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<東京怪談・PCゲームノベル>


蝶の慟哭〜一片の葉〜


●序

 願いを叶える為に、何かを犠牲にしなければならない。


 秋滋野高校という、極々ありふれた高校がぽつりと郊外にある。校則は厳しくなく、それでもある程度の節度を持っている。至極普通の高校である。
 その校内に、大きなイチョウの木が立っていた。樹齢はゆうに百を越すであろうか。どっしりとした木の幹が、歴史を感じさせるかのようだ。
 驚くべき事は、その長いであろう樹齢や、大きなその風格だけではない。通常黄色い葉を散らす筈なのに、そのイチョウの木は薄紅色の葉を散らすのだ。様々な科学者や生物学者が何人もイチョウの木を訪れ、調べ、研究を続けているが、未だに答えは出ていない。遺伝子の事故が起こったのかも知れない、という科学者がいたものの、それが本当であるかどうかはまだ証明されていない。
 そんな不思議なイチョウの木は、いつしか秋滋野高校の生徒達にとって、おまじないの対象となっていった。
 やり方は至極簡単で、薄紅色のイチョウの葉に、願いを書いて持ち歩くと言う事だけだ。勿論、既存のおまじないのように誰にも見られてはならない、という規約は存在している。
 そしていつしか、そのおまじないに関して特異の現象が起こり始めた。
 願い事の中でも、負の感情を孕んだものが特に叶えられていると言うのだ。
 そうした中、秋滋野高校の女生徒が一人、イチョウの葉を握り締め震えていた。
「私が……私が……」
 迫下・祥子(さこした しょうこ)は何度も呟き、薄紅色のイチョウの葉をぎゅっと握り締めたまま、震え続けていた。
 握り締めている葉には『クラスの皆、いなくなればいい』と書いてある。そして見つめる先にあるパソコンのディスプレイ画面には、一つの記事が表示されている。
『高校生、屋上から飛び降りる』
「私のせい……私のせいなの?」
 ガタガタと震えながら、祥子は呟く。これは単なる偶然なのだろうか?ただの憂さ晴らしでやっただけなのに、現実味を帯びてしまうなんて。
 祥子はふらりと立ち上がり、机の中に入っている小刀をそっと取り出す。ガタガタと震えながら、握り締めていたイチョウの葉を切り刻み始めた。が、一つの傷も入らない。何度も何度も打ち付けるが、傷は全くつかないのだ。
「どうして……どうしてぇ?」
 次第に祥子は叫び始めていた。小刀を握り締め、何度も打ち付ける。何度も、何度も。そうしていつしか、小刀は祥子の左手を何度も打ち付け始めていた。
 不思議と痛みは感じなかった。ただ、赤い血がだらだらと流れ続けた。赤く熱い、生命の証。それがだらだらと祥子の左手から流れる。でも、痛くない。
「……あはは……ははは……!」
 祥子は笑い、打ち付け続けた。何度も、何度も。


