コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


 ◇◆ 微睡みの姫 ◆◇


 昼下がりの、保健室。
 五限目終了のチャイムがなっても、ベッドの友人は目を醒まさなかった。
「好く眠っちゃってさ。あたしも一緒に寝ちゃいたいよ」
 僅かに唇を開いたまま目を瞑る友人の頬を抓って、新見透己は独りごちる。
 保健室の先生は、遅いお昼とやらで出掛けたまま、帰って来ない。昼休みに倒れて眠り込んだ友人と付き添いと称して授業をサボっている透己は、自然、保健室に置き去りにされた。
 珍しく、他の生徒もいない部屋は、外の喧騒から遠ざかっていた。窓の外は小さな木立になっていて、吹く風の熱を心地好く冷ましてくれる。授業にも出ずにこんな場所でぼうっとできるなんて、彼女には感謝かも知れなかった。
「それにしても、好く眠り過ぎよね」
 ぷにぷに、と抓っていた頬を今度は指先で突付く。熱が伝わってくる。でも、彼女は目覚めない。
「体育があったから、疲れた?」
 彼女は、透己の数少ない友人だった。同じクラスではなく、隣のクラス。一緒に体育と美術の授業を受ける縁で、少しずつ仲好くなった。今日は、水曜日。二限目の体育が一緒で、昼休みはいつも通り屋上で。ふたりでお弁当箱を仕舞った瞬間、こてん、と彼女が眠り込んでしまったのだった。
「それにしても、眠り過ぎじゃないの?」
 呟いてふと、透己は彼女の開いた口の上に、手を翳した。
 手のひらに、当然感じるはずのものは、熱と息。
「―――ッ」
 さっと、自分の顔から血が下がっていくのを透己は感じた。ひったくるように、布団の上に投げ出された彼女の手首を掴む。
 ――脈は、なかった。
 彼女は呼吸を止め、脈さえも止めて眠り続けていた。
「嘘……」
 くらりと、天と地がひっくり返る。椅子にへたり込んだところで、掴んだ手のぬくもりに気付く。熱は、あるのだ。生きてはいる。でも、生きてはいない。
「……どうして?」
 今日、朝下駄箱で出会って、手を振られた。お互いに教室に入って、授業。体育は、外。だらだらと長距離を走った。四限目は自習で、でも運悪くどこかの先生に捕まり、教官室の掃除を手伝わされたと聞いた。そして、図書館で本を返す彼女に付き合ってからお昼をふたりで屋上で食べた。別に、なにも不可思議なことはない。なにひとつ。
 なのに、いま、彼女は眠って――おそらく、このままでは目覚めない。
「誰か……」
 ぎゅっと彼女の手を握り締めて、透己は呟く。
 誰か、この眠り姫を叩き起こして欲しい、と。

     ◇◆ ◇◆◇ ◆◇

 掲示板に貼られていた、殴り書きのSOS。
 書かれていたのはただ一言。『眠り姫を、叩き起こして下さい』。
「『叩き起こして下さい』はどうかと思うぞ、透己……」
 あんまりなメモを見て保健室に来た羽角悠宇は、書き殴られた台詞と裏腹な空気に頭を掻いた。
「だって、叩き起こして欲しいんです、それこそ、いますぐ」
 低く、呻くように新見透己が呟く。薄っぺらいマットの敷かれたベッドの端に、俯きがちで彼女は座っていた。
 ベッドの上には、静かに眸を閉じた少女が横たわっている。僅かに、血の気の失せた青白い顔をしている。でもそれ以外は普通に眠り込んでいる少女だ。
 それが、件の『眠り姫』であるらしい。
「とにかくわかるようにまとめて話せ、透己」
 悠宇が口を開いたとき、背後のドアが軋む音がした。
 そして、柔らかな声。
「透己さん?」
「日和……」
 悠宇の方が余程掬われた気になって、振り向く。悠宇の視線に、困ったように両手にミルクホールのカップを抱えた初瀬日和が小首を傾げた。
 すっと片手のカップを、透己に差し出す。
「そんな顔しないで、透己さん」
「そんな顔って、どんな顔ですか」
 ようやく出た透己らしい憎まれ口に、悠宇は逆にほっとする。その気持は日和も同じらしく、彼女もふわっと微笑を浮かべた。
「心配そうな顔。お友達が目を醒ましたときに、透己さんがそんな顔をしていたら返って心配しちゃいますよ、ね?」
 ぶすっとした顔で、それでも透己は受け取ったカップに口を付けた。


