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■なつかしかかさま■
「わたくしのお母様のお料理を用意して欲しいの」
とても料理がお上手だったお母様。
優しくて、お美しくて。
『食べたい物は無い?』
お散歩の後、一緒にお歌を歌った後、ヴァイオリンを聴いて頂いた後。
いつだってそう訊ねて下さったお母様。
一年前に死亡したというその母親の料理が食べたい。
依頼、というか「何でも頼みを聞いてくれるのでしょう?」と興信所の応接テーブルに札束を山盛りにしてそう告げたお嬢様に向かい合っていた草間が咽喉を鳴らした(無論札束にだ)その場面に居合わせた人間は二人だった。
** *** *
居合わせれば常連は依頼の手伝い。
これは草間興信所の方式とも言える。と言うか訪れる常連は物好きであったり、お人好しであったりと結果的に自分から首を突っ込む輩ばかりであるので自然とそうなったのであるが、この日遊びに来ていた梧北斗もまた――あれこれと細かい仕事をいつの間にやら手伝っている事からも明らかに、それに当て嵌まる人物であったが、今回のこの依頼について彼には一つ懸念があった。
「……俺、料理なんて作った事もないぜ?……家庭科の授業以外」
そう。祖父と北斗自身が退魔師であっても他はごく一般の家庭に育った男子高校生。趣味であるとか、将来その手の職業に就きたいのであるとか、なにがしかの理由が無ければそうそう料理をする筈も無い。更に言えば、授業では女子に主導権を握られ、家庭では母が台所の主となれば出来る事なぞたかが知れているではないか。
北斗の窺うような声音に、交渉した前金の領収証コピー等を依頼書と一緒に整理するシュラインが手を止めて彼を見る。
少しばかり普段よりも目を丸くしてシュラインは北斗をしばし眺め遣ったが微笑むと開いていたファイルを閉じた。
「大丈夫よ、私が出来るから」
「……なら俺誘うのはどうしてだ?」
「あんたも感じたんじゃないかと思ったけど?」
微笑むままシュラインが言うのに小さく舌打ちしてそっぽを向く。
あの金持ちお嬢様が本当に求めているのは料理ではない。
そう考えたのではないのか、とシュラインは言っているのだ。そしてそれは正しい。
「人との触れ合いに飢えているのじゃないかと思うの」
「思い出とか、母親の愛情とか欲しがってると思った」
同時に重なった言葉は、少し違う。おや、とお互いの顔を見たが別段調整が必要な差異ではない。その推測から動けば自然と相手の推測にも従って動く事にはなるのだから。
シュラインの瞳が姉が向けるような―姉は居ないがそう思わせるもので、いささか照れ臭く今度は唇を少しだけ尖らせてまたそっぽを向く北斗である。なんというか「優しいのね」だとか「いい子ね」だとか、そういうニュアンスを感じさせる態度はどうにも収まりが悪くて落ち着かない。そのあたりが彼らしい。
「もっとも、依頼が『料理』である以上は手伝って貰うけどね」
「……仕方無ぇな」
無論、引き受けた以上は努力するつもりでいたのであるし否やは無い。
けれどやはり耳に甦るのは少女の言葉で。
思い出ばかりを語った声を思い出してぽつりと零す。
「俺たちが料理を作っても……ただの料理だ。母親の味の再現は無理だろうな……」
「努力はするけどね。まあ報酬から言えば前金もきちんと貰ったし、怪奇でもないから武彦さんも落ち着いてるし」
「そういえば本当に金に釣られて依頼受けたのか?あいつ」
見てたけど、と北斗が言うとシュラインが肩を竦めてみせる。
ファイルを持って立ち上がる彼女がその手で示したのは給湯室でコーヒーを入れるその姿。
「むしろそれは二次的なものね。武彦さん、ああいう依頼に結局弱いから」
納得する部分があって、確かにな、と北斗もシュラインの言葉に頷いた。
草間武彦という人間はどうも義理人情に非常に厚い気がする。それもあってあのお嬢様ここに依頼したのかな、とふと考えて更に思い出した彼女の『お母様は』と繰り返した言葉。その中に、一度として出なかった言葉。回想であっても一度位は――少なくとも北斗の家族であれば一度や二度は必ず一緒に出る言葉。
気付いたそれ。
「父親は、なにやってんだよ」
思わず零した言葉に、シュラインが無言で北斗を見た。
なにか表情に困るといった風情で。
** *** *
「……小麦粉、バター、里芋」
