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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


掌の傷

 オープニング

 婚約者の浮気調査をして貰いたい。そう依頼に来た男は30代半ば。
 結婚式は来月だと言うのに、婚約者が突然態度を変えてしまった。電話には出ず、自宅を訪ねても会おうとしない。マリッジブルーではないかと、繊細な女性の心情を責めてはならないと周囲に言われたが、どうもそうとは思えない。
「心変わりしてしまったか、他に気になる人物でもいるのか……」
男は溜息を付いて言った。
「もしそうなら……、彼女が結婚を不安に思ったり、他の男性を想っているのなら、それで構わないんです。婚約を解消する覚悟は出来ているので」
 その言葉に草間は首を傾げた。
 随分、諦めの良い男だ。婚約をして、結婚をしようと言うからにはそれなりに愛しているだろうに、彼女の心変わりを認める覚悟があるとは。
 草間の表情に気付いたか、男は小さく笑った。
「一生、結婚はするまいと思っていたんです。昔、婚約者を事故で亡くして……」
 10年前。結婚式を一ヶ月後に控えた婚約者が、居眠り運転の大型トラックにひかれた。連絡を受けて病院に駆けつけた時は既に遅く、彼女は変わり果てた姿になっていた。
 泣き崩れる彼女の両親と、医者と警察。
 呆然と立ち尽 くし、手術室から白い布をかけたストレッチャーが運び出されるのを見た。
「気が付くと、手が真っ赤になっていましたよ。無意識に強く手を握ったので、掌に爪が食い込んで、流血していたんです」
 ほら、と男は掌を見せた。
 中央あたりに白く小さな傷跡。
「消えないんです。彼女が忘れないでくれと言っているような気がして……、他の誰かを愛することが出来なかった」
 今の婚約者と出会ったのは昨年暮れ。赤信号に気付かず道を渡ろうとしたのを止めたのがきっかけで、通勤途中顔を合わす度に話をするようになった。気さくで明るく、よく喋りよく笑う彼女を次第に愛しいと思うようになり……。
「前の婚約者が亡くなって10年過ぎ……、両親も結婚を望んでいるし、彼女が好きだし、構わないと思ったんですが……」
 もしかすると、まだ過去を引きずっている自分に彼女が気付き、嫌気がさしてしまったのかも知れない。
 もし心変わりしたのであっても、責める気はないし、婚約を解消して欲しいと言うならば、それに応じるつもりであると言って、男は懐から封筒を取り出す。
「彼女の写真と自宅、勤め先の住所です。それから、相場が分からなかったのですが、取り合 えず前金として。残りは調査終了次第にお支払いすると言うコトで構いませんか?」
 頷いて、草間は封筒を受け取った。

**********

「マリッジブルーなんてのが本当にあるのか?」
 シュライン・エマが差し出したカップを受け取りながら草間は言った。
 結婚すると言うからには愛し合っているのであって、愛し合っているというからには一緒に暮らすことが楽しみにもなるだろう。2人の将来を思えば楽しいものだろうに、何故そこでブルーになるのかが分からない。
「それは、あるでしょう。やはり結婚は一生のものですから……、女性は感慨深いのではないでしょうか?」
 と、答えるのはセレスティ・カーニンガム。
「そうですよ。勿論、幸せですけど、幸せだからこそ色々考えてしまったりするのだと思いますよ」
 シュラインを手伝ってコーヒーを配りつつ、海原みなもは言う。
「そうそう、不安になると思うわ。本当に一生一緒に暮らしていけるかとか、本当に自分が必要とされているかとか……、」
 どうしてこんなに鈍感なのかしらねぇ、視線を向けるシュライン。
「俺達には無縁の感情だろうな」
 窓の外に煙草の煙を吐き出しながら真名神慶悟が笑う。
「女の感情とか心理なんか考えてると俺は眠たくなってくるぞ……」
 みなもの差し出すカップを受け取りながら、菱賢は大きく欠伸をして見せた。
「男の方はご存知ないことが沢山あるようですね……」
 シュラインから専用のデミダスカップを受け取って、四宮灯火は小さな笑い声を立てる。