  @:授業(古文?)
  A:体育
  B:授業(英語だったかも。確かグラマー)
  C:自習(社会科教官室整頓)
  昼休み:図書館経由で屋上。お弁当の後、入眠。
 主がいない、その代わりに七人プラスひとりの眠り姫が占拠した、保健室。
 机のうえに置かれた入室管理用のノートをひっちゃぶいて、透己は眠り姫の今日の行動を書き連ねていく。
「隣のクラスだから、好く知りません。一緒の授業なんてほとんどないから」
 メモを貼り付けた当人は、灰色の髪と無造作に断ち切られた黒髪の持ち主。一年生であること。寝台で眠る少女は友達であること。彼女が眠り込んでしまって起きないどころか脈も呼吸も止まっていること。それらを抑揚のない声で告げてから、彼女はボールペンを指先で回してから机に転がした。
「好いのかな?」
 無断拝借が気に咎めるのか、月夢優名が小さく呟く。
 それを無視して、透己は書き上げた紙を持ち上げた。そのまま、他の人間に好く見えるよう掲げてみせた。
「何故、この子が起きないのか、教えて下さい」
 透己は低く、呟く。感情の起伏は声にも、表情にも滲まない。だが、その声はひどく切羽詰っているように響いた。
「……新見、お前は特に眠たいだのなんだのって云うのはねえんだよな?」
「はい」
 無造作な梧北斗の問いに、透己は頷く。
「そいつのクラスの、他の奴らも総倒れで眠り込んじまってる、ってわけでもねえ」
「そうです。他のひとたちは、なんでもない。ただ、彼女だけ眠っている」
 きゅっと、透己は唇を噛む。
「じゃあ、他の奴らは関係ないってことだよな? そいつひとりの行動が問題ってわけだ……」
 難しい顔をして、北斗がぶつぶつ呟き始める。眉間に、しわ。だがどこか、そんな顰め面が似合っていない。腕白坊主のガキ大将が、無理に嫌いな国語の問題の取り組んでいるみたいな風情だ。
 寝台で眠る少女の傍らには、十里楠真雄が立つ。ひとり制服姿ではない彼は眠り姫の肌に触れ、冷静に眸を閉じた彼女の身体を調べていた。
「……眠れる森の美女、みたいね」
 優しい口調で、小さな子供を宥めるような声で、パイプ椅子に腰掛けた初瀬日和が呟くと、彼女の座る椅子の背もたれに体重を預けた羽角悠宇が、にやり、と悪戯っぽく笑う。
「じゃあ、キスで目覚める寸法か?」
「……羽角先輩、あたし、冗談なんてちっとも聞きたい気分じゃありません」
 悠宇の軽口に、透己が噛み付いた。
「……キス?」
 傍らでそれを聞いていた優名が、うっすらと頬を赤らめる。
「じゃあ原因は、魔女の呪いなのかな?」
 開いたベッドに腰掛けて足をぶらつかせていた霧杜ひびきが口ずさむ。
 黙って眠り姫の身体を調べていた真雄が、ひびきの台詞に薄い笑みを浮かべた。
「身体に、特別上げるべき異常は見られない。呼吸をしていない、脈もない、なのに体温は残っている、って云う大前提を除いたら、ね」
「じゃあ、なんで」
「でも、眠りの森の美女に相応しく、指先に小さな傷がひとつだけ、残っていた」
 そう云って恭しく、それこそ姫君の手を取るように、真雄は眠り姫の手首を掬い取る。彼女の、白い指先。人差し指の腹には確かに、小さな小さな、なにかを突き刺したような赤い痕が刻まれていた。
「どこかで、彼女がこの傷をつくった。その場所からスタートしてみても好いんじゃないかな?」
 柔らかな、真雄の提案。
「怪しい場所はどこか、って問題だよね」
 ひびきがはい、と挙手をしてからはきはきと云う。
「図書館か……」
「じゃなかったら、教官室」
 悠宇と日和が上げる。
「教官室に一票。勘で」
 ぐしゃぐしゃと髪を掻き回し、思考を放棄した北斗が手を上げる。続いて、優名とひびきも頷く。
「鍵は、借りっ放しです。彼女が、目を醒ましたら返しに行こうと思って」
 ちゃり、と透己が掲げたのは、錆の回った小さな鍵の束。なかに、『社会科教官室』と刻まれた小さなプレートも混じっている。
「じゃあ、俺達は図書館を見てみるよ。あの、図書館だもんな」
「……そうですね。その節は、お世話になりました。今回も、ですけど」
 悠宇が器用に片目を瞑るのに、バツが悪そうに透己が頷く。くすりと、日和が笑った。
「じゃあ、ボクはここに残って、彼女を見ていようかな」
 ゆっくり伸びをして、あっさりと真雄が云う。
 三々五々、保健室を出て行こうとする。最後に扉に触れた優名がふと、おずおずと振り返った。
「大切なこと、訊いていなかった気がする」
「なんですか? 月夢先輩」
 顔を顰めた透己を、優名が真剣な顔で見返す。
「その子の名前は、なんて云うの?」
 虚を突かれたように、透己は目を瞠る。
「同感。ボクも、知りたいね」
 ベッド脇に椅子を引き寄せた真雄が頷くのを横目で見てから、優名を見返し、透己は僅かに考え、それから不器用に唇を歪めた。
「起きたら、本人から訊いてみて下さい。起きたら、ね」


