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<東京怪談・PCゲームノベル>


■弛んだ水音■



 時間が有れば挨拶なりとすべく立ち寄るのは篠原美沙姫にとってはごく当たり前の事だ。
 その日も大過なく主家の使いを済ませたその足で、草間興信所に寄っていたのもごく当たり前の事の一つの筈だった。
 エレナ・フィラッツォというその女性が乱暴に扉を蹴り開け踏み込んでくるまでは。

「役に立つ動けるのを貸しなさい」
「いきなりご挨拶だな」
「つまらない話をするつもりは無いの。ウチのバカが」
 そこで一拍入れ、唇を舐める。艶っぽい筈の仕草が奇妙に猛々しい。
 瞳の奥を光らせてエレナは草間を睨み据えた。
「血を流してる。解るのよ」
 だから人を寄越せ、と至近距離に顔を寄せて言うエレナを表情を削ぎ落としたように草間が見る。
 無言で摘んでいた煙草を灰皿で揉み消すと、その手を応接ソファへ向けた。
 振り返ったエレナの視界に入るのはメイド服姿の女性。あるいは会話をエレナの乱入で阻まれたかもしれない彼女は静かに一礼する。その流れるような優雅さがエレナに冷静さを取り戻させたのか。
「篠原美沙姫さん。腕は立つ――すまないが、頼めるか」
「勿論です。わたくしでお力になれるなら喜んで」
 穏やかに頷く美沙姫を瞳を眇めて見遣る。その視線を美沙姫もまた静かに見詰め返し、視線が交差した。それは一瞬の事であったけれど、充分な時間だった。エレナが息を吐く。納得したという吐息だ。それを見て取って、美沙姫もまたひとつ息を整えると唇を開く。
「事情は、道々という事で宜しいでしょうか」
「ええ。頼りにしてるわ」
 ようやく笑んだ相手の言葉に、美沙姫は変わらず静かに微笑んだ。


