の死後は全財産を相続することが約束されている。が、彼女は異母姉と父によって死に追いやられた母の復讐のため、父の主治医と手を組んで、異母姉とその夫らを次々と殺し、自分さえも死んだことにして、長姉に罪をなすりつけるのだ。更に父をも殺そうとするが、さすがにそれは果たせず、やがて病死した父の傍で涙にくれた後、姿を消してしまうという、なんともやるせない物語だった。
 暁は、とりあえず胸には詰め物をして、清楚なブラウスとスカートに着替えた。用意された長い黒髪のかつらをつけ、目には黒いカラーコンタクトを入れる。普段の彼の目は、赤い。これは彼が、吸血鬼の血を受け継いでいるせいなのだが、他人に対しては赤いカラーコンタクトを入れている、と称していた。
 それから、顔には薄く化粧を施す。
 そうすると、自分でもびっくりするほどの、美少女になった。これならきっと、どんな性能のいいカメラが相手でも、大丈夫だろう。
 彼は満足してうなずくと、鏡の前を離れて、相手役の匡乃を見やった。こちらは、スーツの上に白衣をまとい、小道具の銀縁メガネをかけている。
「なんか、本物の医者みたいだな」
 感心して彼が声をかけると、ふり返った匡乃は、驚いたように目を見張った。それが面白くて、暁は艶やかに微笑むと、スカートの端をつまんで、くるりと一回転してみせる。
「どうだい? なかなかの美人だろ?」
「あ、ああ……。見違えたよ」
 呆けたようにうなずく匡乃に、彼はくすくすと笑った。その視線が、心地いい。
「きっと、シネマが出来上がって、クレジット見ても、誰も俺のこと、男だなんて思わないぜ。名前も、どっちか区別つきにくいしさ。さ、行って、他の奴らもびっくりさせてやろう」
 言って彼は、匡乃の手を取ると、出口へ向かう。半ば引っ張られるようにして、匡乃もその後に続いた。
 一方、二人を待っていたスタッフらは、彼らを感嘆の溜息で迎えた。やがて他の役者らも位置に着き、撮影は始められた。

  《3》
 撮影が一段落したのは、すでに午後の二時近くになってからだった。途中で手の空いた者から、軽く食事をしたものの、早朝からの強行軍に、一同はやや疲れ気味だ。
(役者ってのが、こんなに大変だとは、思わなかったよなあ)
 暁は、ヒロインを引き受けたことを少しだけ後悔して、胸にぼやく。なにより今は、腹が減って辛い。
 暁は内心、撮影中に何かあるかもしれないとも、考えたりしていた。
 というのも、葛城の話では、上沼知恵が主演していた時は、いろいろあったらしい。撮影中に機材が動かなくなるとか、何もない所で光が閃いたり、何かが動くのが見えたりなどということが、しょっちゅう起ったそうだ。あげく、知恵は庭で撮影中に大怪我をして入院した。ころんだところに、大道具の木が倒れて来て、その下敷きになったのだ。そしてそれをきっかけに、他の役者やスタッフも次々とやめて行った。
 ちなみに、ヒロインの名前は「百合」という。暁には、それも少し気になった。その役名が、怪異の原因の一つのような気もする。
 だが、今のところは何も起っていない。
(俺の気の回しすぎだったかなあ)
 胸に呟き、彼はちょうど通りかかったヤマトに声をかける。
「なあ、あんた。何か食べるもの持ってない?」
 ヤマトは、井戸で分かれてから三十分ほどでこちらに戻り、その後はスタッフとして働いていた。
「残念ながら。オレもちょっと腹減ったんで、台所見て来ようかなと……」
「なんだ、そっか」
 ヤマトの答えに、ちょっとがっかりして小さく肩をすくめ、彼は台所へ向かう。その後を、ヤマトもついて来た。
 二人して台所へ入って行くと、シュラインとマリオンがいて、紅茶を飲みながらクッキーをつまんでいるところだった。テーブルの上には、まだいくつか紅茶の入ったカップが置かれている。
