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<東京怪談・PCゲームノベル>


『千紫万紅 縁 ― 金木犀の物語 ―』


 桜、舞う、淡き薄紅の園。
 美しく咲き誇る老木は桜。
 それは今宵限りの命をかけて、この世での最後の夜を謳歌する。
 凛と咲き誇るは桜の花。
 淡き薄紅色の花は詠うようにその蕾を惜しむ事無く破蕾させて、そして散る。
 ひらひらと、ひらひらと、夜の帳が降りた空間を途切れる事無く降る花びらの雨。
 それは無限の桜の花びら散る、夢幻の夜の光景。
 それははっとするほどに美しく、そしてほんの少しだけ物悲しさを感じさせる光景。


 桜の花よ。
 美しく咲く汝に問おう。
 汝は何故に蕾のままでいられぬ?
 春への淡き予感、それを胸に抱きてそのまま身を固めていた方が幸福であろうに。
 汝はわかっているのか?
 咲けば、散る、という事を。
 それはいかほどに儚き、事か………。


「綺麗ですね」
 私の隣に座る白さんがぽつりと誰にとでもなく漏らした言葉。
 だけど私も心にあるぽかりと空いたような空虚さを埋めたくって、言葉を紡いだ。
 ―――この寂しさ、似ているのかもしれない。お爺さんのお店があった場所にあった、あのビルを見た時の感情に。
「花はどうして咲くんでしょうか、白さん」
 たまらずに言ってしまった。
 いえ、きっと私は………
「出逢うために」
 白さんは迷わずにそう言って、そして私に微笑んでくれた。
「咲かなければ、出逢えないから。こうして咲かせた花を見に来てくれる人に。喜んでくれる心に。笑顔に。アトリさん、ありがとうございます。今夜はこうしてこの桜のために来てくださって。あなたが来てくれたから、この桜の樹もこんなにも美しく咲き誇って、嬉しそうにしている。出逢えたから、あなたに。とてもよく似合う桜色の着物を着た綺麗なあなたに」


 出逢えたから。


 そう。私が白さんに訊いたのは、この人なら私が聞きたい、私の心にぽかりと空いた穴を埋めてくれる言葉をくれると想ったから。
 出逢うために。
 綺麗に咲く花、と。
 それを見て喜ぶ人と。
 その笑顔と。
「今宵限りのこの桜の花。どうか、それを愛でてあげてください。そして忘れないでいてください、この夜の桜の花の事を。美しさを」
「はい、白さん。私、忘れません」
 私は頭上の枝、そこに咲く花を見上げる。
 出逢うために咲く。
 あなたが咲いてくれたから、私はあなたと出逢えた。
 例え桜の花がすべて散ったとしても、私は忘れない、今宵の桜の花の事。あなたの事を。
「花が咲くのは出逢うために。それは生きるという事ですよね、白さん」
「はい。生きて、咲いて、散る。そこに美はある。散るために咲くのではない。生きるために、生きているからこそ、生きるから、咲くのです。出逢いは生きる事の代価、と言うと言葉が少し悪いような気がしますが、でも生きているからこその出逢いもある。僕とアトリさんもそうですよね」
「はい。生きているからこそ」
「そして想いは受け継がれるから。花の美しさをアトリさんが覚えていてくれれば、この桜の樹の想いはアトリさんに受け継がれる。山の中でひっそりと咲く山桜だって、実は咲く想い、それはこの桜と一緒だから、だから誰にも見られずに咲いて散る、それの想いだって、あなたの中に息づく。息づいて、そしてそれを今度はあなたが他の誰かに伝えてくれるから」
 私ははっとした。
 そして和紙をくれたお爺さんの事を私はその時に想った。
 そうだ。それはきっと、人も同じ事。
 私はお爺さんに和紙をもらって、そして日本文化に興味をもって、それを学んでいる。お爺さんとの出逢いが私にくれたモノは、こんなにも大きい。


 こういう想いが、生きて出逢って、息づくという事………
 ―――受け継がれる想い。


 それから私は白さんに私の想い出話を桜の花を見ながら話した。
 お爺さんとの出逢いの事を。
 私が紡ぐ想い出話にいつの間にか皆も耳を傾けていて、私は少しの恥かしさと、それ以上の嬉しさを織り込めて、想い出を言葉に紡いだ。
 皆にも知ってもらいたかったのだ。
 桜の淡い薄紅の花びらが、私の想い出をそっと優しく包み込んでくれるように夜に舞っていた。



