コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


誰かがそこに

【オープニング】
 草間武彦は、困惑していた。
 ここしばらく、自分の周囲の反応が、どうもおかしい。
 たとえば、軽く食事でもしようかと喫茶店に入れば、一人にも関わらず、水とおしぼりが二人分やって来る。
 映画館でも電車の改札口でも、同じだ。自分一人だけなのに、どういうわけか二人分を請求される。とはいえ、彼が「自分は一人だ」と主張すると、喫茶店のウエイトレスも映画館のチケット売り場の係も駅員も、皆怪訝な顔をしながらも、「そうですね。すみません」と自分の非を認めるのだ。
(いったい、どういうことだ?)
 嫌な予感がしつつも、なるべく深く考えまいと、それについて彼は棚上げにしていた。ところが。
「――ちゃん、ここのところ顔見なかったけど、元気そうじゃない」
 久しぶりに会った碇麗香が、草間の隣に視線を走らせた後、そんなことを言ったのだ。
 彼女の呼んだ名が、自分のものではないことは明白だ。というか、それ以前に名前そのものが、聞き取れなかった。
 しかし麗香は、愕然としている彼に向かって、何事もなかったように自分の近況などを話して、立ち去って行った。
 事ここに至って草間も、やっと自覚する。
(俺……何かに憑かれてるのか?)
 だが、だとしたらいったいどうしたらいいのか。
 結局彼は、悩んだあげく、友人たちに相談することにしたのだった。

【1】
 セレスティ・カーニンガムの本性は、人魚である。二十代半ばの外見を保ってはいるが、すでに七百年以上も生きていて、現在はリンスター財閥総帥を名乗り、人間に混じってくらしていた。その本性ゆえに視力と足が弱く、屋敷の中では車椅子を使用している彼だ。しかし、感覚が鋭く、また触れることで、書物などの情報を含むものの内容を読み取れるため、さほど不自由はない。占い師でもある彼は、主にその能力で財閥の行く末を読むが、時には友人らから相談を持ち込まれることもあった。
 数日前の草間からの電話も、そんな中の一つだ。
 とはいえそれは、すぐに答えを出せるものではなかった。話を聞いてそのうち事務所へ行くからと応じたものの、総帥としての仕事に忙殺されていたこともあり、今だに彼はその約束を果たせていない。
 パソコンからプリントアウトされた紙束の内容を、間違いがないか確認し終え、彼はそれをきれいにそろえて茶封筒に入れると、小さく溜息をついた。そのままそれをデスクの上に置くと、車椅子を操り、窓際へ寄る。
 窓の外に目を遊ばせながら、彼は草間から聞かされた話を、改めて反芻してみた。
 喫茶店や映画館、駅の改札などで一人にも関わらず、二人だと認識される――「もう一人」がまるで、生きているように意識されているというのは、なんとなく生霊のようだ、とも彼には思える。
(もちろん、生きている人間だという可能性も、また死霊だという可能性も、ないわけではありませんけれどもね。でも、どちらにしろ、まるで草間さんが好きで一緒にいる人、のように感じますし……なんだか、女性のような気もしますね)
 胸に呟き、彼はふと思い出した。
(そういえば……碇嬢は、その人を知っているような反応を見せていたんでしたよね。ということは、彼女に聞いてみれば、それがどこの誰かはすぐにわかるわけですか。……案外、草間さんとその人が知り合うきっかけを、碇嬢が作っていたのかもしれませんね。同じ事件に関わったとか、あるいは碇嬢が草間さんに、その人を紹介したとか)
 ともあれ、まずは碇麗香に聞いてみるのが一番だろう、と彼は麗香の携帯に電話を入れてみた。そして、先日彼女が草間と会った時、一緒にいたのは誰かと尋ねる。すると、返って来たのは意外な答えだった。
『誰って、零ちゃんよ。……なんだか顔見るのも久しぶりだったから、元気そうじゃないって言ったけど、それがどうかした?』
 麗香の方は、なぜそんなことを訊かれるのか、わからないと言いたげな口ぶりだ。
「ちょっと待って下さい。それは、本当に零さんだったんですか? 誰かを見間違えたとかじゃなく?」
