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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


爽やかな目覚めと悪夢の再来

 二月の寒いと思える季節も過ぎ、夏という猛暑に入るのはあまりにも早く、人間でさえ短い季節の移り変わりの速さに溜息をつくというのに、人魚という特殊な種族であるセレスティ・カーニンガムの中では季節の移り変わりなどはまるで時計の針が一秒動くのと同じような早さである。
 ただし、夏のあの暑さを感じるその時だけは永遠に近い悪夢を感じるのだがこれもまたいつもの季節の為、恒例の行事のようなもので。

 そんな季節の移り変わりの中、二月からほぼ全くと言って良い程変わらない物がこのリンスター財閥拠点の一つである屋敷には存在する。
「随分テディベアも増えてきましたね」
 満足そうに微笑む屋敷の主人―――セレスティは自室に所狭しと並べられたテディベアの軍隊にも近いコレクションの列を愛しげに眺めながら今朝から続く小さな雨の音を機嫌良く聞いていた。
 ここ暫く続いていた悪夢のような猛暑もようやく落ち着きを見せ、最近は少しだけ、この空気に慣れただろうか。といえる程度には涼しい風や雨等で人魚である体質は良くなりつつある。そのせいだろうか、暫く構えなかったベア達を見ては零れる笑みもまた少しばかり晴れている。

 そう、これは本当に一部の人間しか知らないセレスティと近くに居る数人の部下が楽しんでいる遊戯であるが、テディベアを集めだして以来、二月にはそのベアと同じ形のアイスクリームベア、バレンタインにはチョコレートベア。ついでにコーヒー、紅茶に入れる角砂糖まで時折角砂糖ベアなど、兎に角甘い物がベアの形になるという現象が相次いだのだ。

(最近はベア型にする物も減ってきましたし…他に楽しむ物はないでしょうか…)
 美術品、書物に没頭する事の多いセレスティが特にベア好き。という事ではないのだが、彼なりの友好表現と言おうか、偶々部下の一人がテディベアに心を奪われてしまった事が原因でついつい悪戯好きの性が何もかもをベア型にするという事態にまでやりすぎてしまったのだ。
が、こうして考えているあたりまだベア熱は冷めていないらしい。

 美しい朝日。とはかけ離れた昼間。相も変わらず朝に弱いセレスティが起床した時間は既に少し日が傾きそうな時刻であり、寝室の窓から外を見やれば東京にある太陽は気を落としたかのように少しづつその顔を沈めている。
「少し眠り過ぎましたね…」
 出かけというわけでもなく、少し胸元の涼しいシャツと普段着に近い服に着替え、これから活動しようかと思えば普通の人間ならばとうに働きに出て、今は仕事に奮闘中だという事を思い、苦笑する。兎に角朝に弱いものは弱いのだから、昼間、夕方、夜に仕事や活動時間をずらすしかないのだ。
 今朝も小雨の音を聞きながら意識こそ少し覚醒していたものの、ベッドの上から離れる事は流石にできなかったのだからしょうがない。

(今日の予定は…ああ、夜が多いですね…今は自由時間、で宜しいのでしょうか)
 いつも予定を言いに来る部下の誰かが休んでいる主を起こしてはいけないとスケジュールだけをセレスティの目に付きそうな所である書物のある机に置いていったのだろう。
 事細かに書かれる筈の予定は主の体調に合わせた物へと調整され、そして自分に知らせられる。それをありがたいと思いつつも、さて次はどう動こうと思えば。

「庭園にでも行きましょう」
 ふむ、と考えて、茶会以外で行くのも久しいと思い立つ。夜には一度行った気もするがまだ少しでも日のあるうちに色の洪水とも言える庭園に行かないのは少し損でもあるのだから、小さな散歩がてらともう一つ久しぶりだと杖を手に、ゆっくりと自室を後にするのだった。



 車椅子と違い杖で歩くというのは時間がかかっていけない。それでもこうしてたまにと杖を手にするのは足に感じる地という感覚を知りたいからだろうか。人魚のままでは絶対に知りえない地上の感覚をまた楽しむあたりセレスティの好奇心の大きさは人一倍と言えるだろう。
 小雨の降る中、大して濡れる事も気にせずに屋敷の玄関から石段を下り、美しく敷き詰められた小石の道を歩むと車椅子では味わえない足の裏に広がるじわり、とした感触が未だに新しい。そして近くに植えられた花々の香りと、同じように小さく敷かれるように置かれている。

