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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


誰かがそこに

【オープニング】
 草間武彦は、困惑していた。
 ここしばらく、自分の周囲の反応が、どうもおかしい。
 たとえば、軽く食事でもしようかと喫茶店に入れば、一人にも関わらず、水とおしぼりが二人分やって来る。
 映画館でも電車の改札口でも、同じだ。自分一人だけなのに、どういうわけか二人分を請求される。とはいえ、彼が「自分は一人だ」と主張すると、喫茶店のウエイトレスも映画館のチケット売り場の係も駅員も、皆怪訝な顔をしながらも、「そうですね。すみません」と自分の非を認めるのだ。
(いったい、どういうことだ?)
 嫌な予感がしつつも、なるべく深く考えまいと、それについて彼は棚上げにしていた。ところが。
「――ちゃん、ここのところ顔見なかったけど、元気そうじゃない」
 久しぶりに会った碇麗香が、草間の隣に視線を走らせた後、そんなことを言ったのだ。
 彼女の呼んだ名が、自分のものではないことは明白だ。というか、それ以前に名前そのものが、聞き取れなかった。
 しかし麗香は、愕然としている彼に向かって、何事もなかったように自分の近況などを話して、立ち去って行った。
 事ここに至って草間も、やっと自覚する。
(俺……何かに憑かれてるのか?)
 だが、だとしたらいったいどうしたらいいのか。
 結局彼は、悩んだあげく、友人たちに相談することにしたのだった。

【1】
 青島萩は、刑事である。といっても、主に幽霊や怪奇現象、不思議事件を担当していた。
いわば、草間の刑事版のような男だ。
 その彼が、草間興信所を訪ねたのは、やっと秋らしい風が立ち始めた、ある日のことだった。
 事務所には、主の草間ともう一人、ここの事務員を務めるシュライン・エマがいた。
 シュラインは、萩より三つほど年下で、すらりとした長身に長い黒髪と青い目をした知的な美女だ。いつもきびきびとした感じを見る者に与える服装で、髪を後ろで一つに束ね、色つきのメガネを胸元に下げている。ここしばらくは、本業の翻訳の仕事が忙しいとかで、ここには来ていなかった。なので、萩が彼女の顔を見るのも久しぶりだ。
「よう」
 明るく声をかけたものの、二人の間に何か重苦しい空気が漂っているのを察して、彼は尋ねる。
「どうした? 二人ともシケた顔しちゃって。ケンカでもしたか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……。ほら、この間、電話で話しただろ? あの件で、ちょっとな」
 草間が困惑したような、固い表情で言った。
 それで萩も思い出す。先日、草間に妙な相談を受けたのだ。
 たしかに彼も、草間が何かに憑かれている可能性は、ないとはいいきれないと思う。霊感のある人間には、霊は時に生きている人間と同じように知覚されるからだ。かくいう彼自身も、幼いころは自分に見えている霊は、誰にでも見えるものだと思っていた。
 だから、喫茶店のウエイトレスや、映画館の窓口の人や、駅の改札員が、たまたま霊感のある人間で草間に憑いているものが見え、人間だと知覚し客として扱ったが、草間の抗議でその認識が本来の、見えない人間と同じものに戻ったと考えれば、辻褄は合う。
 ただ、そうなるとよくわからないのが、麗香の反応だ。
 彼女のそれは、草間に聞いたとおりなら、まさしく生きている人間へのそれだ。となると、そもそも草間に憑いているものは、なんなのか――という話になる。
 麗香の反応を見れば、その人物は彼女の知り合いだろう。しかも、しばらく顔を見ておらず、どこかで出会っても不審に思わない相手だ。ということは、少なくとも死者ではない。しかし、草間には姿が見えていないのだから、生霊である可能性があった。
 もう一つは、麗香が相手が死んでいるのを知らない場合だ。しばらく顔を見ていないなら、死んだことも知らないのかもしれない。この場合はむろん、亡霊だ。