『当たり前でしょう? だいたい、この私が零ちゃんを他の誰と間違うっていうのよ。これでも、つきあいは長いのよ。あなただって、知ってるでしょうに』
 思わず問い返した彼に、麗香は笑いを含んだ声で返して来る。何かの冗談だとでも、思っているようだ。
「それは、そうですけど……」
 うなずきつつも、セレスティは、少しだけ混乱していた。たしかに、彼女が零を見間違うはずはないだろう。だがその一方で、草間が零が傍にいることに気づかないなどということも、あり得ないことだ。
(つまり、零さんは草間さんに知覚できない存在と化している、ということでしょうか)
 ふと、胸に呟いて、彼は眉をしかめる。
 しかし、あの零が死ぬなどということが、あるはずもない。それにまた、喫茶店のウエイトレスらはどうかわからないとしても、麗香には霊感はないはずだ。もしもそれが零の死霊、もしくは生霊だったとしても、彼女に見えた理由がわからない。
(これはどうも……碇嬢にも草間さんにも、会って詳しく話を聞く方が、よさそうですね)
 そう決めて、彼は麗香に尋ねた。
「この後、お伺いしてもよろしいですか? 少し、お聞きしたいことがあるので」
『いいわよ。今はわりと暇で、おちついてるから、面白い話を持って来てくれるのなら、大歓迎よ』
「面白い話になるかどうかは、わかりませんが」
 答える麗香に苦笑して、彼は電話を切った。
 そして、すぐさま出かける用意を始めた。

【2】
 セレスティは、白王社へ行く前に、草間興信所へ寄った。できれば、草間の話をもっと詳しく、いつごろからこの現象が始まったのかなども合わせて、聞きたいと思ったからだ。
 行ってみると事務所には、草間とシュライン・エマ、それに青島萩という初対面の男がいた。
 シュラインは、彼にとっても友人だ。二十六歳になる彼女は、翻訳家だがここの事務員もやっている。すらりと長身の体にパンツルックを着こなして、長い黒髪と青い目をした知的な美人だ。髪は後ろに一つで束ね、胸元には色つきのメガネを吊るしている。
 一方、刑事だという萩は、二十代後半だろうか。百八十以上はあるだろう長身に、短い黒髪と黒い目をしていた。
 萩と挨拶を交わした後、セレスティはここを訪ねた理由を口にする。
「草間さんが、何かに憑かれているのではないか……という相談をお受けしたものですから」
「武彦さん、セレスティにも話したの?」
 それを聞いて、シュラインが思わずといったふうに、草間を見やった。彼は、肩をすくめて言う。
「セレスティなら、長く生きている分、何かわかるかもしれないと思ってな」
 二人のやりとりに、セレスティはどうやらシュラインと萩も、彼からの相談を受けてここにいるらしいと察した。草間は平気そうな顔をしているが、本心は深刻に悩んでいるのだろう。
 彼の言葉に、セレスティは小さくかぶりをふった。
「残念ながら、私は霊力はありませんので、電話をいただいてすぐに何かわかるということはありませんでした。ただ、気になったのは碇嬢の態度です。それで、彼女に電話してみました。すると、碇嬢はその時、草間さんと一緒にいたのは、零さんだとそう教えてくれたのです」
「やっぱり……」
 セレスティが言った途端に、シュラインが呟き、萩と顔を見合わせる。
「シュライン? 何かそちらも手掛かりがあったのですか?」
 その様子に、セレスティは驚いて訊いた。彼女の呟きはまるで、麗香が会ったのが零だと、知っていたかのようだ。
 その彼に、シュラインと萩はかわるがわる、彼が来るまでにわかったことを告げた。
 まず、草間が零のことを忘れてしまっていること。さっきから彼は二人に、自分は「零などという人間は知らない」と主張し続けているらしい。
 もう一つは、霊力があるという萩が、零の姿を見たということ。だがそれは、彼によれば、通常の幽霊ではなかったのだという。
「だから、二次元とか三次元とか言うだろ。もともとは、数学の話だけど、二次元は平面で、三次元は立体で、四次元は空間で。で、二次元に住む生物がいるとしたら、そいつには三次元に住む生物は見えないし、三次元に住む生物にも四次元に住む生物は見えない……っていう、なにか、そんな感じっていうか」