「……で、依頼の件だが……、こりゃただの浮気だろう?さっさとやってさっさと終わらせてくれ。6人も要らないんじゃないのか?」
 アルバイト料は人数割りなので人数が多ければ多いほど、1人当たりの割り当てが少なくなる。そう言う草間に、みなもが溜息を付く。
「草間さん。珍しくまともな依頼で喜んでいるのかも知れませんけど……、これまでの経験上、こう言った依頼で普通に浮気だったことって、あまりない気がします」
「今の婚約者が態度を変えたのと、最初の婚約者が亡くなった時期が似ているものね……、何か関係があってもおかしくないと思うわ。勿論、ただのマリッジブルーであることもあるでしょうし、他の人に気を取られていることもあるでしょうから、両方調査してみないと」
 シュラインが言うと、セレスティが僅かに首を傾げる。
「マリッジブルーなのは婚約者ではなく、依頼人の方かも知れませんね。10年もの間、今の婚約者の方に出会うまでの間、ずっと忘れずに想っていたのですから、多少は仕方のない事だと思いますが……。婚約者の女性は依頼人の事を大切に思っている分、依頼人の周りの事に敏感で、依頼人の気付かない異変について何か感じておられると考える事もできます。こうなると、2人ともがマリッジブルーと言うことになりますね」
「……お互い、気持ちがすれ違っているのですね……」
 ほぅ、と灯火は小さな溜息を付く。
「男女の縁は他人が入り込んでどうこうするよりも、当人が互いに言葉を交わすのが一番だと思うが……、男の呼び掛けに女が応じないと言うのであれば、2人を会わせる為に動くのが尤もな筋か……。我々も金を貰っている訳だからな」
 煙草を消してソファーに戻り、慶悟は少し温くなったコーヒーを飲む。
「それじゃ、まずは一通り浮気調査だな。それから婚約者の方と接触してみるのもいい。浮気でもなく、マリッジブルーでもないなら、死んだ最初の婚約者の墓とかでも見てみるか。あと、依頼人と今の婚約者の墓もな。何かしら霊障があるのかもしれないしな」
「そうですね。婚約者の方とも少しお話しして……、事情をお聞きして……」
 頷きあう賢とセレスティ。
「前の婚約者のことも、分かる限り調べてみましょう」
「……折角のご縁ですものね。わたくしも自宅や勤め先の周辺の物達に彼女の様子を聞いてみたいと思います」
「ええ。皆さんが祝福するような幸せを目指して、出来る範囲で頑張りましょうね」
 シュライン、灯火、みなもの言葉に、草間は精々頑張ってくれと言うように手を振って興信所を出て行った。

