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月夜に包まれる二人の想い。
●隣に居てくれる存在。
「お兄ちゃん、見て。綺麗な月‥兎がいるように見えるね‥‥」
「前に本で『月の海』と呼ばれる暗く平坦な地形が兎の形に見えるという一説を読んだ事があったな‥」
結珠は月がよくみえる一室の窓から外を見上げると雲ひとつない空に広がる星空の中で一際輝く満月に自然と目がいく。
眺めているとまるで兎が餅つきをしているように見えてくる。
蒼の豆知識に納得しながらも、それでも兎がいるように見えるのが結珠は少し不思議に思いながら月夜に頭がぼんやりとし始めていた。
綺麗な月を眺める結珠の隣には蒼の存在がある。
本当ならば今日は一人で月見をするはずだったのだが、こうして蒼の存在がある事に堪らなく結珠は嬉しさを感じていた。
ここに至るまでの話は数時間前にさかのぼる。
「今日は一人ぼっちの夜になりそう‥‥側に居て欲しいかったな‥‥」
つい先ほど両親を送り出した結珠は皿洗いをしながら、少し切ない気持ちになる。
今日はちょうど十五夜にあたる。
十五夜にあわせて秋の七草や月見団子を用意していたのだが両親は用事が出来てしまい、二人そろって外出してしまった為、一緒に楽しむ事が出来なくなってしまった。
それに加えて両親の帰りも遅くなると告げられていた。
「だ、駄目よ、結珠! 我侭なんて言ったら‥」
一瞬両親と蒼の顔が頭に浮かび、結珠は顔を横に振って一緒に過ごしたいという想いを振り払う。
皿洗いを終えた結珠は用意した七草にそっと触れて月見団子に目を遣る眼差しはとても寂しい。
結珠の家は東京の山の手、高級住宅街に位置する大きい洋風の家だ。
だが、今の結珠には住み慣れた大きな家に一人でいるのは何だか侘しい。
「そうだわ! まだ時間もあることだし、皆にお水をあげましょう」
じょうろを片手に取り、結珠は嬉しそうに広い庭へと向かう。
植物達に囲まれた結珠は心なしか幸せな気分になる。
何故ならば花や草達が自分を励ましてくれているようで、心温まる様な空気が周りを包み込む。
一人ではないよ、っと言ってくれているように感じる。
「皆、ありがとう‥‥」
結珠はお礼を込めて植物達に歌を披露する。
結珠の歌は植物達に元気を与え、植物達の生き生きとした姿に結珠は元気を与えられる。
ピンポーン。
途端に現実に引き戻された結珠の耳に来客の訪れを告げるチャイムが聞こえる。
じょうろを置いて結珠は相手を待たせないようにと少し急ぎ足で玄関へと向かい、戸をゆっくりと開ける。
「結珠‥ただいま」
目の前にいる存在に結珠は吃驚して固まってしまう。
優しい笑顔に聞きなれた声と心地の良い香りは間違いなく蒼だ。
「結珠‥、先に連絡入れておくべきだった‥かな?」
蒼は少し焦った様子で苦笑いを見せる。
「ううん、吃驚しちゃって‥。お帰りなさい」
結珠の表情は一変して喜びの笑みへと変わり、蒼を家へと向かい入れる。
いつも蒼が訪れた際に履く専用のスリッパを差し出して、蒼と共にリビングへと向かう。
「お兄ちゃん、バイトはお休みなの?」
「ああ。二人共、外出するって聞いて‥‥」
二人というのは両親の事だ。
ちょっと照れくさそうに話す蒼は結珠の用心棒代わりとして訪れたのだが、内心は結珠に会える事を楽しみにしていた面もあった。
「あっ! 今日は十五夜の日か‥‥」
「うん、お団子はお手製なの」
リビングに荷物を置き、庭に目をやる秋の七草と月見団子が縁側に置かれていて、すぐに意味を察知する。
「うん。そうだわ! お兄ちゃんも一緒にお月見しましょ?」
無意識に首を傾げて蒼の顔色を覗き込む結珠に蒼は頷くと、嬉しそうに結珠は微笑した。
そして今に至る。
ジーリリリリリィィ。
「‥結珠?」
「えっ? ごめんなさい。何だかボーとしていたみたい」
幻想的な月の光と虫達の奏でる音色に聞き入っていた結珠は蒼の声に反応して顔を上げると蒼と視線が合う。
蒼と目が合うと思っていなかった結珠は不意打ちをつかれたように、一瞬どきりとしてしまう。
恋する相手にドキドキするような鼓動の流れとは少し違う不思議な感覚がするのは十五夜という少し特別な日のせいだろうか。
美しく神秘的な満月に結珠の思考はまだ少しぼんやりとしていた。
●十三夜に響く音色
しばらく月夜を楽しんだ後にリビングへと戻り、蒼はソファーに腰を下ろす。
七草と月見団子は明日食べられるようにと保管棚にしまい、結珠は蒼の元へと戻ってきた。
「お兄ちゃん、今日はお泊まりしていくの? それとも‥‥」
いつもなら少し寂しそうな表情を見せながらも相手の気持ちを察して口には出さない結珠が無意識に蒼に問いかけてきた。
心の中の思いが口に出てしまった事に気がついた結珠は、若干慌てた様子を見せる。
「‥‥どうした?」
結珠の微妙な変化に蒼は優しく結珠の頭を撫で上げて微笑してみせる。