「そんなもの料理長に言えば良いじゃない」
「俺に言うな。そもそも散歩兼ねて出てるんだろうが」
「……そりゃ、お母様とこうして出た事はあったけど」
あなたみたいなガサツな相手と出た事なんて無いわよ、と言われて北斗も盛大に顔を顰める。
失礼な言い草だ。ヴァイオリンの演奏に素直に感動するような人間をガサツの一言で片付けるか。
「まったく、依頼人のわたくしまで一緒に買物なんてどういう事なの」
「だから、料理だけじゃなくてお前が母親としてた事もやるっつってんだろ」
「解ってるわよ」
「そもそも料理人の使うのとは別で用意してたんだろうが元々」
「解ってるわよそれも」
北斗の家ではまず確実に訪れない高級食料品店の中で、その値段に仰天しながら少女と二人歩いていく。
背後で見守る執事が居るので現実には二人ではないのだけれど表面的には二人である。北斗は無論、執事に気付いているからして気持ちは三人なのだが、お嬢様としては二人なわけだ。
一瞬だけ視線を執事の潜む方へと飛ばしてまた歩く。
店内にかかるクラシックに何気なく北斗は耳を傾けて。
「にしてもさ、お前本当にヴァイオリン上手いよな」
「え?」
「だからさっきのヴァイオリン」
北斗としてはただ不意に思い出したから言ったのだけれど、その言葉に少女は里芋に伸ばした手を止めた。
良いものは良いと北斗は言う。だから素直に告げたのだが唐突過ぎただろうか。思って少女を見詰め返すと恥ずかしそうに、照れ臭そうに、視線を泳がせる姿。意外だ。北斗のイメージでは「当然よ」くらい言いそうだったのだけれど、そういえば先程の演奏直後もあまり自慢する様子でもなかった。
そんな風に見る北斗の前で少女が「ありがとう」だとか小声で言いながら改めて里芋に手を伸ばす。その伸ばした先の里芋を北斗も見て。その視線の動きに気付いたのだろう少女がちらりと北斗を窺ってからぽつりと落とした言葉。
「お母様がね、高い物はそれなりの理由があるのよと仰っていたの」
「へぇ?」
「手間と時間をかければ高くなるのも当然だから、正当な値段なら高くても良い物を選びなさいって」
「……まあ解らないでもねえけど」
北斗にしても部活で使うものだとかを極端な安物で済ませる事はないのだから、結局はそれと同じ事だろうか。
真剣な顔で里芋を選る幾らか年下の少女を眺めながらそう思う北斗である。
「で、お前里芋の良い悪い解んの?」
「………………頑張れば」
「解んねぇなら適当に選べよ」
「だ、だめよ!良い物選ばないと!」
「見分け方後でシュラインに聞け。料理得意な筈だ」
まくしたて、少女が取っていた分を提げたカゴに放り込むともう一方の手で少女の手を掴む。その無造作な行動に少女が一瞬目を丸くして、それから少しだけ目を伏せてそのまま一緒に歩いていく。
更にその後に執事がついていたのだが、それは少なくとも少女は知らない。
自分より細い手を引いて、小麦粉を取りに回りながら北斗は少し苛立った気持ちだった。
シュラインから聞いたこの依頼人の父の名前。北斗だって知っている企業の社長だ。仕事仕事で各地を飛び回っている辣腕家よ、とシュラインに言われれば少女との関係だってそれなりに想像出来る。その父親に北斗は苛立つのだ。
(自分の娘が寂しがってるってのに、仕事かよ)
棚の商品を指しては母親の話した事を教える――先程の里芋の一幕で心理的に近付いたのだろうか――その少女を横目で見ながら小さく舌打ちした。使用人や背後をついてくる執事も充分気を使っている様子ではあったけれど、どうしても線引きがあるのだろうと思われる。それももどかしいが父親程ではなく。
メモにある商品を買い込んで店を出る。
戻れば今度は『一緒に料理しましょうか』と見事にお嬢様を丸め込んだ興信所の事務員様が待ち構えている事だろう。
ぐいと荷物を抱えてまだ手を握ったまま、北斗はむすりと歩き出した。
何が気に入らないでもないけれど、死んだ母親の話ばかりする少女と、愛情の有無は解らないが娘と関わりの薄い父親。それを思えばまさに「もやもや」と形容し難い苛立ちが腹の上あたりで蟠るのだ。
「ちょっと、顔怖いわよあなた」
「……お前なぁ」
少女が『郊外では通学に支障が出るから』と父親に用意された無駄に広々とした自宅までの道。
その中ほどでよくぞ黙って手を引かれたものだと感心しそうになりながら、少女に言われた言葉に北斗が足を止めた。
