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<東京怪談・PCゲームノベル>


蝶の慟哭〜一片の葉〜


●序

 願いを叶える為に、何かを犠牲にしなければならない。


 秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
 その校内に、大きなイチョウの木が立っていた。樹齢はゆうに百を越すであろうか。どっしりとした木の幹が、歴史を感じさせるかのようだ。
 驚くべき事は、その長いであろう樹齢や、大きなその風格だけではない。通常黄色い葉を散らす筈なのに、そのイチョウの木は薄紅色の葉を散らすのだ。様々な科学者や生物学者が何人もイチョウの木を訪れ、調べ、研究を続けているが、未だに答えは出ていない。遺伝子の事故が起こったのかも知れない、という科学者がいたものの、それが本当であるかどうかはまだ証明されていない。
 そんな不思議なイチョウの木は、いつしか秋滋野高校の生徒達にとって、おまじないの対象となっていった。
 やり方は至極簡単で、薄紅色のイチョウの葉に、願いを書いて持ち歩くと言う事だけだ。勿論、既存のおまじないのように誰にも見られてはならない、という規約は存在している。
 そしていつしか、そのおまじないに関して特異の現象が起こり始めた。
 願い事の中でも、負の感情を孕んだものが特に叶えられていると言うのだ。
 そうした中、秋滋野高校の女生徒が一人、イチョウの葉を握り締め震えていた。
「私が……私が……」
 迫下・祥子(さこした しょうこ)は何度も呟き、薄紅色のイチョウの葉をぎゅっと握り締めたまま、震え続けていた。
 握り締めている葉には『クラスの皆、いなくなればいい』と書いてある。そして見つめる先にあるパソコンのディスプレイ画面には、一つの記事が表示されている。
『高校生、屋上から飛び降りる』
「私のせい……私のせいなの?」
 ガタガタと震えながら、祥子は呟く。これは単なる偶然なのだろうか?ただの憂さ晴らしでやっただけなのに、現実味を帯びてしまうなんて。
 祥子はふらりと立ち上がり、机の中に入っている小刀をそっと取り出す。ガタガタと震えながら、握り締めていたイチョウの葉を切り刻み始めた。が、一つの傷も入らない。何度も何度も打ち付けるが、傷は全くつかないのだ。
「どうして……どうしてぇ?」
 次第に祥子は叫び始めていた。小刀を握り締め、何度も打ち付ける。何度も、何度も。そうしていつしか、小刀は祥子の左手を何度も打ち付け始めていた。
 不思議と痛みは感じなかった。ただ、赤い血がだらだらと流れ続けた。赤く熱い、生命の証。それがだらだらと祥子の左手から流れる。でも、痛くない。
「……あはは……ははは……!」
 祥子は笑い、打ち付け続けた。何度も、何度も。


