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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Fairy×contract


 もしも近付くのなら気をつけなくてはいけない。
 そこに棲まう彼等は、かようにささやかな幸福と静寂を望むのだから―――


「お話に聞いていたものとは少々趣を異にしているようですね……」
 セレスティ・カーニンガムはステッキに体を預けながら、木々の合間からひっそりと顔をのぞかせる洋館を見上げた。
 緑に侵食された外壁は本来の色を失ってはいてもひび割れてはおらず、窓も驚くほどキレイに磨き上げられている。
 話に聞くほど荒廃は進んでいない。
 むしろ、その趣は懐古趣味を持つものを引きつけるだけの魅力を持ち合わせていた。
「いかがですか、モーリス?」
 セレスティは隣に立つ青年へと視線を移す。
「いかがと問われましても……」
 モーリス・ラジアルは主の瞳を受けつつも小さく溜息をこぼし、それから廃屋というにはやけにざわめきを感じる屋敷を眺める。
「図書室にと仰っていたのはセレスティ様でしょう?」
「ええ。話を伺った時には随分と興味を惹かれた物件だったものですから」
 退屈を厭うリンスター財閥総帥の元へと舞い込んで来たのは、緑溢れる郊外に打ち捨てられた廃屋の奇妙な噂だった。
 アンティークな雰囲気と城門の美しいレリーフが特徴的な洋館は、かつて西洋文化に傾倒していた資産家がたわむれにここへ建てたのだという。
 だが造ることに情熱を傾けた彼の興味は、その屋敷の完成と共に失せていったらしく、何年も経たない内にあっさりと手放してしまった。
 歴史的価値があるわけでも、建築的価値があるわけでもない代わりに、趣向だけは凝らされている。
 しかし、幾度売りに出そうとまるで買い手がつかない。
 一度はそこを訪れても長くは棲めず、持ち主は転々とし、気付けば随分と長い間ここは無人となっているのだという。
「肌を逆撫でて行くような不穏なものはまるで感じられません。では、何故売れないのでしょう、ね?」
 好奇心に彩られた視線で、彼は従者に問いを投げ掛ける。
「先程の調査でも、何故か購入希望者と付近の住民ではこの屋敷に対して随分な温度差を感じたのですが」
「この周辺では……そうですね、特にこれと言った悪評は出てきていません。付近の住人にとってこの屋敷はただそこにあるだけと言ったところでしょう。良くも悪くも距離のある存在、です」
 答えを返す為に、事前にまとめ上げたレポートへと視線を落としながらも、モーリスの神経は傍のセレスティをしっかりと捉えている。
 主はソレに気付いているのかいないのか、更に問いを重ねる。
「この家を手に入れた方々の素性はいかがでしたか?」
「そちらについては……」
 ファイルから別の資料を引き当てて、モーリスは目当ての情報をはじき出す。
「問題はないようです。おおむね自身の別荘やアトリエとして使おうと考えていた方ばかりですから……ここから犯罪性は見出せません」
 そこで彼は釘をさすように主の方へ顔を上げる。
「だからといって何がスイッチとなるのかはまだ分かりません。くれぐれも無茶な調査はなさいませんよう……」
「ええ、大丈夫ですよ。無茶はしません」
 忠実なる庭師の助言に応えるように首を傾げて微笑み、セレスティは彼が押し開けてくれた、薔薇のレリーフを施した門から邸内へと足を踏み入れた。
「言い忘れておりましたが」
「なんです?」
「この家を検証されるのは構いませんが、くれぐれもお足元にご注意くださいね、セレスティ様?もちろん、私が抱き上げてもよろしいんですが」
「そうそう簡単に抱き上げられては私の立場がないですよ」
 最近悪い癖がついてしまったのか、ことあるごとにこの従者は自分を抱え上げてしまう。
 そうなっては自分の意思を満足に通すことも出来ない為、可能な限りその手を押しのけるようにはしていた。
 しかし、やはり不自由な両足が支える身体はバランスを失いやすい。
「言っている傍から、ですね」
 すっと差し伸べられた手が、危ういタイミングで後ろから自分を支える。
 気遣いとからかいを含んだ笑みを耳元で聴きながら、セレスティは相手に聞こえないほど小さく溜息をついた。


