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<東京怪談・PCゲームノベル>


『幻想風華伝 ― 夢の章 ― 個性の無い街』


 ひとりの少女が泣きながら歩いていました。
 その少女の目の前にひらりとひとりの少女が現れます。
 彼女はにやりと笑いました。とても無邪気に残酷に。まるで幼い子どもが蝶の羽根を笑いながら毟るように。
 びくりと泣いていた少女は震えました。
 笑う少女は彼女の顔を覗き込みます。
「何を泣いているのかしら? せっかくのかわいい顔が台無し」
 ころころと笑うように彼女は言う。
「私は…」
「私は? っていうか、面白い声をしているねー」
 彼女は自分の口を両手で押さえて、そしてその場に泣き崩れました。
 少女は笑う。とても無邪気に。酷薄に。
「それが泣いていた原因? 声が理由で苛められでもした? それはおかしな事ねー。人間、って個性、個性、って、個性を大切にするのに、時折そうやって正反対の事をする。個性、大切なそれを自分たちとは異質なモノとして排除する。ねえ?」
 笑う少女に泣いている少女は崩れ座ったまま後ずさった。
 とても怖い物をその少女に感じていた。
「このお花をあげる。韓藍。とても綺麗なお花でしょう?」
 韓藍の花を手にしている少女に泣いていた少女は動きを止めた。
 そしていやいやと手を振りながらもその花を受け取ってしまう。何故?
 それは甘美な誘惑ゆえに。
 その花から馨る匂いが彼女に手を伸ばさせる。
 指先が触れた瞬間に、まるで脳内からアドレナリンなどの心を高揚させるホルモンが分泌されたかのように意識が朦朧とし、そして彼女はその場に倒れてしまった。
 少女はくすくすと笑っている。
 蝶の羽根をくすくすと笑いながら毟る幼い子どものように。