 幾分もどかしげに、萩はシュラインにもしたのだという説明を、セレスティにも聞かせてくれた。
「つまり、零さんは死んだりしたわけではなく、私たちには認識が難しい世界に飛ばされたか何かした可能性がある、ということですか?」
 問い返すセレスティに、萩はうなずく。
「ああ。そんな感じだ」
 それを聞いて、セレスティはここへ来る前に、麗香と話していて考えたことを、ふと思い出した。零が、草間には知覚できない存在と化しているのではないか――というあれだ。
 なんにせよ、こうして話を聞けば、そちらはなんとなく理解できる。わからないのは、草間のことだ。
「草間さんが、零さんのことを忘れてしまうなんて……」
 改めて、信じられない思いで呟く。だが、草間は不機嫌な顔になりながら、それへ返した。
「だから、俺はそんな奴のことは、知らないって……」
「……本当に、覚えてないようですね」
 セレスティは、まだ驚きが覚めないまま呟き、それからシュラインと萩をふり返った。
「ところで、私はこれからアトラス編集部へ行くつもりなのですが、お二人も一緒にいかがです?」
「アトラスへ? でも、どうして?」
 シュラインが問い返す。
「何か、碇嬢が手掛かりを持っているかもしれないと思ったので。それで、あちらへ行く前に、草間さんにその現象がいつごろから起り始めたのかとか、そういうことを訊こうと思ってこちらに寄ったんです」
 セレスティが答えると、シュラインと萩も納得したようにうなずいた。
 やがて彼らは、草間を交えて四人で、セレスティの乗って来た運転手付きのリムジンで、アトラス編集部へと向かった。

【3】
 電話でも言っていたとおり、碇麗香も多少は暇なのか、セレスティたち四人はすんなりと彼女に会えた。余裕の伺える顔つきで、麗香は四人を、白王社ビル一階の喫茶室へ誘う。
 そこで彼女は、再度あの日に会ったのが、零であることを証言した。
「一月前ねぇ……」
 その後、一月前、何か仕事を草間に依頼しなかったかと問う彼らに、麗香は首をひねる。
 これは、セレスティと萩も来る途中で草間から聞いたのだが、奇妙な現象が起こり始めたのは、一月前ぐらいからなのだという。それも、最初に彼が一人ではない、と認識したのはほかでもない、シュラインだった。草間に、二人分のコーヒーを出したというのだ。
 しかしこれは、シュラインに言わせれば、零と二人の分だった、ということになる。
 考え込んでいた麗香は、やっと何かを思い出したらしい。呟いた。
「そういえば、あれも一月ぐらい前のことだわ」
 そして、話し始める。
 それは、一月ほど前のこと。アトラス編集部に、差出人不明で小さな寄木細工の箱が届いた。包まれていたのはそれだけで、いったいどういう謂れのあるものか、説明の書面などもいっさいない。とはいえ、編集部ではこうした届けものはわりとよくあることなので、麗香は霊能力者に見てもらったあと、さほど危険がないなら記事にすればいい、ぐらいに考えていた。
 そこへ、たまたまやって来た草間が、それに興味を示した。
 その箱は、中に何か入っているらしく、ふると音がするのだが、蓋が開かないようになっていた。寄木細工ということは、おそらく箱を構成している板を順番に移動させて行けば、蓋は開くのだろう。
 草間は、持って帰ってそれに挑戦すると言い出したのだ。
 麗香も一応止めたのだが、結局草間は彼女の言葉を聞き入れず、それを持ち帰ってしまった。
「――その後、何があったのかは、知らないわ。翌日、電話してみたけど出ないから、夕方、事務所を訪ねたのよ。彼はソファで眠ってたわ。そうね、零ちゃんはいなかった。箱はテーブルの上に置いてあって……だから、メモを残して私はそれを持って帰ったわ」
「武彦さんは、そのメモのこと、覚えてる?」
 麗香が話し終えるのを待っていたように、シュラインが草間に訊いた。
「ああ……。そういえば、何かそんなメモを見た気がするな。けど、そんな箱のことなんて、俺は知らないぞ」
 うなずいて言うと、彼は思い出したように付け加えた。
