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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


月とススキと秋の声


 さらさらと風が木々の葉を揺らし、黄昏を過ぎた空を雲が流れて行く。
 四宮灯火は主のいない店――『神影』の片隅で、店主が新しく仕入れたばかりの品物をひとつひとつ並べていきながら、骨董品達の声に耳を傾ける。
 彼等の声はとても小さい。
 けれど、深く長い時を経てきた言葉たちはどれも心地よい温かみを持っていた。
 そして、彼等は何も知らない灯火に様々なことを教えてくれる。
 人間というもの。
 心というもの。
 この世界に溢れ返る不可思議なこと。
 そして、饒舌で博識な彼等は、今夜は空を見上げてごらんと言ってきた。
「空、でございますか?」
 首を傾げると、肩の上でさらりと黒髪が揺れる。
 日本にはお月見という風習が在るのだということ、そして、『中秋の名月』と呼ばれる月は特に美しいのだということを彼等が笑みを洩らしながら熱心に教えてくれる。
「……お月見……それは……一体、どういうもの、なのでしょう……?」
 しかし、彼等は詳しいこととなると笑うばかりで、とにかく今夜見る月は格別の特別なのだ、年に一度もないかもしれない、すごく貴重な一晩だから、とにかく空を見るべきだと言う。
「……ですが……」
 この場所から窓の外を見上げても、あるのはネオンの光を映した夜の色ばかりだ。
 いくつもの建造物が見事なまでに目隠しとなる。
 昔はもっと深い漆黒の帳が降りていたと、どこか淋しげにアームチェアが呟いた。
 そうだな、と同意の溜息がどこからともなく漏れて、そのままじんわりと寂寥の沈黙が降りる。
 灯火も口をつぐみ、代わりに何も見えない外へと視線を向けた。
「お?なんだ?今夜は灯火ひとりか?」
「あ」
 不意に掛けられた声に振り返り、大きな青い瞳で彼を捕える。
「藍原、様……」
 ふらりとやってきたのは、この店の初代にして最も過酷な労働を強いられている留守番役の男だった。
「すっげぇ荷物が来たから手伝えって言われたんだけどな……主は不在ってヤツ?」
 ご苦労さんと笑う彼の瞳には、好奇心の光がキラキラと反射している。
「んで」
 大股で店の中を横断し、灯火のすぐ傍まで来てストンッとしゃがみこむと、同じ目線から空を見上げた。
「そんな所から眺めても何にも見えないだろ?」
 先程灯火が試したのと同じように、右や左に角度を変えながら問い掛けてくる。
 突然間近に迫った彼の横顔にほんの僅か驚きつつ、灯火もまた窓の向こうへと視線を戻し、呟く。
「今夜は……『中秋の名月』と、いうもの…らしいのです……」
 それがどういうものなのか分からないけれど。
 彼等が熱心に勧めるからには、随分と素敵なものなのだろう。
「ああ、そういや今日は天保歴の……なるほど、それであちこちでやたらと月見団子を見かけたのか」
 何故か妙に懐かしそうに目を細めて和馬が笑う。
「年に一度なんだよな」
「……ええ……皆様も、そのように……」
 一度確認するように自身の背後を振り返り、それからこくりと、頷く。
「だよなぁ……」
 最近むちゃくちゃ日付感覚なくなってっからなぁ……と呟きつつ指先で鼻の頭を掻き、それから、ふむ、と溜息とも唸りともつかない声を洩らす。
「ん。よし、決めた!俺と一緒に縁側で月見でもするか?」
「あの……わたくしにはまだ……」
 惑うように揺れる灯火の目が闇の沈みかけた木箱を示す。
 そこには充分な封印を施されたものばかりが5つも積み上げられている。ちょっとした山にも見えるシルエットは、到底あと一時間や二時間で片付く代物とは思えない。
 店主がここに戻ってくるのは明日の夕方だ。
 それまでにはこれらを全て分類し、店頭に陳列できるまでにしておく必要がある。
 彼等はどこの誰なのか。
 どんな経過でここに集い、そして彼等はどのように自分を見せたいのか。
 それをひとつひとつ確認していく作業もまだ随分と残っている。
「……この方たちの、お話を、伺わなくては……」
 嘘偽りのない骨董品本人の言葉を聞けるという灯火の能力を、店主はひどく重宝していたし、あてにもしてくれている。
 必要とされているその思いに、何とか答えたいと感じている自分もいる。
「ああ、なんだ。大丈夫大丈夫」
 任せろとばかりに、子供っぽい自信満面の笑顔を放つ。
「仕分けに関しちゃ百戦錬磨だぜ、俺?この和馬様の助っ人だ。伊達に引越し屋だの配送センターだののバイトしてないって」
 彼の口元で、鋭い牙がちらりと覗く。
「……ばいと……でございますか?」
「そ、バイト。まぁ、任せとけって。女性の頼みは聞くのが基本。女性の願いを叶えるために男が奔走するのは世の理だ」
 まさしく長い年月を掛けて培われ、細胞の一片にまで刷り込まれたこの理念がそう簡単に崩れるはずもなく。
 そして、彼の言葉に嘘はなく。
 小さな灯火の手に余る木箱の山が、驚くほど的確なスピードで解体されていった。
 彼の審美眼も相当なモノらしく、灯火は次々と陳列されていく骨董品達に、その見立てであっているかの『確認』をするだけでいい。
 瞬く間に積み上げられた木箱が姿を消してしまった。
