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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


空の火の花


 からっころっからっころっからっころっからっころっ、
 かかかかかかここここここ、

「オイ! コラ!」
「走るな、危ないよ!」

 かかかかかかか、
 けんッ、
 ずどう。

「……いたーい! ……あーん!」
「『いたーい! あーん!』じゃねェだろ、粗忽者! 走るな、つってんのに走るからだ。大人の言うことちゃんと聞かんか!」
 男の浅黒い手が、ひょいと転んだ少年を立ち上がらせた。翠の眼の若い女がかがんで、少年の膝の具合を見る。彼女が見ているそばで、少年の膝のすり傷は音もなくふさがり、土汚れだけがそこに残った。
「はいはい、大したことなかったみたいだ。もう痛くないだろ。泣かない泣かない」
「えぅ……ふぐ……ごめんなさいなの。もうはしらないなの」
「和馬もそんな怖い顔で怒鳴るんじゃないよ」
「俺ァ怖い顔してねェし怒鳴ってもいないね! 生まれつき声がデカいんだ」
「……はぁ。連れが子供ふたりってのがネックだね。先が思いやられるよ」
「誰が子供かー! 俺はこれでも920ね……」
「ふに?」
「……?」
「……い! いや、なんでもない。子供でした。子供で悪うござんした」
 からりころりと下駄を鳴らして、男が先に歩いていく。残された女と少年は、顔を見合わせて首を傾げ、肩をすくめたが――すぐに笑って、男のあとについていった。
 3人が3人とも、浴衣であった。


 誰が先に、「浴衣で夏祭りに出かけよう」と言い出したのかわからない、そんな8月の夕暮れの話だ。藤井葛と藤井蘭、藍原和馬の3人が、連れ立ってどこかへ出かけるのはさほど珍しいことでもない。血が繋がった間柄ではないのだが、仲良く世話を焼いたり焼かれたりしている3人を見た第三者の中には、彼らが親子だと勘違いする者が――ひょっとすると、いるかもしれなかった。
 藤井葛は、浴衣を何着も持っている。今日は白地に淡い朝顔の浴衣だった。蘭はどうぶつ柄の浴衣をわざわざこの日のためにおろしてもらった。和馬は、押入れの奥で眠っていた無地漆黒の浴衣を引っ張り出していた。
 3人が3人とも、着慣れない浴衣の着付けに四苦八苦することや、毎日着るわけでもないものに金を出すことを大して厭わなかった。夏の夜を楽しむための努力だ。それに祭りときたら浴衣の存在は欠かせない。ただ、浴衣の和馬が夏祭りの会場まで車を転がす光景は、少しだけシュールなものだった。
 場所は、東京都心の喧騒から少し離れた高台の町。高台の町の、さらにはずれ。普段はひっそりと静かに息づく神社の、境内だ。8月の終わりのこの日は、近隣の町からも浴衣の人々が訪れる、賑やかな祭りがある。大人たちがビールで出来上がり始める午後8時に、隅田川や十勝川には及ばないけれども、そこそこの打ち上げ数を誇る花火大会も催されるのだ。
 ただ、葛と和馬は、花火のことを蘭に秘密にしておいた。蘭の驚いた顔と喜んだ顔が見たかったから。