「そうだ。あの時もそんなふうに思って、メモは丸めてゴミ箱に捨てたんだった」
「あの時は、ずいぶん熱心だったのにね」
 麗香が小さく笑って、肩をすくめる。
 それへ、萩が尋ねた。
「それで、その箱は今どこに?」
「沙耶の所よ」
 麗香がためらいもなく答える。
 草間の元から持って帰って来た後、麗香はそれを霊能力者に見せたのだそうだ。すると、強大な力を持つ悪霊を封じてある箱だから、このままどこかの神社へでも預けて、そっとしておけと言われたのだという。それで、預ける神社を探している時、高峰沙耶が現れ、ぜひゆずってほしいと言って来たのだった。
「彼女なら、少々のものでも平気だと思ったから、渡したわ」
 麗香は言って、話をしめくくった。
 セレスティたちは、思わず溜息をつく。これでは結局、草間に何があったのかは、わからないままだ。
 萩が、他に何か草間に関係するようなことはなかったかと訊いたが、麗香は首を横にふるばかりだった。そこで彼らは、麗香からその箱についての資料を借りることにした。資料といっても、その時麗香が撮った箱の写真が何枚かと、霊能力者の鑑定を簡単に書き移したメモぐらいのものだ。
 草間興信所へ戻り、セレスティたちはそれをテーブルの上に広げた。
 まず、メモの内容の方は、麗香の字で「強大な力を持つ悪霊」「恨みの念が凄まじい」「一度封印が破られ、再度施された形跡がある」「二度と開けてはいけない」「誰も触れてはいけない」「神社に預ける」といった断片的な言葉が書きつけられている。
「この、『一度封印が破られ、再度施された形跡がある』というのが、なんだか気になりますね」
 セレスティは、指先でメモに触れて内容を読み取り、軽く眉をひそめて言った。
「そうね。それと、この『誰も触れてはいけない』というのも気になるわ。だって、実際には少なくとも送り主と麗香さん、武彦さんの三人は触っているわけでしょ」
 うなずいて、シュラインも言う。
 一方、写真の方を眺めていた萩は、顔をしかめて彼らをふり返った。
「こっちの写真は、すげぇぞ。……写真でもこうだからな。ちょっとでも霊感があったら、これの実物なんざ、言われなくても触りたくなくなるだろうよ」
「そんなに……?」
「ああ。写真からでも、恨みの念がばんばん吹きつけて来る」
 目を見張るシュラインに、萩はうなずく。そして、草間に視線を巡らせた。
「おまえ、よくこんなの触る気になったよな」
「……そう言われてもな。覚えてないんだ。その箱のことも」
 草間は、小さく肩をすくめて言う。
 そういえば、白王社でもそんなことを言っていたと思い出し、セレスティは再び眉をひそめた。
(なぜ、箱のことを覚えていないのでしょうか。零さんを認識できないのは、彼女の存在の変化ばかりではないような気も、なんだかしますね……)
 だが、だとしたら何が原因なのだろうか。彼が零を忘れてしまったことと箱は、何か関係があるのだろうか。
 そんなことを彼が考えていると、同じように何事か考え込んでいたシュラインが、顔を上げた。そして、草間に訊く。
「先月、私が最後に事務所に仕事に来たのは、いつだか覚えてる?」
「ええっと……たしか、二十日ぐらいだろ。アトラスへ行く前に話した、おまえが伝票の整理だけするって来て、俺に二人分コーヒーを出して帰った日だ」
 草間は、考え込みながら言う。
 そのやりとりに、セレスティも顔を上げた。草間が言っているのは、アトラスへ行く途中で聞いた、最初にこの現象が起った時のことだろう。
 なんのつもりか、シュラインは更に質問を続ける。
「じゃあ、その前に私がここに来たのは、いつだった?」
「う〜んと。十日だな。経費の支払いと、客からの振込みが集中してるからって、パソコンに張り付いてたぞ、たしか」
 草間は、再び考え込みながら答えた。
 それを聞いて、セレスティと萩は顔を見合わせる。
「シュライン、それが何か今回のことの手掛かりになるんですか?」
 セレスティは、思わず問うた。
「わからないけど……武彦さんの記憶の欠落が、いつからのものなのか、調べられないかと思って」