 ――――――――『千紫万紅 縁 ― 金木犀の物語 ―』



【T】


 十月初旬。
 町内は少し騒がしい。
 風に乗って聴こえてくる音楽。テンポが速くって、ちょっと背中を押されるような、騒々しくって落ち着きの無い音色。リレーの音楽。
 それと一緒にかわいらしいソプラノトーンの声がスピーカーを通して流れて、風に運ばれている。
『赤組、がんばれ。白組、がんばれ。両方、がんばれ』
 思わず笑ってしまう。微笑ましくって。
 今日は日曜日。
 約二ヶ月ある夏休みも終わって、始まった後期。
 規則通りに進んでいく大学生活の時間に最初は戸惑っていた感覚もようやっと慣れて、私は夏休み前の大学生生活のリズムを取り戻しかけている。
 そんな中での日曜日は心休まる小休止。
 やっぱりアンダンテな私には少し慌しい日々の大学生活は息苦しい。だからゆったりとした私の時間で流れて行く日曜日は心にも身体にも心地良くって、そしてもっぱらそんな日曜日の過ごし方はお散歩。
 朝起きて、ご飯を食べて、ゆっくりとしてから、お布団を乾して、お洗濯、お部屋のお掃除。ちょっと休んで、それからサンドイッチとかおにぎりとかを作って、公園に行ってランチをするのがお気に入り。
 お散歩もできて、美味しい空気の中、綺麗な自然の風景を見て、お弁当を食べられるのが素適だから。
 そして帰りに画材屋さんに寄って、綺麗な色んなモノが見れたら、もう満足で、それだけで私の一日は嬉しい色に染まる。
 今日は少し、お散歩に出る時間は早い。風に乗って聞こえてきた小学校の運動会のBGMが私の動きのテンポを少し速めてくれたから。
 蒼い空をバックに気持ち良さそうに風に泳ぐ洗濯物を満足気に眺めて私はうん、と頷いて、それから昨日のパン屋さんの特売で買ってきた食パンを取り出して、包丁で薄くそれを切っていく。耳は落として、切った耳は後でまた調理してお菓子にするつもり。
 卵を割って、溶いて、フライパンで焼いて、卵焼きを一枚。
 レタス、キュウリ、トマト、アスパラを切って、後はシーチキンの缶詰を切って、辛子マヨネーズを塗って、先ほど切ったレタス、トマト、キュウリ、アスパラを乗せたパンの上にシーチキン、卵焼き、ハムをまた乗せて、正方形のパンを真ん中より少し端寄りで縦に切って、残りは斜めで切って、一つの長方形と二つの三角形にする。シーチキンと卵、ハムのサンドイッチ。それから水筒にお茶を入れて、それらをトートバッグに入れる。お散歩の準備完了。
 そうして私はお散歩に出た。
 今日の日差しは秋といっても少しまだ夏の名残りを感じさせた。
 この夏の頭に買った白の日傘を差して私は道を歩いている。
 相変わらず聴こえてくる運動会の音楽にあわせて日傘をくるくると回してしまうのはご愛嬌。
 だけど塀の上の猫はどこか気だるそう。足を止めて視線を向けるとふてぶてしそうな顔で私を見返して、それからまた眠ってしまう。
「つれないですね」
 私はくすりと苦笑しながら肩を竦めた。
 風は向かい風。
 その風は運動会の音楽と、それから子どもらの楽しげな声を乗せて吹いてくる。
 風に踊る髪は私の首筋をくすぐり、そして風に乗るそれらの音色は私の心をくすぐる。
 くすぐったい、心が。
 わくわくが止まらない。
 童心に返る、というのはこういう気分を言うのだろうか?
 きっとそうだ。
 この、楽しくって、わくわくが止まらない感覚は小学校とか、中学校、高校での運動会や体育祭、遠足や修学旅行などで感じていたような、そんな期待と緊張、予感などが均等に混ざり合った時のような、心震える感覚。久しく出逢えなかった私の感情の宝物。
 それはきっと子どもの時だけにしか感じられない特別な感情だから、だからこそ愛おしくって、眩しい。涙流すようなそんな尊い心の結晶。
 風に乗った音楽が私の心の奥深くにあった感情の箱の蓋を開けたのだ。そしてそれに重なるようにその箱、私の子ども心というオルゴールが奏でられ始めた。
 見たのはデジャブ。
 聞こえたのは幻聴。