 からんころんと、蘭の足取りはいつもより慌しい。ついさっき、派手に転んだ。葛と和馬の想定内のハプニングだ。多少の怪我ならすぐに再生してしまう蘭の身体は、こういうときにかえって厄介かもしれない。転んだ痛みが残らないから、大した教訓にはならないのだ。すでに彼はまたしても、急ぎ足で露店に向かっている。
 車は会場から少し離れたところに停めてきたが、祭りの場へ向かう人々の姿は少なくなかったから、慣れない町で道に迷うこともなかった。誰もが、吸い込まれるようにして祭りの場へ向かっていた――。
「もちぬしさん、おこのみやきー!」
「ん、普通のでいいの? 焼きそばが入ってるのとか、ネギがたくさん入ってるのとか、いろいろ種類があると思うよ」
「そうなの?! じゃ、いちばんおいしそうなのにするなの! ……もちぬしさん、クレープクレープ!」
「……5秒前まで食べたがってたお好み焼きはどうすんの……?」
「ケチケチすんな! 買ってやれ買ってやれ! チビが満腹になったら俺が片付けてやっからよー。……葛、肉! ジャンボ串焼き!」
「あなたは自分で買いな!」
「ちくしょう! ケチ!」
「蘭。今日は特別だよ」
 葛は屈みこんで、蘭に2000円を渡した。蘭がもらう金にしてはなかなかの額に入るが、今日日の露店の売り物は値が張る。食欲が満たされる頃にはなくなっているか、足りなくなっているだろう。しかし資本主義の現実を知らない蘭は、ぱあっと顔を輝かせた。
「うわー、もちぬしさん、いいのいいの?! こんなにたくさん!」
「計算しながら、本当にほしいものを買うんだよ。あっと言う間になくなるからね、金は」
「はーい、なの!」
「葛、肉食うか肉!」
 葛が立ち上がって振り返ってみれば、和馬はジャンボ串焼きをすでに半分食べている。はあ、と葛は眉根を寄せてため息をついてみせた。
「食べさしなんていらないよ」
「はっは、俺は誰かさんと違って太っ腹だからな。奢ってやるよ、1本」
「え?」
 翠の目を見開いた葛に笑顔を返し、和馬は露店のおやじに向かって声を張り上げた。
「おやじ! 美味い! もう1本!」
「おじさん! ぼくにもひとつー!」
 和馬が差し出す1000円札の下から、蘭がにゅっともらったばかりの1000円札を負けじと湯気の向こうに突き出す。無論露店のおやじは嬉しそうだが、葛は少し慌てた。ジャンボ串焼きは1本800円もするらしいのだ。串焼きとは言っても、タレでてかてかに照り焼きにされている肉は、和牛らしい。
「蘭! 本当にほしいもの、って言っただろ!」
「むー。ぼくだけたべないのはへんなの!」
「ボリュームありすぎるよ。お好み焼き食べられなくなるって。俺のを半分あげるからさ」
「……うん、そうするなの! おかね、だいじにするなの」
 無論おやじは残念そうな顔をしたが、蘭は笑顔で、首からさげたくまフェイスのコインケースに1000円札を突っ込んだ。ジャンボ串焼きのボリュームは、葛の想像通りのものだった。和馬は幸せそうな顔でむしゃむしゃと残り半分をたいらげたが、ゲップをするよりも先に、
「ううむ。白い飯とビールがあれば……」
 牙を剥きながらそう落胆したのである。
 しかし和馬がそうこぼすのは、これまた葛の想像通りだった。彼女は串焼き屋のななめ向かいで売っていた生ビールを、無言で和馬に押しつけた。缶ビールよりも量は少ないが、せっかくの祭りなのだから、ビールサーバーから注いだビールを飲むほうがいい。
「お、おお! 気が利くな! さすがだ!」
「350円」
「……前言は撤回する!!」
「はい、蘭にはトロピカルジュース」
「わーい、なの!」
「あ、射的! 俺、やりに行こ」
「オイ! チビから金は取らねェのか! 差別だぞ!」
 がおう、と吼える和馬にはそれ以上関わらず、葛は蘭の手を引いて、射的屋を目指した。蘭は露店で次になにを買おうかときょろきょろしている。が、時間も午後7時をまわって、夕食を露店ですませようとする家族連れの姿も多くなってきていた。蘭の暴走を防ぐために、葛はぎゅっと手に力をこめる。
「離れちゃだめだよ。迷子になる」
「……はい、なの。混んできたなの」
 離れてはいけない理由は、説明するまでもなく伝わっていた。蘭もちゃんと成長しているのだと、葛は安心する。
 が、
「もちぬしさん、かずまおにーさん、いないなの」
「ええっ?!」
 葛は翠の目を見開き、ばばっ、と辺りを見回した。
 いない。確かに。
「ったくもう、ほんとに子供がふたりいる!」
 見つけたなら、今度は捕まえておかなければならない。だが、葛はとりあえず、さっき『射的しに行く』といった言葉を和馬に残していた。
 ――あいつ、そんなバカじゃないから、……覚えてるよな。
「射的屋さんで待とう。最終手段のケータイも持ってることだしな」
「はいなの!」
 葛と蘭は無闇に動き回らず、まっすぐ射的屋に足を運んだ。