 ――――――――――――――――――『幻想風華伝 ― 夢の章 ― 個性の無い街』


【第一章 眠り姫】


 草間興信所。
 今日もそこに舞い込んだのは異様な依頼であった。しかしそれが巷で実しやかに噂される怪奇絡みの事件なら草間興信所、という文句が通じるかと言うと首を傾げずにはいられない。
 それはこういう依頼だった。
「つまりあなたの娘さん、彼女を眠りから醒まして欲しいと?」
 そう。この垣塚恭子の娘、垣塚麻衣が先週の月曜日以降目覚めないという事であったのだ。
 発見された場所は通学路であった。
 その通学路で彼女は倒れており、病院に搬送された。
 しかし医者の診断結果では彼女はただ普通に眠っているだけだという。しかも眠り自体は非常に浅く、いつ起きても不思議ではないらしい。にも関わらずに彼女は眠り続けている。
 原因は不明だ。
 変なガスが彼女が発見された場所で発生していた訳では無い。彼女だけが原因不明の眠りに落ちてしまったのだ。
 それで彼女はこの草間興信所に藁にもすがるような気持ちでやって来たのだが、
「しかし生憎とこれは俺にはどうしようもできない。これは医学の領域でしょう?」
「ですがお医者様も原因がわからないと…」
 垣塚恭子は顔を俯かせてしまった。
 武彦は困ったように頭を掻きながらシュラインを見た。彼女も肩を竦め、それから恭子を見た。そして悲痛げな面持ちでかすかに溜息を吐く。
「あの、精神科の方にはお診せになられたのですか、お嬢様? 精神的要因で眠り続けるという事はある事でしょう?」
 恭子はびくりと身体を震わせた。
 それからシュラインを見て、顔を小さく振った。
「もちろん、診せました。でも、わからないんです、本当に。うちは母子家庭で、私はあの子に頼りきっていたから、本当に…わからないんです。すみません」
 今まで必死に押し込めていた感情をもうそれ以上そうする事ができなくなったのだろう。恭子は道に迷った幼い子どものように大声でヒステリックに泣き出した。泣き出した彼女の横に座ってシュラインは恭子を抱きしめた。その肩は本当にとても華奢だった。シュラインと同じ女の肩だ。か細い女の。
 だからこそ彼女は異常な事のせいにしてしまいたいのだ。そうすれば自分を納得させる事ができる。こうなった事の非が自分ではなく、ただ運が悪かった、星回りとかのせいにしてしまえれば、母子家庭とか、頼りない母親である事とかとは関係無いから。
 でもそれは、少し違うと想う。逃げてはいけない。正面から向き合わなければ。
 だけどそれを口にするのははばかれた。
 だからシュラインはただ彼女を抱きしめていた。温もりが欲しい時は自分にもあるから。そうすればこの無慈悲な現実の中に溶けてしまいそうな寂しさとか、そういうのから解放される。それが次を歩き出すための勇気にも繋がるから。
「あの、すみません。かくたる証拠とかそういうのも無しに訪れてしまって」
 恭子はシュラインから受け取ったハンカチで涙を拭きながら頭を下げた。
 それからハンカチを丁寧に畳みながら無理をしているのがまるわかりの笑みをシュラインに浮かべる。
「このハンカチも洗って返しに来ます」
「どうぞ、お気になさらずに」
「いえ、そうさせてください」
 恭子は頭をもう一度下げて、草間興信所から出て行った。
 それを見送って戻ってくると、武彦は口に煙草をくわえていた。火はついてはいない。その顔はどことなく悔しそうだ。
「怪奇探偵改めて、診療探偵にでもなる気? 武彦さん。残念だけど、麻衣ちゃんのためにはやってあげられる事は無いかもね。あの母親、恭子さんには支えが必要だから、やってあげられる事はあるだろうけど。案外そこからわかるのかしら、麻衣ちゃんが眠り続けている理由」
 零が小首を傾げる。
「それはどういう事ですか、お姉さん?」
 お姉さん、晴れて武彦とシュラインは婚約をした。故に零は自分からシュラインをお姉さん、と呼ぶようになったのだ。それがすごく嬉しいらしい。
「そうね。これは前に読んだ心理学の本にあったのだけど、夫婦仲が完全に冷めきっている両親の間に挟まれている女の子が居るのね? その子は家ではとても明るい元気な女の子で、両親の仲を取り持とうとするのだけど、学校ではとても暗くって、いじめられていたりしてね。うん、両親の事で心の力を使い果たしてしまうのね。それで心が摩耗して、ずっと眠ったままとなってしまったの。その女の子は両親の仲が回復したら、目覚めたというわ」
「それと今回の件が同じかもと?」
「その可能性はあるのかな、っていう事。そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。もう少しお話を聞いてみないとね。それでも本当にそうなら、それは医者の仕事だということだし、あの母娘の事。心はデリケートだからね」
「はい」
 二人のやり取りを黙って聞いていた武彦は溜息を吐いた。
「いつもはうんざりとするものだが、これがいっそ怪奇絡みの事件なら話は簡単だったのだがな」
 それを聞いたシュラインは愛おしげに眼を細めた。
 ―――だから私はあなたが好き。そういう危ういほどのあなたの優しさが。泣いている人を見過ごせない、その強さが。
「でもこればかりはね。やれる事とやれない事があるから。だけど……少し引っかかる事もあるのだけどね」
 小首を傾げたシュラインに、武彦は訝しげに眼を細めながら口から煙草を取った。
「どういう事だ?」
「麻衣ちゃん、眠りが浅いって。たぶんそれは夢を見ている、っていう事でしょう? レム睡眠。彼女、何の夢を見ているのかしら? それがわかれば、恭子さんの声も聞こえるんじゃないのかな、って。昏睡状態じゃない、っていうのもおかしいのかしら? 普通は昏睡状態になるはずだから。心の逃避。眠りに陥るというのは」
「だったら、あの母親がうちに来たのもあながち間違いではないのかもな」
 武彦は椅子から立ち上がった。
 そしてシュラインも嫣然と微笑む。
「お見舞い、という事で良いかしら?」
「ああ、お見舞いだ」
 そうして二人は垣塚麻衣が入院している病院へと移動した。