「明日、月見団子を一緒に食べないかなって思ったの‥‥」
素直に心のうちを伝えた結珠の表情は不安そうだ。
今日は泊まらずに帰ろうと思っていた蒼は躊躇して少しの間考え込む。
「‥駄目?」
「‥‥いいよ。結珠のお手製の月見団子、実は食べたかったんだ」
結珠の表情を見ていたらついつい泊まっていこうかという気持ちになってしまったようだ。
「良かった‥‥」
ほっとした表情を浮かべる結珠に蒼は自然と微笑してもう一度結珠の頭を優しく撫でてあげた。
結珠に甘いのだろうな、っと実感しながらもついつい結珠を甘やかしてしまう自分がいる。
けれども結珠に向ける笑顔も優しさも自然なものだ。
結珠と会うたびにいつも新しい自分を知るようで、戸惑いの中に心地よさを覚えていた。
その気持ちが良い事なのか、悪い事なのか今の蒼には分からない。 ただ一ついえるのは愛しいと感じるほどに結珠という存在は蒼が想像している以上に大きいという事だ。
翌日。
「おいしい‥‥?」
結珠の手作りの月見団子を口に一口含んだ蒼にドキドキしながら感想を尋ねる。
「ん? 前に結珠が作ってくれたチョコも美味しかったけど、月見団子も美味しいな。結珠は料理上手なんだな」
前に蒼の為にと焼いてくれたバレンタインのチョコを食べた時の事を思い出しがら、美味しそうに二つめの月見団子を口にした。
あまり上手に焼けなかったチョコを美味しいといって食べてくれた事を思い出した結珠は少し恥ずかしそうな反面、嬉しそうな表情を見せる。
月見団子を食べてくれるという約束で一日泊まって、いろいろな話をしたが帰りの時間が近づくほどに笑顔から少し寂しげな表情に変わっていく。
本人は無意識なのだろうが、蒼に迷惑をかけまいと我侭をあまり口にしない。
だが、蒼は昔のように一緒に暮らしていないという事もあって寂しいと感じている結珠の気持ちを察していた。
蒼にとっても離れて暮らすようになってから、いつも隣に居た結珠の存在がいない事に時々寂しさを覚える事があるからだ。
愛情を持って育ててくれた両親や結珠にめぐり合わせてくれた環境に蒼はとても感謝している。
しかし金銭的に不安をかけたくない蒼は九重家に戻る事は出来ない。
家を後にしてからも居場所をくれる両親や結珠にはすごく感謝をしていた。
これ以上、自分にとって幸せな環境はないのだろうな、っという思いは時が流れるほどに強くなっていた。
「お兄ちゃん、また一緒にお月見をしようね‥‥」
「そうだな‥。片月見だと縁起が悪いって言うからな。来月の十三夜も一緒に見ようか?」
蒼の何気ない一言にふんわりと微笑する結珠の笑顔に蒼は一瞬どきりとする。
昨日の神秘的な月夜が蒼の頭からまだ離れない。
久々に会ったせいなのか、月夜の美しさに長く見惚れていたせいで現実に戻りきれていないのか、それとも他に理由があるのかは分からない。
ただ、なるべく家に篭らずに外との交流を図るようになった結珠の笑顔は昔よりもずっと明るい気がする。
明るい笑顔に蒼はすぐに嬉しさと安心感を覚え始めていた。
二人の心に刻まれたドキドキは時が流れるにつれて二人の絆をもっと強く結びつけていくのだろう。
それは本物の兄妹以上に強く、お互いに大切な存在となっていく事だろう。
「約束よ‥お兄ちゃん」
嬉しそうな表情の心のうちには結珠だけが秘めている思いがある。
作曲家、ドビュッシーによる優しい曲調の「月の光」を練習しようと心の中で気合を入れる。
今の段階では披露できるほど流暢に弾くことはできないけれど、必ず上手に弾けるようになって蒼を驚かそうと決めている。
結珠にとって、蒼との約束は常に特別なものだ。
来月の十三夜を見る約束も小さな約束のひとつである。
小さな約束はやがて月の光のように柔らかく心に届く結珠の宝物であり、思い出になるのであろう。
「せっかく月を見るなら晴れるといいな‥」
「そうね。きっと来年も晴れると思うわ。今らからテルテル坊主作っておかないといけないね‥‥」
意外な結珠の返事に蒼はついつい自分もテルテル坊主を作った方が良いのかなっと一瞬思ってしまった自分に苦笑してしまう。
月見団子を食べながら楽しく談笑する二人からは、来年の十三夜に奏でられるであろう美しい音色が今にも聞こえてきそうだ。
終わり。
ライターより。
お久しぶりです。お二人のお月見というテーマで書かせていただき、
今年の夏は夜にウォーキングに毎日のように行っていたので、毎日変わる月を眺めながら歩いていたのですが、最近あまり月夜を眺めていないなっという事に気がつきました。
お二人のお話を以前に何度か執筆させていただいたのですが、今回もお二人の仲のよさがいただい文章を読んでいて感じ取れました。
イメージ通りだとよいのですが、これからもお二人にとって大切な存在であり、仲のよい兄妹であってほしいなっと思います。
楽しんでいただけると幸いです。
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