 答えるシュラインに、萩がうなずく。
「なるほど。たしかに、零さんのことと言い、アトラスでのことと言い、まったく覚えていないんだものな」
 そして、萩は尋ねた。
「それで、どうなんだ?」
「今訊いた部分は、間違っていないわ」
 言って、シュラインは改めて草間を見やる。そして、再び尋ねた。
「《幻の島》のことを、覚えている? そこにいた、霊鬼兵のことを」
「なんだ? そりゃ」
 草間が怪訝な顔になり、答えを求めるように彼らを見やる。
 その視線に、セレスティもさっきシュラインが、「記憶の欠落」と言った意味が、わかったような気がした。たしかに、草間の記憶は欠け落ちている。妹としてあれほど大切にしていた、零という少女に関する記憶が。
 だが、セレスティには「欠落」というには、不自然な気もした。むしろ、零の存在そのものが草間の中では、最初からなかったことにされてしまっているかのようだ。ちょうど、アインインストールされてしまったソフトを、パソコンが認識しないのと同じように。
 だから、零の名前も、彼には聞き取れないのかもしれない。もしかしたら今も、彼の耳に自分たちの呼ぶその名は、届いていないのかもしれないと、セレスティは思った。
 なんにせよ、彼女のこととそして箱のことだけが、記憶から抜け落ちているのは、やはり変だ。
 一方、シュラインは、小さく溜息をつくと、自分のデスクの上から、小さなスタンドに入った写真を持って来た。写っているのは、シュライン当人と草間、そして零だ。背景の、青い空と砂浜がまぶしい。
「これを見て」
 シュラインは、それを草間に差し出す。彼は、言われるままに写真を見やり、そして怪訝そうに眉をひそめる。
「この女の子、誰だ?」
「それが零ちゃんよ。……写真の場所は、ハワイ。行ったの、覚えてる?」
「ハワイ旅行は覚えてるさ。けど……こんな女の子、知らないぞ」
 シュラインの言葉に草間は、まじまじと写真を見詰めながら呟いた。
 そのやりとりを見やって、再びセレスティと萩は顔を見合わせる。
「記憶の欠落……と言うにしても、変ですね」
 セレスティは、先程から思っていたことを、口にした。
「ああ。消えているのは、零さんに関することと、アトラスから持って来た箱に関することだけ、みたいだな」
 萩もうなずく。
「つまり、今回の件に、この寄木細工の箱が何か関係している可能性が高い、ということね」
 シュラインも二人をふり返って言った。
 その時だ。草間のデスクの上の、電源を落とされていたはずのパソコンが、いきなり軽い音を立てて起動を始めたのだった。

【4】
 驚いてそちらに駆け寄ったセレスティたち四人の目の前で、パソコンは勝手に立ち上がるとメモ帳を開いた。キーボードが緩慢に動いて、画面に文字が打ち出される。それは「ネクタイピン」と読めた。
「ネクタイピン?」
 画面の文字に、一同は思わず顔を見合わせる。
「これはたぶん、零さんからのメッセージだ」
 言ったのは、萩だった。
「今、パソコンが立ち上がり始めた途端、姿は見えなかったが、幽霊とは微妙に違う気配を感じた。あれは、アトラスへ行く前に俺が見た零さんの気配と同じものだ」
「シュライン、何か思い当たることはないですか?」
 セレスティは、思わずシュラインに問うた。彼女は考え込んだが、すぐに顔を上げる。
「たしか、今年のバレンタインに、零ちゃん、武彦さんにネクタイピンをプレゼントしたはずよ」
「それ、どこにあるんだ?」
 萩に問われて、シュラインは草間をふり返った。ネクタイピンの置き場所を尋ねるつもりだったのだろう。しかし、彼はこの展開について来れないのか、顔をしかめてただパソコンのモニターを睨みつけているだけだ。
 これではだめだと思ったのか、シュラインはセレスティと萩をふり返った。
「たぶん、武彦さんの部屋のどこかだと思うけど」
「よし。手分けして探そう」
 萩の号令で、彼らは草間の部屋へ向かった。
 零もおらず、シュラインもしばらく来なかったという草間の部屋は、本や衣類が乱雑に所かまわず積み上げられ、灰皿には煙草の吸殻が山をなし、ベッドはぐちゃぐちゃという、まさに一人ぐらしの男の部屋を、絵に描いたかのような状態だった。
