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<東京怪談・PCゲームノベル>


商物「過現未」

 女心に喩えられる秋空が、前触れなく大粒の雫を振舞い始めた。
 あまりにも突然の雨に人々は慌てふためき、手近な店に軒を求めて駆けていく中、嘉神真輝もその例に洩れず、雨に追われて足早に歩道を小走りに進んでいた。
「天気予報の嘘吐きめ。俺は傘持ってけなんて聞いてないぞ!」
出掛けに確認した予報に思わず毒吐く……が、天地開闢の頃より最も身近な謎と同列に並べられるほど判じに難な季節の空模様を読み違えたとても、頭ごなしに非難してしまうのもどうか、と己の経験から憤りを冷静に鑑みた真輝はお互い様、とブラウン管の向こうの気象予報士に勝手な親近感を覚えて怒りの矛先を収める。
 そう思考しながらも如才なく、雨宿りが出来そうな場所を求めて真輝は周囲に視線を走らせた。
 手近な軒は既に人に溢れているが、辻向こうの角にコンビニエンスストアを見つけた真輝は其処まで走るか、と覚悟を決めた瞬間、排水が間に合わずに路上に出来た水たまりに、速度を落とさずに突っ込んでくる自動車の存在に気付く。
「あ……っぶな!」
車が派手に跳ね上げた水飛沫を、真輝は咄嗟、後ろに跳んで塀と塀との間の路地に入り込む事で避けた。
 最も、真輝は背後の空間を自分で意識したのではない。
 そのままであれば壁に背をぶつけた上、水跳ねからは逃れられなかったであろうが、幸いとも言うべき間の良さで路地に身が納まった次第である。
「あんの暴走車……!」
無事でこそあったものの、徐行すらしない乱暴運転に唸り、雨に煙る道を見るも、車はとうに走り去ってテールランプさえ見えない。
 その遣り場を見失った怒りを鎮めたのは、更に雨足を強める天。まさしく俄にという勢いに、当面の目的地までの距離を目算しかけて、真輝は小さな店の前に足を止めている事に気付いた。
 小路を少し入り込んだ……まるで人を厭うような位置だが、それは確かに店舗の外観で、円形と菱形を線で組み合わせた格子に絡む植物めいた紋様が大陸のそれを思わせて一見、雑貨の販売を兼ねた中華飯店めいているが、装飾の施されるのは華やかな朱ではなく、黒漆の艶やかさはどこか和風である。
 だが、休業日なのか灯りはなく、人の動く気配もない。
 けれども急を要すると言えばこの上なく、選り好みをしている余裕は強い雨足が許さない。
「胡散臭いけど〜〜ッ、ままよ!」
しばしの逡巡の後、真輝は真鍮のノブに手をかけ気合いを入れて店内に飛び込んだ。


