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<東京怪談ノベル(シングル)>


■ゆったりと、ゆっくりと。−鏡の中も、いつか−■

 残暑とはいえ、まだ蝉は最後の力を一気にこめたように、耳にうるさい。
 それよりも厄介なのは、この暑さだ、と将太郎は思う。
「暑さが残る、とはよく言ったもんだ」
 だらだらとやる気のこもらない手でウチワを扇ぐが、漂ってくるのは生温い風。
 バケツに水でも入れて足でも突っ込もうか───暑さのせいで半分失っている思考能力でそう考え、ゆらゆらと立ち上がった、その時。
 ふと、名前を呼ばれた。見ると、この相談所をいつから訪れていたのか。出勤後の助手が立っていた。
 ヤバい。残暑よりも厄介なヤツに見つかった。
 そんな感じの将太郎に、助手の青年はため息をつきたいと言わんばかりに口を開いた。
 書類の束を整理したばかりなのに散らかっている、から始まり、やれ冷蔵庫の中身が偏って減っているだの、電球が切れそうな時に自分がいない時は前もって教えてくださいとあれほど言っておいたでしょうだの、まったく嫁いびりの姑よろしく小言を言う。
 はいはい、と生返事をしつつ後頭部をかいていた将太郎に、助手の青年はとどめの一言を言った。
 ───暑いからって、誰もいないのをいいことにTシャツにトランクスという格好はやめてください。
「あ……これは、まあ……なあ」
 確かにこれはまずかったか、と将太郎も思う。
 誰もいないから大丈夫だと思ったのだが───。
「俺、ショートパンツの類持ってないし」
 将太郎がそう言うと、助手の青年は小さくため息をつき、それならこれから買いに行きましょう、どうせ暇なんでしょう? と言った。
 これからか、と返す言葉の先を取られ、将太郎はぐっと詰まる。
 確かに───暇だ。
 だから、心身ともにだらっとしていた……という理由でもある。
「待て、今着替えるから」
 流石にこの格好で行く気は自分にも、ない。
 なんとか外出着に見えそうな服に着替えている将太郎の耳に、「門屋先生改造計画、ですからね」と、気のせいか実に楽しそうな助手の声が聞こえてきた───。



 デパートなんて本当に久しぶりだ。
 いつの間にやらあんなところにあんなものが、ときょろきょろとしている将太郎の手を、助手は引っ張る。
 助手の言うところによると、夏物は今、処分セール中で、だいぶ値下がりしていてお得らしい。
 その中でいいものを見つけるんですからね、といやに張り切っている。
 お前はあれか、俺の改造計画とやらがそんなに楽しいのか、と腹の中で聞いてみる。
 それが届くはずもなく、歩いていくと、やがてオバサン達が群がっている一角が見えてきた。
 助手はカツカツと足音も高く、何かに群がっているオバサン連中の中へ、入るツボでも分かっているようにすんなりと入っていく。
「お、おい」
 服の争奪戦。
 恐らくは旦那やら父親やらの服目的なのだろう、主婦達がそれはもう恐ろしい勢いで「あら、これはわたしが先に掴んだのよ」「わたしよ!」と、漫画のシチュエーションさながらに奪い合っている。
 入ろうにも入る隙間もない。
 その中から平然と服も髪も乱さず、何着か持って助手が将太郎の前に現れる。
 さらりと言い、どれがいいでしょうね、と、持ってきたショートパンツの何着かを次々に当ててくる。

 トン、

 彼の足に何かがぶつかったのは、その時だ。
 見下ろした将太郎はそこに、どこかの祭り帰りだろう、浴衣を着てヨーヨーを持った女の子がしりもちをついているのを発見した。
「あ、すまん」
 将太郎と助手が、ほぼ同時にかがみこむ。
 僅差で助手のほうが女の子を抱き上げ、危うく泣きそうだったところをあやした。
「母親を待っているのか?」
 将太郎の問いにこくん、と女の子は頷き、いくぶん落ち着いた様子を見て、助手は床へと慎重におろしてやった。
「ママ、一時間もあそこにいるの。まってるの、たいくつ」
 それでも女の子は、近くのベンチに座り、てんてん、とヨーヨーで遊び始めた。
 将太郎はホッとした。
 しっかりした助手を持ったおかげで、泣かれて母親にどやされるという最悪な事態を逃れることが出来た。
 半額以下だし、ということで助手が悩んでいたが、やがてコーディネイトしたのは───ワイルドさということもあり、迷彩柄の七分丈パンツだった。
 そして、次はこれに合うTシャツですね、という。
 パンツだけじゃないのか、と呻くような将太郎。
 楽しそうな助手に、ちょっとだけあの女の子の気持ちが分かる将太郎。
 元から、待ったりするのは性分ではない。
 Tシャツのほうは、比較的すいていた。そろそろ昼近くだから、というのもある。
 Tシャツを次々棚から出しては、これは違いますねと一着一着丁寧に棚に戻したりしている助手をかたわらに、ふと将太郎は、近くにある鏡が目に入った。
 鏡の中の自分の味気ないTシャツの上に、鮮やかな色のTシャツが重ねられる。
 先生、これなんてどうですか? パンツより煩くない感じの柄ですけれど、このほうがセンスがいいと思います───そんな助手の声が、いやに遠くに聞こえる。
「……ああ」
 生返事をする、将太郎。
 ───鏡の中の自分は、理由もなしに冷たく感じられて。
 こうして客観的に自分という人間を見ると、自然、いつも感じていなかった周囲からの目にはどう映っているのだろう、とふと脳裏を掠める。
「どうでもいいやな」
 ぽつりと、言う。
 将太郎は自嘲気味に笑い、鏡から視線を外した。
 どうでもいい。周囲からの目なんて。
 自分は自分、ただそれだけのこと。
 そんな彼の胸中を知ってか知らずか、助手は「やっぱりこれに」と、一着のTシャツに決めたようだった。
 中身は着るものをあらわし、時には着るものが中身を変えることもある。
 誰かがそんなことを言っていたな。誰だっただろう。
 将太郎はぼんやりと、邂逅する。その間にTシャツを数枚買ってきた助手に、お腹がすかないかと尋ねられ、そういえば、といつの間にか空腹になっていたことに気づき、二人でその階にある喫茶店に入ったのだった。