 夏休みが終わったばかりの時期の図書館は、結構穴場だ。学校に来るのに慣れていない生徒たちは、授業が終わると早々とご帰宅。図書館によって行こうなどと云う学習意欲に燃えた学生でも、この時期はだれていたいのが人情であるらしい。
 だから、カウンターに肘を着き、閑を持て余していた司書のお姐さんは、数少ない『お客サマ』の行動を好く見ていた。
 そのご指導の下悠宇と日和が向かったのは、昼間眠り姫がいたと云う、文芸賞受賞作品を取り扱う比較的表に近い書棚だった。学術書や論文、そして奇書が蔵書のメインである神聖都学園の図書館にあって、この区画だけは雰囲気が柔らかく、心なし、他の書棚よりもひとが多い。
「これじゃあ手掛かりなんてわからないよなあ……」
 戯れに分厚いハードカバーを引き出して、悠宇は溜め息を吐く。
「もしかしたら、思いも掛けないところに手掛かりがあるかも知れないわ」
 困ったように、日和が淡い笑みを浮かべる。白い指先が、本の背表紙を彷徨う。
 流石に眠り姫がどんな本を借りたのか、司書も教えてくれなかったし本に興味のない透己は忘れたと云う。無数に並ぶ書棚に詰められた、数え切れない本の群れ。なにを探しているのかさえわからないままでそれを追うのは、砂漠で一粒の金を探すようなものだ。
「なんだか、時間が飛んでいく感じね。本のページの隙間に吸い込まれていくみたい」
 日和が溜め息を吐く。
「あら? まだいたの?」
 本を両手に抱えた司書が、悠宇と日和を見て云う。
「新見さんのお友達に、なにか頼まれごと?」
「ああ、ええ、まあ」
「……もしかして、なにか困りごと?」
 歯切れの悪い悠宇に、司書は声を潜めて囁いた。
「どういうことですか?」
「いいえ、ちょっとね。なんだか彼女のこと訊いて来たの、今日あなたがたでふたり目だから」
「もうひとりって」
「えっと、誰だったかしらね……高等部の先生だったんだけど」
 一歩踏み込んだ悠宇に、司書は首を傾げる。ここまで出てきているんだけど、と呟いた司書に悠宇がじりじりしていると、日和はぽつり、と呟いた。
「世界史の、牧先生」
「ああ、そう!」
 日和の声に、ぽん、と司書が手を打った。
「そうそうそう、あの先生、物陰からじーっと彼女のこと眺めていたのよ。なんだか気持悪いなあって。それで好く憶えていたの」
 すっきりした、と朗らかに笑う司書を置いて、悠宇と日和が顔を合わせる。
 世界史の牧は、眠り姫に教官室の整理を云い渡した張本人である。その彼が、眠り姫の動向をこそこそ窺う。そこに、なにもないはずはない。
「悠宇」
「思わぬところで手掛かりが、って奴か?」
 手にしていた本を無理矢理書棚に押し込んで、悠宇はぱん、と埃を払った。


