コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


目覚めの聲

 ふいに、知覚する。
 一瞬前までは確かに、何もなかった。
 何もないということすら、わからなかった。
 けれどいま、彼女はそこに自分という存在があることを自覚した。
 ゆっくりと瞳を開けば、暗闇の世界に光が射しこむ。
 ごちゃごちゃとした空間。目の前に立つ、誰か。
「――」
 誰か、は。彼女の目の前で小さな動きを見せた。
 それは微笑みであり、言葉を発する際の口の動きであったのだけれど、目覚めたばかりの彼女にはそんな知識すらもまだなかった。
 とろとろとしたまどろみの世界で、彼女は少しずつ、言葉を知り、知識を得ていく。
 ――アノヒトハ ワタシヲ ツクッタヒト――
 いくつかの言葉とその意味を覚えて、最初に明確に考えて発したのは、そんな言葉。
 細く微かに呟かれただけのその言葉は彼の耳には届かなかったが、別に、良かった。聞かせるために呟いたわけではなく、そもそも、口に出すつもりもなかったのだから。


 時が経つにつてれて、まどろみの時間は短くなる。
 眠る時間よりも起きている時間の方が長くなったころには、話しかけてくれる彼女の言葉をほとんど理解できるようになっていた。
 彼女、は。
 自分を、造ったひと。
 彼女は、錬金術師と呼ばれる人で。自分は、彼女に造られた存在で、ホムンクルスと呼ばれる者で。
 自分が眠っているのと同じようなケースが他にも三つほどあるのを見つけたが、自分がいる場所以外はすべて空だった。
 時折彼女は、空のケースを見ては哀しそうな顔をしていた。
 その、顔が。
 どうにも印象に残って、心に残って。
「かなしまないで」
 彼女が、目を見開いた。
「おはよう。もう、そんなに話せるのね」
 彼女は嬉しそうに瞳を細めて、歩いてくる。
「フィーア」
 しっかりと視線を合わせて見つめて告げられたのは、聞いたことのない単語だった。
「ふぃーあ?」
「そう、フィーア。貴方の名前よ」
「なまえ……」
 名前。
 個としての自分を表わす言葉。
 知識では、知っていたけれど、自分にそれが与えられるなんて思っていなくて。
 ふいに、顔が緩む。そうしようなんて思っていないのに、緩んだ顔が戻らない。
「ふふっ。喜んでもらえて嬉しいわ」
 言われて、自分は――フィーアは、初めて、自分の感情を自覚した。
 これが、嬉しいということなのだと。
「うん、うれしい」
 フィーアが笑うと、彼女も笑う。
 穏やかに、静かに。
 幸せな時間が流れた。





 外が、騒がしくなりはじめたのは、いつ頃からだったろうか。
 ふと気付いたら、外は喧騒に満ちるようになっていて、それに比例してマスターが……彼女が、研究室にいる時間も減っていった。
 外に出て行って。
 やっと戻ってきたと思ったら、彼女は生傷だらけ。
「大丈夫ですか、マスター?」
 隠すことのできない不安と心配を露に声をかければ、彼女は困ったように笑って頷いた。
「ダメね、こんなに心配かけてしまって。私は大丈夫。心配しないで」
 だけど。
 だけど、彼女は笑うけど。
 でも、哀しそうだ。
 いつか見た、空のケースを眺めて浮かべていた瞳。
 彼女に哀しい顔をされると、フィーアの気持ちも哀しくなる。
 ただ、フィーア自身は、わかっていなかった。
 ぎゅっと、胸が痛む、その感情が。
 縮こまって心臓が震えるようなその感覚が、『哀しい』と呼ばれるものだと。
 自分に、そんな感情があるなんて、フィーアは、少しも考えていなかったのだ。


 不安と心配の時は、長くは続かなかった。
 ある日突然、研究所が爆発したのだ。
 いや、正確には、研究所の間近で爆発が起きた。
 マスターは飛び出して行って、戻ってこない。
 身体を流れていく血液の勢いが、妙にリアルに感じられるような気がした。
 そして。
 扉が勢いよく開いて、マスターが姿を見せた。
 今までの傷すべてを合わせても追いつかないくらい、とてもとても、大きな怪我を負って。
 一直線にフィーアの元へと駆けてきた――いや、駆けてこようとして、けれど彼女は怪我のあまりの大きさに、歩くのもやっとの様子だった。
 彼女は、フィーアの眠るケースの目の前でぴたりと足をとめ、フィーアの周囲を囲む壁を叩き壊した。
「マスター?」
 呼びかけた声に、彼女は、微笑む。
 微笑んで、彼女は告げた。
 息も絶え絶えに。途切れた言葉。
「あなたは……に生……欲しい」
「なんですか、マスター?」
 肝心なところが聞き取れなくて、問い返す。
 けれど、答えは返らなかった。
 彼女はもう動かない。
 手足はもちろんのこと、瞳も、唇も、そして――心臓も。
 彼女のすべては、もう動きを止めてしまっていた。
 聞き取れなかった言葉に。動かない彼女の姿に。
 何かが、痛む。
 胸の奥。腕も、足も。震える。
 けれど――それがなんと呼ばれるべきものなのか。フィーアは、知らない、わからない。
 そしてフィーアは、まだ。
 泣くことを知らなかった。
 自分が泣けるということを。泣きたい時は泣いてよいのだということを。
 思いつきすらしなかったのだ。


 ―――−−--‐‐


「ん……」
 ガタン、と大きな揺れに、フィーアは眠っていた身体を起こした。
 どうやら、ずいぶん昔の夢を見ていたらしい。
「マスター……」
 喧騒の音が近づいてくる。
 どうやら、仕事場はかなり近づいてきているらしい。
 フィーアは今、世界中を渡り歩き、その旅費を稼ぐために傭兵を生業としていた。

 あの時告げられた最期の言葉を探そうと決めてから、もう、どれだけの時間が経っただろう。
 答えはまだ、見つかっていない。
 夢を思い、そして、改めて、思う。
 きっと、きっと。
 あの時の言葉が何なのか、その答えを見つけようと。