「うまそう。いただき」
 暁は言うなり、クッキーをつまんだ。
「オレもいただきます」
 ヤマトも行儀よく言って、同じくクッキーを何枚かつまみ、紅茶のカップを一つ取って、空いた椅子に腰を降ろす。
「井戸について、何かわかった?」
 シュラインが尋ねる。
「やっぱり、赤ん坊の霊は、あそこに残ったままでしたね。オレが説得して、霊界に送りました。でも、もう一人いるんスよね。……女の影が現れて、何か言いたげにオレを見詰めて、消えて行ったんっスよ」
 ヤマトは、紅茶を飲みながら答える。
「女の影? でも、井戸で死んだのは、赤ん坊だけのはずよ。たしか、自殺した佐久間百合さんは、屋根裏部屋で自分の首をかき切ったってことだもの」
「オレもそれは、知ってます。一応、図書館とかで調べたんで」
 眉をひそめて言うシュラインに、ヤマトは返した。
「だから、オレも変だとは思うんですけどね。ただ、顔が……影みたいだったんで、よく見えなかったんスけど、佐久間百合さんじゃないと思うんスよ」
「どういうこと?」
 シュラインが、更に眉をひそめて尋ねる。それへ逆にヤマトは、問い返した。
「百合さんの、写真とか見ました?」
「ええ」
 シュラインは、うなずく。
「俺も一応見たぜ。ここのこと、ざっとだけど、調べたしさ」
「私も、ネットで事件の記事を調べた時に、見ました」
 暁とマリオンも、同じくうなずいた。
 ヤマトは、そんな彼らを見やって、続ける。
「なら、わかるでしょ? 目鼻立ちがくっきりして、艶やか感じの美人ですよね。けど、オレが見たのはもっと……大人しげな感じの人だったんスよ。それに、百合さんはここにはいないっス。ちゃんと、霊界へ行ってますね」
「だから、百合さんではない……と?」
 シュラインは、幾分混乱したように尋ねた。
「ええ。オレには、そんな感じがしたんス」
 ヤマトが、慎重にうなずく。
 暁は、思わず考え込んだ。少なくとも、彼が事前に調べた範囲では、この洋館の噂話に、佐久間夫婦とその赤ん坊以外の名前は、浮上して来ていない。
(佐久間夫婦の周辺について、調べ足りないってことか?)
 暁は、軽く眉をしかめて、胸に呟いた。この館が建つ以前のここは、ただの原っぱだったというし、夫婦が住む前の五年間には、事件や事故は起っていない。つまり、ヤマトが見た女が、別件の霊だという可能性は薄かった。
 と、そこへさっきから姿が見えなかった匡乃が現れた。
「美味しそうですね。私もいただいて、いいですか?」
 テーブルの上のクッキーを見やって、彼女たちに尋ねる。
「どうぞなのです」
 マリオンが答えると、彼はクッキーを何枚かつまんで、空いている椅子に腰を降ろした。そして、口を開く。
「この周辺の散策ついでに、ちょっと聞き込みをしてみたんですが、面白い話を聞きましたよ」
「面白い話?」
 シュラインが問い返し、暁とヤマト、マリオンの三人も聞き耳を立てる。
「ええ。……佐久間夫婦がここを新居として使っていて、まだ赤ん坊も生きていたころ、ここにはもう一人、香坂萌って女性が出入りしていたらしいんです」
 うなずいて、匡乃は言った。
「香坂萌……何者なの?」
「佐久間百合の幼馴染みで、夫の一志とも大学で知り合い、三人でいつも一緒だったそうですよ。それで、百合と一志の結婚後も、ここへよく出入りしていたようです。ただ、近隣の人たちの間では、いろいろ噂になってたみたいですけどね。萌が一志の愛人だとかなんとかって」
「その噂に、信憑性ってあるわけ?」
 暁は、ずっと黙って聞いていたが、気になったので、尋ねる。