 +++


 垣塚麻衣の病室は個別室であった。
 そしてその病室には韓藍の花が飾られていた。硝子の花瓶に生けられて、夕方の明かりが満ちた病室にそっと息を潜めるようにある。ただどうした事かその花を見ていると、胸の辺りが痛い。苦しい。
 シュラインの女の勘が働いた。
 直感。その直感を、多くの証拠で確信へと変えるために彼女は動く。
「恭子さん、この韓藍は?」
「韓藍、というのですか? 娘が発見された時に持っていた花なんです」
「通学路に花屋さんは?」
「いえ、無かったと………」
「学校の名前と、通学路、教えてください」
 そして彼女は学校へと移動して、学校には韓藍の花が無い事。学校から垣塚麻衣が発見された場所に至る道にもその花が無い事を調べ上げた。
「麻衣ちゃんに韓藍の花をあげた人物が居るという事よね。その誰かが何かを知っているのかしら?」
 小首を傾げるシュライン。
 武彦は上着の内側から携帯電話を取り出した。
「武彦さん?」
 不思議そうな顔をする彼女に武彦はふっと笑った。
「おまえはあの韓藍が怪しいと踏んでいるんだろう? だったら白に訊けばいい。あいつなら花の妖精から何かを訊き出せるかもしれん」
「でも、間違いだったら?」
 自信無さげに上目遣いで見るシュラインに武彦は肩を竦めた。
「その時はその時だ。怪奇絡みならその怪異を排除すれば済むことだし、怪奇絡みで無いならないで、それは歓迎するべき事だろう。どちらにしろ、訊いて損は無いさ」
「ええ、うん。その、あの、武彦さんは私の直感を信じてくれているの?」
 そう訊いて、少し顔を赤らめたシュラインに、武彦もわずかに顔を赤らめて、そっぽを向いた。
「当たり前だ。自分の女の直感、信じられない男が居るものか」
 それだけ言って、恥かしさが爆発したのか、とうとう武彦はシュラインに背中を向けて、どこかぎこちない声で携帯電話で白と喋り出した。
 シュラインは苦笑して、武彦の背中に自分の背中を預けて、夕暮れ空を見上げた。



【第二章 韓藍の花】


 待ち合わせの場所は病院だった。
 病院の夜間通用口(正規の通用口は既に閉められてしまっているために)の前でシュラインと武彦は白とスノードロップと合流した。
「お久しぶりでし、エマさん」
「ええ、こんばんは、スノーちゃん。お久しぶりね」
「はいでし♪」
「白さんもこんばんは」
「ええ、こんばんは。シュラインさん」
 例のトランクの事件でスノードロップと知り合いになった縁でシュラインは白とも知り合いとなり、花が絡むいくつかの事件では草間興信所は白の力を借りていた。
「それで僕に見てもらいたい花とは?」
 さらりと前髪を揺らして小首を傾げた白にシュラインはこくりと頷いた。
「韓藍の花です」
「韓藍の花?」
 病室に案内された白はわずかにその双眸を細めた。
 そして深刻そうな声を発する。
「これはよくありませんね」
「え?」
 思いがけない白の言葉にシュラインは悲鳴にも近い声を出した。
「韓藍の花の物語が捻じ曲げられています。そしてその物語はこの彼女、垣塚麻衣の心とリンクしている。どうやら彼女の夢物語が原因のようです」
 それだけ聞いてシュラインには心当たりがあるようだった。口を片手で覆い隠す。
「それってもしかして噂に聞く白亜と冥府が原因で?」
「だとすれば彼女にこの韓藍の花を渡したのは紫陽花の君か?」
 武彦が苦々しそうに言う。
 噂に聞いた事があった。
 物語の世界から物語の世界へと逃避行を続けている白亜と冥府。白亜の能力は人の想いを現実化する。故に彼女は冥府の願いを聞いて共に行動しているわけだが、それだけでなく冥府の扉を開ける能力故に彼らが行く物語の世界は多岐に渡り、そして例外無く白亜と冥府という異物を取り入れた物語は白亜の能力によって混乱する。
 そしてそれは本の世界、花物語の世界だけではなく、人の持つ願いの世界も例外ではないのだ。
「じゃあ、どうすれば?」
「兎渡さんでし♪ 兎渡さんを捕まえれば簡単でしよ♪」
「兎渡さん?」
 シュラインが小首を傾げる。
「はい。物語から物語へと渡る旅人です。彼を捕まえれば確かに物語へと行けるのですが」
「にんじんでし! にんじんでスズメさんを捕まえるみたいに大きなザルで、こう、えいって♪」
 ロープを引く真似をするスノードロップにシュラインは苦笑した。
「兎にはニンジンがつきものだけど」
「今日は9月18日だからお団子でも良いかもでし♪」
 鼻の穴を得意げに広げるスノードロップにシュラインは苦笑を深くする。
「普通にお願いできないものかしらね?」
「それは無理でし。あの人はいつも忙しないでしから。人間ゆっくりとしていれば良いと思うんでしけど」
 正座してずずっとお茶を飲むような真似をするスノードロップ。シュラインはくすくすと笑う。
 そしてその笑う声にぱんぱんと手を叩く音が重なる。
「とにかく垣塚麻衣が眠ったままの原因が怪奇絡みという事がわかっただけでも前進だ」
 シュラインも怜悧な瞳を細めて微笑む。
「そうね。怪奇探偵の出番ですものね、武彦さん」
「それでは…」
「ええ、恭子さん。あなたからのご依頼、草間興信所が引き受けますわ。あなたの娘さん、必ず私たちが助けます」
 力強く頷くシュラインに恭子は抱きついて、わんわんと泣いた。