 お久しぶりです、私。
 ―――子どもの柏木アトリの心。


 子ども時代の私。
 ―――『逢いたい人が居るの。あなただって逢いたいよね。アトリ。だから思い出して。――――を』


 ふいにオルゴールの音色に重なって聞こえた声。どこか懐かしい香りをともなって。
 子ども時代の私は何を私に思い出して、と伝えたのだろう?
 それが私の心を焦燥させた。
 学校の校門の前で私は足を止める。
 強い風が吹いて、日傘が飛ばされる。
 風が乱暴に私の髪をなびかせて、視界が一瞬髪に覆われて、私は瞼を閉じて、その闇の中に私はやはり茫洋なお爺さんの顔しか見られない。
 私は何を、忘れているの?
 忘れている事すら気付けない私には永遠にそれに気付く事なんてできるとは思えない。
 何だかとてもひどく哀しくって、苦しかった。
「アトリさん」
 そんな時に聞こえたんです。あなたの、私の名前を呼ぶ声。
 ふりむくと、私の手から突然の突風に飛ばされた傘を手に持った白さんと、それから白さんの左肩に乗るスノードロップの花の妖精さんがいた。
「落し物でしよぉー♪」
「うん」
 顔にかかる髪を両手で掻きあげながら頷く私に白さんは優しく微笑んでくれていた。まるで私が感じている物をわかってくれているように。
 いいえ、きっとこの人はわかってくれているんだと想います。
 優しい人だから。誰よりも。
 だから私は夕暮れ時の迷子になった街で、母親に見つけてもらえた時かのような微笑みを浮かべられた。
「探し物が、できてしまったようなんです」
 傘を受け取りながら私はそう告げる。
 それは私の決意表明。
 折れそうになった心を支えてくれた白さんに聞いてもらいたかったから。
「それは、大変ですね。よろしかったら僕もご一緒にお手伝いしますよ」
 私は思わず驚いてしまう。
 そんなつもりじゃなかったから。
 慌てて口を開こうとしたら、
「はいはい、わたしもしますでし♪」
 スノーちゃんまで、そう申し出てくれる。
「でもその前に何だか良い匂いがするんでし。アトリさんのトートバッグから」
 口の前で両拳を握ってかわいらしく顔を左右に振るスノーちゃんに私は思わず唖然としてしまって、それから白さんを見ると、
「そういう事にしておきませんか?」
 と、白さんは優しく穏やかに笑いながら言ってくれた。
 だから私は白さんのそのご好意に甘える事にした。
「ありがとうございます、白さん。ありがとう、スノーちゃん。じゃあ、どこか景色の良い場所に移って、食べましょうか?」
「はいでし♪」
 私はくすりと笑い、そしてちょっぴりと今日は何だかたくさん食べられる気がして、いつもよりも多めにサンドイッチを作ってきた事に感謝した。