 次の日の新聞には『高校生、謎の自殺』の記事が載ったのであった。


●始

 犠牲はそれに止まらず。じわりと広がる贄としての自覚をも、気付く事も無い。


 梧・北斗(あおぎり ほくと)は、土曜日でも開けている草間興信所のソファにどかっと座り、笑いながら草間を指差した。
「……そんなにおかしいか?」
 不満そうな草間に対し、北斗は心からの笑みを浮かべて頷く。
「だって、普通では考えられないじゃん。ゴキブリ追いかけて、顔から突っ込んで倒れこむだなんて」
「必至だったんだから、仕方が無いだろうが」
 草間はそう言って、煙草に火をつける。鼻の頭に貼られている、可愛い猫のキャラクタが描かれたバンソウコウがより一層の笑いを誘う。勿論、草間にとってはそのバンソウコウも不満な訳だが。無いから我慢しろ、とぴしゃりといわれて黙るしかなかったのである。
「ま、可愛いといえば可愛いんじゃない?草間は別に可愛くないけど」
「お前に可愛くないといわれても、何ともない」
「ははは、そこで悔しがられたらもっと怖いっつーの」
 北斗はそう言ってけらけらと笑った。草間はぐっと拳を握り、静かに口を開こうとした。
 その瞬間だった。
 がちゃりとドアが開き、スーツを着た上品そうな初老の男が現れた。
「草間興信所、ですね?」
「はい。何かご依頼でも?」
 草間は北斗に言うのを止めて、立ち上がってソファを手で示す。北斗はそれを見て、ソファから立ち上がって避けた。男性は「どうも」と言いながらソファに座った。
「実は、こちらでは怪奇現象についても取り扱っていると言う事で」
 男性が言った瞬間、一瞬草間は眉間にしわを寄せたのだが、どうやらそれに気付いたのは北斗一人だったらしい。思わず北斗はぷっと吹き出したのだが、草間に軽くにらまれてしまう。
「……それで、どういったご用件ですか?」
「申し遅れました。私は、こういう者です」
 男性はそう言い、一枚の名刺を取り出した。草間も自分の名刺を取り出して交換する。北斗がそれをひょいっと覗き込むと、そこには『秋滋野高校理事長』という肩書きが書いてあった。
「秋滋野高校って、そういや朝のニュースで……」
 北斗が言うと、理事長は「嘆かわしい事です」と言って大きな溜息をつく。
「その事件の真相が、全く分からないのです」
 理事長はそう言い、資料を取り出した。草間はそれを受け取り、目を通す。次にそれをずっと覗き込んできた北斗へとまわした。それを見て理事長は不思議そうな顔をしたため、草間は「調査員です」と説明をした。
「随分お若く見えるのですが……」
 不安そうな理事長に、草間はにっこりと笑う。営業スマイルだ。
「こう見えても、エキスパートですから大丈夫ですよ。それよりも」
 草間は話を逸らすようにそう言い、真面目な顔で一枚の資料を取り出す。「これは、何でしょうか?」
 北斗が覗き込むと、それは一枚のイチョウの葉を映した写真が載っていた。だがしかし、普通のイチョウの葉ではないのだ。
「何だ、それ……。何でそんな色してるんだ?」