 どちらにしろ、鍵は麗香が握っているような気がする。
(……麗香さんに、話を聞きに行くつもりだったんだよな、そういえば。それが、ここしばらく忙しくって、放置しちまってたんだな、俺)
 親友失格だ、などと思いつつ、彼は胸に呟いた。もっとも、麗香となんの関係もない亡霊に憑かれている場合のことも考えて、警察と彼自身が関わった草間関係の仕事については、データベースをあさって、何もそれらしいものがないことを調査済みだったけれど。
 ともあれ、そんなわけで彼は、少しだけ後ろめたい気持ちになりながら、うなずいた。
「ああ、あれか」
 そして、続ける。
「話を聞いた限りじゃ、麗香さんの知り合いっぽくないか? 名前は聞き取れなかったけど、『元気そうじゃない』とかなんとか、言ったんだろ? 彼女」
「ああ」
 うなずいて、草間は何か言いたげに、シュラインの方を見やった。
 黙って二人のやりとりを聞いていた彼女は、その視線に小さく溜息をつく。そして、口を開いた。
「そのことだけど……私は、武彦さんと一緒にいるのは、零ちゃんじゃないかと思うのよ」
「零さんが?」
 途端に萩は、目を丸くして問い返す。
「でもなんで。……零さんが、武彦に見えないってわけ、ないだろ?」
「ええ。でも、武彦さんは零ちゃんのことを覚えていないし……今、ここにはいないみたいなの。少なくとも、私には零ちゃんの姿は見えないわ」
 答えてシュラインは、彼が霊力を持っていることを思い出したらしい。訊いた。
「あんたには、見える?」
 言われて初めて、萩はあたりを見回した。零の姿は、すぐに見つかった。
「ああ……。そこに……ソファの傍に立ってる。でも、これは……」
 ソファの横の空間を指さして、彼は眉をひそめる。普段から彼が見ている幽霊の類とは、なんだか違う感じがするのだ。なんと言っていいのかは、わからない。ただ、違和感を感じる。彼は、その思いのままに、口を開いた。
「幽霊というのとは、ちょっと違う感じだな。でも……似てる。なんていうか、うまく言葉にできないけど、幽霊ってのは魂だけの存在で、何か未練があってこの世に残っているもの、だろ? でもこの零さんは、違う所にいるみたいな感じだ」
「違うところ?」
 シュラインが、思わずというように問い返して来た。
 草間は、ぎょっとしたように萩が示したあたりを、見詰めている。萩の目にも彼のその様子は、たしかに「零」が誰なのか、わかっていないように見えた。それどころか、シュラインが言うのが本当で、麗香と会った時の彼の言い分もそのとおりなら、草間には「零」という名も聞き取れていないのかもしれない。
 萩は、そんな草間をちらと見やって言った。
「ああ、うん。だから、二次元とか三次元とか言うだろ。もともとは、数学の話だけど、二次元は平面で、三次元は立体で、四次元は空間で。で、二次元に住む生物がいるとしたら、そいつには三次元に住む生物は見えないし、三次元に住む生物にも四次元に住む生物は見えない……っていう、なにか、そんな感じっていうか」
 自分でもうまく説明できなくてもどかしく、彼は顔をゆがめ、がしがしと頭を掻いた。
 だが、シュラインはそこからなんとか彼の言いたいことを、汲み取ってくれたようだ。
「つまり、零ちゃんは死んで幽霊になったとかじゃなく、私たちには認識が難しい世界に、なんらかの理由で飛ばされた、とかそういうこと?」
「あー、そうそう。そんな感じ」
 問われて萩は大きくうなずいた。そして、また草間を見やる。その態度から、シュラインの言葉が正しいと理解してはいたけれど、それでも彼が零を忘れてしまったなどとは、信じられない。それで、思わず念を押すように尋ねる。
「にしても、零さんのことを覚えてないって……本当か?」
「だから、そんな人間は知らないって言っている」
 二人が勝手に話を進めているのが面白くないのか、それとも萩たちの口調が自分を責めているようにでも聞こえるのか、草間は仏頂面で答えてソファの背に身を預けた。
 それを見やって、萩とシュラインは思わず顔を見合わせる。それから萩は、気を取り直して言った。