【U】


 いつもお散歩で行っている自然公園。
 豊かな緑と鯉が泳ぐ綺麗な池がある場所。
 池を囲むようにして整備された散歩道には等間隔に木製のベンチが置かれていて、私たちはそのベンチの一つに腰を下ろしてサンドイッチを食べながらお喋りをした。
 とても楽しい時間、と感じてしまうのは白さんの穏やかな声と、自分の身体よりも大きなサンドイッチにかぶりつくスノーちゃんがかわいかったから。
 ついつい私は顔が緩んでしまう。
「うわぁ、すごく美味しいでし、このツナサンド」
「本当に? ありがとう、スノーちゃん。とても嬉しいですよ」
「ええ、本当にこのエッグサンドもすごく美味しいですよ、アトリさん」
「嬉しいです。それじゃあ、また今度、また今度今日のお礼にご飯をご馳走させてください。私、腕によりをかけてご飯を作りますから」
「わわ、ほんとでしか? すごくすごく楽しみでし♪ これは何としてでもアトリさんの探し物を見つけないといけないでしね」
 えいえい、おー、って拳をあげるスノーちゃんに私も白さんも顔を見合わせて笑いあう。
「おや、スノー。ちゃんと覚えていたんですね、アトリさんの探し物の事」
 悪戯っぽく笑いながら言う白さんにスノーちゃんは頬を膨らませた。
「覚えてますでし! いいでしか、えっと、アトリさんの探し物はでしね………あれ?」
 私の顔を見上げて、だぁー、と涙を流し始めたスノーちゃんに私はついつい笑ってしまう。
「ほら、泣きやんでください、スノーちゃん。私の分、あげますから」
 最後のツナサンドをあげた瞬間に泣いていた顔が笑顔に変わる。かわいいというか、面白い。
 私は笑ってしまう。
 傍らに置いておいた水筒のコップのお茶を飲み干して、小さく深呼吸をしてから私は話し始めた。
 私が今でも逢いたいと望むのは和紙のお店のお爺さん。
 友達と喧嘩して泣きじゃくっていた私に和紙を差し出してくれたお爺さん。
 そのお爺さんの優しさがあったから、今の私がある。
 だからこそ父の転勤先である仙台から、ここ、東京に戻ってきて一番にお爺さんに会いに行ったのだけど、お爺さんは………。
 命の儚さ、時の惨さ、そういうのを感じさせられた。
「お爺さんの顔、思い出せないんですよね?」
「………はい」
 きっと私は予感していたのだ、哀しい別れを。だから私はロクにお爺さんの顔を見なかった。
「探し物はお爺さんに会う方法だと想うんです。私、忘れている。気付けないでいるんです、そのお爺さんに会う別の方法。子ども時代の頃の事を思い出して、それで私ふいにその事に気が付いて、でもそれは予感のような物で形になってくれなくって………」
 指でその方法を掴もうとしても、それは虚しく散ってしまう。
 それぐらいそれはかすかな記憶の破片でしかないのだ。
「でもそれは確かにアトリさんの中にあるんですよね?」
「はい。そうだと想います」
「では、アトリさん、もう一度これからそのお爺さんの和紙のお店があった場所に行ってみませんか?」
「これから、ですか?」
「はい、これからです。ほら、何かを忘れた時はそれまでやっていた事をやり直すといいと言うでしょう? だからこれも同じかな、って。アトリさんとお爺さんの場所に何か答えがあるんじゃないかって」
「現場百回って奴でしね♪」
 手をあげて言う彼女に私と白さんはまた顔を見合わせて、そして笑ってしまった。



【V】


 現場百回、とまでは行かなくとも、それでも何度かはここに来た事はあった。
 仙台に引っ越して、それから上京してくるまでに変わった風景は、それからも今日まで少しずつ変わっている。
 変わる事なんてきっと、止められない。もしもまた私がこの街からいなくなっても、この街はそんな事にはお構い無しに変わっていってしまうんだ。
「哀しいな」
 そういえばこのコンビニの前の建物は何だったろう? わずか数週間前にこのコンビニは開店したはずで、でも私はそのコンビニが始まる前のこの場所の風景を想い出せない。
 ―――あれ?
 何かが、揺れ動いた。
 繋がりそうな予感がした。
 私が忘れている物。
 それを今あの場所を見れば、思い出せそうな気がした。
 はやる気持ちを、私は止められなかった。
 私は思いがけず早足となって先を急ぐ。
 高い空にある太陽が照らす鏡面ガラスで覆われた銀色のビル。お爺さんのお店があった場所に建つ、建物。
「何か思い出せそうですか?」
「いえ、やっぱりダメです。ここに来たら何かが思い出せそうなそんな予感がしたんですが、でもやっぱり、私は私が抱いている方法に気付けません。ごめんなさい」
 顔を俯かせた私の肩に軽い重みが乗っかった。顔を向けると、にんまりと小さな小さな顔が笑う。
「全然全然大丈夫でしよ、アトリさん♪ まだ1回でし! あと99回もあるんでしから、その99回のどれかで気づけるでしよ」
 現場百回、まだ言っている。
 言ってくれる。
 励ましてくれる、その優しさが嬉しくって、温かい。
「それにひょっとしたら101回目でわかるかも。大切なのは諦めない事。そうすれば可能性は無限大です。そうだと想いませんか、アトリさん」
 白さんも優しく微笑んでくれて、私はとても嬉しくって、ありがたくって、幸せで、白さんたちに頭を下げた。
 そしてできる事なら白さんたちにもお爺さんに会って貰いたかった。紹介したかった。
 今あるこの嬉しい事、大学での出会いもそうだし、その他の出逢いだって、すべてはあの和紙をお爺さんからもらった事で出逢えたのだと思う。
 私はお爺さんに本当にたくさんの、大切な物をもらったのだ。
 だから私は………
「あの白さん、スノーちゃん、私、諦めたくないです。だからありがとうございます」
「はい」
「はいでし♪」
 それから白さんはビルを見上げた。
「現場百回。それでは2回目はそのアトリさんがお爺さんに和紙をもらった時の事を思い返してみましょうか?」
「はい。そうなると、学校の帰り道。そこを辿って、それからここに」
 私は前に自分が通っていた小学校にやって来た。
 そこは変わらずにあって、その懐かしい風景が私を安堵させた。
「じゃあ、行きましょうか」
 私たちは一斉に校門の前でくるりと右回れ右をする。
 やっぱり私の母校でも運動会をやっていて、スピーカーから流れる音楽にあわせてそれをやったら、なんだか子ども時代に戻ったような気がした。
 いや、きっと私は子どもに戻らなければならないのだ。
 今の私は忘れていて、
 だけど子どもの頃の私はそれを覚えているのだから。
 子どもの視点、そういう事?
「学校からの帰りに私は近所の子どもと喧嘩をして、それで泣きじゃくりながら、お爺さんの家へと行ったんです。そしたらお爺さんが私に和紙をくれて。泣き虫にはやらないって、優しく微笑みながら。私はその時から和紙を愛しているんです」
 その想い出通りに行動しても、私の胸にある茫洋な予感は明確な形にはならなかった。
 私は一体何を、忘れているんだろう? お爺さんに会える可能性の一つとは………
「あまり思いつめないで、アトリさん。大丈夫。答えはアトリさんの中にあるのだから。少し休憩しましょう」
「はい。あの白さん、す」
 すみません、とは言えなかった。
 白さんの笑顔に制されて。
 だから私は、
「ありがとうございます」
 そう言葉を紡いだ。
「はい」
 優しく微笑む白さん。
 そういえば白さんはお爺さんに似ている。
 そばにいると、ほっとできるところが。



