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<東京怪談・PCゲームノベル>


Track 19 featuring シュライン・エマ〜囲碁の意図

 ある日の草間興信所。
 応接間、テーブルの上に何故かでん、と碁盤が置かれていた。
 草間武彦は来客用のソファ、碁盤にすぐ手が届く位置に足を組んで陣取り、眉間に皺を寄せつつその盤上の様子をじーっと見ている。勿論、その指には喫い掛けの煙草が挟んである。
 ついでに言えば、碁盤――もといテーブルを挟んだ向こう側のソファ、小柄な爺様がちんまりと陣取りのほほんとお茶を啜っている。…当然、草間零に煎れてもらったものになる。表情には殆ど出ないが、文句は特に無いらしい。
 …この爺様、文句があったなら、現時点で既に何らかの行動を起こしていると推察されるので。
 この爺様の名は鬼・油烟墨。…ゆったりとした道服姿に、長く伸ばした白い髪と髭。皺くちゃの顔に、目の光だけがやけに力がある。年の頃は七十絡み。
 同胞からさえ『歩く端迷惑』と異称されるその『鬼』の名が付く仙人(たぶん)は、過去に数度、囲碁絡みで武彦を襲撃に来た事のある謎の爺様である。
 そして同時に、襲撃は何度か為されていても肝心のその目的――武彦との囲碁での対戦――が果たされた事は無かった。…少なくとも、今日までは。
 が。
 今現在、武彦は油烟墨と碁盤を挟んで対局する羽目になっている。
 漸く、油烟墨の念願が叶った形だ。

 …その場、武彦の背後、ソファの背凭れに肘を突いた状態で、後ろから深刻そうな顔で見守っているのは――シュライン・エマ。固唾を飲んで見守っている、と言うのが正しいかもしれない。テーブルの上に一応彼女用の湯呑みが置いてはあり中身も入って湯気が立ち上ってはいるが、のんびりソファに座ってそちらに手を付ける心境では無いらしい。
 当の碁盤の方もだが、彼女の視界の隅にひっそり入っているのは武彦の前、碁盤の隣に置いてある灰皿。…そちらの状態で武彦がどんな心境なのだかある程度見て取れる。吸殻は既に山になっているのだが――武彦の今現在の煙草の飲みっぷりからして当分灰皿がすぐ手許に必要と思えるので手が出せない。
 逆側、油烟墨の隣に当たる場所に陣取り、お茶請け――興信所によく持ち込まれるお土産や差し入れの類の中からたまたま今出されているもの――をひとり遠慮無く突付いているのは、小学校高学年〜中学校入りたて程度に見える少女めいた人物、鬼・丁香紫。…そんな見掛けだが見掛け通りの人物では無い。取り敢えずファッションセンス等外見的には少女めいた姿ではあるが厳密には性別は無く、油烟墨の『兄』もしくは『姉』に当たる仙人だ。見た目は少女風だが表情や態度の方は少年風であり、そもそも彼と言うべきか彼女と言うべきか、と言うところからもう迷うような人物である。
 そんな訳で彼とか彼女とか言いたいところでも敢えて名前を出すが、丁香紫だけはあまり場の雰囲気に呑まれている様子は無かった。二人の対局にあまり興味は無さそうで、時折盤上を見はするが別にそれ以上は気にしない。…ただ、その実油烟墨の様子と武彦の様子、それと武彦の後ろに居るシュラインの様子、それとこちらもシュライン同様、お茶とお茶請けを持って来るのに使ったお盆を抱えたまま、緊張しつつ対局を見守っている零の様子も丁香紫は観察している。
 盤上より人物を見ていた方が、丁香紫としては面白いので。
 …それは盤上の今現在の様子を見れば、尚更の事なのだが。

