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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


紅い瞳と、紅葉を見つめて

 目にしみるような、紅葉である。
 魂を奪われたように、色づいた樹々を見つめるヴィヴィアンの瞳も、燃える葉の彩りを映して、その赤をいっそう深くしたようだ。
 傍に立つセレスティはといえば、紅葉よりもむしろ、そんなヴィヴィアンの横顔を眺めている。
「セレ様……?」
 見つめられているのに気づく。
 セレスティはそっと微笑み返した。
「つい見とれてしまったのです。自然の美しさに素直に感動できる、ヴィヴィが可愛らしくて」
「……ま、セレ様ったら!」
 その頬にも、紅葉が散った。

 秋深まりゆく、金沢でのことである。

 *

 以前から、旅行に行こうという話はおりにふれて出てはいたものの、セレスティは財閥総帥としての仕事で多忙であるし、ヴィヴィアンには学業もある。なんとなく延び延びになっていたのだが、セレスティがようやく休暇を捻出できたのは、季節も暑さの盛りを過ぎた頃であった。
 本性が人魚であるセレスティと、アイルランド出身のヴィヴィアンである。涼しいところへ行こうと点ではすぐに意見が一致した。行き先については、カナダや北欧などの案が出たものの、連休を使って出かけるとはいえ、海外に行くにはあまりゆっくりできないから、と、国内にすることにした。
 留学生であるヴィヴィアン・マッカランの専攻は日本史であるから、加賀百万石の、歴史ある街並みを散策することに、もちろん興味はあった。金沢城や兼六園、といったコースを決めながら、しかしヴィヴィアンは、「ちょっと『あたりまえ』過ぎます? なんだか、ガイドブックに乗っている行き先そのまんまって感じだしぃ」と小首を傾げた。
「たまには、あえて、そういうことをするのも良いものですよ」
 セレスティはそう返した。
「どうせ、私たちは金沢は初めてなのです。気取って『通』ぶっても仕方がありませんよ。旅行者として旅行者らしいことをすればいいんです。そのほうが楽しいと思いますよ。皆が行きたいと思うこと、やりたいと思うことは、皆が行きたい・やりたいと思うだけの理由があるものなのですから」

 そんなわけで、“お約束”満載の、秋の金沢満喫コースである。

 見事な紅葉に染め上げられた卯辰山を歩く。
 卯辰山は標高141mの山というほどのこともない高さだが、杖を突きつつ歩くセレスティの腕をヴィヴィアンがとり、ゆっくりと登った。
 もっとも、その道のりのあいだ中、ヴィヴィアンのお喋りはとどまるところを知らず、しっとりと秋の山を散策、という風情ではなかったけれど、セレスティにしてみれば、都会の喧騒を離れて、澄んだ空気の中で、そのお喋りに耳を傾けているのもまた、貴重な癒しの時間なのだった。
 そんなヴィヴィアンのさえずる小鳥のような口も、圧倒されるほどに真っ赤な紅葉のアーチの下では、言葉を奪われてしまう。
 やがて着いた展望台からは、金沢の街を一望することができた。
「見晴らし最高〜! あーん、昼間もいいけど、夜景だったらもっとロマンティックだったでしょうねぇ」
 秋風が、ヴィヴィアンの服を飾るリボンを揺らした。
「金沢城までよく見えますね」
「ええ、セレ様、ご存じ? 昔は『城を見下ろすことになるから』っていう理由で、この山は登山禁止だったんですって」
「そうなのですか」
 などと、一応は日本史専攻の学生らしい雑学を披露してみせるヴィヴィアン。
 卯辰山を、ひがし茶屋街のほうへと下ってゆけば、黒光りする屋根瓦の町並が広がる。
 紅殻格子の風情ある建物が並ぶ石畳の通りを、ふたりは寄り添って歩く。遠くに聞こえるせせらぎは、浅野川の流れだろうか。どこかから、艶めいた三味線の音さえ、ちぎれてくるようだった。
「可愛い!」
 ふいに、ヴィヴィアンが足を止めて、ショーウィンドウをのぞきこむ。
 陶磁器の店だった。
 金沢は、九谷焼という焼き物の産地でもある。
「入ってみましょうか」
 セレスティが促して、店内へ。
 九谷焼は、藍の線画の上に、「五彩」とよばれる5色の絵具で絵付けを施すのが特徴だ。絵柄は山河や花鳥など、写実的な力強い描写が多く、器でありながら、絵画を鑑賞しているかのような気になる。
「お土産にしましょうよ、セレ様。ねっ?」
 すっかり気に入ってしまったらしいヴィヴィアンに頷き返しながら、セレスティは「ただ気に入ったものを買うのもいいですが」と、店内の貼り紙を指す。
 ――九谷焼 絵付け体験 と、あった。
「『旅行者として、旅行者らしいこと』を、してみませんか?」
 ……一時間後、対のカップ&ソーサーに、ふたりがそれぞれ絵付けをしたものが出来上がった。
「セレ様、お上手ですぅ〜!」
 セレスティのカップには、海を望む丘の風景が、繊細な筆致で描かれていた。ふたりの故郷、アイルランドの景色だろうか。
「ヴィヴィのも、とてもていねいに描かれていますね。それはもしかして……」
 ヴィヴィアンのほうは、海をクローズアップして、波間に泳ぐ人――いや違う、魚の尾をもつ人魚の姿が描かれている。
「あの……、いちおう、セレ様のつもりで……」
 とても、セレ様のほんとうのきれいさを描けてはいないですけど、と、言ったが、セレスティは満面の笑みである。
 ふたりが絵付けした器は、窯で焼かれたあと、東京のセレスティの屋敷に届くことになっていた。出来上がったら、このカップで、ふたりでお茶を飲もうと約束して店を出たあとは――、どうやら、ふたりの「お土産熱」がすっかり上がってしまっていたらしい。