「おや、珍しい物がありますね…」
 目を留めたのは小さな盆栽。西洋のありとあらゆる花々や木々はこの庭園でお馴染みのものとなり、セレスティが見ても美しいですね、と言葉を発するだけなのだが今、目の前にある小さな木は日本の庭ではお馴染みの盆栽なのだから、西洋風の庭に日本の盆栽、ある意味不思議な取り合わせだろう。

「…? セレスティ様?」
「ああ、モーリス。 これは…ええと…?」
 杖の音と独特の足音で誰がこの庭園に足を踏み入れたのかが理解できたのだろう。あまり盆栽がここにある意味を悩む暇も無く傾いた日と少し濡れた水分に照らされた黄金の髪も眩しく出て来た部下、モーリス・ラジアルの声に呼び止められる。
「見ての通り盆栽ですよ」
「ええ、それは見ればわかるのですが、モーリスが盆栽ですか?」
 くすり、と悪戯っ子のような微笑を零せばいつものスーツ姿が苦笑しながら肩をすくめた。
「少し興味があったので一鉢だけ購入してきたんです。 尤も、何処に置こうか随分と悩みましたが」
 そう言って視線を移す木は見事に花壇に馴染んでいて、このまま小さいままでいるのならば庭に置いておいても良いだろうと思える程整えられ、葉や枝も綺麗に切りそろえられている。
「確かに。 それでも随分考えて置いたのですね、和の雰囲気を洋である庭園に馴染ませるとは流石です」
 満足そうに屈みこみ、盆栽のまるで機械で作られたかのような枝の形にセレスティは微笑みを見せる。同時に、自らの仕事を褒められて悪い気はしないモーリスの有り難う御座いますという言葉があたりに静かに響く。

「それにしても…ここまで綺麗に形づくれるものなのですねぇ…」
「セレスティ様?」
 ふと、主が何かを思いつきそうな声色で枝を撫でる手を不審な形に動かし始める。そう、曲線の折り重なったこの形は多分。
「モーリス、こういった小さな鉢でテディベアは作れませんか?」
 静かな庭園内、セレスティの背中は時折吹く風に青銀の髪が美しく揺れていたが、今の言葉はモーリスにとって最悪、いやそこまでは流石にいかなくとも顔が引き攣る程度には重くのしかかった。

 そう、何を隠そう、部下内で一番テディベアの被害にあっているのは主の好奇心と引き換えにではあるが美術品を奪った事のある、多分、忠実な部下モーリス・ラジアルその人なのだから。
 始めはまだ、ベアを集めるにあたってあまり気乗りはしなかったものの最初は我慢が出来た、主の考えなのだ、それはそれ、仕方が無いだろう。だがそのベア熱が甘い物に侵食し始めた頃からこの忠実な部下にはあまり面白くない事態ばかりが起こるようになったのだ。
 バレンタイン、まるで嫌味のように置かれるベアチョコレートの山、茶会で出た紅茶にと置かれる角砂糖ベアの山。ついでに主へと涼みのアイスを取りに行けば冷蔵庫の中はアイスベアの山、山、更に山なのだからたまった物ではない。
 元々甘党という方でもなく、どちらかというとノーマルな味覚の持ち主であるモーリスにとって甘い物の重い香りが始終身の回りにあるのは流石に参るものがあるのだ。ついでにそれが全てベアなものだから最近はすっかりベア苦手になってしまった。

「いえ、でもセレスティ様。 小さな木といえど大きくなってしまえば庭園に移し替えなければいけないのですよ?」
 少し声が上ずる所を必死に冷静にし、悪夢のようにのしかかってくる主のベア熱をなんとかおさめようと説得してしまうのは矢張りもう熊はこりごりだという証だろうか、逆にセレスティはそれを読み取り本当に一瞬口元をにこりと微笑ませ、作ったような懇願の瞳で。
「無理でしょうか? 少しの時期でもあれば可愛らしいと思いますしそれに…」
 美しい花には刺がある。と誰が言ったのだろうか、現在の主の懇願の様子は確かに美しい。ある意味で蒼いその瞳は潤んでいるし、小首を傾げられると流石に部下としても多分この主に仕える者ならばまず逆らう事は出来ないであろう。