「…無理だ」
 ぼそ、と先に音を上げたのは、勿論武彦の方。
「どう考えても引っ繰り返せない。…勘弁してくれ」
 ぐしゃ、と吸殻が山と積まれた灰皿に新たに煙草の先を押し付けつつ、武彦は派手に嘆息する。…そもそも碁なんぞろくにした事は無い。辛うじて最低ラインのルール…囲めば取れる? と言うのを知っている(知っているならその『?』は何だ)程度の、定石もろくにわからん素人も良いところの状況だ。…ハードボイルドに囲碁は似合わない。そんな武彦が囲碁好き本因坊(?)と言う油烟墨を碁盤の上でどうにか出来る訳が無い。それはどうせ油烟墨も承知だろうに、何故そこまで武彦と対局する事に拘るか――その事こそが余程謎である。
 ちなみに盤上、打ってある石を見る限り何処からどう見てもわかりやすいくらい黒一色――油烟墨の側――に染まっている。
 ごくごく一部に、申し訳程度に白――武彦の側――がちらほらある程度。
 …つまりは一方的過ぎる程一方的な状況である。油烟墨の勝ちっぷりに、と言うより、むしろ武彦がその壊滅的な状況を前にしながら今に至るまで音を上げなかった、と言う事にこそ感心しても良い気がする。…いや、むしろギブアップしたくともさせてもらえなかったと言うのが正しいのだろうか。場の雰囲気を考えればそれも有り得るかもしれない。
 ともあれ油烟墨は時折お茶を啜りつつ、それでも殆ど無表情。武彦のギブアップの科白を聞き、ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「詰まらん」
 と、ぽつり呟くと油烟墨はそのままでざらざらざらと碁石ごと碁盤を引っ繰り返す。碁石が盤の外どころかテーブルの下にまで転がり落ちた。
 …後の事は何も考えてない。



 話は少し前に遡る。
 相変わらず脈絡無く唐突に草間興信所を訪れた油烟墨ではあったが――今回の来訪時には草間興信所内に目的の武彦しか居ない訳ではなかった。零やシュラインと言った興信所の身内に加え、丁香紫が何故か居た。…それも、ちょうど同胞の皆様についての話になっていたところで、更に言うなら油烟墨の話をしていたところで直接当人が現れた。
 当人が現れる直前、油烟墨ついでに囲碁の話にも転がっていたらしい。…時期としては毎度『忘れた頃に』になるが、この油烟墨、何故か武彦に対しその時々で執拗に相手しろと狙って来ている、と言う件を。
 そして改めてその話題になるなり、ひょっとして対局から逃げるからこそ余計に追って来るって事もあるかも? とシュラインがぽつりと指摘。そうだね、と丁香紫も軽く同意した。どんな手を打たれるかわからないけどむしろ一回受けて立った方が後々引き摺らないかも、とものんびり続ける。…但し、責任は持てないけど、とも言っていた。
 そんな言い方をされれば話題の中に居る武彦の方が複雑である。受けても受けなくても不安は続くと言う事になるのだから。…つまりは一応『兄』である丁香紫をして油烟墨の性格はしみじみ読めないらしい。
 ちょうどそこまで話していたところで。
 …計ったように油烟墨がやって来た。
 が、今回の場合…同じ『鬼』の名を持つ同胞としては一応目上に当たる丁香紫が居た事で、油烟墨も多少態度が違ったのかもしれない。もしくは――いつぞやの来訪時に偶然ながら遭遇、好印象を持った(らしい)シュラインが同席していたからか。
 そんなこんなで今回ばかりは比較的平和に、油烟墨と武彦は対局をする事が決定した。
 対処法として取り敢えず、今までしていない対応をしてみよう、と言う事で。

 が。
 前に記した通りの惨憺たる結果である。
 しかもその後、武彦との対局をずーっと望んでいた筈の人物から発された言葉は――詰まらん、のひとこと。
 そして――そのまま帰る気配も無し。
 場の雰囲気――空気の変化も無し。
 …つまり、まだ用は済んで無さそうである。