「とっても似合いますよ、ヴィヴィ」
「そ、そうですかぁ〜?」
 いつもはフリル満載のゴスロリ服のヴィヴィアンに、加賀友禅の着物は、新鮮といえば新鮮だが、なんとも不思議な取り合わせである。
 だがセレスティは、店員に次々と羽織りやら帯やらを持ってこさせると、せめて羽織ってみるだけでも、と、ヴィヴィアンにすすめるのだった。さながら着せかえ人形である。
 あでやかな絵柄の、華やかな着物は、しかし、見るものの目を奪わずにはおかない。
「気に入ったのがあればプレゼントしますよ。こんな見事なものなら、飾っておくだけでもインテリアになりますし」
「いいんですか〜、きゃー、どうしよう〜」
「じゃあ、これと、それと――」
 希少な伝統工芸品だけに、それなりの値段になるはずだが、そこはそれ、世界有数の資産家でもあるセレスティである。なんのためらいもなく、何着もの着物を買ってゆく。
 それから――
 金箔を使った意匠が素晴らしい漆器類や、珍しい和傘など、目に付くもので気に入ったものは「買い占める」という表現がふさわしい有様で、その後、金沢の土産物店のあいだでちょっとした噂になったほどであったという。
 これもすべて、東京のカーニンガム邸に配送することにしたため、後日、屋敷は金沢の伝統工芸品で埋まることだろう。

 *

「疲れませんでしたか?」
「ぜーんぜん。楽し過ぎて、疲れることなんて忘れちゃいました。セレ様こそお疲れじゃ?」
 ふたりがくつろぐのは、金沢市内の、とあるホテルのスイートルーム。
 窓の外は庭園で、紅葉の植樹がライトアップされていた。
「私は平気です。……美しい街で、ヴィヴィとふたりの時間を過ごせたというのに、何を疲れるなどということがあるでしょう」
「やーん、セレ様〜!」
 ヴィヴィアンは、窓辺の椅子にかけてくつろぐセレスティの膝の上に、猫が飛び乗るようにふわりと乗って彼に抱き着く。
「今日は楽しかったですぅ。またご一緒に、旅行しましょうね」
「ええ。カナダや北欧にも行かなければいけませんしね」
「素敵〜」
「……ヴィヴィ……」
「はい?」
 ふと、セレスティの湖水のような瞳に、かすかな翳りのようなものが差した。
「実はね、ヴィヴィ……。夢を見たのです」
「夢――?」
「不思議な夢なのですよ。私が死んでしまう夢なのです」
「セレ様がぁ?」
「ええ、そう。でもいちどは甦って、それからまた死ぬという夢なのです」
「え〜、ヘンなの。そんなことあるはずないですよぉ」
「ええ、ですから、夢なんです。……でも夢の中で、私はずっとヴィヴィのことを考えていましたよ。自分が死んだら、ヴィヴィを哀しませてしまうことになるな、と――」
「いやなセレ様、なんでそんなこと云うの。セレ様がそんなことになったら、あたし、きっと泣いちゃいます」
「おや」
 あまりにも素直な恋人の物言いに、セレスティのおもての翳りは晴れて、悪戯めいた微笑がとってかわった。
「うまく泣けずにバンシー失格だなんて言われたヴィヴィがですか?」
「まァ、いじわる! きっときっと、泣いちゃいます。そんなことわかっていて、わざと仰っているんだわ、セレ様ったら」
「すみません、そんなつもりじゃなかったのです。ただ――」
 セレスティの、一見、華奢な腕が、しかし、意外に力強く、ヴィヴィを抱きすくめた。
「ヴィヴィを大切に思っていますから、ずっと一緒にいたい、と……そう思ったのだということを、伝えたかっただけなのです」
「セレ様…………」
 秋の夜長はゆっくりと更けてゆく。
 はらり――、と紅葉の一枚が散り落ちた。
 それは恋人たちの長くて短い夜をはかる、砂時計の砂のようでもあった。

 *

「次はカナダか北欧か……それとも他のところがいいか、考えておいてくださいね」
「はい。ありがとうございますぅ」
 お別れの、フレンチキス。
 ヴィヴィアンを自宅まで送り届け、セレスティは帰途につく。
 ミラーの中に遠ざかる恋人が、いつまでも手を振っているのにそっと微笑みながら、後部座席の背もたれに体重を預けた。
 ふと思い出して、ジャケットのポケットを探れば、たわむれに持ち帰った、紅の一葉。
 これは押し葉にでもしましょうか。
 セレスティは思った。
 秋の金沢の一日は、ヴィヴィアンとの思い出のひとつとして、セレスティのアルバムに記録されるだろう。

(了)