 まずは現婚約者の調査だ。
 賢が尾行をすると言ったが、尾行で分かり得ることには限りがある。慶悟が不可視の式神をつけて賢のカバーに当たり、更に灯火が賢と共に尾行し、周囲の者達に話を聞く。
 その間に、みなもとシュラインが元婚約者の事故について調査をする。
 3日後。
「はぁ、疲れた疲れた……」
 10月も半ばと言うのに暑く、賢は額の汗を拭いながらソファーにどかっと腰を下ろし、差し出されたアイスコーヒーを一気に飲み干した。
 灯火は大きすぎるソファーにどうにか腰を落ち着けようともぞもぞ動き回る。その豪華な着物が暑そうだと言って、賢は2杯目のアイスコーヒーを頼む。
「こっちの調べた限りじゃ、浮気相手がいるような様子はなかったぞ。午前8時半に家を出て、午後5時半には会社を出る。買い物したり女友達と茶ぁ飲んだりして、遅くても9時には家に帰ってる」
 婚約者は女性専用のワンルームマンションで1人暮らしをしている。1階には管理人がいて、男性はその管理人と女性の許可がなければ立ち入ることが出来ない。
 賢が尾行した限りでは、マンションに訪ねてくる男はいなかった。
「家や会社なんかでの会話は、てめぇの式神が聞いてると思うけど」
 と、賢は慶悟を見る。
「ああ」
 頷いて、慶悟は式神からの報告を話した。
「男から電話が入ると言ったことはないみたいだな。電話は主に母親と女友達らしい。会話もとりとめのないことばかりだ。結婚について不安があるような話はしてなかったみたいだ。浮気の線はないと考えて良いんじゃないか。ただ、」
「ただ?」
 シュラインに促されて、慶悟の変わりに灯火が答えた。
「……夜な夜な、泣くのだそうです」
「……泣くんですか?それじゃあ、やっぱりマリッジブルーでしょうか?母親や友人には言えないけれど、心の中で不安に思っているとか……。もう結婚が決まっていて、式の日も近づいてきてるわけですから、なかなか相談とか出来ませんし」
「それが……、鏡を見て泣くのです」
 みなもの言葉に、灯火が付け足す。
 賢と共に婚約者を尾行し、自宅の扉の前に立った灯火は、開いていた網戸から中を覗き込み、周囲の物に話を聞くことが出来た。
「鏡?……どうして鏡なのかしら……、まさか美貌に不安があるわけじゃないでしょうし……、式までまだ1ヶ月あるんだから肌の調子が気になるわけでもないでしょうし……」
 シュラインは依頼人に渡された写真を取り出して見た。
 とりたてて美人と言うわけではないが、嘆くほどの不美人でもない。
「他に好きな男性がいる様子もない、かと言って、マリッジブルーと言うには少々違う……。やはり、別の理由なのでは?」
 セレスティが言うと、全員が一瞬黙り込んだ。
 違う理由と言えば、霊的な何か、しかない。先祖の霊でも出てきているか、元婚約者が何かしら邪魔しようと考えているのか……。
「元婚約者について調べたんだっけな?何か分かったことは?」
 賢に問われて、シュラインとみなもが顔を合わせる。
「10年前の5月……、新聞に載ってました。事故は依頼人さんの仰る通りです。仕事帰りの元婚約者さんが横断歩道を渡ろうとしていた時、居眠り運転の大型トラックが突っ込んだんです。他にも3人の方が被害に遭ったそうです。でも、亡くなったのは元婚約者さんだけで……」
「元婚約者が事故に遭った場所と、今の婚約者が渡ろうとしてたと言う赤信号の場所も、依頼人に確認を取ってみたのよ。これは、全然別の場所だったけれど……、元婚約者が亡くなったのが結婚式の1ヶ月前、今の婚約者の様子がおかしくなったのも1ヶ月前だから、少し気になるわね」
「1ヶ月前、と言うところに何かあるのでしょうか、それとも、同じ1ヶ月前を迎えて、元婚約者が邪魔をしていると?」
 セレスティが言うと、シュラインは机に肘をついて溜息を付く。
「それが分からないのよねぇ。1ヶ月前は偶然の一致として、先に元婚約者の方を調べてみましょうか?依頼人にお墓の場所も聞いてあるのよ。現在の婚約者と依頼人のお墓の場所もね。ところで、依頼人の態度も気になっているのよ。もしかして、婚約者を避けているのは彼の方じゃないのかって。そんな様子は?」
「ああ、それはないな。婚約者が自宅にいると何度か電話が入るんだが、同じ着信音の時だけ、居留守を使うんだ。多分。あの着信音が依頼人なんじゃないのか?他の電話にはちゃんと出てたようだ」
 慶悟が答えると、「そう」とシュラインは頷く。
 元の婚約者を忘れられず、結婚を躊躇っているのは彼の方ではないのかと思ったのだが、そうとは言い切れないらしい。
「あ〜面倒くせぇな〜。まぁ、とりあえず墓を先に見とくか。それから、婚約者に接触だ。依頼人に連絡は付くのか?付くんなら、時間空けてもらっといた方が良いんじゃないのか?」
 賢が溜息を付いて3杯目のアイスコーヒーを飲み干した。
「すぐに連絡します。浮気じゃないことははっきりしましたし、マリッジブルーにしても他の事が原因にしても、依頼人さんも一緒にお話した方が良いですよね。時間の都合の良い日を聞いてみます」
 言って、みなもは電話に手を伸ばした。