 北斗が小首を傾げつつ尋ねる。そのイチョウの葉は、薄紅色をしていたのである。
「何故だかは分からないのですが、秋滋野高校の片隅にあるイチョウの木は、その色の葉をつけるんです」
「ピンクって、桜みたいだけど」
「ですが、正真正銘イチョウなのです。それも、一年中。様々な研究者が訪れて研究をしているようですが、未だに原因は分かっていません」
「へぇ、面白いな」
 思わず呟く北斗を、ぎろりと草間は睨みつける。それに気付いて北斗は「ごめんごめん」と言いながら笑って誤魔化す。だが、理事長は「いえいえ」と言って苦笑する。
「高校内でも、生徒達は面白がっているようです。このイチョウの葉を使ったおまじないもありますし」
「おまじないって、どういうの?」
「イチョウの葉に、願い事を書くんです。それを持っていれば、願いが叶うという」
「へぇ」
 北斗は感心して資料を見る。そして、ある一箇所で「ん?」と疑問の表情を浮かべた。
「この『負の感情を孕んだ方が叶いやすい』って、何?」
 北斗の疑問に、理事長は顔を曇らせた。小さく溜息をつき、口を開く。
「それが、おまじないと共に生徒達の間で広まっているんです」
「負の感情っていうと、妬みとか憎しみだとかそういうものですよね?」
 草間が尋ねると、理事長は沈痛の面持ちで頷いた。
「実は、その噂が本当の形となって現れたように思ったんですよ」
「つまり……今朝やっていたニュースの、自殺の原因?」
「そうです。教員達は鼻で笑っていましたが、心のどこかに疑問を抱いている様子でした。そして勿論、生徒たちも」
「イチョウの葉のおまじないで、自殺……か」
 北斗が「うーん」と言いながら考え込んでいると、草間は「そういえば」と言って話を切り出す。
「そういえば、先日にも自殺者が出たんじゃなかったでしょうか。それも、やっぱり遺書や原因が分からない」
「あー、そういえばあったっけ。ええと、飛び降り自殺だっけ?」
 草間の言葉に北斗も思い出したように言うと、理事長は「そうです」と言って俯く。
「未来ある生徒たちが、次々に悲しい結果になってしまうのは本当に残念でなりません。もし原因があると言うのならば、それを断ち切って欲しいのです」
 理事長はそう言い、顔を上げてから改めて頭を下げた。草間と北斗は顔を見合わせ、ゆっくりと頷き合った。
「分かりました。出来る限りの事はしましょう」
「お願い致します」
 再び頭を下げ、理事長は草間興信所を後にしていった。それを見送り、草間は「どうだ?」と北斗に尋ねる。
「どうって、やるよ」
「そうか」
「だってさ、薄紅色の葉のイチョウだなんて……普通じゃない、よな?」
 北斗はそう言って、じっと資料に見入った。何か、異常な雰囲気を感じ取って仕方が無いのだ。
「おまじないという存在も、おかしいと思うぜ」
 草間はそう言い、煙草を口にくわえる。先ほど、ほんの少ししか吸えなかったのが心残りらしい。
「何処でもある話だけど、負の感情……悪い事がたくさん起こるのは変だもんな」
 北斗は呟き、そっとイチョウの葉の写真が載っている資料を手に取るのだった。