 その頃。
 保健室に残ったふたりは、無言で眠り姫の傍らに控えていた。
 締め切られた保健室のなかは、空気が凝って流れない。時間の経過を知らせるのは、壁に掛けられた素っ気無い時計の秒針が動く音だけ。
 眠り姫が横たわる、白いベッド。そのベッドの端に腰掛けた透己と、傍らのパイプ椅子に座る真雄。人見知りの気がある透己は居心地が悪そうに、真雄は飄々とした姿勢を崩さずその場所にいる。
「……どう、思いますか」
 根負けしたように、透己が口を開く。
「どうって?」
「この子が、どうして眠っているのか。どうしたら、目覚めるのか。あなた、お医者様なんでしょう?」
 ぴちょん、と緩まった水場の蛇口から、水滴が落ちる。
 目を向けるともなくそれを眺めて、うーん、と真雄は大きく伸びをした。
「いろんな可能性が考えられるよね。まずは単純明快に口から入ったもの。キミと一緒に摂ったお昼にヘンな薬が入っていた、とかね」
「おかず、交換したりしました」
「女の子っぽいね、そういうの」
 くすり、と真雄が笑う。
「じゃなかったら、やっぱり自習の整理整頓かな?」
「どうしたら、彼女は起きるんでしょうか」
「それも、状況待ちだね。いまはなにも云えない。……なんとなく、考えていることはあるけどね」
 どこか全て見透かしたように、真雄が云う。
 もしかしたら、見透かしているのかも知れない。ひとの血肉の外と内、真雄の触り得ない場所はない。真雄は、そういうタイプの医者だった。
「考えていること?」
「そう。例えば、眠りの森の美女。彼女がキスで目覚めるのは、キミは何故だと思う?」
「そういう決め事だから」
 真雄の問いを、甘さを微塵も見せず透己が切り捨てる。真雄は苦笑するしかない。
「女の子っぽくないね、そういうの」
「ありがとうございます」
「礼を云われてもね。……キスで目覚めるのは、ボクが思うに、それだけの想いがあるから、だよ」
「想いって欲とか見得の別名ですか? 財産欲? 肉欲? 名誉欲?」
「敢えて否定するつもりはないけどね。理由はともあれ、本当に真実、起きて欲しいと願い純粋な想いってやつが、キスに籠められているから姫君は目覚める。精神力で身体を支配することなんて、ひとが思うよりもずっと簡単なことなんだよ」
「……意外と、ロマンチックでいらっしゃる」
 真雄の長広舌に、嫌味を籠めて透己が呟く。真雄は大袈裟に肩を竦めてみせた。
「取り合えずは、結果を待とう」
 云って、真雄がちらりと流し見たベッドの上の少女は、やはり、深い眠りに沈んだままだった。