 流麗な城門から入り、ゴシック調の玄関ポーチまでは10メートル弱。
 重い扉を開け放てば、2階へ続く赤い絨毯を敷いた階段が、両脇に添えられた天使の彫像と共に正面で訪問者を出迎える。
 天井から下がるのは豪奢なシャンデリアだ。
 しっとりとした室間の壁にはずらりと扉が立ち並ぶ。
 そして、締め切られたカーテンの隙間から、陽が優しい光の筋を床に投げかけていた。
 ホコリ臭さを覚悟していた2人は、この空気に驚く。
 とても人が棲んでいないとは思えない。
 そこには生命力にも似た鮮やかな息遣いが感じられた。
「とても、幾度も関係者を追い払った曰くつきの館には見えませんね……」
 かつてセレスティは興信所を通じ、とある白い洋館を調査したことがある。
 そこではいくつもの不可解な、そして生命を危ぶませるほど危険な現象が起こっていた。
 起こるべくして起こった悲劇。
 だが、あの時建物内に充満していた、言葉には出来ない哀しく切ない憤りにも似た嘆きやさざめきはここにはない。
 霊障をもたらすだけの悪意や情念といったものがまるで感じられないのだ。
「むしろとても清浄な空気に満ちていると思いませんか?」
「そうですね……確かに、ある意味非常に調和の取れた状態だと思いますよ、ええ」
 何があっても対処出来る位置と距離をキープしながら、モーリスも辺りを見回し、ひとつひとつに類稀な鑑定眼を向ける。
「建物の歴史の中で、隠蔽された過去もない、ですよね?」
「こちらで調べ上げた限り、不可解な現象が起こるに足る事件は報告されていません」
 実際に見てみなければ分からないことは多い。
 だが、モーリスの目から見ても、ここはあまりにも『キレイ』だった。悪しき物が混じりこむ隙がない。
 セレスティではないけれど、では何故怪奇現象は起きるのか、ソレが不思議に思える。
「さて、問題の場所はどこでしょうか?」
「まずは……階段に向かって左の部屋、ですね。ここで突然後ろから首を掴まれたという証言が得られてます」
「……こちら、ですか?」
 手をかけた瞬間、何かが息を呑む音が伝わってきた。
 それはとても小さくて、けれど確かに誰かがそこにいると知らせている。
「私が開けます……セレスティ様は少し下がってください」
 セレスティを庇うようにしながら、モーリスが慎重に扉を押し開けた。
 だが、予想に反してふわりと鼻先をくすぐるのは、やわらかな花の香りだった。
 そして、物陰など至る所から注がれる視線の数々。
 いくつもの小さな気配と、ざわめき。
 屋敷全体が、漣のように揺れ動いている。
 監視しているというよりは、息を詰めて見守っていると言った方が正しいだろう緊張感がそこかしこに張り詰めている。
「……どうも、おかしいですね、セレスティ様?」
 大きな長方形のテーブルを中央に配し、背もたれの高い木製の椅子がそれをぐるりと取り囲んでいるこの部屋は、一見して食堂と分かる作りだった。
 不動産会社で管理されているとはいえ、清潔な雰囲気がそのまま留まっており、ホコリひとつ見当たらないというの現状は些か特異である。
「どなたかが掃除をしているというよりは、何らかの力作用で現状が維持されていると言った方が良さそうですねぇ」
 しかも、様々な種類のチカラを感じる。
「……次に行きましょうか」
「はい」
 一通り調度品などの状態を調べ、他の不審な点がないことを確認すると、2人は調査書に添ってまた別の部屋に移る。
 バスルームにキッチン、客室、書斎、寝室、応接間と続けて、事件として報告されている場所を丁寧に検証していくのだが、これといって彼等を引き付けるような出来事は起こらなかった。
 ただ、屋敷を取り巻くさざめきは密やかな囁きに変わりつつあるのを感じる。
 小さな気配が不安や恐怖の代わりに好奇心を抱き始めているかのような、少しずつあちら側も興味を隠しきれなくなっているかのような、そんな微妙な変化が肌に伝わってくる。
 なにより扉の隙間から、あるいは戸棚の合間から、時にはカーテンの裏側から、ちらりと覗く姿が目に留まるようになったのだ。
 自分たちに対し、少しずつ大胆になってきたらしい住人に、セレスティはほのかな笑みをこぼす。
 何をされるわけでもない。
 それどころか、様々な情念が渦巻く東京の只中で、聖域といっても良いほど清浄な空気がいっそ居心地良い。
 人間にとっては、もしかするとソレこそが息苦しいと感じるのかも知れないけれど。
「ああ、でも……」
「なんですか?あんまり動かれますと取り落としてしまいますよ」
 自身の足で全てを見て回ることは叶わず、結局モーリスの力を借り、どこかの姫君のごとく抱きかかえられている自分の姿が気になりはした。
「階段でそれをしたら……忘れた頃に報復しますよ?」
「ええ、ええ、どうぞ」
