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永遠のひとかけら
「相沢さんってフレンチは好きですか? 私、おいしいお店知ってるんですよ〜」
全開の好意と共に、先ほどからひっきりなしに話しかけてくる女性。
久遠は適当に相槌を返しつつ、半分以上は聞き流していた。
それでも、傍から見れば愛想よく話に付き合っているように見えるのだから、さすがはモデルといったところか。
「値段もそんなに高くないんだけど、おいしいって評判で。お店の雰囲気もお洒落だし、相沢さんに似合いそう♪」
「へえ、そうなんだ……」
本音を言えば、今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたかった。けれども、相手は仮にもスポンサー。無下に断れば波風が立つし、かと言って、迂闊に気のあるような素振りを見せるわけにも行かない。
どうにか上手く切り抜ける方法はないものか……
思案した挙句、久遠はようやくひとつの案を思いついた。
「あ、もしかしてフレンチはお好きじゃないですか? それならイタリアンでも……」
「いや、悪いが、今日は先約がある」
「先約?」
「これから仕事で、抽選で当たったファンの子と1日デートなんだ」
……我ながら、無理のある嘘だったかもしれないと、口にした後で思った。
案の定、相手の女性は疑っている様子。
「そんな企画、ありましたっけ……?」
「あったんだよ」
それでも、女性はまだ信じられない・諦めきれないという視線を向けてくる。
どうにか信じてもらわなければ困る。ということで、久遠は咄嗟に思いついた1人の少女に急いで電話をかけたのだった。
「え、今からですか? だ、大丈夫です! すぐに行きます」
沙羅は、まさに天にも昇るような想いだった。
電話の相手は、ひそかに想いを寄せている相沢久遠。それだけでも嬉しいというのに、なんと、今すぐに逢いに来てほしいというのだ。
一瞬、夢なんじゃないかと疑ってしまうものの、どうやら紛れもない現実。
とるものもとりあえず、慌てて身支度を整える。
あまりもたもたしていては久遠を待たせてしまう。けれども、せっかくのお誘いだというのに、どうでもいいような格好をしていくなんて言語道断。鏡とにらめっこし、時間と戦いつつも、沙羅は精一杯のおしゃれに身を包んで家を飛び出した。
それなのに……
待ち合わせ場所にいたのは、久遠だけではなかった。
見知らぬ綺麗な女性が一緒にいた。
その女性が沙羅に向けてくる視線は、あまり好意的なものではない……少なくとも、沙羅にはそう感じられた。
もしかしたら邪魔だったのだろうかと不安になる。
「こ、こんにちは……」
挨拶を告げる沙羅の顔と声は、自然と強張っていた。
しかし久遠はそれには気付かなかったようで、傍らの女性に対して悠然とした笑みを向ける。
「この埋め合わせはいつか必ず」
などと言いながら、極めつけに手のひらにキスまでプレゼント。こういうことをさらっとやってのけて、さらには嫌味に見えるわけでもないのだから、人徳かもしれない。
が、目の前でそれを見ていた沙羅としては非常に複雑な気分だ。
「仕方ないわね」といった感じの女性の視線を背に受けながら、沙羅は久遠に連れられて車に乗り込んだ。
「急に呼び出して悪かったね。こうでもしないと、あの人、諦めてくれそうになくて」
「いえ……沙羅はいいんです。今日は予定もなかったし……」
と言いつつ、沙羅の表情は冴えない。
要するに、口実に使われたのだ。
あの女性が久遠の恋人などではないということが分かって、少しほっとした反面、手放しで喜べないというのも事実。
(……高望みしちゃ、駄目だよ。久遠さんがこうして逢ってくれたってだけで、幸せだと思わなきゃ)
心の中で自分にしっかりと言い聞かせ、もやもやとした感情を振り払うように軽くかぶりを振る沙羅。
それに気付いた久遠は、ちらっと沙羅を見て、くすりと笑った。
沙羅のほうも笑われたことに気付き、ぽっと頬を染める。
つまらないことでしょぼくれていた自分が、急に恥ずかしく思えた。
(久遠さん、他の誰でもなくて、沙羅のことを思い出して呼んでくれたんだものね)
そんなふうに思い直せば、自然と顔もほころぶ。
口実でも何でもいい。久遠ならば他にいくらでも当てはあったはずなのに、その中からたった1人、沙羅を選んでくれた。そして、こうして2人で時間を過ごしている―――それだけで今は充分だった。