【第三幕 夢の世界へ】


 緊張の糸が切れたせいか垣塚恭子は病室で倒れて、今日一日は入院する事となった。
 そのためにシュラインは病院の直ぐ近くにあるデパートに恭子の身の回りの品を買いに行った。
 そしてその帰り道。
「う、う、兎渡来ーい♪ こっちのニンジンは美味しいぞー♪」
 とても小さなニンジンを手にしてご機嫌そうに唄を歌うスノードロップを頭に乗せてシュラインは歩いていたのだが、ふとその足を止めた。
 彼女の前には蒼い髪に、紫の瞳の少女が居た。
「こんにちは。よくぞ真実に辿り着きました」
 おどけたように彼女はぱちぱちと手を叩いた。そしてにこりと笑う。
「あんたが紫陽花の君?」
「ええ、そう」
「何をしに来たのかしら、あんたは?」
 冷ややかに、ではない。ただ普通に嗜める感じでシュラインは小首を傾げた。
 紫陽花の君はそんな彼女を面白がるように眼を細めて笑う。
「あら、だって物語の中に入れずに困っていたから、迎えに来てあげたのに?」
「だ、ダメでし、シュラインさん。絶対に罠でし」
 シュラインの胸に抱きついて震えていたスノードロップが悲鳴をあげるように言った。
 紫陽花の君は「虫はつれないなー」、と笑う。
「でもあんたが起こした事件でしょう?」
「うん。それは、確かにね。でもさ、紫陽花の花はうつろぎなの。あたしは気まぐれ。その時の気分で動く。善でもあり悪。今回は彼女に韓藍の花を渡したのは正義で、貴女方を招くのが悪の行為に当たるのかしら? 麻衣にとっては」
 シュラインは鼻を鳴らす。
「つまりは麻衣ちゃんは望んであーなってるっていう事ね?」
「それはご自分で確かめて♪ あっちの世界には兎渡に連れられてきた根暗女も居るしね」
「根暗女?」
「まあやさんの事でし」
 肩を竦めながらシュラインは溜息を吐く。
「あんたも相当に性格が捻じ曲がっているわね?」
「だからうつろぎ。気まぐれ。あたしの心はいつも様々な色に染め変わる。あなたはでもあたしを不思議な色に染めるね? こういう感じは滅多には無いわ。誰もが完全に自分と相手とを対照して、その有り様を固定させたがるけど、あなたはそれが無い。あたしにでさえ、好印象を持っている。深い母性、それがあなたの力。魂の色、という事かしら?」
「うーん、でも私、確かにあなたの事は嫌いじゃないわね。うつろぎでも根底にある芯は変わっていないもの。状況によって敵に変わる相手にも慣れているしね。っていうか、垣塚麻衣の世界に私を連れて行ってくれるあなたは、私たちにとっては都合の良い味方ですし」
 ウインクする彼女に紫陽花の君もくすりと笑う。
「シュライン・エマ。あたしも嫌いじゃないよ。こんな色は久々で楽しい。だから特別にもうひとつ教えてあげる。韓藍の花言葉。それがキーワードよ」
 ぱちん、と指を鳴らすと、そこに大きな扉が現れる。
 そしてそれは死霊の叫び声かのような蝶番の音を奏でて、開いて、その向こうへと繋がる。
「さあ、どうぞ、シュライン・エマ」
「ええ。どうも」
 怯える事は無くシュラインは凛と微笑み、そして扉の向こうへと颯爽と消えていった。