「ベア好きの部下も喜んでくれると思うのです」

 その一言が矢張りベア嫌いになりかけたモーリスをむっとさせる。勿論、主にではなく、ベア好きの部下や可愛いですねと褒め称える部下全てに、だ。そういう輩がいるから喜んでもらいたいというセレスティの心やついでにモーリス自身の反応で遊べるという遊び心が暴走するのだと。
「いや…ええ、ですがセレスティ様…」
「出来ませんか?」
 二の句を言わせずセレスティのおねだりがモーリスに直撃する。
 流石にこの主に逃げは通じず、ついでに出来ない、という言葉もなんだかんだとモーリスの心に突き刺さる。庭園設計者、今までどんな花や木々をも美しく魅せてきた者としてのプライドも矢張り高いのだ。

「わかりました。 では早速手配を…」
 このままでは庭園設計者としての地位まで危ういと仕方なしにテディベア盆栽なるものの手配をしようと携帯を内ポケットから取り出す。あくまでも手配、な、あたりモーリスが自ら弄るのにどれ程抵抗があるか伺えるだろう。至極自然に携帯を打つ姿が苦手だ、という気持ちをひた隠しにしていてセレスティには手に取るように分かり、非常に楽しい。
「何をしているのです、モーリス?」
「いえ、だから手配を…」
 抵抗がある。それを見越しての行動なのは一目瞭然だろう。モーリスの手にある携帯を素早く取り上げ、何処にも連絡を取らないと思えばその手に戻す。少し背の低い主は部下の顔を覗きこむようにして、さも本当にどうしたのだろうという演技をしてみせる。

(セレスティ様…まさか…あの時の事を…)
 目に持っていらっしゃるのですね。とモーリスは半ば引き攣りかけた眉を矢張り冷静に保ちながら考えた。
 少し前、主の興味の対象であった美術品を封じあまつさえその対象を消し去った事がある。尤も、それもこれも主の為ではあり、セレスティ自身もそれを承知してはいるだろう。
 が、承知しているから、で終わらない所がこの主の主らしい所と言おうか、確実に仕返しを目論んでいる目に、それでも抗えないモーリスは次に来る言葉が。

「私はモーリスに頼んでいるのです。 とても愛らしい子を一つ、宜しくお願いしますね?」

 念を押すようにまた一つ首を傾げて微笑むその背後に、天使ではなく悪魔の羽のようなものが見えそうだと久々にモーリスは思った。
 自分に頼むという言葉は予想できたものの、愛らしいまでつけられるという事はベアを避けて通ってきた自分にしっかりとテディベアを観察して事細かに再現しろと言っている事に等しい。
「セレスティ様…」
 流石にそれは。という言葉を呑み込んで勘弁してくださいと目を向ければ当の主は清々しく微笑んでいるだけで。

「では、楽しみにしておりますよ」
 とどめの一撃と言わんばかりの盛大な微笑みと、してやったりと言うような軽やかな口調と、足取りすらいつもの足の不自由さが伺える重い音とは違った、今なら少しだけ杖無しでも、とでも言えそうな程柔らかなフォームで軽快に歩いていく。ついでと言えるのだろうか、今まで降っていた雨まですっかり上がってしまい、セレスティの機嫌と同じように清々しい涼しさと程よい暖かさがモーリスと庭園を包んでいる。

(してやられましたか…)
 残された部下一人。これが確かに楽しみにされていて本当にセレスティの寝室に飾られる物だとわかっていても今モーリスに頼みたい、と念を押した主が確実にこの間の仕返しとして懇願してきたのもきっとまた事実。
「ああ、すみません。 形作れる鉢をまた一つ、ええ宜しくお願いします」
 それでも遂行するのが部下であり庭園設計者の勤めである。先程一度は取り上げられた携帯でとりあえず元になる鉢を発注しながらモーリスはただ一言。

「くま……ですか…」
 と一人ごち、溜息をついたという。

 勿論、その後届いた鉢をセレスティの部屋にあるベア一体を模して形作っている部下の悲しいかな、大きな溜息と、また嫌味のように別の部下から送られてくる紅茶につけられてある角砂糖ベアが頭を悩ませたのは言うまでもなく。
 そんな事件があってからだろうか、元々角砂糖もあまり入れなかったモーリスがストレートばかりで紅茶を楽しむようになり砂糖を持ってくると言ったとたんに何かしら怒りなのか睨みなのか、ただならぬ雰囲気を発するようになったのは、矢張りこのベア熱の後遺症が彼に飛び火してしまったからなのかもしれない。


END