●動

 知らないままに過ぎてゆく贄としての存在は、ゆっくりと侵蝕していくにしか過ぎない。


 秋滋野高校は、緑豊かな山々に囲まれた学校だった。校門を抜けると割合にして綺麗な校舎が目の前に構えており、広い校庭が広がっていた。
「スポーツとかも、結構栄えてるんだろうな」
 北斗はぽつりと呟き、学校内を見回す。日曜日の為、ちらほらとしか生徒の姿は無い。耳を澄ませば、遠くから吹奏楽の練習する音が聞こえてくるくらいである。
「弓道場もあるのかな?」
 北斗はふと呟き、そっと笑んだ。実際に所属する部活動が他校にあると、何故だか嬉しい気持ちになるからだ。
「あるわよ、弓道場」
 声をかけられ、北斗はそちらを見た。すると、そこには秋滋野高校の制服を着た女子生徒が立っていた。
「その担いでいるの、弓でしょう?」
 女子生徒は北斗の抱えている大きな包みを見て、尋ねる。北斗は曖昧に「ああ」とだけ答える。
「あんた、ここの生徒?」
「そうよ。転校生か何かなの?」
「違う違う。俺はここを調査しに来たんだぜ」
 北斗が胸を張っていうと、女子生徒は「そうなんだ」と言ってから小首を傾げる。じっと北斗を見つめながら。
「先日の、自殺の事を調べに来たの?」
 突然核心をつかれ、北斗は思わず頷く。そしてすぐ後に「あ」と言って口を押さえる。
「あまりこう言う事言っちゃ駄目だよな。良ければ忘れてくれないか?」
「忘れられないわ」
 女子生徒はそう言い、苦笑する。北斗もそれにつられて「へへ」と笑ってしまう。
「じゃあ、言ったついでに色々教えてくれないか?」
「私に、分かる事なら」
「ええとまず……イチョウの葉のおまじないって、やったことある?」
 北斗が尋ねると、一瞬女子生徒は動きを止め、そっと顔を俯かせた。
「……あるわ」
「そっか。どういう願いしたとか、どうなったとか聞いてもいいか?」
 女子生徒は顔を俯かせたまま「どうして?」と尋ねる。声が心なしか、先程よりも低い。
「どうしてって……そういうおまじないの所為じゃないかって思っててさ。でも俺は実際にはよく分からないから、どうなのかな?と思って」
「叶ったわ。だって……祥子、死んだでしょう?」
 女子生徒の言葉に、北斗ははっとして彼女を見つめた。彼女はゆっくりと顔を上げ、北斗をじっと見つめた。睨みつけているという表現の方が、正しいのかもしれない。
「あんた、迫下・祥子の死を願ったのか?」
 北斗の問いに、女子生徒は「罰を落として」と呟くように言う。
「香苗を殺した奴に罰を落として、と願ったの」
「香苗……田中・香苗(たなか かなえ)の事か?迫下・祥子の前に、飛び降り自殺をした……」
「自殺なんかじゃないわ!」
 女子生徒はそう言って叫んだ。北斗はただ、女子生徒をじっと見つめる。
「自殺の理由なんて、香苗には無かったわ」
 彼女はそう言い、口を開いた。
 迫下・祥子はクラスで浮いた存在で、そんな祥子に対しても同じように接したのは香苗だけだったという。クラスでも人気者で、誰にでも優しい香苗。
「私達は、祥子が書いたラブレターを見つけちゃったのよ。たまたま、床に落ちていて」
 それを偶然拾ったのは、香苗だった。
 周りにいたクラスメイト達は、それをこぞって見たがった。見て、馬鹿にしていた。それを止めようとした香苗を、偶然祥子は目撃してしまった。
 それも、香苗が丁度ラブレターを手にしているという状況を。
「その所為で、祥子はきっと香苗を殺したのよ。絶対に、そうよ!」
「だけど、田中・香苗は迫下・祥子を庇っていたんだろ?なら、別に田中・香苗だけを殺したって仕方ないじゃないか。どうせなら、その場にいたクラスメイトの……」
 そこまで言い、北斗ははっとする。その様子を見て、女子生徒は「何?」と怪訝そうに北斗を見つめる。
「迫下・祥子は、田中・香苗だけを恨んだんじゃないんじゃないか……?」
「どういう事?」
「あんただって、そうだ。罰を落として欲しいと願ったかもしれないけど、死までは願わなかったんじゃないか?」
 女子生徒はびくりと身体を震わせた。北斗の読みが当たったのだ。
「迫下・祥子は田中・香苗だけをターゲットにしていたんじゃないんだ、きっと」
「……なら、どういう事だっていうのよ」
「あんただったら、どう思う?クラスメイト達に馬鹿にされて、唯一庇ってくれる奴も一緒になってると思ったらさ」
 北斗が言うと、女子生徒はぐっと黙る。
「クラスメイト全員に対して、腹が立たないか?」
「……まさか」
 女子生徒はそう言って首を振る。だが、北斗は「そう考えたらさ」と口を開く。
「そう考えたらさ、納得がいくんだよ。だって、迫下・祥子もクラスメイトの一員じゃないか」
 北斗の言葉に、女子生徒は唖然として立ち尽くす。突拍子も無い言葉だが、説得力がありすぎるのだ。
「イチョウの木、どこにあるんだ?」
 北斗が尋ねると、女子生徒は校舎の横の方を指差した。色々な思いが交錯し、言葉が出てこないようだ。北斗は「さんきゅ」と言って、女子生徒が指差した方向へと向かう。が、その途中でくるりと振り返ってにかっと笑った。
「気に病む必要なんて無いぜ。誰にでも、心に闇は抱えてるんだからさ」
 北斗はそれだけ言うと、踵を返してイチョウの木へと向かった。背中に「ありがとう」という女子生徒の言葉を受けながら。


