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■愛しいあなたにさよならを■
あの、一年と少し前の奇跡の出会いから。
ずっと、待っていた。
何度もくじけそうになった。
でも、どこかに淡い希望を持っていた。
待ち続けた。
そして、彼女は───霞優舞は、生きていることすらウソのように感じられるほど、
───疲れてしまっていた───
◇
彼女と出会ったのは、一年と少し前のこと。
コンビニで、自分でも過去のことを覚えていない───こんな自分の名前を、呼んでくれた。
あの時にも感じた彼女への何かの想いが、今も天壬ヤマトの胸には、ある。
───けれど。
どうしても、前世を思い出せない。
どうして死んだのか、どうやって蘇生したのか、どうやって生きてきたのかも。
「無理に思い出さなくても、いい、よ」
優しく優舞は、時折ヤマトに会うごとに、そう微笑んでくれていた。
ヤマトも次第に前世よりも今が大事だ、と、今の生活のままが一番いいのではないか、と。
思い始めていた。
◇
これが、最後のデート。
ううん、彼にとっては多分、「最初で最後」のデート。
わたしに記憶はあっても、彼にはそんな記憶はないのだから。
つらいことだ。
自分しか記憶がない、ということは。
自分しか思い出を抱えられない、ということは。
とても、つらい。
けれど。
ヤマトを苦しめることは、もっとつらい。
「あ───あったあった、優舞さん、ほら!」
森の中を歩いていたヤマトの言葉に、チクリと胸が痛む。
(昔は、───優舞、って呼んでくれてた)
そんな想いを、優舞はぷるぷるとかぶりを振って断ち切ろうとする。
駄目───もう、決めたのだから。
彼も、それを承知で───つきあってくれているのだから。
だから、最後まで、笑っていよう。
何が、あっても。
笑っていよう。
「ね、あったっしょ、湖! この淵から見上げる葉っぱが日に透けるとまるで金色の紅葉みたいでさ、オレのとっておきの場所」
「…………うん、きれい」
ヤマトが連れてきてくれた「とっておきの場所」は、優舞が覚えている、「前世のヤマト」と一度だけ交わしたキスの場所に、似ている。
あの時は、雪だった。
湖の中、凍えそうで。寒くて。抱き合ったのは、自然なことで。
キスをしたのも、どちらからだったろう。でもあの時確かに、二人は惹かれあっていた。
(死んでしまうと、愛も消えてしまうの?)
それは何度も、優舞の胸を襲った疑問。
本当に運命の相手ならば、見た瞬間分かるはず。
そう、信じてきた。
でも、きっと───、
「あのさ、オレ、考えたんだ」
優舞が口を開きかけた途端、背を向けて湖のほうを見ていたヤマトが、そのままの格好で言った。
「死っていうのは、大きなことなんだ。きっと、すっごく大きなことで。でもって、蘇生したからって、それも大きすぎることで。だから、色々なことに準備がいるんだと思う」
仕事をするにも。
人に挨拶をするにも。
友達を作るにも。
いつだって、心の準備や、下調べがいった。
「だから、オレのこの気持ちも、オレや優舞さんが抱えてるものも、おんなじことだと思う」
驚いた。
ヤマトも同じ事を考えていたなんて。
「わたし、わたしもそう思う。わたし達はきっと今の生活のままが一番で、何か運命みたいなものがあっても、それにはもっともっと、準備がお互い必要で、って……わたしも、思ってた、の」
───だから。
「だから、……試しに、お互い新しく、歩き出そう……?」
そっと言った優舞の口からは、哀しみもこぼれ出ていて。
それが、ヤマトに伝わらないはずはなくて。
「……ごめん」
「え……?」
「ごめん」
ヤマトの顔が見たくて、優舞は前に回ろうとして───足を滑らせた。
「!」
すんでのところで、湖に入ったヤマトに身体を支えられる。
その青い瞳は、湖の水面をうつしているからか、哀しげに揺れていた。
「どうした、の?」
───哀しいの? あなたも。
「ひとりで記憶を背負わせて、ごめん」