「はい、この台のこの線から鉄砲出したら反則。的倒しても無効になるからね。3個連続で落としたらもう1発サービスしちゃうよ!」
 太っ腹なのかケチなのかわからない射的屋だが、射的の露店はこの一軒だけだ。葛はコルクの弾を込めて、ずらりと景品が並ぶ棚を睨みつける。
 蘭は目を輝かせながら的(景品)を見つめていた。キャラメルやぬいぐるみ、フィギュア、水笛、遊び方がよくわからないおもちゃ――どうやら蘭は、どれも欲しいらしい。一応、『これ倒したら大当たり! 弾10発サービス!』と張り紙がされたくまのぬいぐるみも鎮座しているが、見た目からして重そうだ。葛はいさぎよくくまをあきらめた。400円で弾は3発。3発連続で当てたらもう1発。
 ――4つ、いただくよ。
 葛はこのすらりとした体格に似合わず、スポーツにかけては天才だった。とりわけ得意なのは球技だが、……『射撃』というスポーツが存在する以上、葛がこの射的でしくじるはずはない。
 ぱかん! ぽこん! ぺちん!
 落下するキャラメル。水笛。人気トレーディングカードゲームのホログラムレアカード。
「わあッ! もちぬしさん、すごいなの!!」
「お、……おおっ! お嬢さん、ほんと凄いな!」
「弾」
「は、はいよ!」
 ぱこん!
 落ちる小さなカエル型貯金箱。
「うわー! ひゃっぱつひゃくちゅーなの!」
「ほら、蘭。全部あげる。……おじさん、もう1回やらせて。あと、景品入れる袋ほしいんだけど」
 翠の目の涼しげな宣戦布告。露店のおやじはそっぽを向いてぶつくさ言いながら、スーパーのレジ袋とコルク弾を用意した。
 ぱちん、ぺこん、ぽくん。
「お、こんなとこに居たか……って、大漁だな、オイ!」
「……どこ行ってたの?」
 やはり、和馬は現れた。それも、それほど焦った様子はない。手には食べかけのたこ焼き、額にはキツネのお面があった。あちこちまわってから、落ち着いてこの射的屋を目指してきたのだ。
「んー、まあ、色んなとこ。……お前サン、射的も得意なのかよ。よかったなチビ助!」
「えへー。たからものいっぱいなの!」
 キラキラ光るカード(ネットオークションでこれが1枚50000円で取引されていることを蘭は知らない)を和馬に見せびらかしながら、蘭が幸せな笑顔を見せる。その笑顔に心を鷲掴みにされた和馬は、たこ焼きパックを台に叩きつけ、露店のおやじに1000円札を突きつけた。
「俺にも弾くれ!」
「おっ、ニイさん、ヤル気だね! あのくまが大当たりになってるよ。お嬢さんもくまには手を出さなかったんだなあ」
「よっしゃ、仕留めてやる!」
「和馬! これは罠だよ!」
「わーい、ぼくあのくまさんほしーなのー!」
「……ここで往かねば漢がすたるだろう! 止めてくれるな、葛!」
 ぺひ、ぽふ、ぺそ。
 ぱひ、ぽひ、ぺふ。
 ……葛が言ったとおり、これは射的屋の罠だった。的が大きいだけに弾は当たりやすいが、どっしりと腰を落ち着けて座っているぬいぐるみが、コルクの弾ごときで倒れるはずがない。あえなく跳ね返る弾を見て、がおう、と和馬は吼えた。1000円札が宙を舞う。
「おやじ! もう6発持って来ォォォオい!!」
「まいど!」
「……和馬……」
「かずまおにーさん、がんばれー! なの!」