●見

 侵蝕を阻む事なく、侵蝕を留める事も無い。ただ緩やかに落ちていくだけ。


 イチョウの木は、校舎を横切った端にあった。
「これが、イチョウか……」
 北斗は呟き、見上げる。確かに、葉が黄色ではなく薄紅色をしているのである。
(本当に、桜みたいだ)
 ひらひらと風に揺られて葉を落とす姿は、桜に酷似している。北斗はそっとポケットからイチョウの木の載っていた資料を取り出す。
『学校創立前より、イチョウの木はあった。最初は薄紅色ではなかったが、年を経る毎に色を変えてきた。特に過去に何か特別な事件があったというような記録は無い』
 そのような事が書かれている資料を見、北斗は小さく溜息をつく。
「つまり……こんな事が起こっているのは、初めてって事か」
 北斗は「うーん」と考え込む。イチョウの葉が薄紅色に染まる原因とも言える事件があれば、また対策も変わってくるからだ。
「それにしても、本当に紅に染まってるんだな」
『桜の木の下には、死体が埋まっている』
 そんな事をふと北斗は思い出す。本来ならば真っ白な花である桜の木だが、その根元に赤き血を持つ死体があるから、それを吸って紅に染まるのだと。
(そりゃ、本当にイチョウの木の下に死体があるとは思わないけど)
 北斗はそっとイチョウの木に触れる。確かに根付く幹が、妙にたくましい。
「迫下・祥子は、失血死だ」
 ぽつり、と北斗は呟く。
「赤い血を一杯流して、死んでしまったんだ」
 辛く、苦しかっただろうと北斗は眉間に皺を寄せる。そしてゆっくりと抱えていた包みを、紐解く。
 中から現れたのは、特殊な退魔用弓『氷月(ひづき)』である。北斗は氷月を片手に持ち、もう一方の手で再びイチョウの幹に触れる。そっと目を閉じながら。
(葉は、イチョウの木から派生したんだ)
 ひらひらと舞う、薄紅色の葉。
(根本は木にあるかもしれないけど、派生した葉に繋がっている)
 木に集中すると、自らに流れる血流とイチョウに流れる水脈が交じり合うかのような感覚を覚えた。
 そして、網膜の裏に見えたのは赤黒い光。
『……皆、消えてしまえばいいと思ったわ』
 北斗の耳に微かな声が響く。イチョウの木に宿る思念の一つのようだった。
『クラスの皆、と書いたから。だけど、一番にいなくなったのは唯一私に優しかった人だった』
(これは……迫下・祥子?)
『そんなつもりじゃなかっただなんて、誰に言えばよかったの?願いを取り消そうと葉を壊そうとしても、全然壊れなかった』
 北斗の脳裏に情景が浮かぶ。暗い部屋の中、イチョウの葉に書かれた文字を消そうと必至になる、迫下の姿が。
『そして私は気付いたわ。クラスの皆っていう、皆の中には私も含まれているんだって』
(やっぱり、そうだったんだな)
『私も、私を馬鹿にしたクラスの皆の一員なのよ……』
 そこで、迫下の思念は途切れた。北斗の心に、どろりとした苦しい感情を残したまま。恐らくは、これが負の感情というものなのだ。
「……祓おう」
 ぽつり、と北斗は呟く。
「祓おう。このイチョウの木に宿る、負の感情を……!」
 北斗はイチョウの木から手を離し、氷月を構える。構えるのは弓だけで、矢は存在しない。矢は、自らの気で練り上げるからだ。
 イメージを膨らませ、ゆっくりと弦を引く。北斗の手の動きによって、弦が矢を支えるかのように動いていく。そうしていくと、弓で確実にイチョウを射る準備をしていった。
 剛のように、確実に。柔のように、しなやかに。
 北斗は息を一つ吸い込み、狙いを定めて弓を弾く。
 気によって練り上げられた力の塊は、一直線にイチョウの木へと向かって行く。負の感情に支配されているイチョウの木を、浄化する為に。
 パシンッ。
 風船が弾けるような音が響き、一瞬の内に光がイチョウの木全体を包んだ。そして、光が収まった後にひらひらと葉が舞い降りてくる。
 紅には染まっていない、イチョウ本来の色をした葉が。
「……祓えたんだな」
 葉を見て北斗は呟き、そっと微笑む。
「余計な真似を」
 突如、人の気配と声が聞こえて北斗ははっとして振り返る。すると、そこには髪が黄色で目の赤い少女が立っていた。
「余計な真似だった?」
 北斗が尋ねると、少女は北斗を睨みつけながら頷く。
「折角、多大な力を孕んでいたというのに」
「そう言われてもさ、負の感情にまみれた力なんて持っていたって」
「我らには、それが大事だったのだ」
「我ら?」
 北斗が尋ねると、少女は「そうだ」と言って頷く。
「複数形って事は、他に誰がいるんだ?」
「我々は別個であり、また一つでもある。別の誰かというものは無い」
 少女はそう言って、北斗を冷たく見つめる。北斗は「うーん」と唸りながら、後頭部を掻く。
「俺にはちょっと、わかんないんだけど?」
「知る必要は無い」
「でも、気になるじゃん?」
「お前が知らなければならない事ではない」
 北斗は小さく「やれやれ」といい、そっとイチョウの葉を拾う。既に黄色と化したイチョウの葉を。
「でもさ、綺麗じゃん」
「……綺麗、だと?」
「確かに、紅色に染まっている葉も桜みたいで綺麗だったかもしれないけど、今の方が凄く綺麗に見える」
 北斗は「ほら」と言って、イチョウの葉をひらひらと揺らした。少女は「馬鹿な」といい、くつくつと笑った。
「いいだろう、全ては繰り返されるだけなのだから」
 少女はそれだけ良い、駈けていく。北斗は「おい」と言って追いかけようとしたが、強い風が吹いてきてそれを阻んだ。
 そして風がなくなった後には、少女の姿は何処にも無かった。
「……繰り返すって……嫌だな」
 ぽつりと北斗は呟き、手にしていたイチョウの葉をそっと風に乗せた。葉はふわりと風に乗り、やがて地へとゆっくりと落ちていくのだった。