「……ともかく、俺は一度、麗香さんに会って話を聞く方がいいと思うんだがな」
「そうね」
 シュラインがうなずく。
 その時、事務所に新たな訪問者の姿があった。

【2】
 やって来たのは、セレスティ・カーニンガムだった。
 一見すると二十代半ばと見える、長い銀髪と青い目の美貌の青年だ。しかし実際は七百年以上も生きている人魚である。そして、リンスター財閥総帥で占い師でもあった。
 その本性ゆえに視力と足の弱い彼は、ステッキを手にしている。
 といっても、萩とは初対面だった。互いに挨拶を交わした後、セレスティは自分が今日、ここを訪ねた理由を話す。
「草間さんが、何かに憑かれているのではないか……という相談をお受けしたものですから」
「武彦さん、セレスティにも話したの?」
 思わずそちらを見やるシュラインに、草間は肩をすくめて言った。
「セレスティなら、長く生きている分、何かわかるかもしれないと思ってな」
 平気そうな顔をしているが、本心は深刻に悩んでいたようだ。
 彼の言葉に、セレスティは小さくかぶりをふる。
「残念ながら、私は霊力はありませんので、電話をいただいてすぐに何かわかるということはありませんでした。ただ、気になったのは碇嬢の態度です。それで、彼女に電話してみました。すると、碇嬢はその時、草間さんと一緒にいたのは、零さんだとそう教えてくれたのです」
「やっぱり……」
 思わずというように呟くシュラインと、萩は顔を見合わせた。
「シュライン? 何かそちらも手掛かりがあったのですか?」
 その様子に、セレスティも驚いたように尋ねる。
 そこで萩とシュラインは、かわるがわる彼が来るまでにわかったことを話した。
 途端に、セレスティも目を丸くする。
「草間さんが、零さんのことを忘れてしまうなんて……」
「だから、俺はそんな奴のことは、知らないって……」
 草間は、ますます不機嫌な顔になりながら、言った。
「……本当に、覚えてないようですね」
 セレスティはまだ驚きが覚めない様子で呟き、それから萩とシュラインをふり返った。
「ところで、私はこれからアトラス編集部へ行くつもりなのですが、お二人も一緒にいかがです?」
「アトラスへ? でも、どうして?」
 シュラインが問い返す。
「何か、碇嬢が手掛かりを持っているかもしれないと思ったので。それで、あちらへ行く前に、草間さんにその現象がいつごろから起り始めたのかとか、そういうことを訊こうと思ってこちらに寄ったんです」
 セレスティの言葉に、萩とシュラインはなるほどとうなずいた。
 やがて彼らは、草間を交えて四人で、セレスティの乗って来た運転手付きのリムジンで、アトラス編集部へと向かった。

【3】
 セレスティがあらかじめ、アポイトメントを取ってあったからだろう。萩たち四人は、すんなりと麗香に会って話を聞くことができた。もっとも麗香自身も、多少暇な時期だったのだろう。余裕の伺える顔つきで、彼女は四人を白王社ビル一階の喫茶室へ誘った。
 そこで彼女は、再度あの日会ったのが、零であることを証言した。
「一月前ねぇ……」
 その後、一月前、何か仕事を草間に依頼しなかったかと問う彼らに、麗香は首をひねる。
 これは、萩とセレスティも来る途中で草間から聞いたのだが、奇妙な現象が起こり始めたのは、一月前ぐらいからなのだという。それも、最初に彼が一人ではない、と認識したのはほかでもない、シュラインだった。草間に、二人分のコーヒーを出したというのだ。
 しかしこれは、シュラインに言わせれば、零と二人の分だった、ということになる。
 考え込んでいた麗香は、やっと何かを思い出したらしい。呟いた。
「そういえば、あれも一月ぐらい前のことだわ」
 そして、話し始める。
 それは、一月ほど前のこと。アトラス編集部に、差出人不明で小さな寄木細工の箱が届いた。包まれていたのはそれだけで、いったいどういう謂れのあるものか、説明の書面などもいっさいない。とはいえ、編集部ではこうした届けものはわりとよくあることなので、麗香は霊能力者に見てもらったあと、さほど危険がないなら記事にすればいい、ぐらいに考えていた。