 で。
 ずず、と湯呑みを傾けつつ、油烟墨はエマ姑娘、と唐突に名指しして来た。きょとんとした顔で、私ですかとシュライン。油烟墨はうむ、と重々しく頷く。
 先程当然の如く油烟墨の手でバラまかれてしまっていた碁石を手分けして拾い集め、数が合っているか確かめている中での話である。ちなみにバラまいた張本人こと油烟墨は手分けして、のその中に入っていない。
 そしてこの油烟墨、いきなり名指しでシュラインを呼んでもそれ以上は特に何も続けない。
 呼ばれた方としては俄かに困った。
「…あの、私が…どうかされましたか」
「お主ならそこの貧乏探偵より幾らかやるじゃろ」
 言いながら顎で武彦を指し示す。…武彦の方は特に何も言わず再び新しい煙草に火を点けていた。そしてそれから、相変わらず眉間に皺を寄せた状態で油烟墨を見ている。が、何も言わない。
 シュラインの方はそれに気付いているのかいないのか、少し小首を傾げる。…自分の考えが正しいのか否か。
 それを見、油烟墨はもう一度頷いた。…シュラインもそんな油烟墨を見、自分の考えが正しいのだろうと判断する。つまり武彦の次の相手は自分、と。
「わかりました。…お相手させて頂きます」
 御期待に添えるかどうかはわかりませんけれど。お手柔らかにお願いしますね?
 …そう、注釈を付けて。



 …確かに翻訳家だったり密かに幽霊作家だったりする以上、雑学めいた事はそれなりに手広く知っている。囲碁などと言った卓上ゲーム関連も然り。…ただ、それを考えるなら探偵と言う職業も色々手広く知っていていい気もするのだが。そこは単純に趣味の問題なのだろうか。確かにハードボイルド指向の探偵さんでは――トランプ花札麻雀のような博打系(…)ならいざ知らず、囲碁には興味は向かないか。
 頭の片隅で思いながらシュラインはぱちりと盤上に一手打っていた。武彦と場所を替わって数分。油烟墨の希望通りに対局中である。零が緊張して見守っているのは同様だが、丁香紫は先程より盤上の様子にも興味を持って覗き込んでいる。…シュラインの場合武彦と比べれば幾分勝手がわかっているからか、先程の武彦程、一方的な状況にはさすがに陥りそうに無い。
 が。
 油烟墨は結構無茶な手を打って来ている。…そう、受け損ねたら速攻で危なくなるような意地の悪い手を。
 それを、シュラインは殆ど機転だけで躱している状態で…。
「…なかなかやるのお」
「………………いえ」
 シュラインにしてみれば返答らしい返答を返せる余裕がもう無い。盤上を見て今使える定石はあるかと考えるだけで精一杯だ――と言うよりそもそも知っている定石の数が絶対数少ないので、殆ど場当たり、勘で目を打っている状態である。けれど、それでも現時点では何とか油烟墨の攻撃を受け切れている…らしい。
 必死だ。
 が、一方の油烟墨の声は、心なしか弾んでいる。…気がする。
 楽しいらしい。
 となると余計に、がっかりさせてしまうのもなと思い、受け切る為に必死で頭を働かせなければ、と言う使命感めいたものが湧いて来る。
 それに、相手が相手とは言え、勝敗があるゲームである以上、負けたくないなあと思う気持ちも心の片隅に確かにある訳で。
「…折角妹御の煎れ直してくれた茶が冷めるぞ?」
 一服してから続けても構わん。言葉の裏側で暗にそう告げ、油烟墨はちらとシュラインを見る。
 気付き、シュラインも油烟墨を見返した。
「あ、お気遣い有難う御座います」
「いやいや。ここまで受けてくれるとは思わなかったからの。…儂がこれをすると大抵の連中はすぐ投げる」
 言って、油烟墨は盤上をそれとなく顎で示す。
「…そうなんですか?」
「見てわからんかな?」
「う…」
 言われ、シュラインは言葉に詰まる。…盤上の様子は…正直、何が何だかわからない。
 と、思った途端、面白そうに油烟墨は頷いた。
「その通り。…進めるにつれ何が何だかよくわからなくなってくるのじゃよ」
 村正とも呼ばれるこのハサミの手はな。
「…」
「受け損ねると悲劇だが、お主はそれを受け切っている。…この手はよく切れるが自分も怪我をする事があるものでな、正直なところ儂の側も綱渡りをしているようなもんなんじゃ。お主のように読めない手を打ってくるとなると、尚更な」
 何やら心底楽しそうに上機嫌で油烟墨は続けてくる。…先程の武彦相手の時とはどうも正反対である。
「………………はぁ」
 油烟墨のお言葉に甘え湯呑みのお茶で一服入れつつ、複雑ながらもシュラインは改めて盤上を見直している。…そんな姿にそろそろ、武彦が少々意外そうな、それでいて納得したような顔をしてシュラインを見ていた。
 この様子では確かに、前々からシュライン当人が油烟墨の散々な言われように首を傾げている通り、この仙人、彼女の居る前では多少『毒』が和らいで見えるらしい。
 そんな武彦の視線にすぐに気付き、シュラインも武彦をちら、と見返している。