●結

 終わりは見えず、帰着はあらず、全てはゆるりと贄を侵蝕しつつ廻り続ける。


 草間興信所で北斗の提出したレポートを見ながら、草間は「ふむ」と言いながら煙草に火をつけた。
「イチョウの葉は、元の色に戻ったんだな」
「ああ。それで全部良い具合に行くかどうかは分からないけど……負の力は消えたと思う」
「あの色が、負の感情そのものだったんだな」
 草間はそう言い、煙を吐き出す。
 おまじない、と言っても、所詮は呪だ。軽い呪でも、長い年月の中で蓄積されつづければ、強大な呪に変化する。
 本来ある『おまじない』というもの自体の存在を、侵蝕する形をもって。
「そういえばさ、ゴキブリって結局しとめたんだっけ?」
 ぽつりと尋ねる北斗に、草間は「は?」と言って首を傾げる。
「前の時、鼻の頭に怪我をしてたじゃん。ゴキブリを追いかけて、顔から突っ込んでいって……」
 北斗はそこまで言い、ぷぷぷ、と笑った。その時の状況を、ふと思い返してしまったのだ。草間はそんな北斗を軽く睨みつけ、大きく息を吐き出す。鼻の頭には、普通のバンソウコウが貼られているだけだ。
「逃したんだよ」
「そりゃ、残念だったな。せっかく怪我までしたのにな」
 北斗はそう言い、再び笑う。草間は大きく溜息をつきながら「いいんだよ」と言い放つ。
「あれから、見てないんだ。もしかしたら出ていってくれたのかもしれない」
「それか、潜んでいるかだよな。草間に見つからないように」
 北斗が言うと、草間は明らかに嫌そうな顔をした。考えないようにしていた事実なのだろう。
(潜んでいる……か)
 人の心にある、密やかな感情が思い返された。いなくなればいい、罰が落ちればいい。そんな暗い感情が、いつしかおまじないの域を超えて呪へと侵蝕されていくとも気付かずに。
「早く、気付けるといいな」
 北斗の言葉に、草間はしばらく考えてから「ああ」と言って頷いた。
「そういえば、俺が渡した資料はどうした?」
 草間に言われ、北斗は「あ」と言って思い返す。ポケットに突っ込んだままにしていたのだ。北斗はそれを取り出し、皺を手で伸ばす。
 そしてふと、そこに載っている薄紅色のイチョウの葉を見て、再び「気付けるといいな」と呟くのであった。

<一片の葉に呟きを聞かせ・終>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 5698 / 梧・北斗 / 男 / 17 / 退魔師兼高校生 】

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■         ライター通信          ■
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 お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度はゲームノベル「蝶の慟哭〜一片の葉〜」にご参加いただき、有難う御座いました。
 ゲームノベルでの参加、有難う御座います。通常の依頼ノベルとはまた違った雰囲気を感じ取ってくださると嬉しいです。
 このゲームノベル「蝶の慟哭」は全三話となっており、今回は第一話となっております。
 一話完結にはなっておりますが、同じPCさんで続きを参加された場合は今回の結果が反映する事になります。
 ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。それではまたお会いできるその時迄。