 次の日の新聞には『高校生、謎の自殺』の記事が載ったのであった。


●始

 たゆたわん。全てがゆるりとたゆたわん。その流れが止まる事なく、ゆるゆると。


 都立図書館の司書である綾和泉・汐耶(あやいずみ せきや)は、特別閲覧図書室の整理をしていた。九十九神憑きの書物がたくさんあるこの特別閲覧図書室は、汐耶に完全に任されている。
 そんな中、チェックをしていると突如コンコンという音が響いてきた。振り返ると、そこには図書館長が立っていた。
「綾和泉君、ちょっといいかね?」
 そう言う図書館長の顔は、心なしか青ざめているようだった。暗い図書室にいるからかもしれないが。
 汐耶が「はい」と答えると、図書館長は辺りを見回してからそっとドアを閉めた。薄暗く、狭い室内で図書館長はゆっくりと口を開く。
「秋滋野高校、というのは知っているかね?」
「……そういえば、今朝ニュースで見たような気がします」
 汐耶は朝のニュースを思い返しつつ言った。
 確か、その高校の生徒が立て続けに自殺をしているのだとか。最初は動悸が全く不明である屋上からの飛び降り、次に小刀で左甲を酷く打ちつけて出血多量。どちらも不可解な自殺だと、激しいレポーターと冷めているニュースキャスターが伝えていた。
「そう、その秋滋野高校だ。……そこの生徒が、この図書館から本を借りたのではないかと言われていてな」
「本、ですか?」
「そうだ。呪いの本を借り、それを実行したのではないかと」
 図書館長の言葉に、汐耶は怪訝そうに「まさか」と答える。
「そのような事実はありません。この図書館で、あのような不可解事件を起こせるような呪いの本は、ここにある特別閲覧図書くらいです」
「それなんだよ、綾和泉君。この特別閲覧図書の噂を聞きつけたメディアが、それを疑っているんだ」
 汐耶は思わず眉間に皺を寄せる。
「ですが……借りられた覚えも、貸し出した覚えも全く無いです」
「メディアにそのような事を言ったとしても、通じないだろうな。貸し出しカードや、この特別閲覧図書の為の申請書を見せる事は、個人情報の流出につながるからできないだろう?そうすれば、メディアにとって都合の悪い『証拠』をはっきりと見せる事は出来ないんだよ」
 図書館長の言葉に、汐耶は大きく溜息をつく。
 世の中に無数存在するメディアは、時に傲慢で無秩序だ。事実を伝える事が目的である筈なのに、気付けば視聴率を取る為に捏造をもする。
「どうすれば、いいんですか?」
「秋滋野高校で起こっている出来事が、この図書館が原因で起こっているのではない事が証明できたら良いんだが」
「と言いますと、秋滋野高校で起こっている事を解明すればいいと言う事ですか?」
「そして出来れば、解決できたらいい」
 汐耶は考え込む。メディアをこの特別閲覧図書室に入れる事だけは避けたい。もし入れれば、面白おかしく報道され、本当にこの図書室を必要とする利用者が利用できなくなってしまう可能性だってあるのだ。
 本は、必要な人にこそ貸し出す価値がある。
 その根本的な事実から、逸れてしまう怖れがあるのである。
「……分かりました。解決できるかどうかは分かりませんが、調べるだけ調べてみます」
「頼む。……出張扱いにするから、気兼ねなく行ってきてくれ」
 図書館長はそう言うと、特別閲覧図書室を出ていった。残された汐耶は小さく溜息をつく。
「……汐耶、気を付けよ」
 九十九神憑きの一冊が、汐耶に話し掛ける。汐耶は「ええ」と答えるが、九十九神憑きの本は続けた。
「嫌な、予感がする」
「そうですか」
 九十九神憑きのまた別の一冊が「汐耶ちゃん」と話し掛けてきた。古い占いの本である。
「石を持っていくといいわ。そうね、宝石の原石とかそういうのがいいわ」
 汐耶は「分かりました」と答え、図書館長が来る前にやっていた仕事を再び始めた。明日から、下手すると長い時間この図書室には来られない。今のうちに、出来る限りの仕事を済ませておく方が良いだろうとの判断である。
「……私も、嫌な予感がします」
 ぽつりと汐耶は呟いた。九十九神憑きの蔵書たちにも聞こえぬほど、そっと。その不安は汐耶の中にはっきりと根付いていくのだった。