** *** *


 差し支えなければ、と美沙姫が言ったのは薄暗い路地裏の先に廃ビルを認めた頃。
 若い女二人が同時に足を止める。
「エレナ様は、何か他の方とは異なる気配をお持ちのようですね」
 振り返ったエレナの目を見返して、やはり穏やかなまま問う美沙姫。
 異国の女は暫し沈黙してから口元を緩く動かした。ええ、と。
「喧嘩はね、それなり」
「喧嘩ですか?」
「ええ。生きるか死ぬかの、喧嘩」
 会話はそれだけで二人共に表情を引き締めて廃ビルに臨む。
 こつ、とどちらのものか靴音が高く響いた。
 踏み込んだ先は暗い。電気が通っている筈も無く、時折射し込む外の光で浮き上がるものといえば塵芥ばかり。
 沈黙の中、エレナに従う位置を取って歩きながら美沙姫は風の精霊の連絡を待っていた。さほどの時間を要さずにそれは来る。
「匂いが濃くて判らないわね」
「エレナ様。こちらです」
「判ったの?」
「はい」
 前後を交替して美沙姫が先導する。精霊の示した場所は一階層高い。周囲を探りながら階段を上り通路へ。大きめのテナントであったのか扉は両開きのものが左右に一つずつ。迷うことなく美沙姫は片方を選び取った。
 結界でも張ってあったのか、微かな残滓。
「ジェラルド様と少年が一人居るそうです」
 手をかけて視線は扉の向こうに宛てたままエレナへ。
 了解、と手をゆるく上げるエレナの動きを感じながら扉を引いた。
 蝶番が軋む音がやけに鮮明に耳に届く。引いて開ける形の扉。すかさずエレナが入り美沙姫が再び後ろに。
 少年は、ただ立っていた。
 半ば二人に背を向ける形で立っている。その身体を向ける先に一人の男。エレナと似た髪色の外国人。なによりも同じ常人ならぬ気配があった。油断ではなく、一瞬エレナへと視線を走らせれば思ったよりも彼女は冷静だ。戻した視線の先で男――ジェラルドが長物で壁に縫い止められ衣服が重く湿っているのが判るのに。
「美人連れて迎えか?」
 口中に何かが満ちている、泡を潰す音を織り交ぜた聞き取りづらい声でジェラルドが笑う。同時に美沙姫達を振り返る少年。けれど動きかけた少年が訝しげに周囲を見上げた一瞬は、精霊が彼にまとわりついた瞬間だ。美沙姫は何も頼んではいない。精霊が自ら少年に近付いただけ。
 それを記憶の端に書き留めて美沙姫は普段のままに唇を開く。いささか張り詰めた調子であったのは仕方が無い。
「その方をお渡し下さいませんか」
 あるいは話の通じない相手かも知れないと考えた。明らかに、瞳に意志の光が無い。それでも穏便に済ませる事が出来るのであればと交渉を考えたのは、今の精霊と少年の様子の所為もあった。
 けれど。
 けれどそれは叶わないようで。
 ただ一言だけで交渉は叶わないと知れる。何も無い瞳が緩慢に揺れてエレナを見ると小さく「けもの」と動く唇。美沙姫もエレナも、少年の身体に日常とは異なる荷重がかかった事に気付いた。仕掛ける為の荷重。少年同様に重心を移動させ瞬間の動きに対処出来るようにと姿勢を変える。何気ない動作だがそれに馴染む者には明らかなそれ。
「前衛をお願い致しますエレナ様」
「モチロンそのつもり」
「わたくしは――浄化を試みてみたく存じます」
「浄化?」
「はい」
 短く言い交わす間に少年の手には一振りの剣。価値のあるだろう精緻な装飾。主家の財としてあるものと並べても遜色は無いかもしれない。けれど明らかな穢れが剣にあり、美沙姫の目はそれを視ていた。
 気配を探る精霊達が騒ぎ立てる。剣が、騒がせている。
 少年自身には何も無い。そう、浄化すべき歪んだ感情さえも無い。
 剣を、と胸の内で。
 ひゅ、と損ねた口笛がジェラルドから零れ落ちた。
 少年が微かに揺れたと思えば剣を構えるでもなく走り込んで来たのだ。それを避ける。エレナが腕を取るようにしながら実際には逃れる形で動くのとは幾分距離を取って美沙姫もまた少年から逃れた。
 乱暴な靴音はエレナの足元から間断無く響いている。
 少年は迷い無くエレナへと追い縋り、剣を振るう。浄化、と言った美沙姫の言葉を気にかけているのかエレナは少年の腕、足、と行動を制限するべく腕――いや、その爪を尖らせていた。だがその相手へのスタンスの違いが彼女を追い詰める。
「風牙斬!」
 咄嗟に威力を抑えて放った二組の風の刃。霊気から出来たそれが少年の足元を掠めてエレナは鼻先に迫った刃を避ける。美沙姫へと顔を向けかけた少年に一度仕掛けて注意を引く事も忘れてはいない。術を示す名前だけを迸らせては美沙姫は力を放つ。その彼女だからこそ出来る芸当で時折エレナが屠られかけるのを制しつつ少年と剣を視る。風の精霊も未だ少年にまといついては離れ気配を窺っていたが、美沙姫とも結論は同じだ。
(少年ではなく――やはり、剣)
 壁を削る音。少年の剣が深く食い込みけれど勢いが変わる事無く走り抜けて亀裂を作る。刃毀れなぞする筈も無い。その穢れが守っているのか、あるいは奥底に違う何かが有るのか。
 どちらにしろまずは浄化してからだと咽喉に力を溜めて。
「縛風鎖」
 力に満ちた美沙姫の声が室内を満たすやいなや、エレナ達の目にも床の塵が不自然に動く様が知れる。
 明らかな風の移動。無形の鎖が組み上げられ少年の周囲を疾り、剣を握る手の力こそ変わらないが、少年が風の鎖に拘束され立つのがやっとという状態に追いやられるのに僅かな時間しか要さなかった。苦悶の表情をここで浮かべればまだ少年は人間らしいというものだが面に浮かぶ色は無い。
 完全に束縛されたのを確認してそれぞれが息を吐いた。
「凄いわね」
「ありがとうございます」
 エレナの言葉に深く頭を下げてけれど、と付け加えるのは少年の事。
 まだ捕縛しただけに過ぎない。浄化はこれからだと。
「その剣に何か在りますね」
「たいかがなければならない」
「初めてお話しして下さり嬉しゅうございます。ですがそれは何方のお言葉でしょうか」
 美沙姫から放たれる厳しい声。
 少年は何も変わらない。
「けものはぼうをころした」
「……お話は、浄化の後にお願い致します」
 視線を逸らさず力を逸らさず意識を逸らさず。
 風が美沙姫に応えて踊る。踊らないのは少年を戒める鎖となった風だけ。剣が強く揺れるのを誰もが見た。がた、がた、がた、と一度毎に渾身の力でもって暴れるのか手から零れ落ちないのが奇跡に思える程その揺れは激しい。
 それが何に起因したものか、美沙姫は解っている。驚いた様子のエレナも冷静な美沙姫の姿を見、口出しはしない。ジェラルドが興味を引かれた子供のように瞳を瞬かせた。
「けものがちがぼうをゆるすものか」
 抑揚は無い。けれど誰かの感情がその向こうに透ける。
 少年自身は変化無く、ただ唇だけが自身のものならぬ言葉を紡ぎ、剣だけが苦痛にのたうつかの如くに激しく揺れていたその時間。長くはない。むしろ短かっただろう時間。
 ――硬い音がひとつ。
 目を瞠り不可視の鎖を解くと同時に小柄な少年の身体が床に。
「ちょっと!」
 駆け寄りすんでのところで抱き留める。直前に声を上げて制したエレナへと美沙姫は穏やかに笑んだ。
「大丈夫です。この方を動かしたものは居りません」
 手応えが、あるいは隠れたか逃げたか、完全に消えてはいない可能性もあるけれどともかく、と。
 そうして改めて抱き留めた少年を見る。触れた身体は微かな違和感を抱かせて、それは骨のような硬さが肌にある所為だと知れる。けれど美沙姫が感じ取る気配からすれば、じきにそれも引いて人の柔らかさを得るだろう。
 幼い、子供だった。
 小柄なのは当然であどけない表情をしている。
 何故、と問うべき事は多い。けれど今は少年の意識は無く抱き留めた瞬間の一言だけが知り得た事。
 幼く細い腕が剣を離さない。だが最早剣から穢れは見出せず、刀身は奇妙な透明感を持って煌いていた。
 ――ぼくの剣。
 縋るように指に力を込めたのは一瞬だけ顕わになった少年の感情。
 すぐに深く精神を沈ませたその子供の身体を抱き留めたまま美沙姫は優しく背を撫でた。
「ジェラルド様も、この方も、無事で良かった」