【W】


 行きつけの和風喫茶は住宅街の中にある。
 会社を定年退職したお爺さんが趣味で始めたそこは、だけどお爺さんと奥さんの温かな人柄と、美味しいお茶で、知る人ぞ知る隠れ名店として知られていた。
 私が和紙で作った作品が店の至る所に飾ってあるのだけど、それはちょっぴり恥かしいから内緒。
「ここ、すごく美味しいんですよ。抹茶ゼリーパフェや、抹茶アイス、それにお汁粉なんかもう美味なんです。白さんはワラビもち付き抹茶セットがよろしいでしょうか?」
 スノーちゃんの目が輝き出したのが面白かった。
 民家を改造して、一階をまるごとお店にしてあるそこは見た目は普通の家と変わらない。門の表札の下に置かれた看板が無かったらわからないだろう。
 門を通って、玄関に行こう、そのお店の敷地に足を踏み入れたその瞬間、ふいに私の心をとても香り良い匂いがくすぐった。
 そして私はその匂いにはっとして、辺りを見回して、庭に植えられたそれを見つける。



『まるで金色の雪みたい』



 夕日を溜め込んだような色の花を咲かせる金木犀。
 幼い頃の私は秋の訪れを報せてくれるようなその香り良い匂いももちろん好きだったけど、それ以上に風ですぐにはらはらと落ちるその花の、落ちて降り積もった様がまるで金色の雪のように見えて、私はそれを幼心に綺麗だと想ったのだ。
「そうです。私、お爺さんの家を覗いたのもこの金木犀の花が見たかったからなんです。金色の雪のように花が落ちて降り積もったその光景が綺麗で大好きだったから。いつも規則正しい紙漉きの音が聴こえてくるお家、その家が作っている和紙、それをちゃんと明確に理解したのもその時です。金木犀の花が見たくって庭にお邪魔して、そしたらそこに和紙があった。それから腕を組みながら難しそうな顔でその紙たちを見ているお爺さんもそこに居て、それが出会いで。そうだ。私をお爺さんに出逢わせてくれたのは金木犀の花でした」