●動

 知られざる流れを止める事は適う事なく。虚実の境界にて彷徨う。


 秋滋野高校は、裏に山を構えているという緑豊かな中にあった。校舎は比較的綺麗で、校庭も広い。生徒達は学業やスポーツ、クラブ活動などに勤しめる事だろう。
「……ここ、ですね」
 ぽつりと汐耶は言葉を漏らす。ポケットの中に入れてきた、水晶の原石をぎゅっと握り締めながら。そしてまずは学校側に許可を貰う為、事務室へと向かった。
「あら」
 校庭の端を通って校舎に入ろうとした時、ふと目の端に鮮やかな薄紅色が飛び込んできた。
「桜の季節……ではない筈ですが」
 汐耶は小首を傾げ、校舎に入りかけた足を薄紅色へと向かわせる。校舎の脇を通り、裏門に近い所に少しだけ開けたところがあった。裏庭、というものに近いものの、庭と呼ぶには狭い。
 そこに辿り着き、薄紅色の正体を見て汐耶は「あ」と声を漏らした。
 薄紅色の正体は、イチョウの木だったのである。通常は黄色の葉をつけるはずの、イチョウの木。それなのに、目の前にあるイチョウの木は薄紅色の葉をつけている。
「紅葉、という言葉はありますけど……イチョウの葉はこのような色には」
 汐耶は目の前のイチョウに見入られ、足を止めた。ひらひらと風に揺れて舞い散る薄紅色の葉は、桜とも見間違えんばかりの色をしている。
(でも、どうしてでしょうか。どうして、このような色に……?)
 汐耶は疑問に思い、ひらりと舞い降りてきたイチョウの葉を一枚拾う。実際に手にとって見ても、やっぱり薄紅色をしている。染めている訳ではない、実際に木に薄紅色の葉がついているのだ。
「そこで、何をしているんだ?」
 不意に男の声がして、汐耶は振り返った。すると、そこには作業着を着ている初老の男性が立っていた。
「私、この高校で調べものをさせて頂こうと来たんですけど……」
 汐耶はそう言い、イチョウを見上げる。
「事務室に行く前に、このイチョウの木が目に入ったものですから」
 汐耶の言葉に、男性は「そうか」と言って少しだけ表情を固くした。
「どうしてこのイチョウの木は、こんな色の葉をしているんでしょうか?」
「さあ、どうなんだろうな。……生徒さん達は、このイチョウの葉を使っておまじないをしているようだが」
「おまじない、ですか」
「ああ。このイチョウの葉に願い事を書いて持っておけば、願いが叶うんだと言っていたがな」
「願いを叶える葉なのですね」
 汐耶が言うと、再び男性の顔が固くなる。
「だが、その願いは負の感情を孕んだものの方が叶いやすいそうだ」
「負の感情?どうして……」
「わしには分からん。だが、ここ最近そのような願い事をする生徒さん達は、確実に増えているみたいだ。ここを掃除しようと葉を集めていたら、ぶつぶつと暗い声で何かを言いながら葉を拾っていく生徒さんを良く見かけるよ」
 男性に言われ、汐耶は改めてイチョウの葉を見つめる。そう言われると、何だか不気味な気がしてくるのは何故だろうか。
「ここ最近、物騒な事件が続いただろう?それで、マスコミ連中もこぞってこの木を調べているみたいだ」
 騒がしい事だ、と男性は呟きながら溜息をつく。
「ちょっと、いいでしょうか?」
 汐耶が尋ねると、男性はこっくりと頷く。
「という事は、ここ最近に起こった事件は、このイチョウの葉に誰かがおまじないをしたあら起こったんでしょうか?」
 汐耶の問いかけに、男性はくつくつと笑った。「はっきり聞くね」とも言いながら。
「わしはしがない用務員だがね、その考えはここの生徒さんを始めとして、教職員全員が感じているよ。もっとも、誰も口にはしてないけどな」
「そうですか」
 男性は「さてと」と呟き、大きく伸びをした。
「そろそろ仕事に戻らないとな。因みに、事務室は正面玄関を入ってすぐに左にあるぞ」
「有難うございます」
 男性は「じゃあ」と言って去って行った。汐耶は手にしていたイチョウの葉をポケットにしまい、男性に教えられた事務室へと足を向けるのだった。