 其々に頼んだものを食べていると、わあん、と蜂の巣をつついたように唐突に泣き声が上がった。
 お客達の視線が、一斉にそちらへ注がれる。
 助手の声に、食べる手を止め、将太郎もそちらを向いた───さっきの女の子だ。
 確かに、さきほどひとりで母親を待っていた女の子が、割れたヨーヨーを片手に、盛大に泣いている。目の前には母親と思われる若い女性、そして可愛らしい浴衣には恐らくこぼしてしまったのだろう、ソフトクリームの液体と、足元にはそのコーンの部分が落ちていた。
「こんなところで泣くんじゃないの、皆さんの御迷惑になるでしょう」
 母親は、あくまでも冷たい声だ。
 冷静といえば聞こえがいいが、今のあの女の子には厳しいだろう。
「せっかく買ってあげたソフトクリームも台無しにして。浴衣だってクリーニング代がバカにならないのよ? 何より、これからママにもあなたにも大事な家族になる人に会うっていうのに、新しいお洋服買わなくちゃいけなくなったじゃないの」
「やだ、あたらしいパパなんていらないよう」
 ひそひそ声の母親に対して、女の子は今までの堰を切ったとでもいうように、大声だ。
 お客達の大半は、興味を失ったらしく、自分達の会話へと戻っている。
「恥をかかせるんじゃないの」
 小さく怒鳴った母親の手が、空中に翻った時。
 将太郎に気がついた女の子が、ぱたぱたと寄ってきて、はしっと服の袖をヨーヨーの弾けた水とソフトクリームで濡れた手でつかんできた。
 ───参ったな。
「浴衣よりお譲ちゃんの心のほうが大事なのになあ」
 半ば棒読みで、その手を自分の大きな手で包んでやる。
 瞬間、きょとん、と女の子が泣き止んだ。
「? どうかしたか?」
 不審そうに尋ねる将太郎に、女の子は笑ったのだった。
「おじちゃん、とってもあったかい」
 そして女の子は一度その大きな手にほお擦りすると、母親の元に戻って行き、「ママ、ごめんね」と笑顔で謝った。
「───あの子のほうが、『大人』みたいだな」
 ぽつり、つぶやく。
 冷たい、と思った鏡の中の自分。
 あたたかいと言われた言葉がいやに胸に痛くて、将太郎はごまかすようにコップの水を一気に飲み干した。



 喫茶店を出てから、もう一着、と助手が、紐でウェスト調節するショートパンツも買い、帰途についた。
 どさっと買い物袋を置く助手に、適当にこれを着ればいいんだなと念を押す。
 しかし助手はこれにはこれ、それかこれ、と、てきぱきと袋から出しつつ指示を出していく。そんな指定までされるのかよと内心思いつつ、将太郎は、やっぱりあの楽な格好のほうがいい、と、Tシャツにトランクスのお手軽さを懐かしく思うのだった。




《END》
**********************ライターより**********************
こんにちは、初めましてv ご発注有り難うございますv 今回「ゆったりと、ゆっくりと。−鏡の中も、いつか−」を書かせて頂きました、ライターの東圭真喜愛です。
買い物の風景、ということでしたが、詳細はお任せということでしたので、図に乗って喫茶店での女の子とのシーンも書いてしまいました。門屋さんの設定を見て、どうしても、「自分でも分からない暖かさ(癒しの手を持っている、ということも含め)」という門屋さんの部分を書いてみたかったもので───内容等、ご不満な点などありましたら、どうぞ仰ってくださいね;今後の参考に致します。
鏡はお分かりのとおり、もうひとつの人格というのも含めて描写してみたかったのですが、なんとなく不燃気味に終わったかもしれません;でも今はまだ、この段階かな、と……。なので、サブタイトルも「〜いつか」なのです。
助手さんとの会話があまり会話でない感じになりましたが、シチュノベシングルでは、助手さんはあくまでモブとしての存在ですので御了承くださいませ。
ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで、書かせて頂きました。本当に有難うございます。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆

【執筆者:東圭真喜愛】
2005/09/08 Makito Touko