【第四章 個性の無い街】


 そこに広がる街は実にヘンテコだった。
 全てが、
「画一化されている」
 シュラインは眉間に皺を刻んだ。
 そうなのだ。彼女の周りに広がる世界はすべてが形が同じ。
 建物の全ては建売かのように形は同じで、周りを歩く人たちの服装も髪型、メイクにいたるまで同じ。つまり、
「個性が無い?」
 シュラインはぞっとしたような声で言う。
 彼女の上着の胸ポケットに居るスノードロップが言う。
「韓藍の花言葉にも個性があるでし!」
「ええ、そう。確かあの花の花言葉はおしゃれ・博愛・奇妙・気どり屋・色あせぬ恋・永遠の愛・個性、よね。白さんは韓藍の物語が曲げられている、と言っていた。そういう事だったのよ」
 口許に軽く握った拳を当てて考え込むシュラインにスノードロップが小首を傾げる。
「どうするんでしか、これから?」
「そうね。この世界のどこかに垣塚麻衣が居るはず。その彼女を見つけ出して説得するしかないわね」
 シュラインがそう口にした瞬間に世界がどくん、と脈打った。
 彼女の怜悧な双眸が細まる。
「そう。私はあなたの敵、という事になるわね」
 哀しげに、しかしそこには確かに確固たる意志の力を込めてシュラインは呟き、そして次いで彼女目掛けて降ってきた、そいつらが。
 シュラインの目が大きく見開かれる。それは、
「ちょっと、嘘。やだ、冗談でしょう? どうしてアサルトゴブリンどもがここに居るのよ?」
 うめく間にも醜く太ったそいつらは手にしている棍棒を振り上げてシュラインに肉薄してくる。
 振り下ろされるそれを彼女は紙一重に避けるが、しかしここは物語の世界とはいえ、やられれば、死ぬ。
 その現実が彼女に重く圧し掛かる。
 だがそれと同時に彼女はどこか違和感のような物も感じていた。
 ―――それは?



『ここから消え去って』



 声が聞こえた。



『ここから消えてくれたら、私をそのままにしてくれたら、あなたを帰してあげるから』



 ―――彼女の望みはあくまでもこの世界の存続なのだ。



「そういう事」
 シュラインは舌打ちする。
 彼女が感じた違和感。それは殺気だったのだ。こいつらは彼女を殺そうとはしていない。
 おそらくはこれは幻術のような物。ここは夢の世界。心のありようがもろに影響する。
 シュラインの記憶にあるそれがたまたま敵として現れたにすぎない。ひょっとしたら草間武彦が敵として現れるかもしれない、そういう可能性だってあるのだ。
 そう思った瞬間にアサルトゴブリンが武彦に変わる。彼は甘やかに微笑んだ。
 キツク細まるシュラインの眼。
 それから彼女は武彦を振り切って、道の途中に停車してあったバイクにまたがり、たまたまキーが差したままであったそれのエンジンをかける。
「運が良かったでしね」
 風に負けぬように叫んだスノードロップにシュラインが口だけで笑う。
「運が良い? いいえ、違うわ、スノーちゃん。このバイクは垣塚麻衣のSOSなのよ。ここは彼女の夢の世界。だからそれを壊しに来た私に都合の良い物なんてあるはずがないもの」
「だったら、どうなるんでしか?」
「その彼女に訴えるしかない」
 バイクのミラーを見れば首無し騎士を先頭にトーチハウンドの大群がシュラインを追いかけてきている。
「シュラインさん」
「大丈夫」
 そう、大丈夫。首無し騎士はぎりぎり追いつけないスピードでバイクを追いかけている。プレッシャーをかけているのだ。垣塚麻衣は。
 この世界を壊されないために!
「だったらぁ―――ァ」
 急ブレーキをかけて、車体を反転させる。アスファルトの上にはバイクの後輪で描かれた半円が焼きつけられた。
「シュ、シュラインさん」
「スノーちゃん。女にはね、やらなきゃならい時があるのよ。怖いのなら、ポケットの中に潜ってなさい」
「だ、大丈夫でし。わ、わたしにも女の子の意地があるでし!」
 涙目でポケットにしがみつく彼女にシュラインはくすりと笑い、そしてバイクのスロットを開放した。
 バイクはシュラインの心が乗り移ったのか、猛々しい排気音をマフラーから迸らせる。
 バイクは走り出す。
「そう。戦わなきゃならない時があるのよ」
 シュラインは心の中で呟いた。それを首無し騎士に立ち向かう事で見せようとするのだ。
 首無し騎士はわずかに躊躇うように身を震わせて、そして手にする剣を振り下ろした。トーチハウンドの大群がバイクに向かって来る。
 シュラインはブレーキを握らない。