 事務室で調べものをしたいと頼むと、案外簡単に了承を得る事が出来た。イチョウの木の関係から、調べたいという人は少なくないのかもしれない。来客になれている様子でもあった。
(今は、来客に慣れざるをえないのかもしれませんけどね)
 汐耶は小さく溜息をつくと、図書室に向かった。
 図書室は校舎の一番上の階、三階の端にあった。今は授業中なのか、教師の教えている声だけが廊下に響いてくる。途中、ざわめいたりしてはいたが。
(学校、だものね)
 汐耶はそっと笑う。どのような事件が起こったとしても、ここが学校である事には変わりは無いのである。
 図書館には司書がいた。図書室自体はかなりの大きさで、高校の図書室とは思えぬほどであった。
「素晴らしい図書室ですね」
 汐耶が言うと、司書は「ええ」と言って微笑む。
「歴史的に価値の高い、古い文献もありますし」
「それを見せていただく事は出来ますか?」
 汐耶がそう言うと、司書は「ええ」と言って微笑んだ。
「ただ、貴重なものなので、貸し出し等はできないのですが……それでもいいですか?」
「ええ。充分です」
 汐耶が答えると、司書は「では、少々待っていてください」と言って鍵を持って立ち上がった。
「すいません、一緒に行って見せて頂いてもいいですか?」
 汐耶の言葉に、一瞬司書は戸惑ったようだった。
「私、都立図書館で司書をしているんです。是非、今後の参考の為にも」
「ああ、司書をなさっている方ですか。なら、いいですよ」
 司書はそう言ってあっさりと承諾した。古い書物に慣れていない人間だったら、断っていたのかもしれない。汐耶は改めて、司書という職種についている自分を誇らしく思う。
 司書と共に文献の収められている部屋へと入ると、つん、という図書館特有の匂いがした。いつも嗅いでいる匂いである。
「ええと……これですね」
 司書はそう言って『秋滋野高校史』という文献を取り出した。汐耶はそれを受け取りつつ、辺りを見回した。
「結構、たくさんの古い文献があるんですね」
「ええ。この地域における地主さんだったらしいですよ、理事長さん」
 汐耶は司書の言葉に頷きながら、渡された文献を見る。古い割に、綺麗な状態である。ぱらり、とページをめくると、古書特有の匂いがふわりと立ち昇ってきた。
「結構、古い文献なんですね」
「そうですね。これなんかも、結構古いんですよ」
 司書がそう言って取り出したのは『秋滋野山史』であった。中をめくって見た後、最初に預かった『秋滋野高校史』の方が役立ちそうだと判断した汐耶は高校史だけもって出る事にした。
 内容は、高校の成り立ちから最近にかけての主な出来事の年表や、創立者について、またどういう事を掲げているかなどといったものが載っていた。そしてまた、学校に伝わる伝説も。
(伝説……これならばありそうですね)
 汐耶はそう判断し、伝説の項目をめくる。すると、中に『薄紅のイチョウ』という項目を発見する。
(これですね)
 汐耶は一つ息をつき、ページをめくっていく。内容は、予想通り校舎の端にあった薄紅色の葉をつけるイチョウについてである。
(学校創立前よりあって、最初は黄色い葉をつけていたのですね)
 それが、ある年からだんだん薄紅色に染まっていったというのだ。計算すると学校は創立して今年で五十年になるそうだが、年を経る毎にその色は濃くなっていくという。きっかけと呼ぶべき事件も、全く見つからなかった。
 そしてその背景にあるという「おまじない」が載っていた。例の薄紅色の葉に願いを書いて持っていれば、願いが叶うというものだ。
「でも、負の感情を孕んだものかどうかは載っていませんね」
 汐耶はぽつりと呟く。イチョウの木で聞いた「負の感情を孕んだものの方が叶い易い」という言葉は、どこにも載ってはいなかった。
(最初は、本当にただのおまじないだったようですね。どこにでもあるような、簡単なおまじない)
 ピンクのペンで好きな人の名前を書くとか、流れ星を見たら願いを言うとか、そういった簡単でポピュラーなおまじないに近い部類といえよう。それが、いつしか負の感情を孕んだものの方が叶い易いという事になってしまっている。汐耶は何度も文献を読んだが、それがいつからかということは分からなかった。
「……ともかく、イチョウの木の所にもう一度いってみましょうか」
 汐耶は小さく呟き、司書に礼を言って文献を返したのだった。