 一歩足を踏み入れた空間には、乾いた香の匂いが漂っていた。
 雑然としているそれこそが整えられた状態であると感じられる店内は狭いようで広く、薄暗さに埃臭いようでいて実の所そんな事はない。
 髪から滴る雨粒を掌で拭いながら、真輝は緑の瞳を幾度か瞬かせた。
「へぇ……なかなか面白そな店……」
 正面奥に広く畳敷きの台場があり、其処に到るまで膝から腰へと順に高さを変える台には駄菓子や子供だましの籤が並ぶかと思えば妙に古びた本が積まれ、ガラスケースに真贋を問いたくなる無頓着さで装飾品の類が並ぶ。
 歩みを進めれば鼻を擽るのは乾いた生薬の香、壁かと思えばそれは棚で、小さな引き出しに和紙に墨でひとつひとつ、納められた薬種の名が記されている。
 真輝は興味深げに周囲を見渡しながらゆっくりと歩を進め……台場に視線を戻した其処に、寸前まで無かった無彩色を認めてぎょっとする。
 先までは確かに居なかった子供が二人、台場の端に腰をかけ、揃って大判の……どうやら百科事典と思しき重たげな本を互いの膝の間に置いて眺めていた。
 度肝を抜かれたとはいえ、人が居たのはこれ幸いと、子等に声をかけようとした真輝の耳の後ろから前へ、ふぅ、と白い空気が煙草の香で鼻を擽りながら抜けた。
「おや、あの子等が気になりますか」
問う声の低さに咄嗟に振り向けば、直前まで確かに誰も居なかった場所、背後に男が一人、立っていた。
「あぁ、こりゃ失礼を。あまりに熱心に品を御覧の様子にちょいと商売っ気が擽られてねぇ」
ふぅ、と紫煙と共に気楽な調子で続けられる言に、真輝は武道を修める者の倣いで、半ば本能的に身構える。
 藍色の和装を着流しにした男は、無精な様子で髭の浮いた口元をにぃと笑いの形に引く。
「そう警戒なさらずとも。怪しい者じゃございません、陰と陽と、その間に構える故に陰陽堂と、そう冠しましたるこの店の主でさぁ」
笑いの形を保った口元に挟まれたままの煙管の先が揺れ、立ち上る煙が天井に向かって柔らかく散じた。
「趣味が悪いよ、おっさん」
背後を取られるなど。勘の鋭さを自負するだけに、警戒の念を刺激された真輝は渋い顔で憤懣を店主にぶつけた。
「心得ときましょ」
けれどそれを軽く肩を竦めて受け流されて肩透かしを食うも、、店主の呑気な様子に真輝は苦笑して腹の虫を納めた。
「今日、もしかして休み?」
そして店内の薄暗さに、懸念を示して心持ち声を潜めた真輝の問いに、店主はにこにこと煙管を銜えながら首を横に振る。
「うちはいつでも年中無休で開店休業で御座いますよ」
理解するのに考え込まなければならない言に、真輝は一瞬、首を傾げるも言葉遊びめいた言に面白味を覚えて破顔した。
「じゃ、遠慮は要らないっと……煙草あるかな。それから傘」
万屋の様相を呈している店、売り場を探すのも面倒で素直に聞きながら、真輝はシャツの胸ポケットに入れていた為、濡れてしまった煙草を取り出す。
「はい、御座いますとも」
店主は軽く言って、手近な引き出しを引いた。
 銘柄毎に列を作り、整然と並べられた箱の中に、愛飲する煙草を見つけ、白いパッケージを一つ手に取った真輝に、店主は「まいどあり」と、初対面には妙に感じる挨拶で小銭を受け取りながら口上する。
「懐具合に適うのであれば、店の中の品は何でもお売り致しますよ。籤のついた飴からそこの大棚も売り物。あそこの子等も、兄がコシカタ、妹がユクスエと。申しましてうちの立派な商品で」
白と黒、対照的な色彩の衣服を纏った子供達は、名を呼ぶ店主の声に反応して、本をそのままにタタタと軽い足音で駆けて来た。
 人懐っこい手に取られた両手に戸惑うより先、く、と右手が引かれる。
「何処に行く?」
右の手をキュ、と握られて見れば金の瞳で見上げる少年……コシカタ。
 強請る言葉ではあるが、声は淡々として感情に薄い。
 左手が、次いで軽く引かれる。
「何して遊ぶ?」
銀の瞳を見下ろせば、少女……ユクスエの長い白髪がさらりと流れる。
「お気に召したなら、どうぞお持ち下さいまし。この子等は占が得意でね。コシカタは後、ユクスエは先、見通す事にかけちゃ、ちょっとしたモンですよ」
店主はこちらの都合など存ぜぬ様子で煙管をふかす、言い様は既に真輝が子供達を連れ帰ると決めてかかっている。
「こんな辺鄙な店に足を踏み入れる位だ。急ぎの用は御座いませんでしょう。お代はどうぞこの子等に一つずつ、揃いの品でも買い与えてやって下さればそれでよし」
目元だけを深める笑いが、たなびく紫煙越しに曖昧に光った。
「気を引かれるならば、その子等が。今必要という事ですよお客様」
「あの、ちょっと! 商品って!」
多勢に無勢、反論の余地なく話はさくさくと本決まりになりそうになるに、真輝は慌て……次いで両の手を繋ぐ子供の掌の暖かさに、肩の力を抜く。
「……参ったな。姪で子守は慣れてるが……」
ぼやいて天井を見上げる短い間に、真輝をは諦めを受容れ、苦笑した。
「何処に行くって言っても……まずは傘売ってくんない?」
取り敢えずは其処から、である。