 加速する二つのスピードがぶつかり合う。



「だめぇー」



 悲鳴があがった。



「その願い、叶えましょう」



 硝子を打ち鳴らしたような声。
 その場に現れたのは、白亜だった。
 そして彼女の周りから迸った蝶の群れが、トーチハウンドや首無し騎士を消していく。
 そうしてそこに居るのはシュラインとスノードロップだけとなった。
 白亜はシュラインに微笑みかける。本当に蜻蛉を思わせるような儚い少女。
「私は垣塚麻衣を救うために来たの。そのための力を貸してくれるかしら?」
「私はただ、皆の望みを叶えるだけだから。だからあなたが願えば、私はそれを叶えます」
 一定のトーンの声で紡がれた言葉にシュラインはにこりと嫣然と微笑む。
「そう、では頼むわ」
 そしてシュラインは願うのだ。この物語の結末を。
 それは彼女の前の空間に文字として書き綴られ、そうして蝶となって世界へと羽ばたく。
 白亜は消えていた。
 シュラインは息を吸い込み、そうして唄を歌う。
 それは垣塚麻衣の病室で彼女の母親が歌っていた唄だった。
 声帯模写。恭子の声で、そして彼女が娘を想う気持ちを忠実に再現する。
 シュラインが願ったのは、自分の声が世界に響き渡る事。
 そしてそれは叶えられたが、しかし、垣塚麻衣、彼女の願いもまた継続中で、そうして今度こそその彼女の願いは明確な殺意として、シュラインを襲う。
 大量のジェノサイドエンジェルが彼女の目の前に現れて、堕天の翼を広げる。
「ひゃぁー、シュラインさん」
 翼にある銃火器の銃口が、ミサイルが、シュラインに標準される。
 そしてそれが発射される。
 シュラインは唄を歌い続ける。その歌声の波動が、それらを弾き飛ばした。
 ジェノサイドエンジェルの美しい顔が驚愕に歪み、そして彼女は凶暴な笑みを浮かべて、その手に首無し騎士の剣を握ってシュラインの頭上から踊りかかる。
 何かを憎々しげに叫びながら。
 ―――いや、そのジェノサイドエンジェルの顔は、垣塚麻衣だった。
 剣の切っ先がシュラインの頭に触れる、
 そう思えた瞬間に、麻衣の顔が酷薄に歪み、
 しかしシュラインは優しく微笑んだ。まるで夕暮れの公園、独りでブランコに乗っている子どもを迎えに来た母親のように。
「麻衣、迎えに来たのよ。帰ろう、一緒に」
 シュラインが恭子の声でそう言った瞬間にジェノサイドエンジェルは消え去った。