●見

 境界にては何も見えず。ただ移ろい行きし時が経るのを、そこはかとなく感じるのみ。


 再びイチョウの前にやってくると、最初に見た時とはまた違う印象を持った。あの古い文献を見たからかもしれない。文献には無かった「負の感情を孕んだ方が叶い易い」という事実が、綺麗だと思った薄紅色を心なしか薄気味悪く感じさせる。
「どうして、このような事になったのでしょうか」
 汐耶は呟き、イチョウを見上げる。相変わらず薄紅色の葉をひらひらと舞い散らしている姿は、桜をも思わせる。
(そう言えば、桜も根元に死体が埋まっているなどと言われる事もあるんですよね)
 元来、桜は真っ白な花だといういわれも無い話である。だが、こうして薄紅色のイチョウの木を見つめていると、それもあながち嘘ではないかもしれないと思わせる何かがあった。
 汐耶はそっとイチョウの幹に触れた。
(これ以上、犠牲が出ないようにしなければいけませんね)
 もしも、本当に今起こっている一連の出来事がイチョウの葉のおまじないによるものだとすれば、これ以上何も起こしてはならないと汐耶は感じていた。それは、絶対に。
(その、おまじないという呪詛でイチョウの木の本来の姿が封じられているのかもしれません)
 おまじないとは、お呪い。所謂、呪である。ならば、呪によってイチョウの木自体が囚われていると解釈する事は可能だ。事実、汐耶が見た文献にはイチョウの木が負の感情を孕んだ願い事の方が叶い易いという情報は無かったのだから。
 つまりは、本来は負の感情を孕んだものなどという制約は無かったのだ。
 ただ単に願いを叶えるというだけの木が、おまじないという呪詛によって歪められている。そう、汐耶は感じたのだ。
「そうならば、本来のイチョウの姿を解放すれば良いんです」
 きっぱりと言い放ち、汐耶はイチョウの幹に触れたまま意識を集中させる。封じてあると解釈すれば、汐耶にはその力を解放する事は出来るのだ。
 意識を集中して見えたのは、イチョウの幹の中にある丸い薄紅の塊。
 その塊を包み込むように意識を集中する。
 柔らかな膜が包み込み、やがて薄紅の塊を解き放つ。
 それにより、歪められた本来の姿が現れる。広がる薄紅の渦、浄化される塊の色は薄紅から白へと変わる。
「あとは、この呪詛を封じるだけですね」
 汐耶は呟き、散らされた薄紅の渦をしまいこむ媒体を探す。そして、ふとポケットに入れていた水晶の原石に気付く。
『石を持っていくといいわ』
「……ええ、本当ですね」
 汐耶は呟き、小さく微笑みながら散らされた薄紅の渦をゆっくりと水晶へと移していく。開放されたからといって、呪詛はなくならない。だからこそ、別のものに封印する為の媒体が必要となるのだ。
 そうして、水晶の原石に全ての薄紅の渦は収まっていった。
 薄紅色に変わった水晶に完全に封印を施した汐耶は、再びイチョウの木を見上げる。先ほどまで薄紅色の葉をつけていたイチョウは、他のイチョウと同じ黄色の葉をつけていた。
 汐耶によって、本来のイチョウの姿へと解放されたのである。
「これで、一応はいいですけど……」
 いつまた、同じ状態になるかどうかは分からない。おまじない、というものが繁栄している限りは、同じ呪詛によって再びイチョウが薄紅に染まるかもしれないのだ。
(教育方針や、生徒指導で観察して口を出して貰った方がいいかもしれませんね)
 汐耶はそう感じ、学校側に放そうと踵を返した。と、その瞬間だった。
「……何するの?」
 少女の声がし、汐耶は振り返る。見ると、和服に身を包んだ、黄色の髪に赤の目をした少女が立っていた。
「あなたは、誰ですか?」
「私が誰だなんて、どうでもいい。一体、何をするの?」
「これ以上、おまじないという名の呪詛が発動しないようにです」
 汐耶が言うと、少女は汐耶が持っている薄紅色に染まった水晶をじっと見つめた。そして、手をすっと差し出す。
「それ、返して」
「駄目です。これはこのイチョウの孕んでいた呪詛なのですから」
「それは、私が集めた力なのに」
「呪詛を力というのは、いささか問題があるように感じますが」
 汐耶はそう言って、きっぱりと断る。すると、少女は眉間に皺を寄せて汐耶を睨んだ後、飛びかかろうとしてきた。汐耶は慌てて水晶を握り締めたまま構える。
 だが、少女は汐耶に到達しなかった。
 途中で「ぐっ」とうめきながら、その場に蹲ったのである。
「……大丈夫ですか?」
 様子がおかしい事に気付いた汐耶は、水晶をポケットに入れてから少女に近付く。すると、少女は顔を上げて汐耶を見つめた。真っ黒な目をして。
 哀しい表情をしながらしばらく汐耶を見つめた後、少女は身を翻してその場から去っていってしまった。汐耶が止める暇を与える事も無く。
「……今の少女は、一体なんでしょうか」
 あっという間に、少女の後ろ姿でさえも消えてしまっていた。イチョウは、びゅう、と風が吹いて黄色になった葉を地へと落とす。
 汐耶の疑問に、答える事なく。


