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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>
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■呼魂■
人を選ぶ気配のある扉。それを空木崎辰一が開けた向こうで振り返った男が一人。
ごめんください、と言いかけた唇を閉ざす。来客中ならば少し商品を見て店主の話が終わるのを待とうかと、そう考えて端の棚に寄ったところで店主の前に居た男がくつりと咽喉を鳴らした。
「前を失礼」
何を買うでもなく、見るだけの客であったのか唇を歪めたまま辰一の前を通り過ぎる。
その瞬間に甚五郎と定吉が僅かに身を強張らせたのを訝しく思いながら閉まる扉の向こう、男の背中を見遣って奥へと向き直れば陰鬱な店主の姿があった。辛そうに手にした器に瞳を向けて何事かを囁きかける。声は微かで辰一には生憎と聞き取れず、ただ彼女が両の手で押し頂くようにする器へと視線を投げればその美しさ。
招かれるように近付いた。
「その器、綺麗ですね。優しげというか」
「そうかい?」
ゆっくりと辰一を見上げた店主であるところの蓮が皮肉な調子で返すのに、ええ、と頷く。
「何と言うか……上手く言えませんが、心を和ませるような作りです」
「和む、ね。そうだね良い器ではあるよ」
「けれど」
遣る瀬無い風で呟く蓮の声に被さるように言葉を重ねる。
近付けば明らかになるその器に納められたもの。悲痛な気配が声無き声を上げていると知れるそれ。
「誰かの魂が囚われているようですね。よろしければ」
事情を話して頂けませんか、と正面から瞳の奥を見るような辰一の眼差しを見、碧摩蓮は手に収めたままの器を指先でそろりと撫でた。
男が捕らえる魂に生者死者の別は無い。
ただ気紛れに選び、その香炉にも似た器に納めて一時の歌を聞くのだ。
そしてその歌に飽きれば蓮の元へと訪れる。売るでもなく、ただ渡しに来てそして新しい魂を新しい器に捕らえるのだろう。持って来られた魂は、蓮が受け取らねば無造作に打ち捨てられ砕かれる。囚われた魂ごと。
「だから受け取る。だがね一体どこが美しい音だ。あたしには悲鳴にしか聞こえないのに」
蓮の説明を辰一は静かに聞く。
店主はずっと器をその手で包むようにして、守るようにして、そうして抱えている。
「剥がせないんだ。どんな手を使っても魂をここから出せない。力尽きて、器からすり抜けるまではけして自由にならないんだよ……魂が死ぬまでずっと」
だから、と蓮は言うのだ。
だから受け取る以外に出来ないあたしはせめて最期を優しく扱ってやってくれる客に渡すのさ、と。
** *** *
通る風も心地よい季節になろうという時期。
アンティークショップ・レンから戻った辰一が座る前には一つの器が置かれている。
『言葉は返せない。こっちの話した事を繰り返すだけの、こだま、だ』
「……こんにちは」
にちは、と微かに音が返った。風鈴にも似た硬質の音が控えめに耳に入ってからそれは響く。
本当にこだまなのだと蓮の言葉を思い出して辰一は静かに微笑んだ。きっと器の中からも見えると信じて。
『僕がなんとかします。呼びかけて返してくれる音と話します』
頼りないかもしれませんが、と目を伏せた辰一に蓮は静かにかぶりを振った。頼むよ、と囁く声で言いながら器を箱に収めて差し出したのだ。あんたなら任せられるだろう、と。
「自己紹介しますね。僕は空木崎辰一、こう見えてもれっきとした男なんですよ」
しますね、んいち、なんですよ。
言葉が途切れるところでこだまは返る。
「それからこっちの白黒のブチ模様は甚五郎。茶虎の小さい方が定吉」
辰一の言葉に続いて二匹が尻尾を振って挨拶。
合間合間に音は返るのだけれど、甚五郎だけならいざ知らず定吉の鳴声の後にも「ゅ〜」と返ってむしろその見事な返し方に感心しそうになる。繰り返された定吉自身までもが目を丸くして器に顔を寄せて。それを制しつつ自分の指先を器へと寄せればちりと中の魂が震えるような気配があった。
「碧摩さん、あのお店の店主さんですね。彼女から話は聞きました」
ききました、と響いた声は先程の声とは調子が違う。そういえば、蓮はこうも言っていたではないか。
『語尾しか返す事は出来ないが感情はそこにきちんと映ってるからさ、ちゃんと耳を傾けてやっておくれよ』
そう。会話は成立する。ただ限られるだけ。
日常の会話のように辰一は穏やかに器と相対して呼びかけた。
「器に囚われたあなたは相当辛い思いをなさったのでしょうね」
音を区切る度に返る声は、繰り返す度に震えるようで。だんだんと泣き出しそうな音になっていく。ええ、ええ、と泣いて頷くように感じられる。
器さえもが震え出すような錯覚。腕を伸ばして持ち上げたそれは震えてなどいなかったけれど。
実際には辰一の言葉をただ重ねるばかりであるというのに、返る音はまるで別の言葉を返しているように感情が感じられるのだ。器から目を離さず敢えて問うた。
「……辛くなかったですか?」
刹那、風が細く吹き抜けて鳴る器。