 空気を洗い、訪れる毎に秋を深める雨の香りと快さを胸に吸い込み、真輝は両脇、同じ傘に入った子等を見遣って、ふむ、と一つ納得の息と共に頷いた。
「偶には雨の中の散歩ってのも乙かもな」
雨のヴェール越しに見る街はまたいつもと違う風情で、真輝はコシカタとユクスエ相手に慣れた道を散歩がてら案内していた。
「俺、暑いの大の苦手でさ。日本の夏って、雨が降って涼しくなるかと思ったら湿気が増して……あのジメジメ感がまた、たまんないんだけど」
たまんない、は可否を問わず使える便利な言葉だが、この場合は込められた感情が否定的な用法である事を明確にしている。
 子供達は無口で、半ば一方的に真輝のみが話している状況だが、腕に軽く掴まる手の感触に何となく嬉しさが込み上げて、無意識に笑みを形作る口元に咥えた煙草が揺れる。
 子供達への遠慮に火を点してはいないが、煙草の葉に染み込んだ薄荷が香りを散らせた。
「ホラ、ここの塀にはいつもデブ猫が寝てるんだ」
民家の物干し台の軒下、木製のリンゴ箱の上には古い座布団が置かれ、其処が半野良の斑猫の定位置だが、流石に雨の日までひなたぼっこをする酔狂さはないようで、ぽつねんと座布団が残されるのみである。
 恰幅が良すぎて真ん丸いを通り越し……陽光を存分に浴びてふくふくと毛を膨らませた猫の様子はどこか饅頭を彷彿とさせ、見る度に和菓子が食べたくなる。
 思い返しただけで唾が出るのは、猫と顔を合わせたら必ず近くの甘味屋に寄る倣いが、パブロフの犬的に身に染み付いているらしい。が、金色の花を雨に濡らした金木犀の。甘く濃く、しとやかな香がそれを助長してもいる。
 もぬけの空な猫の寝床をじっと見詰める子供に、真輝はふと思いつきを口にした。
「そうだ、二人でこの傘持って」
唐突な要請に、けれどコシカタとユクスエが迷いなく同時に傘の柄を手にする間に、真輝は煙草を携帯灰皿にねじ込んで、傘の下から出て濡れる事のないよう、真輝は二人の肩をしっかりと抱く。
「じゃ、目を閉じて……何に気が付く?」
互いの手を握り締める、ようにして共に傘を支える双子は元々の表情の無さもあってか、目を閉じると何処か人形めいた印象を与えた。
「雨音と、金木犀の」
「香りがとても強い」
五感の中で最も多くの情報量を持つ、視界を閉ざす事で他の感覚は鋭敏さを増す。
 合わせて聴覚を刺激し続ける雨音が無音に近い認識を与えれば、残された内で外界を感じ取るのに適するのは、嗅覚である。
 真輝は彼等の感覚が自らの意図に正しく向いている事に、顔を綻ばせた。
「じゃ、そのまま歩いて行こうか。曲がり角で止めるから、そうしたらまた、金木犀の香りに従って好きな方に行く事にしよう。車道に出たり溝に嵌ったりしないように俺がこのまま支えてるから安心して行って良いよ」
今を盛りとする金木犀を使った、真輝の咄嗟の思いつきの遊戯めいた散歩を、コシカタとユクスエは気に入ったらしい。
 ほんの僅かにだが笑みを形作る子等に、真輝は満足に胸を張った。
「傘、持つの辛かったら休むから言えよ?」
その気遣いにこっくりと頷いた双子は無邪気に言う。
「嘉神様は大きくないし」
「二人だから大丈夫です」
子供が軽く腕を伸ばしただけで、傘の内に納まってしまう……気にしてはない。気にしては居ないがなんとなく、自分より長身の妹二人との差を思って真輝は壁に向かってしゃがみ込んでしまった。
「しっかりして、嘉神様」
「元気を出して、嘉神様」
邪気が無い故、無邪気という……純真な子供に背をさすられながら、真輝は心ならず痛む胸を押さえた。