 そして韓藍の花が咲き乱れるそこにシュラインと泣いている垣塚麻衣が居た。
「私は、私は声が可笑しい、って笑われたの。だから私はそれが嫌で、哀しくって」
 ぽろぽろと泣いている彼女の背中をシュラインは優しくとんとんと撫でた。
「それは辛かったね。でも私はあなたのその声、好きよ。とても綺麗な声で」
「嘘!」
「本当。今はたまたまあなたの周りに居る子たちの感性があなたと違うだけ。でもこの先きっとあなたは、あなたの声を素適だと思える人たちに巡り合えるから。だからがんばって。その人たちに胸を張って出会えるように。その人たちにもっと素適だと想ってもらえるように自分を磨いて」
 優しく言うシュラインに麻衣はぼろぼろと泣きながら何度も頷いた。
 そしてシュラインは茶目っ気のある表情で微笑む。
「私がどんな時も頑張れるおまじないを教えてあげる。いい? そのおまじないはね、レバンガナルケマ、っていうの。これを辛い時に唱えて。そしたら勇気が出るから」
「うん」
「この韓藍、花言葉はおしゃれ・博愛・奇妙・気どり屋・色あせぬ恋・永遠の愛・個性、って言うんだけど、あなたの個性はその声。だからこの花のようにあなたのその声は美しく、そして辛い事を知っているあなただからこそ、博愛の心を持てる。おしゃれに生きていける強さを。永遠の愛にあなたは守られているから。だからがんばれるよ。忘れないでね、お母さんのこと、私たちのこと」
「うん」
 そして韓藍の花が散って、その結晶が空間を包んで、垣塚麻衣は消えた。
「現実世界に戻った?」
「そうです」
 シュラインの目の前に白亜と冥府が現れる。
 冥府はシュラインを睨んでいた。
 彼女は肩を竦める。
「大丈夫。私はあなたちを追わないから。まあやさんと兎渡さんもこの世界に居たというから早く逃げた方がいいわ」
 ウインクするシュラインに冥府は驚いたように目を見開く。
 それから彼女は優しく問い掛けた。
「冥府君。だけど一つだけ、お願い。どうかどうして自分たちが今、逃げているのかを忘れないでね」
 その優しい言葉に冥府は再び驚いた顔をして、それから何かを言おうとするように口を開きかけるが、結局は何も言えずに、口を閉じて、だけど冥府は確かにシュラインに頷いた。
 シュラインの冥府に対する想いを、冥府は理解したのだ。
 そして冥府と白亜は次の物語へと逃げて、その転瞬後に綾瀬まあやと兎渡がやってきた。
「や、やや。しまった。また逃げられてしまった」
 兎渡は頭を抱え、まあやは肩を竦めた。
 シュラインとスノードロップは顔を見合わせてこっそりと笑いあったのは秘密だ。



【ラスト】


 兎渡の手によってシュラインたちは現実世界へと戻ってきた。
「ところでシュラインさん」
「ん?」
「あのおまじないの言葉、すごいでしね!」
「え、ああ、うん。ねえ、スノーちゃん」
「はいでし」
「私が言ったおまじない、逆に読んでみて」
 くすりと笑うシュラインにスノードロップは目を瞬かせて、それから苦労しながらおまじないを逆に読む努力をしだし、それを見つめながらシュラインはまたくすくすと楽しそうに笑った。



 レバンガナルケマ
 ―――負けるな、頑張れ。



 うーん、うーん、と頭を悩ませるスノードロップを優しく見守りながらシュラインは歩き出す。
 美しい夕方の橙色が優しく溢れる世界を、愛しい人の居る場所に向かって。


 ― fin ―




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


【NPC / 草間武彦】


【NPC / 草間零】


【NPC / 白】


【NPC / スノードロップ】


【NPC / 紫陽花の君】


【NPC / 綾瀬まあや】


【NPC / 兎渡】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、シュライン・エマさま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はご依頼ありがとうございました。^^


 韓藍のお花指定と言う事で、シュラインさんの設定と絡めつつお話を書かせていただいたのですがいかがでしたか?
 個性、に重点を置いて書かせてもらったのですが、すごく面白かったです。^^
 それから冥府へのお気持ち、ありがとうございました。^^
 すごく嬉しかったです。^^
 そうですよね。そういう事になりそうですものね。でもシュラインさんに頂けたお言葉によって、きっとこの二人のこれからも絶対に変わってくると想います。(拳)
 本当にありがとうございました。私自身も、本当に色んな物をもらえた言葉だったです。これからのこの子たちの事や、それからオフでの小説作りにすごく役立つ、お言葉だったです。^^ そっか、そういう見方もあるのだ、と。


 紫陽花の君へのシュラインさんの見方もなるほどと想いました。確かにシュラインさんならばそう考えそうですよね。^^
 その関係のあり方がまた私自身にとっても本当に新鮮で、すごく面白いと想いました。
 だから本当にOMCでのお仕事ってすごく面白くって、楽しいと思えます。PCさんのあり方、PLさまのお気持ち、そういう物から学べる物が本当にすごくたくさんありますから。
 そしてそれって自分では気づけないこと、見えない事が多々あるのですよね。
 本当に今回のお仕事は私自身すごく勉強になりました。ありがとうございました。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。