 元婚約者の墓には、花束が供えてあった。
「……どなたでしょう……」
 風で歪んだ白いリボンを小さな手で調える灯火に、「多分、依頼人でしょうね」とセレスティが答える。
 依頼人の家の墓、現在の婚約者の家の墓を見てから、元婚約者の墓を訪れた6人はまずは持参した線香を供えて手を合わせた。
「やっぱここだな」
 賢が言うと、慶悟も頷く。
 2人曰く、先祖代々の墓から1人だけ抜けているのだそうだ。
「元婚約者さんがここにはいないってことですか?」
 みなもが尋ねると、賢が頷いた。
「ああ。ここんとこ婚約者の様子がおかしいのは、やっぱり元の婚約者が邪魔してるんだな」
「……イヤ、なのかしら、やっぱり。10年過ぎても、自分が婚約者だったわけだし……、忘れられたくないのかしらね。でも、何時までも相手を縛り付けることは出来ないわよ……」
 シュラインの言葉に、灯火がそっと溜息を付く。
「……きっと、お互いがお互いを忘れられないのでしょうね。……忘れられないのはわかります……。……わたくしも、あの方の事が忘れられません……。けれど、このままではいけません。依頼人様が今の婚約者様と出会って、結婚をしようと思ったのは、良いことだと思います。何時までも立ち止まっているわけにはいきませんもの。……ですから、依頼人様とも元の婚約者様ともきちんとお話をして、理解して頂かなければ……」
「依頼人とは連絡が取れましたか?」
 セレスティが尋ねると、みなもが頷く。
 2人の将来に関わることで、しかも元の婚約者も関係しているとなると、仕事がどうこうと言ってはいられないようで、何時でも呼び出してくれて構わないと言う返事だった。
「婚約者の方とも?」
 婚約者は相変わらず依頼人の電話に出ようとしない。メールには時々当たり障りのない返事が来るだけで、何か悩みや心配事があると言ったことは一切言って来ない。その婚約者を呼び出すにはどうしたら良いのだろうか、と依頼人は頭を痛めていた。
「ええ、大丈夫です。シュラインさんが結婚式場の人を装って、どうしてもしなければいけない打ち合わせがあるからって、婚約者さんとお話の場を作ってくれたんです。明日の午後に、式場1階の喫茶店で」
「……元の婚約者様がこちらにいないとは、今の婚約者様に憑いていると言うことでしょうか?」
 ふと、灯火が首を傾げた。
 そうならば、婚約者の様子が変わった理由になるが。
「いや、多分……、依頼人の方に憑いてるんだろう。婚約者ならば、俺の式神が見て分かるはずだ。あいつも」
 慶悟は顎で賢を指す。
「それじゃ、どうして婚約者の様子が変わってしまうの?依頼人の方の様子が変わると言うのなら分かるけれど……」
 シュラインの言葉に、みなもと灯火が頷く。
「影響はあるんだろう。依頼人よりも婚約者の霊感が強い場合、依頼人に憑いた霊が婚約者に影響を及ぼす場合もあるし、両方に影響が出る場合もある」
「では、除霊をするか、元婚約者を説得するか、ですか?」
「だろーな。10年モノの女の霊かぁ……」
 後半を呟くように言って、賢はぼりぼりと頭を掻いた。