「せっかくだし、このままドライブでもしようか」
思いがけないその言葉に、沙羅は慌てて顔を上げた。
隣には、優しい久遠の笑顔がある。
「いいんですか……?」
「わざわざ出てきてもらったんだから、このまますぐ帰るってのももったいないし……今日は予定、ないんだろう?」
「は、はい!」
優しい久遠のことだから、さっき沙羅がしょんぼりしているのを見て、気を遣ってくれたのかもしれない。
それでも、沙羅は久遠と共に過ごせる時間が増えたことが、本当に嬉しかった。
通り過ぎる並木道を見ながら、久遠は
「まだ紅葉の季節にはちょっと早いかな……」
と残念そうに呟いたけれど、沙羅にとっては、久遠と2人で見る景色なら何だって素敵に思えた。
もちろん、そんな恥ずかしい台詞、口に出しては言えなかったけれど。
「今日呼び出したお詫びに、素敵なところに連れて行ってあげるよ」
ドライブしてもらって、食事まで奢ってもらって、お詫びならもう充分……むしろお釣りがくるくらいだったのに、久遠はそう言って沙羅をある場所へと連れて行ってくれた。
それは、久遠が日本で初めて撮影の仕事をしたという、見晴らしのいい場所だった。
「お月さまが綺麗……」
「そう言えば、今日は満月か」
この場所からだと、月がやけに大きく見える。
吸い込まれてしまいそうな気持ちになりながら、2人はしばらく、仄白い月に魅入っていた。
「なんだか、幻想的ですね……現実の世界じゃないみたい」
月光に照らされた景色を見渡しながら、沙羅が呟く。
「今日1日、久遠さんと過ごしたことも、とっても楽しくて……本当に夢みたいです」
「夢のほうが良かった?」
冗談めかして久遠が問うと、沙羅は慌てて首を横に振る。
感情豊かで可愛らしい沙羅の仕草を、久遠は相変わらず優しい笑顔で見守っていた。
彼は、こんなふうにめまぐるしく表情を変えることはない。職業柄、表情を作ることには慣れているけれど、それはあくまでも仕事用の作り物。
そもそも久遠は、妖狐という本当の姿を隠し、人間のふりをして生きているのだ。
だからこそ、沙羅のように素直な存在は眩しく見えるのかもしれない。
「……久遠さん?」
優しく、それでいて少し淋しげに微笑む久遠が、なんだか急にひどく遠い存在になってしまったような気がして……不意に不安になって、沙羅は久遠の顔をじっと見つめた。
呼ばれたことに気付き、久遠も沙羅を見返す。
その時には既に、彼の様子は元に戻っていたけれど、沙羅は胸にちくりとした痛みを感じていた。
有名なモデルと、女子高生。
元々遠い存在であることに違いはないのだが、そうではなくて、もっと違う意味で……久遠は手の届かない存在のように思える。
それが切なくて、沙羅は思い切って勇気を出して、今まで訊くに訊けなかった問いを口にしてみた。
「久遠さんはどういう女の人が好きなんですか……?」
久遠が答えを出すまでに、しばらく間があった。
もしかして不躾な質問だったのかと、沙羅はまた不安になる。
けれども、久遠は気分を害した様子はなく、静かな声で呟くように答えた。
「永遠を信じる女(ひと)かな」
「……永遠……?」
抽象的なその答えに、沙羅は思わずきょとんとしてしまった。
永遠とは、永遠の愛ということだろうか。
それとも、もっと別の意味が込められているのだろうか。
しかし久遠はそれについて説明することはなく、ただやんわりと微笑みを浮かべるだけ。
久遠にとって沙羅は、ほんの一瞬きらめきを放って消えてゆく流れ星のような存在。
「消えてしまうなら要らない」と突き放してしまうことだってできる。
むしろそのほうが、後になって傷つかずに済む。
でも、それができずにいるのは、人間が流れ星に願いをかけるのと似たような心境なのかもしれない。
あまりにも儚い存在だけれど、だからこそ美しく愛しい……
「―――寒くなってきたし、そろそろ帰ろうか」
久遠がはぐらかすように言うと、沙羅も素直に頷いた。
そして、車に乗り込む直前……
「あ、流れ星!」
沙羅の声に驚いて振り向くと、夜空を駆け抜ける流れ星がほんの一瞬だけ見えた。
沙羅は急いで手を合わせて、何やら必死にお祈りしている。
3回願い事を唱えるには、もう既に遅かったけれど、久遠もまたそっと瞳を閉じた。
永き時を生きてきた彼の願いは―――
−fin−
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