 そこへ、たまたまやって来た草間が、それに興味を示した。
 その箱は、中に何か入っているらしく、ふると音がするのだが、蓋が開かないようになっていた。寄木細工ということは、おそらく箱を構成している板を順番に移動させて行けば、蓋は開くのだろう。
 草間は、持って帰ってそれに挑戦すると言い出したのだ。
 麗香も一応止めたのだが、結局草間は彼女の言葉を聞き入れず、それを持ち帰ってしまった。
「――その後、何があったのかは、知らないわ。翌日、電話してみたけど出ないから、夕方、事務所を訪ねたのよ。彼はソファで眠ってたわ。そうね、零ちゃんはいなかった。箱はテーブルの上に置いてあって……だから、メモを残して私はそれを持って帰ったわ」
「武彦さんは、そのメモのこと、覚えてる?」
 麗香が話し終えるのを待っていたように、シュラインが草間に訊いた。
「ああ……。そういえば、何かそんなメモを見た気がするな。けど、そんな箱のことなんて、俺は知らないぞ」
 うなずいて言うと、彼は思い出したように付け加えた。
「そうだ。あの時もそんなふうに思って、メモは丸めてゴミ箱に捨てたんだった」
「あの時は、ずいぶん熱心だったのにね」
 麗香が小さく笑って、肩をすくめる。
 それへ、萩は尋ねた。
「それで、その箱は今どこに?」
「沙耶の所よ」
 麗香がためらいもなく答える。
 草間の元から持って帰って来た後、麗香はそれを霊能力者に見せたのだそうだ。すると、強大な力を持つ悪霊を封じてある箱だから、このままどこかの神社へでも預けて、そっとしておけと言われたのだという。それで、預ける神社を探している時、高峰沙耶が現れ、ぜひゆずってほしいと言って来たのだった。
「彼女なら、少々のものでも平気だと思ったから、渡したわ」
 麗香は言って、話をしめくくった。
 萩たちは、思わず溜息をつく。これでは結局、草間に何があったのかは、わからないままだ。
 萩が、他に何か草間に関係するようなことはなかったかと訊いたが、麗香は首を横にふるばかりだった。そこで彼らは、麗香からその箱についての資料を借りることにした。資料といっても、その時麗香が撮った箱の写真が何枚かと、霊能力者の鑑定を簡単に書き移したメモぐらいのものだ。
 草間興信所へ戻り、萩たちはそれをテーブルの上に広げた。
 まず、メモの内容の方は、麗香の字で「強大な力を持つ悪霊」「恨みの念が凄まじい」「一度封印が破られ、再度施された形跡がある」「二度と開けてはいけない」「誰も触れてはいけない」「神社に預ける」といった断片的な言葉が書きつけられている。
「この、『一度封印が破られ、再度施された形跡がある』というのが、なんだか気になりますね」
 指先で、メモに触れて内容を読み取っていたセレスティが、軽く眉をひそめて言った。
「そうね。それと、この『誰も触れてはいけない』というのも気になるわ。だって、実際には少なくとも送り主と麗香さん、武彦さんの三人は触っているわけでしょ」
 うなずいて、シュラインも言う。
 一方、萩は写真の方を見ていたのだが、それはなかなか、凄まじいものだった。写真だというのに、手にしただけで気分が悪くなって来る。簡単な霊視を試みるが、怨念の凄さにただただ圧倒されてしまうばかりだ。
 彼は、これ以上、霊視を続けると自分の方が大きなダメージを食らうと判断して、その適当なところで打ち切り、草間たちをふり返った。
「こっちの写真は、すげぇぞ。……写真でもこうだからな。ちょっとでも霊感があったら、これの実物なんざ、言われなくても触りたくなくなるだろうよ」
「そんなに……?」
「ああ。写真からでも、恨みの念がばんばん吹きつけて来る」
 目を見張るシュラインに、萩はうなずく。そして、草間に視線を巡らせた。
「おまえ、よくこんなの触る気になったよな」
「……そう言われてもな。覚えてないんだ。その箱のことも」
 草間は、小さく肩をすくめて言う。
 そういえば、白王社でもそんなことを言っていたのだと思い出し、萩は軽く眉をひそめた。
(変だよな。なんで、覚えてないんだ?)