ったですか、と響いた器からの声と、それだけでなく鳴り響いた儚い音。それは魂の声だ。魂の、辰一の言葉への肯定の声。辛かったと、今も辛いと、哀しいのだと、慟哭はどれだけ音に乗せられるのか。
鼓膜を震わせる微かな音色と返った言葉に反射的に辰一は目を閉じた。
気遣わしげに見上げてくる二匹を安心させるように笑いかけて、瞼を上げた辰一はなお器と言葉を交わす。
「辛かったんですね」
涙声が返ってきたような気がする。
泣く子をあやすような感覚で、手に乗せた器を撫でた。
「僕にはその辛さはわかりませんが、あなたの悲しみはわかります」
開かない器。救えない魂。せめて心安らかにある助けとなればいいとそう願ってゆるゆると撫でる。合間に語りかけた言葉は、間違いなく辰一の想いだった。
「何時間、何日かかろうとも、僕はあなたの話を聞きます」
ききます、と返る声。
嗚咽を思わせる言葉にならない言葉に辰一はまた器を撫でた。
せめて想いを聞いて、それが慰めになればいい。
** *** *
――長くないとは思っていたのだ。
返す言葉はじわじわと少なくなり、音は儚く微かに、嗄れた咽喉から出すようなか細いものへと変わっていたから。
「……あなたの慰めに、なったんでしょうか」
こつ、と。
指先が器を撫でた拍子に爪が触れた。硬い音はもうただの音。
囚人の去ったそれを静かに見遣る。安らかに逝ったのであればいいけれど、と。
器に囚われた魂が力尽きたのは、店主から預かったちょうど二日後の事。
ずっと傍に居たと言ってもいい。
何をする時にも声をかけて、時間の許す限り様々に問いかけた。
相手が言葉を自主的に紡げない以上、意思疎通は限定されたがそれでも辰一が問う語尾を拾って、そこに答えを乗せるように感情を乗せて苦しい気持ちを話した時でさえ響く音は控えめでそして落ち着いたもので。儚さだけはどうしようもなかったけれどその音のどれだけ優しげであったことか。
「あなたが、辛い気持ちを全て吐き出せたならいいんですけど」
こつ、こつ、と上手く撫でる事が出来ずに爪が何度も器を叩く。それはまるで中に居ないか確かめるようで。
節をつけているような音に合わせて気付けば甚五郎と定吉が尻尾を揺らして一緒に器を眺めていた。
思い出す事は多い。たった二日の間であったのに。
けれどまだ、出来た事があったのではないか。聞けた事があったのではないか。そう考えてしまう。
空気の唸りが時折耳をつく。器を受け取ってからずっと風は落ち着き無く吹いているが、特に風の絶えない時に外に出た事を思い出した。その時でさえ器は一緒で、落ちないようにと辰一が両の手で抱え込んでいたのだけれどそれでも風は器を叩いた。
通り抜ける度に風が器を震わせて響く音。まるで歌うようですねと言うと魂は「ょぅですね」と辰一の言葉を真似たものだ。それは楽しそうに。愉快そうに。
そう。あの返った音の響きが感情そのままであるならば多少なりとも辰一の許にあった二日間はあの魂にとって救いであり、慰めになっただろう。
見詰めるその優しげな曲線を描く器。
魂の去った以上、蓮の元へと持って行くべきなのだろうが名残惜しく眺めている。
その辰一の耳にかたりと窓が鳴る音ひとつ。ゆっくりとそちらへ視線を向けて、細かに揺れるそれを開こうと思ったのは何かに促されての事であったのか。
立ち上がって手をかける。
綺麗に掃除された窓枠が引っ掛かり一つ無く滑らかに外界へと道を繋いでそして。
** *** *
差し出された器を一瞥して蓮はそれを押し返した。
怪訝そうに見る辰一へ優しく笑う。
「あんたにやるよ。礼、と言うのも変だがそれはあんたのものさ」
わかるだろう?と改めて受け取ったそれを煙管で示されれば辰一も頷くしかない。
『――ぅ』
開いた途端に吹き抜けた風は器を揺らし、一際強く音を奏でて去った。
その音。
声はもう響かない筈の器。
聞こえた音はけれど言葉のようで。
「感謝して逝ったならあんたはよくやってくれたって事だよ」
「そうだといいですね」
「そうさ――ありがとうよ」
あの風の中で聞こえた微かな声と同じ。
蓮の言葉に辰一は静かに笑んだ。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2029/空木崎辰一/男性/28/溜息坂神社宮司】
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■ ライター通信 ■
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・こんにちは。ライター珠洲です。なんだかいつも優しいプレイングをありがとうございます。
・二日間の交流は結局書かず終いとなり「日数設定しろやああん?」な事を書いておきながら申し訳無いです。交流をちょっと匂わせる感じで去った後の描写になりました。空木崎様にずっと傍で話を聞いて貰えた事は間違いなく魂の最期を優しくしたと思います。プレイングのしようがない依頼にお付き合い頂き感謝を。
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