 昼休みを利用し、待ち合わせの喫茶店にやって来た女は、そこに待ち構えた見知らぬ6人の男女と婚約者の姿に驚きを隠さなかった。
「お呼び立てして申し訳ありません」
 まず謝罪してからシュラインは手短に6人分の自己紹介をした。
 興信所と聞いて、更に女は驚いた顔をし、婚約者を不安そうに見た。
 依頼人は言いにくそうに、結婚式を1ヵ月後に控えた今、どうしても思うところがあり、興信所を利用したのだと言った。
 思うところ、と言われると女の方も身に覚えがあるらしい。表情を曇らせ、ごめんなさいと小さな声で告げる。
「マリッジブルーだと思うの……、何かどうしようもなく不安で、悲しくて、あなたと話をするのが苦痛になってしまって……。でも、あなたを嫌いになったとか、そう言うのじゃないの、本当に」
 そう言われると依頼人は、浮気を疑ったことを正直に告白し、謝罪する。
「もし君に、ほかに思う人がいるなら、それでも構わないと思って……、その方が君が幸せならと思って、この方達に、調査を依頼したんだ」
 セレスティが頷いて、口を開いた。
「あなたが浮気をしているのでも、他に思う方がいるわけでもないことはすぐに分かりました。やはりマリッジブルーが原因かと思いましたが、少々違っています。それで今日、あなたをお呼びしたのです」
「失礼ですが、あなたの前に、別の婚約者の方がいらっしゃったことはご存知ですか?」
 みなもに問われて、女は頷いた。
「10年前に、お式の1ヶ月前に事故で亡くなったと……。この人が、その方をとても大切に思っていて、今も心に留めていることも知っています。でも私、それはそれで構わないと思ってます。本当に好きになった人のことを忘れるなんて、できませんから」
「……あなた様はとても心の優しい方なのですね……」
 大きな椅子にちょこんと腰掛けた灯火に、女は少し目を丸めたが、褒め言葉には少し微笑んで見せた。
「長い話とまどろっこしい事は省略するけど、つまり、その前の婚約者が、てめぇ等2人に影響を及ぼしてるってわけだ」
「簡単に言えば、前の婚約者が2人の結婚に何かしら思うところがあって、憑いている」
 賢と慶悟の言葉に、依頼人と婚約者はそろって不安そうな顔をした。
「憑いてるって……、霊がってことでしょうか?私と彼女に?」
「正確に言うと、てめぇに、だな」
「私とこの人との結婚に反対……、許せないと?」
「思惑は本人に聞いてみないと分からんが……、まぁ、そんなところだろう。除霊するか、霊を説得して納得して貰うか、だな」
「説得って、出来るんですか?例えば、直接お話したりとか?」
 女の言葉に、慶悟が答える。
「直接話すことも可能と言えば可能だが……、あんたが今、ここで自分の思うところを言葉に出して言えば、それはそのまま相手の方に伝わるな」
「何か仰りたいことが?」
 シュラインが問うと、女は少し迷ってから答えた。
「……あります……。あの……言っても構わないかしら?」
 女は依頼人に問いかける。
「うん……、勿論」
 依頼人が頷き、女はゆっくりと口を開いた。
「お式の1ヶ月前に亡くなってしまったこと、心から同情します。どんなに結婚を楽しみにしていたか、その気持ち、よく分かりますから。だから、突然亡くなってしまって、自分が愛した人のもとに別の女がやって来て、結婚しようとしているなんて、許せない気持ちも、なんとなく、理解出来ます」
 けれど、自分はこの結婚を諦めるつもりはないのだと、女ははっきり言った。
 生前も今も婚約者を愛しているように、自分もまた、婚約者を愛している。死んだ身なのだから諦めろと言うつもりはない。ただ、死んだあなたを忘れるわけではないこと、婚約者の心には今もあなたがいることを理解して欲しい。
「私、あなたにも忘れてくれと言うつもりはありません」
 女は依頼人にもそう告げた。
「一度愛した人のことをあっさり忘れてしまえるような人なら、結婚したいと思いません。だからあなたは、堂々と、前の方のことを好きでいて下さい」
 賢はちょっと口笛を吹きたくなった。
 忘れて自分だけを見てくれと言うならともかく、忘れるなと言うのはなかなか奇特だ。
 女はそれだけ言うと、ふぅと深いため息をついた。
「……あなたに、こんなことを言って良いのかどうか、ずっと考えていたの。あなたが前の人のことを無理矢理忘れて、私との生活に専念しようと努力してるなんて考えたら、何だか心苦しくて。これで、すっとしたわ」
 ふっと表情を緩める女。
「何か言いたいことは?」
 セレスティに促されて、依頼人も口を開いた。
「僕はずっと、忘れられないことが心苦しかった。君と出会って、好きになって、結婚を決めて……式の日が近づくにつれて、益々忘れられなくて……、君に酷いことをしているようで、後ろめたくて……」
「想いがすれ違ってたんですね。こうやってきちんと会って正直にお話すれば、すぐに分かり合えることだったのに」
 みなもが言い、依頼人と婚約者は揃って苦笑した。
「……で、分かり合えたところで、前の婚約者の件だが」
 慶悟が言うと、そこにすっと1人の女性が姿を現した。