 麗香の話では、ずいぶんと箱に興味を持っていたらしいのに、それをまったく覚えていないこと自体おかしい。たとえ度忘れしていたとしても、こうして写真を見たりすれば、普通は思い出すものだ。
 その時だった。何か考え込んでいたシュラインが顔を上げ、草間に訊いた。
「先月、私が最後に事務所に仕事に来たのは、いつだか覚えてる?」
「ええっと……たしか、二十日ぐらいだろ。アトラスへ行く前に話した、おまえが伝票の整理だけするって来て、俺に二人分コーヒーを出して帰った日だ」
 草間は、考え込みながら言う。どうやら、萩が来る前に、二人はそんな話をしていたらしい。内容から察するに、アトラスへ行く途中で話してくれた、この現象が最初に起った時のことのようだ。
 萩がそんなことを考えていると、シュラインはどういうつもりか、草間にまた問いかける。
「じゃあ、その前に私がここに来たのは、いつだった?」
「う〜んと。十日だな。経費の支払いと、客からの振込みが集中してるからって、パソコンに張り付いてたぞ、たしか」
 草間は、再び考え込みながら答えた。
 そんな二人のやりとりに、萩とセレスティは顔を見合わせた。
「シュライン、それが何か今回のことの手掛かりになるんですか?」
 セレスティに問われて、シュラインは返す。
「わからないけど……武彦さんの記憶の欠落が、いつからのものなのか、調べられないかと思って」
「なるほど。たしかに、零さんのことと言い、アトラスでのことと言い、まったく覚えていないんだものな」
 萩は、彼女の意図を理解した。つまり彼女は、草間が零や箱のことを覚えていないというよりも、彼の記憶の一部に欠落があるのではないか、と考えたわけだ。うなずいて、尋ねる。
「それで、どうなんだ?」
「今訊いた部分は、間違っていないわ」
 言って、シュラインは改めて草間を見やる。そして、再び尋ねた。
「《幻の島》のことを、覚えている? そこにいた、霊鬼兵のことを」
「なんだ? そりゃ」
 草間が怪訝な顔になり、答えを求めるように彼らを見やる。
 本気で困っている様子の草間に、萩は軽い驚きを感じた。「記憶の欠落」というよりは、まさに零のことだけが、出会いに関することから今までの日々全て、ごっそりと消えてしまっているかのようだ。つまり、今の草間の中で零という少女は、存在すらなかったことになっているとしか、思えない。
 だが、いったいどうして、そんなことが起ったのだろうか。
(何か、人為的な力が働いているのか?)
 ふと眉をひそめて、萩はテーブルの上の寄木細工の箱の写真を見やった。まさかと思うが、この箱に封じられていた悪霊が、その「人為的な力」だったのではないのだろうか。
(零さんのこと以外で、武彦が覚えてないのは、今のところ、この箱のことだけみたいだもんな)
 萩は、写真を再度見やって、胸に呟いた。
 一方、シュラインはそんな草間の態度に何を思うのか、小さく溜息をつくと、自分のデスクの上から、小さなスタンドに入った写真を持って来た。写っているのはシュライン当人と草間、そして零だ。背景の青い空と砂浜がまぶしい。
「これを見て」
 シュラインは、それを草間に差し出した。彼は、言われるままに写真を見やり、そして怪訝そうに眉をひそめる。
「この女の子、誰だ?」
「それが零ちゃんよ。……写真の場所は、ハワイ。行ったの、覚えてる?」
「ハワイ旅行は覚えてるさ。けど……こんな女の子、知らないぞ」
 シュラインの言葉に草間は、まじまじと写真を見詰めながら呟いた。
 そのやりとりを見やって、再び萩とセレスティは顔を見合わせる。
「記憶の欠落……と言うにしても、変ですね」
「ああ。消えているのは、零さんに関することと、アトラスから持って来た箱に関することだけ、みたいだな」
 セレスティが言うのへ、萩もうなずいた。
「つまり、今回の件に、この寄木細工の箱が何か関係している可能性が高い、ということね」
 シュラインも二人をふり返って言う。
 その時だ。草間のデスクの上の、電源を落とされていたはずのパソコンが、いきなり軽い音を立てて起動を始めたのだった。

【4】
 驚いてそちらに駆け寄った萩たち四人の目の前で、パソコンは勝手に立ち上がるとメモ帳を開いた。キーボードが緩慢に動いて、画面に文字が打ち出される。それは「ネクタイピン」と読めた。
「ネクタイピン?」
 画面の文字に、一同は思わず顔を見合わせる。
「これはたぶん、零さんからのメッセージだ」
 萩は、パソコンが起動を始めた途端に感じた、奇妙な気配が最初にここで零の姿を見た時に感じたものと同じだと察して、言った。そして、そのことも告げる。
「シュライン、何か思い当たることはないですか?」
 彼の言葉を真実と取ってか、セレスティがシュラインに尋ねた。
 彼女は、しばし考え込んだが、すぐに顔を上げる。
「たしか、今年のバレンタインに、零ちゃん、武彦さんにネクタイピンをプレゼントしたはずよ」
「それ、どこにあるんだ?」
 萩は即座に訊いた。
 シュラインは、問われて草間をふり返る。おそらく、ネクタイピンが入れてある場所を、彼に尋ねるつもりだったのだろう。しかし彼は、この展開について来れていないのか、顔をしかめてただ、パソコンのモニターを睨みつけているだけだ。
 シュラインは、訊いてもだめだと思ったようだ。すぐに萩とセレスティに視線を巡らせる。
「たぶん、武彦さんの部屋のどこかだと思うけど」
「よし。手分けして探そう」
 萩はうなずいて言った。他の二人もうなずき、彼らはそのまま、草間の部屋へ向かった。
 草間の部屋は、本や衣類が乱雑に所かまわず積み上げられ、灰皿には吸殻が山をなし、ベッドはぐちゃぐちゃという、まさに一人ぐらしの男の部屋を、絵に描いたかのようだった。
(うわ。以前来た時は、もっときれいだった気がするけどな。……もしかして、あれか。零さんがいない上に、シュラインさんもしばらく来られなかったから、か?)