ああ、ヤマトは───ヤマトは、本当に優舞のことを考えて生きてきてくれていたのだ。
あの一年と少し前、出会ったあの時から。
多分、ずっと。
「オレの中に、優舞さんへの気持ち、確かに感じるんだ。でも、それを愛とか確信するには何もかもが足りない。オレ、優舞さんには誠実でいたいんだ。だから───優舞さんの提案、賛成……ッス」
弱々しく微笑んだ彼の瞳が、痛くて。
それでも、優舞も微笑み返した。
「やっぱり、運命ってあるんだと、思う、の」
ヤマトに強く抱きしめられながら、優舞は言う。
「だって、そうじゃなきゃ、こんなに広い世の中で……わたしは、蘇生したあなたとは、出会えなかったから」
「オレ」
そっと身体を離して、優舞の頬を何度も撫でながら、ヤマトは言った。
「優舞さんにキス、していいかな」
あ───…………
優舞は、涙が出そうになるのを堪えた。
一言一句、同じ台詞。
前世、二人がキスする直前に小さくヤマトが言った言葉と。
思い出したわけではないだろう。
ただ自然に、口を突いて出た台詞だろう。
優舞は、頷いていた。
「うん。最後の、キス、だね」
撫でていたヤマトの手が、顎の辺りで止まる。
そっと上向かせ、じっと優舞の瞳を見下ろして───そっと、唇を重ねた。
ぽつん、……
小さな雫が金色の紅葉の光を浴びて、優舞の頬から湖へと落ちていく。
「オレ、もっと大人になるから」
ちゃんと準備も出来るように。
優舞とどんな関係になるかは、まだ分からないけれど。
「優舞さんが、大切だから」
だから。大人になって、だから───。
その先を、ヤマトはまだ言葉に出来ないでいた。
これが、どんな気持ちなのか分からない。それが、もどかしくて。
ただ、自分と優舞の新しい一歩の向こうに、確かな何かを望んだ。
(神様……って、いるのかな。もしいたら、もし気まぐれで聞いてたらさ、お願いだ。オレにもこの子にも、本当の幸せを)
泣くまいと笑っている、泣いていることにも気づいていないほど心を痛めているこの子にも、どうか。
「わたしも、ヤマトのこと大切って思ってるから」
ずっと、思ってるから。
「こんなに好きになれる人に会えただけても、わたし幸せだと思う、の。だからきっと、わたしのほうが幸せいっぱいもらってる、から」
日が暮れそうだ。
優舞は、するりとヤマトの腕から身体を離した。
「ヤマトと決別したんじゃない、二人の新しい一歩のための、前世との決別だから、だから」
だから───……
涙に消え入りそうになる言葉の続きを、ヤマトが引き継いだ。
「うん、分かってる。オレも優舞さんも、元気で、会うときは笑っていよう」
こくん、と頷く優舞の頭をぽんぽんと撫で、ヤマトも湖から上がった。
その夜は二人で、森の中で星空をずっと見上げていた。
とてもとても綺麗な、夏の空を。
「明日」は区切られたものじゃない。
今という時間を、刻々と積み上げた先に繋がっているのだ。
明日も、未来も。
だから、望みを託した「今」という時間は、未来に対して決して無駄なことではない、と二人は思った。
新しい、未来へ。
こうして二人の時間は、確かな響きを持って、動き出した。
《END》
**********************ライターより**********************
こんにちは、ご発注有り難うございますv 今回「愛しいあなたにさよならを」を書かせて頂きました、ライターの東圭真喜愛です。思うところがありすぎてなんだかだらだらと長くなっただけかもしれませんが、二人の気持ちがうまく表せていれば、と切に願います。
ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで、書かせて頂きました。本当に有難うございます。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆
【執筆者:東圭真喜愛】
2005/09/16 Makito Touko
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