 ありがとう、アトリ、思い出してくれて。
 待ってるから。
 同じようにアトリに逢いたい人が、アトリを待ってるから、だから私を見つけて。



 私が白さんを見ると、白さんはにこりと笑いながら頷いた。
「金木犀の花の妖精です。彼らもずっとアトリさんを探していた。そして今日、見つけたんでしょうね、アトリさんを」
 じゃあ、あれは、金木犀の花の妖精………
「あの、白さん」
 探していた、金木犀の花の妖精が私を?
「それはその………」
 答えは確かに私の中にある。
 金木犀の花があのお爺さんの家にあった事を忘れていた訳では無い。
 金木犀の花を見るたびに私はお爺さんの家で花を貰って、紅茶やお茶に添えて楽しんだり、その他にもたくさんの嬉しい記憶を思い起こしてきていた。
 でもそういう事ではなくって、
 ――――金木犀の花は何と言っていた?
「見つけてって。私を。金木犀の花を。そこに私に逢いたがっている人が居るから。だからつまり、金木犀の花を見つければ、そこにその人も。私は金木犀の花を見つければ、いいんですね」
 白さんは頷いた。
「金木犀の花を見つけるというのは当然の事ながらお爺さんの家にあった金木犀の花。それを植え替え作業した造園業者さんを見つければ、難しくは無いです」
「はい」
 私は頷いた。
 希望が見えてきた。
 それが嬉しい。
「では、僕は知り合いの造園業者さんに心当たりが無いかどうか聞いてきます」
「あの、では私も一緒に」
 私がそう言うと白さんは苦笑して、私の肩を指差した。
 そこではスノーちゃんが涎を流しながらお店をじっと凝視している姿があった。
「ちょっとここでお預けはかわいそうかな?」
 私が苦笑を浮かべると、白さんも苦笑を浮かべた。



【X】


「こんにちは、アトリちゃん。今日はかわいいの、つれているんだねー」
「スノードロップの花の妖精のスノードロップでし♪ 虫じゃないでし!」
 おばあさんはくすくすと笑って、私とスノーちゃんの分のお茶とお水を置いていってくれた。
「どれにしますか、スノーちゃん」
「うーん、悩むでし。全部食べたいくらいに美味しそうでし」
 顔をくしゃっとさせる彼女に私は微笑んでしまう。
「じゃあ、私に任せてくれる? ちょっとしたコツのある注文で案外と色んな種類のを食べれるものなんですよ」
「そうなんでしか!」
「そうなんでし」
 私たちは顔を見合わせてくすくすと笑いあう。
「すみません。注文、お願いします」
「はいよ」
「えっと、抹茶カステラセット、クリームあんみつ、白玉ぜんざい、抹茶ババロア、スペシャル抹茶パフェ。抹茶カステラセットは二つで、あとは皆一つずつでお願いします」
「はいよ」
 伝票に注文した商品と値段、個数を書いていたおばあさんは全部書き終わると、思い出したと笑いながら私を見た。
「そうだ、アトリちゃん。悪いんだけど、前にプレゼントしてもらった女の子三人が手毬をしている和紙のお人形なんだけど、あれと同じ奴を3個作ってくれないかい」
 女の子三人が手毬をしている和紙のお人形、水彩絵の具で風景を描いて、そこに和紙で作った手毬をする女の子三人を貼り付けて、綺麗な額に入れた物。私がご夫婦の結婚記念日に贈った品物だ。
「私のお友達がすごく気にいっちゃって買いたいと言うのよ。だから依頼できるかしら?」
「はい。それでしたら喜んで。おかみさんのお友達という事で親友価格でやらせていただきます」
 おばあさんはほやっと笑って、それから抹茶カステラセットはサービスしてもらえる事になった。
「得しちゃいました」
「でしね♪」
 くすくすと笑いあう。
 それから私は注文した品が並べられるまでのわずかな時間を楽しむために和紙を取り出した。
 じぃーっとスノーちゃんを見る。
 さらりと揺れる白銀の髪。小首を傾げる彼女。
 それから私は和紙を折り始める。あやめの花など折り紙にも花の折り方はある。
 私が作るのは完全なるオリジナル。昔、物には色が無くって、それを不憫に想った神様は自分のパレットの中にあった色を物たちに分けていった。でも雪の番になった時にはもう神様のパレットには色は無く、雪はその身の冷たさ故に物から色を分けてはもらえなかった。でも、スノードロップの花は雪の冷たさにそれを嫌う事無く、雪に自分の白を分け与えた。雪はそれに感謝をし、そうしてスノードロップは雪が降る中でも咲けるようになったのだとか。雪は感謝して、スノードロップを避けるから。
「優しい花。スノードロップのできあがり」
 私は完成したオリジナルのスノードロップの花をスノーちゃんにあげた。
 彼女はどんぐり眼を大きく開け広げて、眼をきらきらとさせている。本当にかわいい。
 私はくすくすと笑いながら両肘をテーブルの上について、両の手の平に顎を乗せて、スノードロップの花を喜ぶ彼女を見つめていた。
「アトリさん。アトリさん」
「ん?」
「スノードロップの花の花言葉は希望なんでしよ♪」
「うん」
 希望。
 そう、希望は繋がった。
 私はお爺さん自身にはもう逢えないけど、でも金木犀の妖精が言っていた人には逢える。
 それは一体誰なんだろう?
 そしてスノーちゃんと一緒に注文した品を全部食べ終わった頃に、白さんが帰ってきた。