 部屋の惨状に、萩は思わず目を見張って、胸に呟く。が、すぐに小さく肩をすくめた。
(ま、俺の部屋も、似たようなもんだけどな)
 それよりも、今はネクタイピンを探すことが先決だ。とりあえず、タンスの中やサイドボードの引き出しなど、三人で手分けして調べて行く。
 やがて。
「あったぞ! こいつじゃないのか?」
 萩は、オーディオセットの乗った棚を調べていて、声を上げた。シュラインとセレスティも駆けつけて来る。彼は手の中のビロードの箱の中身を、シュラインに示した。中に入っているのは、小さな翡翠の飾りがついた、ネクタイピンだ。
 シュラインが、軽く目を見張ってうなずいた。
「これよ」
 そこで彼らは、とりあえず草間にこれを見せて見ることにした。
 事務所の方に戻り、萩はネクタイピンを草間の目の前に突き出す。
「武彦、見ろよ、これを」
 ふり返ってそれを見やった草間の目が、大きく見張られた。
「これ……は……」
 低く呟き、彼はおそるおそるそれに手を伸ばした。だが、手に取った途端、雷にでも撃たれたように身を震わせ、その場に棒立ちになる。
 その時。
『シュラインさん、萩さん、セレスティさん、私に手を貸して下さい。萩さんは超能力で、セレスティさんは水を操るその力で、私を引いて下さい。お願いです。早く!』
 萩たち三人の頭の中に響いたのは、零の声だった。
 その声に吸い寄せられるように。萩の目は、事務所の入り口に立つ零の姿を捕えた。
「零さんは、そこだ!」
 彼は叫んで、そちらを指さす。同時に彼は、念動力(テレキネシス)を発動させた。おそらくセレスティも、水を操るという能力を使ったに違いない。
 零の姿がぼんやりと、まるで幻のように事務所の入り口の傍に浮び上がった。今度のそれは、萩だけが見ているものではない。
「零ちゃん!」
 その証拠に、シュラインが叫んで駆け寄った。彼女の手を取り、引き寄せる。途端、零の姿ははっきりと実体を持つ、生きた人間のものとなった。
「シュラインさん!」
「零ちゃん! よかった」
 すがりつく零を、シュラインもきつく抱きしめる。
 と、その背後に草間がふらりと歩み寄った。シュラインが顔を上げたが、彼はそれには気づかない様子で、ただ大きく見張った目で、零を見詰めている。だがやがて。
「零……」
 彼の口から、低い呟きが漏れた。
「お兄さん!」
 零は、シュラインの腕を離れて草間に駆け寄ると、彼にすがりつく。
 ようやく零のことを思い出したらしい彼に、萩たち三人も安堵の笑みを浮かべるのだった。

【エンディング】
 事の起こりはやはり、アトラスから持ち帰った寄木細工の箱にあったようだ。
 事務所で箱の蓋を開けることに成功した草間は、それによって中に封じられていた悪霊を解き放ってしまったのだ。今にして思えば、すでに最初から彼はそれに魅入られ、箱を開けさせられたのだろう。というのも、解放された悪霊は、草間の体を己の器として欲したのだった。零は、その悪霊から彼を守って戦い、なんとかもう一度箱に封印することに、成功した。しかし、双方のエネルギーのあまりの大きさに、次元に亀裂が生じてしまい、零はそこに落ちたのだ。草間の記憶の欠落も、そこから生じたものだったようだ。
 零は、次元の亀裂から出るために、ずっと草間と行動を共にして、こちらの人間に働きかけ続けていた。それが、少しでも霊感のある人間や、もともと彼女を知っている人間には、瞬間的に見えていたのだろう。
 また、零の存在を関知した人々が、草間の「自分は一人だ」の主張に同調したのも、次元に亀裂が生じた影響だったようだ。つまりは、彼の記憶をこそ「正常」だとして、周囲の認識を修正する方向に、自然の力が働いたのだろう。だが、萩たちのような、もともと零を知る人間には、それは通じなかった。
「ですが、どうしてネクタイピンが、戻るきっかけになったんですか?」
 記憶の戻った草間と零が、交互に語る話を聞いて、セレスティが尋ねた。