 一応脅迫めいた含みを持って腕の中から軽く彼を睨むが、効果はまるでない。
 そもそも彼が自分を落とすはずがないのだし、もし万が一そうなったとしても、おそらく、自分が彼に対してその程度のことで罰を与えることなどしない。
 互いの中に長い時間の中で培われた信頼と情が前提としてある以上、自分の今の言葉にどんな効力もないことは分かっている。
 だから、セレスティは溜息とも微笑ともつかない息を洩らして、改めて彼を見上げた。
「……モーリス」
「どうされました?」
「もう一度、あそこで調査書の中身を検討してみませんか?」
 指で示したその先にある扉。
 彼等が最後に訪れたのは、床から天井までの一面をガラス張りにし、陽光を存分に取りこむべく設計された広いアトリエである。
 当然作品らしきものは置かれていないが、窓を飾るレリーフの影がフローリングの床に落ち、照明として取り付けられているランプが白い壁に独創的な揺らぎを与えていた。
 モーリスはそこで、安楽椅子に主を下ろし、傍に残されたアンティーク・テーブルに調査書を広げていく。
 その中のひとつひとつに手を伸ばし、指を這わせ、ある観点に的を絞ってセレスティは記述を確認して行く。
「建築年数は50年を少し越えていますね。現在の所有者は不動産会社。建物の古さから、ここを取り壊す計画がこの数年で幾度か持ち上がっているようです」
 彼の言葉を聞きながら、セレスティは静かに思考を巡らせる。
「幾度か持ち上がるその度に、その計画も頓挫している、ということですね?」
「はい」
「では、その原因を解明すれば、はれて私の図書室に出来るというわけですね」
 にっこりと、確信を込めて笑う。
「ひとつ、賭けに出てみませんか?」
「賭け、ですか?」
「私はすっかりここが気にいってしまいました。出来る事ならこの優雅なアトリエで、数多の蔵書を繰ってみたいと思っています」
 主観と客観が入り混じる言葉の氾濫の中で、彼はようやくひとつの回答に辿り着いた。
 ソレは間違いなく、『謎』の解明へと繋がるものだ。
「面白い共通点が見つかりましたよ」
「共通点、ですか?」
 自分たちに向けられた視線が、今かなりの数に昇っていることを気にしながら、モーリスは主を振り返る。
「約束を交わす相手は、会社ではなく、ここに住まわれている方々だと思うんですよ……ね?」
「何をなさるつもりです……と問いを重ねるのでは芸がありませんね。私の力は必要ですか?」
「もしかすると必要になるかもしれません……ですが、今はまだ……ただ、私の傍にはいてください」
 そういって笑うと、セレスティはそっと瞳を閉じて、内側から外側へと意識を広げていくように静かに呼吸を整え、そして……
「お話を、させてくださいませんか……?」
 魅了のチカラを乗せた声が、歌のように空間を伝わっていく。
「私はこの洋館が気に入りました。このままの状態で……とは言えませんが、けしてこの建物を傷つけたりはしません。こちらを買い取り、ほんの少しだけ改装させて頂ければ、それでいいのです」
 ザワリと空気がうねる。
「よろしいでしょうか?」
 緊張。不安。戸惑い。そして、好奇心。好意。肯定。様々な感情が、さぁ…っと広がり、そしてセレスティの上に注がれる。
「もちろん、こちらに棲まう皆さんを追い出すつもりもありません。これまでと同じように過ごして頂きたいと思っています」
 気ままに。思い思いに。彼等が望むカタチで過ごしてもらいたい。その時間と空間を自分は尊重したいし、それを約束する。
 そう告げて。
「いかがでしょう?」
 本当に?ほんとうに?約束する?約束を守ってくれる?本当に?嘘じゃない?
 ザワザワザワザワと、初めはためらいがちに、やがて明確な意思を持って彼等はセレスティの問いに応える。
 自分たちを傷つけないかと。
 この家を苦しめないかと。
 幾度となく確認を繰り返すその言葉に、セレスティはしっかりと頷きを返した。
「ええ、お約束します」
 なら、いいよ。
 そんな想いの込められた光が、キラキラと、まるでダイヤモンドダストのように陽の光を反射しながら舞い降りてきた。
 彼等によって、ようやくこの家の主が迎え入れられた瞬間である。
 どこまでも幻想的で、どこまでも優しい、清浄なる世界における『契約』が取り交わされた。


「妖精が棲む洋館……妖精たちとひとときを過ごせる図書室……実に夢のある買い物が出来たと思いませんか?」
 彼等に暇を告げ、洋館を一歩出ると同時に、セレスティはモーリスへと満面の笑みを向ける。
「ええ、まったくです」
 想像していたよりもずっと穏やかな調査となったことに安堵しつつ、モーリスもまた主の身体をさりげなく支えながら笑みを返した。
 そして。
 緑に囲まれ、いつのまにか傾いた陽の赤い光を受けながら、彼等は優しい視線に見送られながら洋館を後にする。



END