「さあ。そこまでは、わからないですね。噂は噂にすぎないし……。実際、過去の事件の記事なんかには、彼女の名前は出てないみたいですからね」
 匡乃は、小さく肩をすくめて返した。
「そうね。……でもこれで、もう一つの可能性が出て来たわね」
「どういうことです?」
 うなずいて呟くシュラインに、匡乃が問う。そこで彼女は、ヤマトが井戸の所で見たという、女の霊のことを話した。
「じゃあ、その女性が香坂萌である可能性もある……と?」
 匡乃は、シュラインとヤマトを交互に見やって訊く。
「ええ。かもしれないっス。でも、もしあれがその萌さんだとしたら……その人も、もう死んでる。しかも、ここでってことになりますけどね」
 うなずいて、考え込みながら、半ば呟くように言う彼に、暁たちは思わず顔を見合わせた。
 その時、進行係のスタッフが、休憩の終わりを告げて回る声がした。
「この件はまた、夜にでも話し合いましょ」
 シュラインの言葉に、全員がうなずいて、立ち上がった。

  《4》
 その日の撮影が全て終了したのは、ずいぶんと夜も遅い時間になってからだった。
 昼間はああ言ったものの、五人は誰もくたくたに疲れ切っていて、とても幽霊騒ぎについて話し合うような気分には、なれなかった。
 そんなわけで、結局彼らは、交替でシャワーを浴びるのもそこそこに、宿泊所としてふり分けられた六畳間に、他のスタッフや俳優らともども、ざこ寝状態でころがると、あっという間に眠ってしまったのだった。
 その眠りの中で、暁は夢を見た。
 夢の中で暁は、どうしてだか香坂萌になっていた。
 萌と百合は、小学校のころからの友人同士だった。だが、百合はいつも彼女には居丈高で、女王然としてふるまい、そして彼女の大切なものを、ことごとく取り上げた。小さいころは、人形やリボンやアクセサリーといった、たわいのないものだった。しかし長じるにしたがってそれは、友人や恋人へと変わって行った。
 佐久間一志も、そうしたものの一つだった。
 一志はもともと、萌の恋人だったのに、百合に誘惑されて、心がわりしたのだ。
 そんなひどい友人なのに、どうして百合から離れられないのか。萌自身にも、よくわからない。
 そんな彼女にある時、百合は言った。
「私がどうして、あなたのものを、全て奪うかわかる? あなたを、傍に置いておくためよ。……そうよ。一志なんかに、あなたは渡さない。あなたが見ていいのは、私だけですもの。あなたが考えていいのは、私のことだけよ」
 あの井戸のある藤棚の下で、赤ん坊をその腕の中であやしながら、艶やかな笑顔と共に、百合はそんな言葉を、萌に投げつけたのだ。
 その後、自分が何をしたのかを、萌ははっきりとは覚えていない。
 百合を、なじった気がする。彼女と口論になった気がする。
 気がついた時、萌は彼女から取り上げた赤ん坊を、井戸の中へと投げ落としていた。
 火のついたような赤ん坊の泣き声と、やがて井戸の底から響いた嫌な音を、萌は鮮やかに記憶している。その後、あたりは静かになり、それから――百合は、自首すると告げた彼女を、屋根裏部屋へと閉じ込めた。
 そのころすでに萌の両親は他界しておらず、彼女が姿を消しても心配してくれるような友人もいなかった。だから彼女の姿が見えなくなっても、誰も気にする者はいなかったのだ。
 萌が、そこから逃げ出したのは、何日目のことだっただろうか。けれど、彼女は百合に追い詰められ、捕らわれて、今度は井戸に落とされた。そう、あの百合の赤ん坊が死んだ、あの井戸に。
 萌の目に最後に映ったのは、満開の藤の花と、空にかかる細い月。
(ああ……。なんてきれいなんだろう)
 夢の中の萌の目を通してそれを見ながら、暁は小さく呟いた。

【撮影・二日目】
 翌朝。