「…………」
 はっと目を見開いてその姿を見る依頼人。
 今の婚約者とは全く似ても似つかない、どちらかと言えば真逆のタイプのように見える。
「あなた様もなにか、おっしゃりたいことが?」
 灯火が小さく首をかしげて尋ねる。
 女は寂しげな顔をして、「ごめんなさい」と謝った。
「私を忘れていないことも、それを認めて下さっていることも分かっていました。……ただ少し……、同じ気分になりたかったの……」
「同じ気分?」
 賢が尋ねると、女が頷く。
「彼が同僚に新婚旅行のプランを相談しているのを見ると、私が一緒に行くはずだったのに、と悔しく思えて、あなたが鏡を見て、クマや肌のくすみを心配していると、その心配は私がするはずだったのにと羨ましく思えて……、意地悪をしたくなって……、彼があなたに電話をすると、あなたが出られないような気分にさせてみたり……」
「こうやってお話をしてみて、いかがですか?ご気分は晴れましたか?」
 セレスティの言葉に、女は頷く。
「彼の幸せを願って、忘れようと思えば思うほど、忘れられなくなりました。どうしてあの時、私が死ななければならなかったのかと心残りでした。けれど、今は、忘れなくて良いと言ってくれたあなたのことを、彼と同じくらい大切に思います」
 もう邪魔をする気はない、と女は言った。
「あなたの傷も、もって行くわね」
 そっと、女が依頼人の手に自分の手を重ねる。
「お幸せに」
 その言葉と共に、すっと姿が消えた。
「消えた……、」
「成仏したってことだな」
 ふーっと息を吐いて、賢は温くなったコーヒーを口にする。
「認めてもらえたってことですね。やっぱり結婚は周囲の人に認められて、心から祝福されなくちゃですよね」
「おめでとうございます」
 にこりとみなもと灯火が笑って見せると、依頼人と婚約者も笑った。
「あとは、あんた達本人次第だな。せっかく真実を口にして分かり合えたんだ。今のお互いの気持ちを大切にすることだ」
 慶悟の言葉に2人が頷くと、シュラインはそっと小さな拍手を贈った。

 数日後、残りの依頼料金を口座に振り込んだ旨と共に、礼をしたためた手紙が興信所に届いた。
「なるほど、傷がですか……」
 手紙を読み上げたシュラインに、セレスティが頷く。
依頼人の掌にあった、小さな傷があの翌日には消えてなくなっていたのだと言う。
「傷が2人の心残りの結晶ってところかな」
「心残りの結晶か……、」
 賢も慶悟も、実際にどんな傷だったのか確認はしていない。しかし、確かにそこにあったものが消えたということは、何かしら変化があったと言うことだろう。
「あなたの傷も、もって行くわね……って、言ってましたもんね」
 みなもは依頼人と婚約者、そして、消えていった女を思い出す。
 忘れられなかった、忘れたくなかった、忘れて欲しくなかった。
「……忘れたり、断ち切ったりするだけがすべてではないのですね……」
 ほぅ、と灯火が小さなため息を付いた。


End



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
3041/四宮・灯火/女/1/人形
1252/海原・みなも/女/13/中学生
3070/菱・賢/男/16/高校生兼僧兵
1883/セレスティ・カーニンガム/男/725/財閥総帥・占い師・水霊使い
0389/真名神・慶悟/男/20/陰陽師
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■         ライター通信          ■
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この度はご利用有難う御座います。少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
 先日(と言っても少し前ですが)1歳年を取りました。もーちょっといろいろ限界かもっ!?と、一人凹んだりしています。
 と、そんなことはどうでも良いのですが。
また何かでご利用頂ければ幸いです。