【Y】


 白さんはあれからお爺さんの家を壊した業者さんと連絡を取り合って、そこの人に金木犀をどうしたのかを訊いてくれたそうだ。
 そこの業者の人によれば、あの金木犀の花はお爺さん、そしてお婆さんがとても大事にしていて、だからお爺さんが亡くなって、息子さんの家に引っ越す事になったお婆さんはその金木犀も一緒に持って行ったそうなのだ。
 そしてその時に金木犀の移植をした造園業者の人に白さんは事情を話して、そのお婆さんの家の住所を訊いてくれた。
「ここがその家です」
 白さんが連れて来てくれた一軒の家。
 門から覗ける庭には確かに金木犀の花があった。
 風にハラハラと舞うそれは本当に金色の雪のようでとても綺麗で、風は同時に私に秋の訪れを報せてくれる金木犀の香りを届けてくれた。
「良い匂いでしね」
「うん」
 私は門の所にあるチャイムを心臓をワルツの拍子で躍らせながら押した。
 果たして出てきたのは………
「まあ、アトリちゃん? アトリちゃんよね? まあ、まあ、大きくなって」
 視界が懐かしさに歪んだ。
 私の頬を温もりが伝う。
 確かに私に懐かしげに微笑んでくれるのはお婆さんだった。お爺さんの奥さんだった。
「あの、こんにちは、お婆さん。お久しぶりです。柏木アトリです」
「ええ。ええ。こんにちは、お帰りなさい。よく、訪ねてきてくれたわね。さあ、中に入って」
「はい」
 私はお婆さんに案内されて家の中にお邪魔した。
 庭に面したお婆さんの部屋から、あの金木犀の花を見つめながら私はお婆さんと昔話に花を咲かせた。
「アトリちゃんが来てくれるのをお爺さんはいつも楽しみにしていたのよ。女の子の孫ができたようだって」
 思いがけずに聞けたその言葉が何よりも嬉しくって、そして私は今もおじいさんに貰った和紙を大切に持っている事、そしてそれが切欠で日本文化に本格的に興味を持って、今の自分がある事を話した。
「上京してきてすぐにお店をお訪ねしたんですが………本当に悲しかったです」
 お婆さんは小さく微笑んで、それから少しの間、私たちは無言で時を流した。
 そしてお婆さんは箪笥の上の戸棚からアルバムを一冊出してきた。
 開いたそのアルバムのページに貼られていた写真の中には………
「私ですか、これ?」
 私が居た。
 とても幼い頃の私。
 庭に並べられている和紙を見ている私。
 縁側に座ってお茶を飲んでいる私。
 お爺さんやお婆さんと並んで写真に写っている私。
 それから………
「これ…」
 あの和紙をお爺さんにもらった日の写真………
「そういえば写真、撮っていましたよね」
 写真の中には私がぼんやりとしか思い出せなかったお爺さんの優しい微笑みがあった。
 今私の隣で微笑んでいる白さんの表情とよく似た微笑み。
 お婆さんはその写真を手に取ると、ティッシュで包んで、そっと私の前に出してくれた。
「もらってもらえるかしら、アトリちゃん。お爺さんも喜んでくれるから」
 私は少し躊躇って、それからお婆さんの心をもらった。
「ありがとうございます」
「いいえ、私も嬉しいから」
 それから私はもう少しお婆さんと昔話をして、最後に私は庭の金木犀の花を見に行く事にした。
 とても綺麗な金木犀の花は本当に昔のままだった。
「ありがとう」
 私がそう言うと、金木犀の花は嬉しそうに笑うように風に揺れて、香り良い匂いをさせて、ハラハラと降るように花を散らした。
「ふわぁー。金色の雪みたいぃー」
 門の方から聞こえた小さな女の子の声。
 その子はとても嬉しそうに金木犀の花の元まで走ってこようとして、でもまだ幼いから足を引っ掛けて転んでしまう。
 私は慌てて女の子の方へ走っていって、立たせてあげる。
 保育園のスモッグには星崎ひな、とあった。
「大丈夫、ひなちゃん?」
 ひなちゃんについた埃を手で払いながら私がそう訊くと、ひなちゃんは泣きながら何度も頷いた。
 私はひなちゃんの頭をそっと撫でる。
「偉い。偉い。ひなちゃんは偉いね。だからひなちゃんにお姉ちゃんの宝物をあげる」
 べそべそと泣いているひなちゃんに私は取り出した和紙を手渡す。
 しゃくりをあげながらひなちゃんは手の中の和紙と私の顔を何度も見比べて、小首を傾げた。
「………もらってもいいの?」
「うん。いいよ」
 私が頷くと、ひなちゃんの泣き顔に満面の笑みが浮かんだ。
「綺麗な紙。何て言うの、このお姉ちゃんの宝物」
「和紙、って言うんだよ」
「和紙?」
「うん」
「そうか。和紙。わたし、和紙、好きぃー。大好き」
 満面の笑みでそう言ってくれるひなちゃんに私はとても嬉しくって幸福な気持ちと愛おしさを感じた。
 そしてきっとそれはあの時にお爺さんが感じた感情と一緒なのだろう。
 それがとても嬉しく、幸福で、心が温かかった。
 ひなちゃんを手を振りながら見送って、そして私はもう一度金木犀を見る。涙を流しながら。
 もうお爺さんはいないけど、でも私はお爺さんにたくさんの物をもらっていて、そして今度は私がもういないお爺さんから引き継いだ物をまたたくさんの人に配っていくのだ、そう想った。
 そう想えて、そして和紙細工という宝物がある自分が嬉しく、幸福で、誇らしかった。