** *** *


「その子、獣、って言ったわね」
「はい」
 手袋をして槍を掴んだままエレナが言う。
 槍が銀であると思えば、そして貫かれたジェラルドの身が傷口から爛れていた事と彼の血が槍を黒く濁らせていた事も考えれば、美沙姫が答えを出すのは容易だった。
「アナタ、異なる気配、って言ったわよね」
「はい」
 ふ、と深い溜息を落としてから「ちょっと先祖の血が強くてね」とエレナは笑う。
 その向こうではジェラルドが自由になった身体を動かしながら傷口を引き攣らせては顔を歪めているのが見えた。
「これが答え。獣の血」
 珍しいようで珍しくは無いのにねぇ。
 そう言いながらエレナも美沙姫の傍に膝をつく。常に清潔にと心がけているメイド服が汚れるのにも構わず座る美沙姫の膝の上、少年は静かに眠っている。剣はまだ強く握られたままだ。
「アリガト。本当に助かったわ」
「お役に立てて光栄です」
 笑み交わす女達の間。

 少年は今はまだ目覚めない。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【4607/篠原美沙姫/女性/22/宮小路家メイド長・『使い人』】

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■         ライター通信          ■
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・はじめまして。ライターの珠洲です。ジェラルド救出というか少年確保というか、ありがとうございます。
・プレイング拝見して「あーそうか浄化か!」と今更納得したライターです。このあたり話を作るにおいてへたれな気もちょっとしましたが、ともあれ一気にラストまで跳べる流れになりました。二話の場合は公開してる片方が繋がる終わり方ではありますが、このお話からで充分ラストに繋がると思います。
・後衛という形で動いて下さった為にメイド警護格闘術は出番無くむしろライターが残念です。ちょっと見たい、げふげふ。ともあれイメージを壊さず戦闘他出来ていればいいなぁと思う次第です。