 暁は、鈍い頭痛を抱えたまま、目覚めた。ぐっすり眠ったはずなのに、体はだるく、昨日の疲れは残ったままだった。
(ったく。変な夢のおかげで、なんか寝たりねぇ……)
 ぐったりと呟きつつ、缶のトマトジュースを啜る。本当は、少しでいいから、血がほしかった。体力自慢のはずの彼が、なんだか昨夜の夢に、ごっそりと体力を奪われたような感じさえする。
(後で、誰かから少しだけ、血をもらうか)
 小さく溜息をついて、彼はそう決めた。
 やがて、慌しく撮影が始まった。この日の撮影は、昨日にも増して強行軍で、昼食と夕食のための短い休憩を間に挟んだだけで、あとは休む間もなく、続けられた。
 撮影開始前に、スタッフの一人からこっそり血をもらった暁は、そうしておいてよかったと、ひそかに胸を撫で下ろしたほどだ。しかし、すでに九時を回っても、この日の予定は消化されないままだった。
 原因の一つは、機材にトラブルが続出したせいでもある。が、俳優陣もなんとなくおちつかず、NGが多い。
 今撮影しているのは、暁と匡乃のシーンだ。異母姉もその夫たちも死に、あるいは逮捕されて、屋敷の中に今にも死にかけた父と共に残されたヒロインに、医師が父親を殺すことを思いとどまらせようとする場面だ。
「『百合。もうやめよう。……富蔵氏は、君が手を下さなくても、もうあと数日の命だ。どれだけ手を尽くしても、どっちみち助からない。同じことじゃないか』」
 匡乃が、暁の後ろに立って、訴える。
「『雅弘さん。あなたの言うことはわかるわ。でも、それではだめなの。私は、母の復讐を果たすわ。でなければ……』」
 ふり返って押し殺した声で返す暁の言葉が、ふいに途切れた。
 それと、ほぼ同時に。パンッ! という音と共に、あたりが真っ暗になった。
「ど、どうしたんだ?」
「誰か、懐中電灯をつけろ!」
 とっさのことで、非鳴と怒号が飛び交う。どうやら、電気が一斉にショートしたらしい。
 他の者たちも各々、懐中電灯やライターをつけた。おかげで、あたりは明るくなる。
 葛城の指示で、スタッフの一人が、電源を調べるために、部屋を出て行った。
 そんな中、暁は一人、明かりを手にすることもなく、その場に立ち尽くしている。吸血鬼の能力を合わせ持つ彼は、暗がりの中でもある程度は視界が利くのだ。それに、気配にも敏感だった。
 その彼のうなじの毛が、ちりちりと逆立っている。背筋に、何か悪寒にも似た感触が、駆け上がった。
(何か、来るぞ)
 油断なくあたりを見据え、身構える。カラーコンタクトのせいで、周囲の者にはわからないようだが、彼の目は赤く光っていた。
 その時だ。
「百合。……ひどいわ、百合。どうして、どうして井戸を塗り込めてしまったりしたの? 中に私がいるって、あなたは知ってたはずなのに。どうして……!」
 暗闇を貫くように、一つの声が響いた。
 暁はハッとそちらを、ふり返る。他の者たちも、そちらを見やった。声の主は、女性のスタッフの一人だった。だが、明らかに顔つきがおかしい。手には、どこから持って来たのか、抜き身のナイフを握りしめていた。
 それを見やって、暁は思わず目を見張る。そのナイフは、彼自身のものだ。もしもの時のための、聖別したナイフ。思わずスカートのポケットを探るが、やはりなかった。着替えた時に、落としたらしい。
「危ない! 誰か……!」
 ヤマトの叫び声がした。女性の近くにいたスタッフが、二人ほどそちらへ駆け寄ったが、女性の動きの方が、早かった。暁めがけて突進するなり、ナイフが閃く。他の者たちの口から非鳴が上がり、誰もが息を飲んだ。
「暁くん!」
 叫んだシュラインが、ポケットの中から小瓶を取り出し、そちらへ投げつける。中身がぶちまけられて、強烈な匂いがあたりに充満した。
(酒……?)