 そして、
「いっちょ上がり、ってな」
 パンパンっと両手を打ち鳴らして、満足げに店内を見回す和馬。
「これで、後は師匠が帰ってくる明日までに、帳簿つくりゃオッケーでことで。月見の時間確保完了。さすがだろ?」
 得意げに胸を張ってニッと笑って見せる和馬に、灯火の中でほわりと温かな気持ちが広がった。
 なかなかやりおるな。
 そんな声もかすかに聞こえてくる。
 和馬には驚かされることばかりだ。
 けれど、それが不思議と心地よいと感じる自分がいる。
「んじゃ、さっそくお月見と洒落込むか。日本の伝統に則って、な」
「……あ……」
 浮かれ気味な和馬に半ば担ぎ上げられそうな勢いで、灯火は縁側へと手を引かれていく。
 しかし。
「あれ?」
 妙に間の抜けた声が彼の口から漏れる。
「……見えない、ですわ……」
 彼に手を引かれたまま、灯火もポツリと声を洩らす。
 ちょうど月の角度と建物とが絶妙な角度で重なり合い、その美しい姿は完全に夜空から消されてしまっている。
 少し体をずらしたところで、入り組んだ東京の街並みの合間から名月を拝むのは難しそうだった。
「どうする?俺が今からちょっとばかし気合を入れて、灯火を抱いてビルの屋上に跳ぶか?どうやっても風流ってわけにはいかねぇけど」
 むぅっと思わず唸り声を洩らしてしまった和馬の隣で、灯火もまた思考を巡らせる。
 それは彼女の中に蓄積された、数少ない『記憶』の検索でもあった。
 吸い込まれそうなほど大きく目の前に迫ってくる月。
 ビルの谷間ではなく、どこまでも広がる空で見上げる月。
 それを見ることが可能となる場所が、確かにある。
 懐かしそうに月見を語ってくれた彼等と、そしてわざわざ自分のために仕事を進めてくれた和馬の気持ちに応えたいと思う。
 今夜の、この時を大切にしたいと、そう思った。
「藍原様……わたくしに、お任せ…いただけませんか?」
「ん?」
 彼の手を、いや、彼の人差し指と中指をきゅっと握って、
「月を、見に……」
 気持ちを鎮めて、目を閉じる。
 形をなぞり、空気を読み、風を感じて。
 自分の中に、これから訪れるべき場所の明確なイメージを作り出す。
「参り、ます……」
 その言葉を合図に。
 一瞬の浮遊感。
 視界の暗転。
 世界の消失。
 そして。
 再び世界が光を取り戻す―――
「藍原様……いかが、でしょう?」
「こいつは」
 ザァ……っと風が頬を、髪を、世界を撫でていく。
 銀の光を帯びて揺れる、そこは一瞬幻惑を誘うほどに見事な一面のススキ野原だった。
「こんな場所がまだ残ってんのか……」
 さわさわと風が流れる。
 さらさらと穂が波の音を奏でる。
「……以前……植物と話が出来るという方に、こっそり…教えていただいた場所で、ございます……」
「へぇ……なるほど」
 それって俺も知ってるヤツじゃねえの?
 そんなふうにニヤリと笑う。
「……いかがで、ございましょう……?」
「ん?ん……」
 改めて、灯火に促されるように和馬は空を見上げる。
 月がその陰影をより濃く晒して迫ってくる。
 圧倒される冷やかな輝き。
 青白く燃えながら熱を感じさせない、静謐な光。
 眼球から内側へと染み透る、それは息が詰まるほどの美しい……
「これは確かに中秋の…名月だ」
 和馬の声が微かに震えた。
 数百年という時の中で失われたはずの光。消えたはずの景色。もう見ることは叶わないとすら考えていた、懐かしささえ滲む光景。
 遠い昔、忘れ掛けていたあの頃の、あのどうしようもなく孤独だけれどほのかな幸せを感じてもいたあの頃の、自分が眺めていたものと同じ月の色。
 ただひたすらに降り注ぐ闇色の天上からの捧げもの。
「藍原、様……?」
 呼吸が止まりそうなほどの沈黙に、灯火が不思議な面持ちで彼を見上げた。
「灯火、ありがとな」
 泣きそうな笑みが向けられて、
「い、いえ……わたくしは特に何も……」
 戸惑うようにふるりと首を横に振りながら、心はふわりと浮き上がる。
「ここまで連れてきたもらったんだ。俺からも灯火にお礼をしねぇとな」
 和馬は嬉しそうに両腕を上げてうんと伸びをし、それからかすかな旋律をその唇に乗せた。
 呪を乗せた、緩やかな歌。
 風が色を変える。
 藍色の空が深い闇色となり、稲穂に降り注ぐ月の光が閃きを増す。
 無限に散らばる水晶の欠片が乱反射を繰り返すように、それらは灯火を取り巻いていく。
「さてと」
「あ……」
 いつまでも眺めていたと思わせるそんな光景の中で、和馬は灯火の体を掬い上げるように抱え、軽く地面を蹴って跳躍する。
 ひらりと降り立った場所は、特等席と言わんばかりの大きな岩の上だった。
 そこからは、ススキ野原が銀の海原となって眼下に広がっていく様が見渡せる。
 どこまでもどこまでも続く、光の波。
「酒はダメだろうから……灯火はジュースで乾杯な」
 くすくす楽しげに笑いながら、どこからともなく徳利とお猪口を取り出して、ついでに何故かキレイに積み上げられた月見団子まで用意して。
「月見酒といこう」
「……はい……」
 彼からお猪口を受け取り、灯火はほんのりとその口元に笑みを浮かべる。
 そして。
 数百年前と変わらぬ光を放つ月の下、さざめく銀の稲穂に包まれて、2人は緩やかな時間に身を委ねた。



END