 汐耶は再び事務室に行き、イチョウ関連の出来事を話した。最初は全く取り合ってもらえなかったが、実際に黄色くなったイチョウの葉と薄紅色をした水晶を見せたら、ようやく信じてもらえたようだった。そればかりか、理事長に取り次いで貰う事が出来た。
 理事長は汐耶を通し、黄色の葉と薄紅色の水晶を見比べて溜息をつく。
「まさか、こんな風にできるとは思ってみませんでした」
「突然すいません。ですが、これは応急処置にしかならないと思うんです」
「と、いいますと?」
「イチョウの葉に関わるおまじないは、今や知らない生徒さんはいないくらい広がっているんじゃないでしょうか?それに伴って、負の感情を孕んだものの方が叶い易いということも」
「それは、否めませんが」
 理事長はそう言って溜息をつく。
「と言う事は、学校側から徹底して言って頂かないと、これは完全には解決しないんです」
「言うのは構いません。ですが、それをどれだけの生徒が守ってくれるかにかかってます。正直、難しいでしょうね」
 理事長の言葉に、汐耶は頷く。これは生徒一人一人の自意識にかかる問題であり、言ったからといって成果が必ずしも上がるとは限らないのだ。
 たかだかおまじないを制約する根拠は、目に見えぬものなのだから。
「それは分かった上でお願いします。指導をすれば、生徒さん達もよくないおまじないだと言う事は自覚してくれるでしょうし」
「その分、信憑性はあがるでしょうが」
 一番の問題点はそこだった。制約や指導をすれば、おまじないが本当に効くという事を実証しているようなものなのだから。
「あとは、生徒さん達を信じるしかありません。皆さんが、この学校の指導される方によって、おまじないなどしなくても良いような方々になられると言う事を」
 汐耶はそう言い、まっすぐに理事長を見詰めた。理事長はほんの少し表情を和らげ、深く汐耶に頭を下げながら「頑張りましょう」と言った。
「私も、もう二度とこのような事件に遭遇したくは無いですから」
 理事長の言葉に、汐耶は笑った。そして、何かに気付いたように「あ」と呟く。
「そう言えば、イチョウの木の近くで少女を見たのですが。髪が黄色で、目が……」
 赤い、といおうとして止まる。最後は、黒くなっていたのだから。
 だが、どちらにしろ理事長は首を捻るだけだった。近所にもそのような風貌の少女はいないとの事なのだ。
(あの少女は、一体なんなんでしょうか)
 理事長に頭を下げつつ、汐耶はふと思った。あの哀しそうな目が、印象深く残っているからであった。


●結

 感じた思いはどこにも行かず。ただただここでのみ、止まりて揺らぐ。ゆらゆらと。


 再び都立図書館の司書として復帰した汐耶は、早速図書館長へと挨拶に行った。事情を説明すると、館長は「そうか」と言って深く息を吐いた。
「つまり、うちの図書館は全くの無関係だった訳だな」
「はい。イチョウの葉に願い事を書くというおまじないは、もともとあの学校特有の者として根付いているものでしたから」
 汐耶はそう言ってそっとポケットに触れる。まだ、薄紅の渦を封じたままの水晶が入っている。
 図書館長は「ご苦労だったな」と言い、一つ頭を下げた。汐耶も軽く会釈をし、その場を後にする。
 その後、出張という名目から帰ってきたことを九十九神憑きの蔵書たちに報告しようと、特別閲覧図書室へと入る。すると、入ったと同時に「汐耶」と話し掛けられた。
「何でしょうか」
「思わぬ副産物を、持って帰ってしまったようだな」
 蔵書に言われ、汐耶はポケットから水晶を取り出す。「これですか?」と聞こうとした為である。
 だが、その時にひらりと何かが一緒に出てきた。
「これは」
 それを拾うと、まだ薄紅色だった頃のイチョウの葉であった。それを見て、蔵書は「それだ」と言って小さく笑う。
「汐耶、一緒に封じておくがいい」
「そうですね」
 汐耶は蔵書に言われ、イチョウの葉を再び見た。またいつこの色になるだろうかと、妙に心配になってしまう。
(大丈夫、ですよね)
 汐耶はそっと微笑みながらイチョウの葉に問い掛ける。理事長だって、頑張ると言っていたのだ。あとは信じるだけである。
 汐耶は小さく頷くと、封じる為にイチョウの葉に意識を集中するのだった。

<一片の葉に封を施しつつ・終>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 1449 / 綾和泉・汐耶 / 女 / 23 / 都立図書館司書 】

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■         ライター通信          ■
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 お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度はゲームノベル「蝶の慟哭〜一片の葉〜」にご参加いただき、有難う御座いました。
 ゲームノベルでの参加、有難う御座います。依頼ノベルと違ってお一人で挑んでいただきましたが、如何でしたでしょうか。
 このゲームノベル「蝶の慟哭」は全三話となっており、今回は第一話となっております。
 一話完結にはなっておりますが、同じPCさんで続きを参加された場合は今回の結果が反映する事になります。
 ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。