(草間さんらしいといえば、らしいですが……なんだか凄いありさまですね)
 セレスティは、思わず小さく顔をしかめて思う。同じ「男の一人ぐらし」であっても、彼自身の部屋は常に整理整頓が行き届いていて、こんなありさまになったことなどないのだった。もちろん、彼の留守には使用人たちが掃除をすることもあるが、それがなかったとしても、ここまでひどくはならないだろう。
 だが、今はそんなことに驚いている場合ではなかった。とりあえず、タンスの中やサイドボードの引き出しなどを、手分けして調べて行く。
 やがて。
「あったぞ! こいつじゃないのか?」
 オーディオセットの乗った棚を調べていた萩が、声を上げた。セレスティとシュラインもそちらへ駆けつける。萩が、手に持った青いビロードの箱の中身を、シュラインに示した。
そこには、小さな翡翠の飾りがついたネクタイピンが収められている。彼女は、軽く目を見張った。
「これよ」
 うなずくシュラインに、彼らはとりあえず草間にこれを見せてみることにした。
 事務所の方に戻り、萩がネクタイピンを草間の目の前に突き出した。
「武彦、見ろよ、これを」
 ふり返ってそれを見やった草間の目が、大きく見張られる。
「これ……は……」
 低く呟き、彼はおそるおそるそれに手を伸ばした。だが、手に取った途端、雷にでも撃たれたように身を震わせ、その場に棒立ちになる。
 その時。
『シュラインさん、萩さん、セレスティさん、私に手を貸して下さい。萩さんは超能力で、セレスティさんは水を操るその力で、私を引いて下さい。お願いです。早く!』
 セレスティたち三人の頭の中に響いたのは、零の声だった。
 その声に操られるように。
「零さんは、そこだ!」
 萩が、事務所の入り口付近を示す。同時にセレスティはその能力を駆使して、零の体内に流れる全ての水――血液や体液を捕え、全力で自分の方へと引いた。同じく、萩もその超能力をふるう。
 と。零の姿がぼんやりと、まるで幻のように事務所の入り口の傍に浮び上がる。
「零ちゃん!」
 シュラインが駆け寄って、その手を取った。そのまま引き寄せる。途端、零の姿ははっきりと実体を持つ、生きた人間のものとなった。
「シュラインさん!」
「零ちゃん! よかった」
 すがりついて来た零を、シュラインが抱きしめる。
 その背後に、草間がふらりと歩み寄った。シュラインが顔を上げたが、彼はそれには気づかないのか、ただ大きく見張った目で、零を見詰めている。だがやがて。
「零……」
 彼の口から、低い呟きが漏れた。
「お兄さん!」
 零は、シュラインの腕を離れて草間に駆け寄ると、彼にすがりつく。
 ようやく零のことを思い出したらしい彼に、セレスティたち三人も安堵の笑みを浮かべるのだった。

【エンディング】
 事の起こりはやはり、アトラスから持ち帰った寄木細工の箱にあったようだ。
 事務所で箱の蓋を開けることに成功した草間は、それによって中に封じられていた悪霊を解き放ってしまったのだ。今にして思えば、すでに最初から彼はそれに魅入られ、箱を開けさせられたのだろう。というのも、解放された悪霊は、草間の体を己の器として欲したのだった。零は、その悪霊から彼を守って戦い、なんとかもう一度箱に封印することに、成功した。しかし、双方のエネルギーのあまりの大きさに、次元に亀裂が生じてしまい、零はそこに落ちたのだ。草間の記憶の欠落も、そこから生じたものだったようだ。
 零は、次元の亀裂から出るために、ずっと草間と行動を共にして、こちらの人間に働きかけ続けていた。それが、少しでも霊感のある人間や、もともと彼女を知っている人間には、瞬間的に見えていたのだろう。
 また、零の存在を関知した人々が、草間の「自分は一人だ」の主張に同調したのも、次元に亀裂が生じた影響だったようだ。つまりは、彼の記憶をこそ「正常」だとして、周囲の認識を修正する方向に、自然の力が働いたのだろう。だが、セレスティたちのような、もともと零を知る人間には、それは通じなかった。
「ですが、どうしてネクタイピンが、戻るきっかけになったんですか?」