何事か言い返しかけて、幾らか年下の依頼人の顔を見て唇を引く。閉じて、開いて、また閉じて。言いかけてはうまくまとまらなくて断念する事を繰り返す北斗を怪訝そうに見る少女。その、他の女子と変わらない面差しが北斗の唇を結局開かせた。
「あのさ」
柄でも無い。どこかでちらりと思いながら視線を彷徨わせて、また少女を見る。
「ずっと母親の話ばっかしてるけどよ……いなくなった人は帰らないだろ」
「そ、そんなこと言われなくても」
「けど」
険しく表情を改めて少女を声を張り上げるのに、北斗の声が押し被せるように続けられてその強さに上げた声を収めたのは少女だった。
ぎゅうと握った手に力を込める。ただ、なにか力が伝わればいいと。
「思い出はずっとお前の中にあるだろ?だから、さ、その」
言いたい事がまとまらないのは困る。
うろうろと視線が踊ってふと執事の姿を見咎めたりしても言いかけた言葉を止めるのも憚られ、結局視線は少女に戻った。
「その、なんだ。寂しいんだろうけど……頑張れよ。負けずにさ」
な!とわざと明るく言ってみる。
例えば執事や使用人だって居るだろうとか、例えば父親と話すのはどうだとか、そういう事を言うのも場合によって有りなのだろうけれど北斗はなによりも「頑張れ」と言いたかった。そう、励ましたかったのだ。強く握った手もそういう事なのだと。
言った、と妙な達成感すら覚えた北斗が改めて少女を見て今度は仰天する。
「ちょ、おい!ああ……くそ、おい俺そんな泣くような事言ったかよ」
北斗の手に包まれていない方の手の甲で目元を覆って顔を伏せ、しゃくりあげる肩が明らかに泣いていると教える少女の姿。
励まして、それで泣いたなんて。
失敗したかと思う北斗の手を初めて――そう、初めて少女から強く握り返した。
その感触に微かに瞠目し、それからつい確かめるように離れて見守る執事を見る。老いた彼が深く頷くので北斗は二、三度髪を掻くと諦めた風情で嘆息して歩き出した。照れ隠しだと解るその仏頂面のまま、泣きじゃくる少女の手を引いて。
「……家、着くまでに泣き止めよな」
こくりと頷く気配がひとつ、後ろにあった。
** *** *
「はい。あんたの分」
「なんだこれ」
後日、興信所を訪れるなりシュラインから渡された包みに目を丸くする。
甘い匂いのするそれに、なんとなく予感めいたものはあったのだけれど。
「先日のお嬢様から。執事の方が報酬と一緒に持って来られたの」
「……ふぅん」
くん、と鼻を寄せると更に充満する匂い。クッキーかなと校内でも時折焼き立ての匂いがするそれを考えた。
「手伝って貰って作ったそうよ」
「たいした変化だな」
「あんたが励ましたからかしらね」
ばね仕掛けじみた動きで顔を上げた北斗にシュラインが笑う。
どこから聞いたんだ、と言いかけて。
「――あの執事か!」
受け取った包みに挟まれたメモに小さな可愛らしい文字で『ありがとう』とだけ。
梧北斗が気付くのは、もうしばらく後になりそうだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【5698/梧北斗/男性/17/退魔師兼高校生 】
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■ ライター通信 ■
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・こんにちは。ライター珠洲です。お嬢様を励まして下さりありがとうございます。
成否はあえて描写しませんでした。味自体はどちらでしょうか、とご想像にお任せですがお嬢様的には成功だとライター思っております。励まし場面をそれぞれの別場面にしましたらば殆ど重ならなかったという形ですが北斗様→シュライン様と時間が動いていく形で。優しいお話になっていればいいなぁと思います。
・梧北斗様
手を繋ぐかなぁ繋がないかなぁ、と思いつつもしかしたら繋いでくれるような気がする!というPC様の認識から励まして頂いた後がこのようになりました。きっと肝心な時には本当に優しくするんだろうなとライター認識しておりますので。通学途中でお嬢様の乗った車なり見かけたら心の中で応援してあげて下さいませ。
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