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<東京怪談ノベル(シングル)>


ゆったりと、ゆっくりと。〜枝折りの隙間〜


 ふと、目頭の痛さに気付いて本から目を離した。机の端にちょこんと乗っている小さな置時計が示す時刻は真夜中の範囲内。窓から見上げた空は漆黒の色。気がつくともう、こんなに遅い時間になっていた。
(これは多分、徹夜だな)
 まだ読み終わっていない本と、その本を前にして妙に高揚している気持ち。どう考えても今日はもう眠れそうにない。
大きくため息をついて、古びたポットに水を入れる。お茶でも飲もうと思ったからだ。よくよく考えると、本を開き始めてからここ数時間、何も食べていないし飲んでいなかった。
 水を入れたポットがシュンシュンと音をたてる。それを期に俺の耳にも音がよみがえってきた。外の道路を通る車の音も聞こえてくる。本に集中している間、聴力は全て視界に持っていかれていたらしい。聴力がだんだんと戻ってくる中で、気付いたことが一つ。
 何か、物音が聞こえるのだ。
それも恐らく俺の勘違いじゃなければ今日掃除をしたばかりの書庫から。
途端にサア、と血の気が引いていくのを感じた。同時に身の危険も感じる。
 (誰かが入ってきたとか……?それで俺が本に熱中しているのを良いことに書庫に入ったとか)
 そう思って玄関を除いてみるけど、予想はハズレ。鍵はきちんとかかっていた。それにわざわざ書庫に行くお客さんだなんて、こんな時間に常識外れも良いところだ。
 (泥棒……とか、まさかねえ)
 背筋をぞくっとさせながら考えた予想も、すぐに自分で打ち消した。ビルの三階であるこの部屋に入ってこれるわけがない。構造上、窓からの侵入も不可能だ。
 脳内で色々と考えている間も物音は止まない。それどころか、重なり合う音が幾人かの存在を示唆してきている。とにかく様子を探ってみようと足を扉の前にもっていった。そうしてゆっくりと耳を扉に引っ付ける。音は俺が近づいたことには気付いていないらしく止むことはなかった。
 やがて音が声であることと、声が声『達』であることが分かってきた。
 様々な声がひっきりなしに何かを言っている。まるで音を出すことが楽しくて仕方がないって感じ。全ての音がなめらかに繋がって聞こえるのは、相互のレスポンスの速さが絶妙だからだろう。
「あの人、ボクを全然構ってくれないんだ。新書で買ってくれたのに」
小さな子供の声が聞こえたかと思えば、
「あたしだってそうよ。論文の足しにって数度目を通してくれただけなんだから」
若い女性の声もしてくる。そうかと思えば
「儂はよぅ読んで貰っとる。傷みかけている儂を修繕してくれてまでな」
老人のような擦れた声も聞こえてきて……
その他にも色々な音程、色々な声色の声がやんややんやと何かを話している。俺はその内容を聞きながら、俺に危害を加えないだろうことにホっとすると同時に、疑問を深く深くしていった。
『新書』『論文の足し』『目を通す』『読んで』……?
多くの声が紡いだ言葉を頭の中で反芻する。その中で気付いたのは一つの予想。
 もしかして……?
 まさか……?
 ―――――本、か?
 思考が予想を弾き出した途端に、俺は勢いよくドアを開けた。生ぬるい風が俺の頬を撫でる。今までは風と共に埃も舞い上がっていたんだけど、さすが今日大掃除しただけのことはある。埃が舞って俺の顔に降ってくるだなんてことはなかった。ああ、嬉しい。
 開けた視界には書庫の様子が広がる。さっきまで様々な声で溢れていたそこには、やっぱり……
 本しかなかった。
 「お前らの会話はとっくに聞いた!何者なんだよ、お前ら!」
 いきなり登場したファンタジーに、俺は少し上擦る声を張り上げる。ここで無音が返ってきたなら病気の可能性を考えなくちゃと思いながら。しかし、幸か不幸か返事は音として返ってきた。
「儂等は本の付喪神。あんたには世話になっとる」
 と。
 驚きの答えに腰を抜かしそうになりながら、どうにか口を動かして出た言葉はこれ。
 「ひゃ、百年じゃないのに」
 俺の知識内での話なら、付喪神は百年経った古い物が成るものだって話だったんだけど……
 それに答えたのはさっきの擦れた老人の声。
 「百年経っていなければ、あんたは付喪神と認めないのかえ?」
 「そ、そういうわけじゃないけど……」
 言い負かされる形に、俺は喉をぐうっと鳴らせた。落ち着いた声のせいだろうか、妙な説得力を感じてしまう。
 「じゃ、じゃあ百鬼夜行したりとか?」
 又も俺の知識内での話。付喪神って百鬼夜行をするんじゃなかったっけ?それって俺にとっては良いことじゃないはずで……ええっと、大体、ここで『イエス』って言われちゃったら俺は何て答えれば良いんだろう。
 あたふたと困り果てる俺に対し、声はあくまでも楽しそう。困っている俺が馬鹿に思えるくらいに。
 「別にー、ただちょっと綺麗になったから」
 「そう、綺麗になれたから嬉しくてね」
 「それで話してた……ってことか……?」
 良い意味で拍子抜けだ。何だ、そんなに怖くないじゃないか。
 そう思い始めた時、背後でポットがピーっと鳴った。お湯が沸けましたよという合図だ。そこまで考えて、自分がお茶を飲もうとしていたことを思い出した。
 「え、じゃあお茶でも飲む?」
 言って気付く俺って馬鹿。本にお茶って、酷い発言だ。けれど本達は怒ることもなく「気持ちだけ頂いておくよ」とにこやかに返事を返してくれた。その返事を聞いて、何だか気持ちが高揚したのは事実。
 「じゃあ、ちょっと待っててくれよ」と返事をしてポットへと急いだ。背後からは「分かったよ」という様々な声が聞こえる。足取りは軽い。
 お茶を入れて、あいつらと話をしてみよう。俺の扱いに対する抗議の声も甘んじて受けるつもり。他にも、今までどんな奴の手を渡り歩いてきたのか、とか、聞きたいことは山ほどある。だって相手は本なんだ。俺が好きな、本なんだから。


 漆黒の色を背景に、付喪神達との井戸端会議が始まるまで、後二分。


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 二度目のオーダーありがとうございました。
嬉しくてうきうきと書かせて頂きました。『付喪神』という登場人物を描けることがとても楽しかったです。ありがとうございました!