 一方、優名、ひびき、北斗を迎えたのは、想像を絶する荒れ果てた教官室だった。
「……こりゃあ、整理整頓も必要だよな……」
 四畳半程度の広さに積み上げられた、本。本。本。それに、不可解な歴史資料に巨大な世界地図の巻物。全てに満遍なく降り積もった分厚い埃。
 借りてきた鍵をちゃりちゃり云わせながら、北斗が溜め息を吐く。吐いた溜め息でまた、床の埃が蠢く。
「なかに入ったことなかったけど……結構凄かったんだねえ、社会科教官室!」
 うんざりしている北斗と、手を口許に当てたまま絶句している優名を摺り抜けて、ひびきは果敢に教官室に侵入する。
 そもそも、教官室は各教科の講義室の横に置かれた、小さな資料置き場のようなもの。だが、もともと技術系授業でもない限り、神聖都学園の高等部では、講義室自体が余り使用されていない。生徒の入らない講義室は教師の私室と化し、更にその付属物たる教官室は生徒には未知のワンダーランドとなってしまっているわけである。
 ことに、資料が多い社会系は、油断するとどうなってしまうのか。その生き見本が、目の前の惨状であるらしい。すたすたとひびきが足を進めるたびに、もわもわと埃が舞い上がった。
「お邪魔、します」
 教官室にも、講義室にも誰もいないものの、おずおずと優名は忍び足。気を取り直して、北斗も足を踏み入れた。
 取り合えず三人、手分けしてざっと見渡す。好く好く見れ見れば、全体から見て数パーセントに満たないものの、書棚の本が寝ていない、きちんと背表紙が見えている空間がある。きっと、眠り姫が手を入れた場所なのだろう。ざらついた背表紙を指先で追っているうちにふと、ひびきは手を引っ込めた。
 ひびきの指先に巻かれた、絆創膏。そこに僅かに、引っ掛かるような感触。
 振り返って、優名と北斗を呼ぶ。
「ねえ、これ」
 じっと目を凝らすと、本と本の狭間に、小さな突起物がはみ出ていた。
 丁度手を滑らせれば指先を引っ掛けずにはいられない、そんな小さな悪意をひびきはその尖った先端に感じた。
「ちょっと、貸してみな」
 慎重に、北斗がそれを引っ張る。
 なかでつっかえているのか、引くだけでは素直に抜けない。立派な装丁の本ごと引き出してようやく、それを抜き出すことができた。
「なんだ、これ……」
「紡錘だよ、これ」
 北斗の手に乗せられたのは、細い棒と平たい円盤を組み合わせたような、奇妙な物体。どちらのパーツも、無理をすればすぐに砕けてしまいそうに古びた年代ものだ。意味がわからずに引っ繰り返し下から覗き上から眺めしている北斗に、ひびきが説明する。
「この、棒の部分に糸を巻き付けるの」
 北斗から黴さえ生えた、古ぼけた道具を受け取って指差す。
「それって……やっぱり」
 呟いた優名に、ひびきが頷く。
「眠れる森の美女の、呪い。呪いには、呪いを掛ける魔女が必要だよね?」
 自分の考えを確認するように、ひびきが口にしたのはそんな台詞。
「誰かが、わざと、これを仕込んだってこと?」
 優名が、目をぱちぱちさせる。悪意は一瞬では理解し切れずに、じわりじわりと優名の頭に染み込んでくる。
「……やだな」
 それが、素直な優名の感想。
「これが呪いのネタかどうかなんて、わかんねえけどな」
 北斗がかたちばかりの反論をしたとき、隣の講義室で音がした。どうやら、誰かが入って来たらしい。
「……誰?」
 優名が、顔を強張らせる。不法侵入なのだ、無理はない。
 だが、北斗は逆に好都合、と云った風情で腕を組む。
「好いタイミングじゃねえか?」
 講義室に用がある人物は、八割方教師。こんな仕掛けを作って、生徒をそこへ放り込んだ人間もまた、教師。社会科の教師は十人居ない。だから、うまく両者が合う確率は一割以上。
「本人に、訊くのが一番だろ?」
 にっと、北斗が笑った。 