 15分後、廃人になった和馬の袖を引っ張り、射的屋をあとにする葛の姿があった。


「ああ……俺の4000円……」
「ウェブマネー買えたよね。2000円のが2枚」
「うおおおおおおそれを言わないでくれええええ」
「ほら。……もう、時間だよ。蘭、他になんか食べたいものは? お金は残ってるんだろ?」
 焼きそばが入ったお好み焼きとわたあめ、リンゴ飴、ヨーヨー釣りを堪能してご機嫌な蘭は、葛の言葉にしゅんとした。
「もう、200円しかないなの。カキ氷が食べたかったなの……」
 ちらり、と葛は近くのカキ氷の露店を見た。Sサイズならひとつ300円だ。
 和馬は射的屋で金を使いすぎた。彼にはなにも期待できない。
 だが、ここで甘やかして100円をやるべきだろうか。葛は迷った。――そのとき。
「あ、100円落ちてる!」
 和馬が突然正気に戻り、前方を指差した。そこには確かに、誰かが落としたらしい銀の100円玉! いまや金の亡者と化した和馬が身構える。跳躍するつもりだ。しかし絶妙のタイミングで、葛は和馬の脇腹に肘を入れ、屈みこんだ。
「げほぅ?!」
「……はい、蘭。これで300円。カキ氷買っといで」
「わあい! 今日は運がいいなの!」
「か、葛てめぇぇええ……!」
 呻きながらうずくまる和馬に、葛は――手を差し伸べて、浅黒い手を握った。
「!」
「ほら、立って。今度はぐれたら大変なことになるよ」
 ぎゅ、と力がこもる手。和馬はどきりとした。慌てて、助けを求めるかのように、視線を泳がせる。花火の打ち上げがそろそろ始まるらしい――辺りは、人でごったがえしていた。和馬が100円玉を見つけられたのも、葛がそれを拾い上げられたのも、ほとんど奇跡に近い。それほどの混雑だ。
 葛のもう片方の手をしっかり握って、蘭がカキ氷を買っていた。メロン味のシロップは、彼の髪と同じみどり色だ。

 どぅ、ん。

 腹に響く轟音が、来た。
カキ氷を片手にした蘭が、あっ、と顔を上げた。
 その場の誰もが、空を見ていた。
 花火の打ち上げが始まったらしい。最初の一発に一尺五寸玉とは、太っ腹な花火大会だ。しかしこの一発目の効果は大きい。本当に誰もが、空を見た。
「……きれーなの……! はなびあがるなんて、しらなかったなの! ……あっ!」
 ば、ばばばば、ばばば!
 一尺五寸玉に続いて、色とりどりのスターマイン。
 歓声があちこちで上がり、3人も花火に見入っていた。
 だがそのうち、和馬と葛の顔は、きらきらと銀眼を輝かせる蘭にも向けられるようになった。この顔のために黙っていたのだ。もしかすると、この顔のために、3人にとっての今日の祭りがあったのかもしれない。
「……また3人で来るか」
「ああ。また来年な」
 この花火は、夏の終わりを告げている。夏の想い出をつくるなら、いまのうちだ。一通りの想い出を残せたが、もし逃してしまった夏のタイミングがあるのなら――来年にそれを掴めば、いいことだ。
「たーまやー、なの!」
 ずどぅ、ん!
 三尺玉の大輪に、蘭が大きく手を広げていた。




〈了〉