 気分を変えて立ち直って。
 真輝がコシカタとユクスエに提案した、花の香を標に立てた道行きは、その近隣で一際大きな金木犀へ辿り着く。
 その古木を有するのは、和菓子を供する甘味屋で、真輝の馴染みの店である。
 店内の座敷で甘味と抹茶とを楽しむ事の出来、持ち帰りも出来る店舗は小さいながらも、途絶えぬ客足を保っていた。
 座敷の一画を陣取った真輝は、暖かなお手ふきで濡れて冷えた手を暖める。
 夏は冷たく、冬は暖かい物をという、ささやかな、しかし確かな気遣いを持つ店は、間の季節ながら肌寒い雨の今日は後者を判断したらしい。
「真輝ちゃん、あったかい品書きも増えてるけどいつものでいいかい? 可愛いお連れさん達は何にするかね」
初老の婦人が顔馴染みの親しさで呼びかけるのに、真輝はしばし考え込んで頷く。
「うーん、じゃいつも通りの品書き全部に新メニューも足して。二人には特にオススメ美味しいので」
「それじゃぁ、品書き全部が三人前になっちまうよ。どうせ真輝ちゃんが全部食べるんだから、一口ずつ貰って、気に入ったのをもう一度お頼みな」
明るい笑い声を立てて奥に引く、老婦人に合わせて笑って真輝は正面に向き直った。
「疲れてないか?」
お手ふきのぬくもりを堪能しながら、コシカタとユクスエに問えば、二人は手を拭い終わったお手ふきをきちんと畳んで左右に置き、同時に頷く。
「良い香りでした」
「面白かったです」
素直な子供らしさに微笑んで、真輝はふと、店主の言を思い出した。
『お代はどうぞこの子等に一つずつ、揃いの品でも買い与えてやって下さればそれでよし』
「……そう言えばここ、小物も置いてたな」
店の所々に、猫をモチーフにした小物がある……それは民芸作家の作品で、張り子から布を使った招き猫、と多種に及び、気に入れば売りもするのだと言う。
 いつもなら甘味以外を購入対象と見ないのだが、そうと思って店内にざっと目を走らせた真輝は、花の飾られた台の上、腕を伸ばせば届く位置にキルトのように縁を合わせてディスプレイされた四角い布を手に取った。
「揃いの……白・黒のがいいかな」
色味を確かめる真輝を、盆の上に満載に和菓子を乗せて戻った老婦人が目を丸くする。
「おや真輝ちゃん。それは食べられないよ?」
「食わないよッ! 布コースターでも二人の土産にと思ってさ」
顔を見せる度に、店内の甘味全種を制覇していく底なしっぷりに、老婦人の認識がそうとあっても仕方ない。
「それは良かったねぇ、二人とも」
ふくふくと日溜まりで丸まったような……白猫と黒猫、和の紋様の端切れを使って作られたそれは薄の原で、また梅林で心地よさげに眠る印象を与える。
 小さな袋に入れて貰ったそれを手に手に、声を揃えた二人の礼に頷いて、卓の上に並べられた甘味尽くし(第一弾)をさてどれから、とあたりをつけようとした時、向かいから伸ばされた手が真輝の手を取った。
「遠い昔の約束が」
真意を問う間もなく、告げられる言葉はコシカタの金の眼差しと共に真輝を射抜く強さで捉える。
「貴方を地上に定め置いた」
黒髪の、少年の言葉が深い箇所に染み入る感覚に、真輝は常にぼんやりと半眼を保つ、碧の瞳を見開いた。
 更にテーブル越し、身を乗り出すようにしてユクスエが左の手を取る。
「貴方の想いが欠けぬなら」
瞬きのないユクスエの銀の眼差しが、遠くを見るよう真輝を透かして澄む。
「その約束は永劫の物となる」
不意に胸に込み上げた感情が、眼から熱く溢れて落ちた。
「あれ……、えっ?」
全く自覚のない涙に慌て、真輝は手で目元を擦る。
 コシカタとユクスエの言葉に、胸の奥から溢れた想いに呼応するような、涙はそれでも止まらずに、真輝は袖口で目元を押さえた。
 想いは哀しみでも喜びでもなく、切なさに最も近い一つを形作る。
――愛しい。
それは個に向けた物でなく。善悪の括りなくただ、遍く生命として生きとし生ける人という存在全てを包み込むような、その為に全能でその為に無力な。
 父なる存在の御心に似た。

 第二弾を運んできた老婦人が、泣き止まない真輝を心配していたが、涙の理由はあまりの味わい深さにと新メニューに冤罪を着せて、それでも品書きを征服して行く様はいっそ天晴れである。
 そしてその涙の理由を……多分、知るであろうコシカタとユクスエはその件に関してはそれ以上口を開かず、真輝もまた照れから言及せずに、忘れたふりしてその日も心ゆくまで甘味を堪能した。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2227/嘉神・真輝/男性/24歳/神聖都学園高等部教師(家庭科)】

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■         ライター通信          ■
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初めての御参加、真にありがとうございます。闇に蠢く駄文書き、北斗玻璃に御座います。
なんとはなく、子連れ甘味王(?)の名を欲しいままにして頂きました。あの素敵なBUの影響です……あまりに幸せそうなのでつい。そして過去に係るご指定を頂いておりながら前世とかがちょっとしか影響としてしか出て来ないあたり、かなりの煩悶の末、いつものお散歩コース(=過去)を巡る事と相成ったと思って遣って下さいませ……けれどもさり気なく、金木犀巡りは自信を持ってオススメするエピソードに御座います。
天使の血脈を煮詰めたかった気がするのですが、天使の子供というとなんというかグリゴリとかの異端的なイメージが強いです……あっちは厳密に天使でないという説が濃厚ですが、納得いく解釈の出来なかったへたれで御座います(滅)
些末な作で御座いますが、少しでもお気に召して頂けましたら幸いです。それではまた、時が遇う事を祈りつつ。