 教官室の扉を開けたのは果たして、世界史の教師である牧だった。
 どこか疲れたように俯きがちに扉を押し、なかに北斗たちがいるのに気付くとぎょっと目を瞠る。
「なんで、勝手に生徒が入り込んでいるんだ」
 慌てたような、少し調子の外れた甲高い声。奇妙に歪んだ早口。怪しいのはボクです、と宣言しているような不審さ。
「ビンゴ」
 小さな声で、ひびきが呟く。北斗も小さく頷いた。
「先生、これのこと、知っています?」
 ひびきが、手にしていた紡錘を掲げる。ひくり、と牧の身体が強張った。
「なんで、それを」
「こっちが、なんでって訊きてえんだけど。先生?」
 北斗が一歩、足を踏み出す。じり、と一歩、牧が後ずさる。
「それを返しなさい。貴重な歴史資料なんだぞ」
 精一杯教師の威厳を掻き集め、居丈高に牧が手を差し出す。
「先生、これはなんなんですか?」
 甘い声に緊張を孕んだまま、優名も問い掛ける。
「お前たちには関係がない。とっとと返せ!」
 頑迷に、牧は首を振る。
 ふう、とひびきが溜め息を吐いた。
 紡錘を持った手に、開いたもう片方の手を重ねる。とんとんとん、と爪先がスリーカウントを取る。
「お渡ししたいのは、やまやまなんですが」
 ふわっと手を離したとき、そこにはすでに、紡錘はなかった。
 芝居がかった仕草で、ひびきは空の両手を掲げる。
「消えてなくなっちゃったものは、お渡しできません」
 ぺろ、っと舌を出す。他愛もない消滅マジック。だが、この場合はかなりの効き目があった。
「返しなさい!」
 叫んだ牧が、北斗たちに飛び掛ってくる。
 とっさに構えを取った北斗と、条件反射で身体を竦ませた優名。優名を背に庇ったひびき。一瞬、ひびきは目を瞑ってしまう。
 だが、予想していた衝撃は、いつまで経っても伝わっては来ない。
 こわごわ目を開けてみると、牧は飛びかかろうとした姿勢のまま、その場でじたばたもがいていた。
「……どうしたんだ? これ」
 いやに冷静な声が、狭い部屋に響く。
 牧の背後。牧のシャツの襟首を掴む、手。
 そのまま牧の両手を背中に回し、軽々と拘束したのは、別行動をしていたはずの悠宇だった。
「本当に。なにがあったの?」
 少し離れた安全圏からひょこん、と顔を覗かせたのは、同じく長い髪を靡かせた日和だった。