 その匂いに、暁は思わず顔をしかめる。たぶん、ただの酒ではない。神のエネルギーを含んだもの――お神酒だ。
 そのせいなのか、女性が一瞬、怯む。
 その瞬間。
 暁は暗闇の中、舞うように身を翻して、一瞬の動作で女性の手からナイフを叩き落としていた。だけでなく、彼女の腕を後ろに捻り上げて、動けないように拘束する。
 あたりから、わずかに驚いたようなどよめきが上がった。
 と、ヤマトがこちらへ歩み寄って来て、声をかける。
「香坂萌さん、ですよね? なんで、こんなことするんスか? 萌さんが刺そうとした人は、百合さんじゃないっスよ」
 だが、女性――いや、女性に取り憑いた香坂萌は答えない。ただ、ヤマトを凄まじい目で睨み据えただけだ。ヤマトは、小さく吐息をつく。
「ねぇ、萌さん。ゆうべ、オレの夢に出て来ましたよね。ここの井戸に閉じ込められて、死んだって夢の中で、訴えてましたよね。赤ちゃんを殺したのも、自分だって。でもそれは、百合さんがひどいことをしたからだって。……オレにも、萌さんの気持ちはわかるっス。でも、こんなことしてても、自分が辛いだけっスよ? 百合さんも、十年も前に自殺して、もう今は、ここにはいないんスよ。……だから、そろそろ行くべき所に、行きませんか。オレなら、萌さんを、そこへ送ってあげることもできるっスよ?」
 ヤマトは、どこか優しささえ感じさせる口調で言い募った。
 しかし、萌の態度はやわらぐ様子もない。それどころか、彼女の顔は、ますます険しくなって行くだけだ。暁の拘束から逃れようと、乱暴に身をもがく。
「ねぇ……」
 ヤマトが、再び口を開きかけた。それを、遮るように。
「これ以上説得しても、無駄なのです」
 鋭く言ったのは、マリオンだ。
「マリオン……」
 近くにいた匡乃が、呟くのが聞こえる。
 マリオンは、真っ直ぐにヤマトと萌、暁の傍へと歩み寄った。
「たぶん、前の主演女優の上沼知恵さんが怪我をしたのも、この人のせいなのです。たまたま、ヒロインの名前が『百合』だった、きっとその偶然が、この人を動かしたんだと思います。……長くここに居すぎて、本物の百合さんの顔も忘れてしまっているのです。だから、自分が百合さんだと思っている人に、復讐していたのです。でもそれなら、気の済むようにさせてやればいいのです」
 言うなりマリオンは、萌――というか、取り憑かれた女性スタッフの肩に、手をやった。そこから、乱暴な手つきで萌の霊体を引きずり出す。そして、もう一方の手で空中に円を描くと、そこにわずかに覗く別の空間へ、霊体を投げ込んだ。そのまま軽く手を動かすと、たった今現れたばかりの別の空間は、すぐに消えてしまう。
 一瞬の出来事で、誰もがいったい何が起こったのか、把握できなかったに違いない。
 暁にも、彼が何をしたのか、今一つよくわからなかった。
 だが、彼が何か尋ねる前に、ふいにあたりが明るくなった。まるで何事もなかったかのように、天井からは照明器具の明かりが晧々と降り注ぎ、さっきまで沈黙していた撮影用のライトもカメラも、音声機器も、全てが息を吹き返したのだ。
 そのことに、その場の全員が思わず安堵の息をつく。
 マリオンが萌の霊体を引きずり出した時点で、暁は捻り上げていた女性の手を離していた。今は、ぐったりとして床に倒れ伏している。そこへ、シュラインと他にも何人かのスタッフがやって来て、撮影用に置かれているソファに横たえ、介抱を始める。
 それを横目で見やって暁は、女性がどこも怪我などしていないことを確認した。せいぜい、手首がちょっと赤くなっている程度だ。
(やれやれ。……まさか、自分が用意したナイフで刺されかけるとは、思わなかったぜ)
 小さく吐息をついて、彼は床に落ちたままのナイフを拾い上げ、誰も気づいていなのをいいことに、スカートのポケットに収めた。そして、改めて介抱されている女性スタッフを見やる。
(にしても、やっぱり役名が原因だったわけだな。ったく。脚本家ももうちょっと考えて登場人物の名前、つけろよな)
 胸にぼやいて、彼はもう一度吐息をついた。
 明かりが着いたことで、やっとスタッフや役者らの間にも、活気が戻って来る。そんな中に、葛城と進行係の、しばらく休憩した後、撮影再開を告げる声が、大きく響き渡った。

【エンディング】
 その後も撮影は、連日強行軍で続けられ、半月余りでようやく全行程が終了した。
 そのころには、暁たちも撮影に慣れ、スタッフや俳優たちともすっかり打ち解けて、むしろ終わるのが惜しいほどになっていた。
 それから更に二ヶ月が過ぎ、そろそろ冬の寒さが忍び寄り始めるころ、『迷宮のペルソナ』の関係者だけを集めた試写会の知らせが、暁の元にも届いた。