 私は伝えていきます、お爺さん。
 この金木犀の花に誘われて入った場所であなたと出会って、
 そしてあなたから貰ったたくさんの物を、
 あなたに出逢えたからこそ出会えた私の方法で。
 和紙細工で。



 それが受け継がれる想い。
 ―――生きるという事。
 道は繋がっているから、たくさんの大切なモノと。
 だからきっと私は歩いていける。
 どこまでも。



 風に金木犀の花がハラハラと落ちていく。
 香り良い匂いを夕方の空間にたゆらせて、
 金色の雪が降るように。



 ― END ―
 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2528 / 柏木・アトリ / 女性 / 20歳 / 和紙細工師・美大生】


【NPC / 白】


【NPC / スノードロップ】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、柏木アトリさま。
 はじめまして。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はご依頼、ありがとうございました。
 金木犀の花の花言葉は謙遜、真実、あなたは高潔、となり、所縁の日は10月6日、11月2日、11月25日だそうです。
 金木犀、アトリさんに本当に相応しい花ですよね。^^ その美しさも、花が持つ言葉も。


 ご指定してくださった金木犀の花と、アトリさんに和紙をくれたお爺さんとのお話、いかがでしたか?
 少しお話の内容が余計な事をしていないか心配だったりするのですが、お気に召していただけていましたら本当に嬉しいです。


 和紙ってとても綺麗ですよね。
 私も和紙とかそういうの見るのって好きだったりします。着物の柄なんかもとても素適ですし。
 日本の伝統文化って、本当に繊細で、綺麗で凄いですよね。染物なんかも本当に凄いと想いますし。一度やってみたいな、などと想っています、染物。^^


 今回のテーマは受け継がれる想い、というモノなのですが、これは本当に私の大好きな物だったりします。
 何でしょう、確かにあると想うんですよね。受け継がれる気持ちというのは。
 もちろん師匠から弟子に技術と共に想いも受け継がれていくのですが、
 でも全然見知らぬ通しの人たちが知らず知らずのうちに受け継いでいる想いなんかもあったりすると想います。それが好きなのです。^^
 前に失敗してしまった想い、途切れてしまった想い、でもそれは決して無駄などではなくって、その人の事は知らないけど、でも同じ想いを抱いてがんばっている人の中には確かにその前に失敗してしまった人の想いもあって、その人はちゃんと背負っていて、それが次から次へと受け継がれていって、やがて身を結ぶんだと、そういう感覚が尊いと想うんです。医療とか、なんとか、そういうモノって、そういう風なのだと想います。
 だからそういう物語をアトリさんで紡げた事をとても嬉しく想います。^^
 前々から書かせていただきたかったPCさまでしたし。^^
 ですからすごく嬉しかったです。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。