 記憶の戻った草間と零が、交互に語る話を聞いて、セレスティは尋ねた。
「悪霊と戦った日の翌日、お兄さんは、学生時代の友人の結婚式に出席するはずだったんです。それで、ちょうど私がここへ礼服と一緒にネクタイピンを持って来て、お兄さんにこれでいいか訊こうとしたら、箱の蓋が開いてしまって……」
「じゃあ、もしかしたら、あのネクタイピンには武彦の零さんに関する記憶や、その時の記憶が全て焼きついてしまっていたってことか?」
 零の言葉に、萩が問い返す。
「はい。いろいろやってみて最後には、お兄さんの記憶が戻れば、次元の亀裂も修復されて、傷が膿を出すように、私を本来いるべき次元へ押し出そうとするだろう、と考えたんです」
「なるほど。それで私たちにあのメッセージを寄越したというわけですね」
 うなずいて続ける零に、セレスティも言った。
「はい」
 再びうなずく零に、シュラインはすまなそうに目をやる。
「ごめんね、零ちゃん。私がもっと早く、あんたの姿が見えないことに気づいてれば……」
「いいえ、シュラインさんのせいじゃありません。私が、あの箱を封印が解かれる前に、お兄さんから取り上げていれば、よかったんです」
 零は、笑ってかぶりをふると、そんなふうに言った。
 そして、草間の周囲にはこれまでと同じ日々が戻って来た――はずだった。が。
(あれは……草間さん?)
 数日後の夕方、セレスティは散策のコースの途上で、草間の姿を見かけた。声をかけようとして、一瞬ためらったのは、彼が一人ではなかったからだ。セレスティの知らない、若い男性と一緒にいる。
(仕事の途中なら、邪魔をしてもいけませんね)
 そう思い、声をかけることなく、彼はその場を通り過ぎた。が、なんとなく気になって、曲がり角で車椅子を止め、背後をふり返る。草間はまだそこにいたものの、さっき一緒だった男性の姿は消えていた。
 セレスティは、思わず眉をひそめて、あたりの気配を探る。しかし、それらしいものはなく、まるで男性は文字どおりこつ然と消えてしまったか、それとも最初からいなかったかのようだ。
(まさか、また何か奇妙なことに巻き込まれているのでしょうか、草間さんは)
 眉をひそめたまま、彼は胸に呟く。彼の場合、通常の視覚で捕えているのではないだけに、逆に見間違いということは、あり得なかった。
 セレスティは、しばしその場にそうして佇んでいたが、やがて小さく吐息をついた。
(家に帰ったら、零さんに電話して、気をつけるように言っておいてあげましょう)
 そう決めて、散策を続けるべく、ゆるやかに車椅子を動かす。
 草間が、怪奇現象と疎遠になることは、当分ないようだった――。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1883 セレスティ・カーニンガム 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【0086 シュライン・エマ 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1570 青島萩(あおしま・しゅう) 男性 29歳 刑事(主に怪奇・霊・不思議事件担当)】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
今回の依頼は、「草間と一緒にいるのは零である」ということを
最初に設定しての窓開けでした。
とはいえ、誰もそれを指摘する方がおらず、
他の結論に導くプレイングばかりならば、それにならうつもりでした。
が、みごとシュライン・エマ様が設定していた結論を指摘して下さいましたので、
それと他のお二人のプレイングを合わせて、このような形となりました。

●セレスティ・カーニンガムさま
いつもお世話になっています。
さて、今回はこんな感じになりましたが、いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

それでは、またの機会がありましたら、どうぞよろしくお願いします。