 会場で、出来上がった作品を見ながら、暁はふと香坂萌に思いを馳せる。
 後でマリオンに聞いたところ、彼は空間同士をつなぐという自分の能力を使って、十年前のあの洋館へ、萌の亡霊を放り込んだのだという。
(なんか、乱暴なやり方だよな。まあ、彼女にとっちゃ、ありがたかったかもしれないけどさ。十年前の、まだ生きている百合さんに会って、恨みを晴らすこともできただろうからな)
 そんなことを胸に呟き、彼はスクリーンを見詰めていた。が、ふいにハッとなる。
 眼前の小さなスクリーンに映し出されている映像の上に、なぜだかもう一つ、別の映像が重なっているのが見えた。そこにいるのは、写真で見た佐久間百合と、もう一人、見知らぬ女性だ。いや、正確には女性の亡霊だった。彼女の体の向こうに、壁が透けて見えている。場所は、あの洋館の屋根裏部屋のようだ。
『ごめんなさい、許して、萌。あなたを、殺すつもりなんか、なかった。朝には、井戸から出すつもりだったの。本当よ。少しこらしめるだけのつもりだったんですもの。あの日の朝、井戸をふさぐための工事が始まるのは、知ってたわ。あの子の死の後、危ないからって、一志が決めたことよ。……でも、間に合うって思っていたの。朝早くに行って、あなたを出せば、大丈夫だって。けど……私が行った時にはもう……』
 百合の、そんな悲痛な叫びが聞こえる。
『ひどいことをしたとは思うわ。でも私はただ、あなたに傍にいてほしかっただけなの。……だから、待っていて。すぐに、あなたの所に、私も行くから』
 そうして、百合は自分の首にナイフをあてがうと、一気に横に引いた。
「あ……!」
 暁は、思わず低く息を飲んだ。だが、次の瞬間には、その映像はスクリーンの上から消えていた。
(今の、なんだ……?)
 思わず目をしばたたいて、彼はあたりを見回す。と、匡乃と目が合った。どうやら、彼にもあれが見えていたようだ。いや、マリオンもヤマトやシュラインも、少なくとも草間に頼まれて行った者は全員、どこかそそけ立った顔をして、あたりを見回していた。
(あれは、萌さんからのメッセージ……かな。たぶん、あれが百合さんの自殺の真相なんだろう)
 ややあって、暁はふとそんなふうに思う。
 萌の望みは復讐ではなく、ただ百合に会うことだったのかもしれない。だが、亡霊の悲しさで、時間が経つうちに彼女は、どんな理由で自分が百合を求めているのか、忘れてしまったのだ。だから、ただ闇雲に同じ名前のヒロインを演じる役者に害を成した。
 そう考えれば、彼女にとってマリオンによって十年前に送られたことは、幸運だっただろう。時を越えて、感謝のメッセージを送って来たとしても、不思議はない。
 一方、シネマの出来は、なかなか悪くなかった。画面の中の暁は、当人でさえ感心してしまうほどの清楚な美少女ぶりを発揮している。それに、匡乃も誠実にヒロインを愛する医師を好演していた。
(いろいろ苦労した甲斐があったってもんだな。人気が出て、『ヒロイン役の女優を探せ!』な〜んてことになったりしてな)
 満足げに腕組みなどして、ヘラヘラと笑いつつ、彼はそんなことを胸に呟くのだった――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【4782 /桐生暁(きりゅう あき) /男性 /17歳 /高校生アルバイター・トランスのギター担当】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1575 /天壬ヤマト(てんみ やまと) /男性 /20歳 /フリーター】
【1537 /綾和泉匡乃(あやいずみ きょうの) /男性 /27歳 /予備校講師】
【4164 /マリオン・バーガンディ /男性 /275歳 /元キュレーター・研究員・研究所々長】

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■         ライター通信          ■
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●桐生暁さま
はじめまして。参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
「主演をやりたい気もする」というお言葉に甘えさせていただいて、
「主演女優」を務めていただきましたが、いかがだったでしょうか。
幽霊退治が主になってしまい、あまり演技の描写ができませんでしたが……。
少しでも、楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。