「悪霊と戦った日の翌日、お兄さんは、学生時代の友人の結婚式に出席するはずだったんです。それで、ちょうど私がここへ礼服と一緒にネクタイピンを持って来て、お兄さんにこれでいいか訊こうとしたら、箱の蓋が開いてしまって……」
「じゃあ、もしかしたら、あのネクタイピンには武彦の零さんに関する記憶や、その時の記憶が全て焼きついてしまっていたってことか?」
 零の言葉に、萩が問い返す。
「はい。いろいろやってみて最後には、お兄さんの記憶が戻れば、次元の亀裂も修復されて、傷が膿を出すように、私を本来いるべき次元へ押し出そうとするだろう、と考えたんです」
「なるほど。それで私たちにあのメッセージを寄越したというわけですね」
 うなずいて続ける零に、セレスティも言った。
「はい」
 再びうなずく零に、シュラインがすまなそうな目を向ける。
「ごめんね、零ちゃん。私がもっと早く、あんたの姿が見えないことに気づいてれば……」
「いいえ、シュラインさんのせいじゃありません。私が、あの箱を封印が解かれる前に、お兄さんから取り上げていれば、よかったんです」
 零は、笑ってかぶりをふると、そんなふうに言った。
 そして、草間の周辺にはこれまでと同じ日々が戻って来た――はずだった。が。
 署でデスクワークの最中だった萩の携帯に、シュラインから電話があったのは、十日ほど後のことだ。
「――武彦が、何かに憑かれてる?」
 相手の言葉に、思わず耳を疑った彼に、電話の向こうでシュラインは深刻な声を出す。
『ええ。武彦さんの傍に、若い男がいると思って顔を上げると、誰もいなかったのよ。気のせいかもしれないけど、なんだか嫌な感じがして……気になるの。悪いけど、仕事の帰りにでも、事務所に寄ってもらえないかしら』
 それを聞いて彼も、そういえば……とつい昨日のことを思い出した。
 仕事で外に出た先で、草間を見かけて声をかけようとしたら、傍に誰か若い男がいるようだったので思いとどまり、ふとふり返ってみると草間一人だった、ということがあったのだ。あまりに一瞬のことだったのと、彼自身が他のことに気を取られていたせいで、その男が霊だったのかどうかまでは、確認できなかった。
 しかし。
「わかった。じゃ、夕方にでも都合つけて寄るよ」
 うなずいて、彼は電話を切る。そして、思わず眉をひそめた。
(あいつ……まさか、零さんの件で体質変わったんじゃないだろうな)
 霊媒体質なんぞになったなら、大変だと思いつつ、彼はデスクワークに戻る。
 ともあれ、当分草間が、怪奇現象と疎遠になることは、ないようだった――。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1570 青島萩(あおしま・しゅう) 男性 29歳 刑事(主に怪奇・霊・不思議事件担当)】
【1883 セレスティ・カーニンガム 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【0086 シュライン・エマ 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
今回の依頼は、「草間と一緒にいるのは零である」ということを
最初に設定しての窓開けでした。
とはいえ、誰もそれを指摘する方がおらず、
他の結論に導くプレイングばかりならば、それにならうつもりでした。
が、みごとシュライン・エマ様が設定していた結論を指摘して下さいましたので、
それと他のお二人のプレイングを合わせて、このような形となりました。

●青島萩さま
はじめまして。参加いただき、ありがとうございます。
こんな感じになりましたが、いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

それでは、またの機会がありましたら、どうぞよろしくお願いします。