「そもそもは、夏休みにあの先生が旅行に行ったことから始まるわけだね」
 一通りの説明を聞き終えて、真雄は両腕を組んで深く椅子に体重を預ける。
「そう。夏休みにヨーロッパに旅行したとき、アンティークショップであの紡錘を見つけたんだって。眠りの森の美女の紡錘って評判で買ったんだって。もっと好いもの買ってくれば好いのに!」
「どこにでも、怪しいアンティークショップってあるものだね」
 ひびきの説明に、真雄が半畳を入れる。苦笑を浮かべた人間が、何人か。
「つい、試してみたくなって眠り姫を引き込んだ、と云うことみたい」
「……そんなの、自分の腕に刺せば好いじゃないですか、ぶすっと、遠慮なく」
「透己さん……」
 透己のスカートの裾を握り込む指が、白くなる。それをそっと押さえて、日和が慰めるように名を呼ぶ。
「教官室にわざと紡錘を仕込んで。その場ではなんともならなかったから、その後の行動を監視して。随分と念が入っているよな」
 悠宇が怒りを滲ませながら云う。
 全て白状した牧は、教官室に叩き込んで外鍵を掛けた。内側からは鍵は開かないので、誰かが助けてくれるまではそのままだろう。生徒を実験に使った不埒さに比べれば、本当にささやかな刑だ。
「で、どうしたら眠り姫はお目覚めになるって云っていたのかな?」
 真雄がゆっくりと皆を見渡す。視線を合わせられる人間は、誰もいない。
「わからねえってさ。ふざけた奴だよな」
 微かに赤くなった拳を撫でながら、北斗が乱暴に云い放つ。取り合えず、一発殴ったものの、それだけでは気が治まらなかった。もっと殴っておけば好かった、とぐるぐる考え続けている。
「さて、どうするかな?」
 真雄がぐるりと視線を巡らせる。
「やっぱり、キス、かな」
 優名が赤くなって、呟く。
「駄目、です」
 透己がにべもなく却下。
 俯きがちになにごとかを考えていた悠宇が、すっと顔を上げた。
「透己、お前が呼んでやれ」
「……どういう意味、ですか?」
「お前にとっては、大事な友達なんだろう。いなくなったら寂しいと、戻って来いと、お前がしっかり呼んでやれ。そうしたら……」
「もしかしたら、戻ってくるかもね。王子様のキスと、同じように」
 真雄が言葉を添える。透己は、迷ったようにベッドの眠り姫を見る。
「こういう意味、だったんですか? さっきの話」
「さあね」
 透己の問いに、真雄は肩を竦めた。
「なんでも、試しにやってみるのもありじゃねえか? 後悔するよりは絶対に、マシだろ」
 北斗が云う。
 躊躇いがちに、透己は眠り姫の傍らに手を付く。体重が乗って、安っぽいベッドがぎしり、と軋みを上げた。
 まだ、迷ったままの表情で耳元に唇を寄せる。透己は、感情表現が得意ではない。だから、誰かを引き寄せるほどの言葉を吐き出す術を、好くは知らなかった。
「多分……素直に、云えば好いんじゃないかな? いま、透己が、想っていること」
 優名が、ぽつり、と呟く。ひびきも力強く頷く。
 透己が、微かな声を、眠り姫の耳元に忍ばせる。小さな声。掠れた声。なにを囁いたのか、誰も聴こえなかった。
「起きて」
 今度は僅かに声を強めて、透己が云う。
「起きてよ」
 更に、もっと。
「起きなさい!」
 最後には、怒鳴り声。
 涙交じりの、喚き声。
「透己、落ち着いてってば」
「透己さん」
 優名が名を呼び、日和が宥めるように肩を掴んだそのとき。
 ――眠り姫の指が、ぴくん、と震えた。
「……なあに、透己、うるさい……」
 深い深い眠りに掠れた声が、眠り姫の唇から零れる。
 ふわりと、持ち上げられた瞼。ゆるゆると、伸ばされた手。
 なにごともなかったかのように目を醒ました眠り姫は、自分の周囲を取り巻く人の数に、きょとん、とした。
「なに、これ? なにかのお祭り?」
 余りにも呑気な言葉に、透己の拳がふるふると震える。
「この、馬鹿!」
 怒鳴った透己の潤みに気付かなかったのは、当の本人だけかも――知れなかった。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□


【 2803 / 月夢・優名 / 女性 / 17歳 / 神聖都学園高等部2年生 】

【 3022 / 霧杜・ひびき / 女性 / 17歳 / 高校生 】

【 3524 / 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生 】

【 3525 / 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生 】

【 3628 / 十里楠・真雄 / 男性 / 17歳 / 闇医者(表では姉の庇護の元プータロー) 】

【 5698 / 梧・北斗 / 男性 / 17歳 / 退魔師兼高校生 】

【 NPC1859 / 新見・透己 / 女性 / 16歳 / 高校生 】


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□


 こんにちは、へたれライターのカツラギカヤです。この度はご発注、ありがとうございました。
 今回、プレイングのなかで最も『怪しい!』と書いて頂いた数が多かったのが、自習時間。そして、眠り姫、ということで「眠りの森の美女」に触れていただいたPL さまも複数いらっしゃいました。そこで、ふたつの要素を強く押し出したこのかたちのお話を描かせて頂きました。プレイングを生かし切れず、見苦しい面もあるかと思いますが、少しでも、愉しんで頂ければ幸いです。
 この度はご発注、ありがとうございました。また次回も是非、宜しくお願いします。