 ただ。
 …そんな風に和やかなままでは終わらなかった。
 後少しで打ち終わるだろう、そんな局面になっていたところで。
 …不意に玄関から鬼・凋叶棕が現れた。
 最悪のタイミングである。
 凋叶棕はやはり鬼と付く通り油烟墨や丁香紫と同胞で、外見は三十路半ばで都会の裏街道歩いていそうな危険な匂い漂うダークスーツの男だが、実際はどちらから見ても年下、つまりは弟に当たる。そして――それと同時に、宿敵と言っても過言では無いくらい、油烟墨とは不仲であるらしい。が、一応こちらの凋叶棕の方が興信所としては馴染みの顔なのだが。…だから興信所の数多の常連さん同様、不意に入ってくるような事も結構ある。
 そんな訳で凋叶棕が入って来、油烟墨とお互いの姿を認めるなり速攻で険悪ムード。それでも草間さんちの方々が勢揃いで居るからか、特に何も言う事なく凋叶棕は油烟墨の座るソファの背後に回った。丁香紫が軽く挨拶を投げている。が、凋叶棕は無視は出来ないので一応受けただけ、と言った様子。それより油烟墨の方が余程気になるらしい。嫌そうな雰囲気ながら、ぼそりと何か声を掛けようとしていた。
 が。
 油烟墨は凋叶棕のそれには反応しようとせず、目の前の対局相手の方ににこりと異様なくらい爽やかな笑顔を見せてから、いきなりその場で軽やかに身を翻す。…と、その時点で跡形も無く姿を消していた。何故か同時に、その背後で何か話し掛けようとしていた凋叶棕も消えている。
 …その直前、『油烟墨の手が凋叶棕のスーツの腕を捻りあげるようにがっちり掴んでいた』ように見えたのは気のせいか。…ひょっとすると油烟墨は武彦や零ならともかく、シュラインの前で『弟』との確執を見せたくなかったのかもしれない。そして同席している以上その見苦しい遣り取りを見せてしまう事は避けられないと思ったか何も話さぬ内に消えたのかもしれない。…弟の仙人二人が消えたのを見、丁香紫が仕方無いなあとばかりに苦笑していたのもその考えを補強していると言える気がする。
 草間さんちの方々は仙人二人の唐突な退場に目を瞬かせている。…先に立ち直り、はぁ、と溜息を吐いていたのは武彦の方だったが。彼は一応以前にも凋叶棕と油烟墨の激突っぷりを目の当たりにしている為、丁香紫同様ある程度の察しは付く。

 ともあれ結局。
 …今回もまた、油烟墨がこの場で何をしたかったのかは、やっぱりよくわからないまま終わった模様。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■0086/シュライン・エマ
 女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

■NPC
 ■鬼・油烟墨
 ■鬼・丁香紫
 □草間・武彦
 □草間・零
 ■鬼・凋叶棕

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          ライター通信
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 いつもお世話になっております。今回も発注有難う御座いました。
 今回は、油烟墨に会いたい、もしくは鬼の皆さんの誰か(…)と言う事で、油烟墨念願(?)の武彦との囲碁対決から転がって何やら囲碁大会(?)と化している草間興信所の模様をお送りしてみました。
 ………………最後、凋叶棕の不意の来訪により問答無用で終わってますが。

 如何だったでしょうか?
 少なくとも対価分は楽しんで頂ければ幸いで御座います。
 では、また機会がありましたらその時は…。

 ※この「Extra Track」内での人間関係や設定、出来事の類は、当方の他依頼系では引き摺らないでやって下さい。どうぞ宜しくお願いします。
 それと、タイトル内にある数字は、こちらで「Extra Track」に発注頂いた順番で振っているだけの通し番号のようなものですので特にお気になさらず。19とあるからと言って続きものではありません。それぞれ単品は単品です。

 深海残月 拝